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今日は本気で戦う日(8)

「ところで、結界術を強引に破壊して突破してきたのはお前か、黒須歌子?」

 芙蓉が尋ねると、歌子はドヤ顔で頷いた。

「ええ。結界の綻びをピンポイントで狙って狙撃するくらい、私にとっては造作もないわ。屋上からの狙撃、結界を突破して即座に突入して敵を排除! この仕事の早さよ」

 確かに、結界破壊の功績と、迅速に突撃してくる勇猛さは称賛に値する。が、

「それはいいがな、どうせお前、結界を破った後のことは考えていなかっただろう」

「え?」

「現実世界は、一般人で賑わう文化祭だぞ」

 芙蓉がそう言った瞬間、自信満々にドヤ顔をしていた歌子が一瞬で青ざめた。

 結界が破壊されれば、異空間に隔離されていた物騒な諸々――血まみれの魔術師だの、明らかな人外だのが現実世界に戻される。何も知らない高校生たちの目に触れていい光景ではない。

 芙蓉の言葉でそれに気づいたらしく、歌子が急に貧血でも起こしたみたいにふらついた。紅刃が慌てて抱きとめていた。

「お嬢? おーい、お嬢、しっかり」

「や、やっちまったぁぁ……現実見たくない……」

 今にも魂が抜け出してしまいそうなくらい蒼白になり、歌子は早速現実逃避を始めた。

「あれ、でも、お嬢……」

 現実を見ようとしない歌子の代わりに、紅刃が周りを見て不思議そうに首を傾げた。

 奇妙な赤銅色の世界は崩壊し、通常の現実世界に戻ってきている。遠くには微かに喧騒が聞こえる。しかし、不思議と廊下に人が歩いてこない。派手に窓ガラスが割れたというのに、誰も気づいていないかのよう。すぐ目の前にある教室の中には生徒たちがいるようだが、奇妙なことに生徒たちは誰も廊下に出てこない。まるでこの場所だけ、周りの人間たちの意識にないようだ。

「どうなってるんだろう」

 紅刃の疑問に芙蓉が応じる。

「異世界を作り出すほどの強力な物ではないが、これも一種の結界術だな。要は人払いの術だ。この場所だけが切り取られ、普通の人間にとっては存在しないことになっているようだ。即席にしては的確な処置だな」

「は、はぁぁぁ、よかったぁぁ、一連の騒ぎは見られてないのね? セーフ、セーフっ!!」

 歌子が復活した。立ち直るのは割と早かった。

 ころりと表情を変えた歌子に、芙蓉は呆れたように溜息をついた。

 しかし困ったことに、復活したのは歌子だけではなかった。

「――なら、勝負はまだコンティニューってことね」

 地を這うような声が響く。紅刃と歌子がはっと顔を上げて緊張した面持ちになる。

 その声に心当たりのある芙蓉は、厭わしげに振り返る。酸塊が這いながら近づいてきていた。

「雨森酸塊、まだやる気か。武士の情けで命までは取らないでおいてやったというのに」

 芙蓉がとどめをささずにおいた敵が、執念深く立ち上がってきたのだ。

 手加減なしで殴り飛ばしたばかりの敵は深手であり、とても妖相手に満足に立ち回れる状態ではない。それが理解できないはずもないだろうに、酸塊はまだ戦いを続ける心算のようで、芙蓉を睨みつけていた。

 酸塊は、腰に下げた瓢箪に手を触れる。

「本当はもっと弱らせてからと思ったけれど、そう悠長には言っていられないわね」

 芙蓉は僅かに警戒する。戦闘の最中、何度か彼女は瓢箪に触れていた。結局それを使うことはなかったが、彼女にとって何らかの切り札である可能性があった。

「飾りではないのか、そいつは」

「警戒しても無駄よ、防ぎようはないからね」

 言いながら、酸塊は瓢箪の栓を抜き、開けた口を芙蓉たちに向けた。

 瞬間、ぐんっ、と体を引き寄せられる感覚。

「!」

 びゅう、と風が吹き、瓢箪の中に吸い込まれていく。まるでブラックホールのようだ。どうやら酸塊の瓢箪は、周囲のものを見境なく吸い込む術具らしい。吸い込まれたものがどうなってしまうのか解らない以上、捕まらないに越したことはない。

「ひゃぁぁッ!?」

「お嬢っ……わ、やば」

 のんびり分析していた芙蓉の脇をすり抜け、歌子と紅刃が宙に吸い上げられる。せめてどこかにしがみつけるような場所があればよかったのだが、廊下ではそんなものがなく、踏ん張りがきかなかったらしい。二人はあっさり吸い寄せられていく。

 芙蓉の動きは早かった。舌打ち交じりに、二人に手を伸ばすより先に妖術を使う。すなわち、重力操作の能力である。瓢箪の引力よりも強力な重力で、二人を床に叩きつけたのである。

 びたん、と垂直に叩き落された二人が揃って呻き声を上げた。

「うぅぅー」

「芙蓉ちゃん、乱暴ー。もうちょっと優しくできなかったのかよー」

 歌子が顔面を床に打ちつけた痛みで悶絶する一方、紅刃の方は苦情を言う元気が有り余っていたようだ。

「文句があるなら、今からでも瓢箪の中に旅立たせてやろうか」

「勘弁してください。というか、なんで芙蓉ちゃんはそんな涼しい顔して立ってるのさ」

「この程度の引力が通じるものか。どんな奥の手を隠しているかと思えば、こんなものか。雑魚にしか通じない子供騙しの魔術だな」

「すみませんねぇ、子供騙しの魔術でピンチになってる雑魚で」

 紅刃が憮然とした顔で嫌味を漏らすのを聞き流し、芙蓉は酸塊を睨みつける。

「この不毛な延長戦はいつまで続ける気だ?」

「不毛じゃないわ。そうやって仲間二人を守りながらでは、あなたも満足に戦えないんじゃない?」

「余計な心配だ。足手まといの馬鹿二人を抱えて戦うのは既に経験済みだ」

 足手まといの馬鹿呼ばわりされた二人が不本意そうに唸っていた。

 芙蓉はちらりと視線を巡らせ、小さく溜息をつく。

「まあ、どうやら私がそこまで手を煩わせる必要もなさそうだが」

「何ですって」

 怪訝そうに眉を寄せる酸塊は、やはり芙蓉が先程与えたダメージが残っているらしい。万全の状態ではない女魔術師は、その背後に迫る伏兵に気づかなかった。

「――悪いが、もう終わりにさせてもらう」

「!」

 突如背中に突き刺さった声に酸塊は目を剥いて凍りついた。

 酸塊の背後に忍び寄っていた刺客――京介が、太刀を振るった。刀の峰で背を打たれた酸塊が、糸が切れたように床に崩れ落ちる。

 強力な引力で敵を吸い込む瓢箪は侮れない。しかし当然のことだが、その術具によって自滅するようでは意味がないので、口を向けている方向にしか効果がない。すなわち、酸塊の後ろ側は安全地帯。背中を取った者が勝つ仕組みだ。

 気配を殺して近づいてきた刺客に気づけないほど消耗していた時点で、彼女の切り札は必殺技ではなくなったのだ。

 からん、と彼女が携えていた瓢箪が落ちて転がる。酸塊の手を離れたためか、瓢箪は効力を失い、引力が消え失せる。もう大丈夫らしい、と判断すると、芙蓉は歌子たちを押さえつけていた重力を解除する。強制的に床に這い蹲らせる負荷から解放された二人の主従はそろって疲れ切った溜息をついていた。

 すたすたと歩いていくと、芙蓉は床に転がった瓢箪を踏み潰す。ばきん、と音を立てて瓢箪はあっさり壊れる。すると、中に吸い込まれ囚われていたらしい妖たちが続々と廊下に吐き出された。

 瓢箪の大きさよりも明らかに容積の大きい大勢の小妖怪たちが現れる。いったいどれだけ捕まっていたのだと、芙蓉は嘆息する。と同時に、どうやら妖たちが気絶しているだけらしいことを知り、酸塊の甘さに肩を竦めた。妖怪全員が憎くてたまらなくて、殲滅しなければ気が済まないようなことを言っていた割に、しかしそれでも、罪なき妖を殺すことにまだ躊躇があったのかもしれない。

 無造作に放り出され、床の上に折り重なる妖たち。そのてっぺんに正座する女が、明らかに見覚えのある相手であることに気づき、芙蓉は露骨に嫌な顔をする。

「なぜお前がここにいるんだ、紗雪御前――いろんな意味で」

 妖怪たちの山の頂上から飛び降りると、紗雪がにっこり微笑んだ。

「それは、なぜわたくしが文化祭に来ているのかという意味でしょうか。それとも、なぜ瓢箪などに捕まっているのかという意味でしょうか」

「両方だ、この間抜け妖怪」

「みんなで文化祭を満喫していたのはいいのですけれど、ちょっと油断してしまいまして。その気になれば、出てくることもできたのでしょうけれど、まあ、差し迫った命の危険があるわけでもありませんでしたし、この学校には頼りになるお人好し退魔師様たちがいますから、わたくしがわざわざ苦労することもないかと思って、のんびり休憩していました」

「閉じ込めたままにしておけばよかった」

「まあひどい。ねえ、京介さん、あなたの式神がひどいことをおっしゃいますの」

 わざとらしく猫撫で声を作って、紗雪がひらりと身を翻し、京介の腕に纏わりつく。不愉快な光景にじろりと京介を睨むと、「なんで俺を睨むんだよ」と京介が理不尽そうにぼやいた。

「ところで、随分早く駆けつけてくれたな、京介」

 京介はやんわりと紗雪の手を振りほどきながら応じる。

「結界にヒビが入ったおかげで、お前の居場所に見当がついた。曲がりなりにも主人だからな」

「それで、結界が破壊されると同時に、人払いの術をかけたんだな」

「騒ぎになるとまずいからな。杞憂に終わればそれでいいと思っていたんだが、来てよかった」

「案の定、黒須歌子が考えなしだったというわけか」

 「そんなことは言ってない」と京介は否定したが、歌子はばつの悪そうな顔をしていた。

「それにしても、随分とボロ雑巾のようななりになっているな」

 ところどころ制服が擦りきれているし、額には赤黒く血がこびりついている。そこそこ満身創痍らしい京介を見て、芙蓉は呆れたように溜息をつく。怪我がつらいだろうに、事態を穏便に済ませられるよう考えを巡らせて、わざわざここまで来てくれた。実際、彼が駆けつけたおかげで、迅速に酸塊を無力化できたのだ。

「まあ、今回の働きはなかなかだったと認めてやらなくもないぞ」

「なんで上から目線なんだよ」

 ぼろぼろになってもツッコみを入れることだけは忘れないらしい。京介の律義さに芙蓉は苦笑した。


★★★


 駆けつけた竜胆は、京介を見て呆れたように笑った。

「文化祭すら満足に楽しめないとは、哀れな高校生だね、京介」

「わざわざ文化祭を狙う無粋な敵が悪い」

 その無粋な敵たちは、同じく駆けつけた中央会の魔術師たちに捕縛されている。人目を忍んで連行されていく一行の、親玉である雨森酸塊に、芙蓉が問いかけた。

「なぜすぐに妖怪たちを殺さなかった」

 両脇を屈強な魔術師に固められながらよろよろと歩いていく酸塊は、芙蓉の問いに立ち止まり、肩越しに振り返る。憂鬱げな視線を向けた酸塊は、溜息交じりに答える。

「あとでまとめて殺すつもりだった……それだけよ」

 それが本当なのか強がりなのか、彼女の真意は解らない。

 酸塊たちの背中を見送ると、竜胆は再び京介に向き直り、溜息をつく。

「さて、人払いの術をいつまでもかけておくのは面倒だ。目立つ格好の怪我人は退散するよ」

 付け焼刃の術しか使えない京介と違ってサポート系の魔術が専売特許である竜胆によって、校舎裏の一角で今回の一件の後始末――中央会への引き継ぎは密やかに、恙なく終了した。ぼろぼろの制服と傷だらけの体で長居は無用だと、竜胆は京介をせっついた。

「ところで、窪谷君の方は大丈夫なのかな」

 京介は負傷退場するが、文化祭はまだ途中である。時枝の攻撃が、直接相手を傷つけるのではなく痛覚だけを再生する類のものだったため、潤平たちはほとんど外傷がなく、少し休んだあとはすぐに動き回れるようになっていた。京介を心配してついてきてくれようとしていた潤平たちのことを、少々無理を言って押し留め、何事もなかったように振る舞うように頼んできた。美波も潤平にくっついて学校に残っている。

「三年五組からいきなり、カリスマ学級委員を含めた三人もの生徒が同時に早退したら、いくらなんでもおかしいだろうからな。あと、歌子が割った窓ガラスの後始末も大事にならないように処理してもらってる」

 今回、高校への被害はそれくらいなものだ。カリスマ学級委員の力を借りれば充分に誤魔化せる範疇である。

「成程ね。でもそれだけじゃないだろ? 窪谷兄妹については今更にしても、またしても一般人――柊ちゃんに正体バレしたことを知られたくなかったんだろ」

 やはり竜胆は見通しているようだ。京介は隠さずに肯定する。

「まあな。中央会なんかに目をつけられてもロクなことにならない。柊のことはバレるまで黙っておく」

 魔術師のことを知るメンバーがまたしても増えてしまったことについては内緒、というわけである。

「そうはいっても、捕まった魔術師たちが喋ればすぐに解ることだろう?」

「連れていかれる前に口止めしておいた。『ただの高校生にしてやられたなんてことは黙っておいた方がいいんじゃないか』――てな具合に」

「手際がいい、というか、狡くなったんじゃないか?」

 傍で聞いていた芙蓉が失笑した。


★★★


 京介たちとは別に、紅刃と歌子も文化祭を途中退場して帰途についていた。歌子は無傷であるが、紅刃が手傷を負ったためである。妖怪であるがゆえに体が頑丈な紅刃にとっては、慌てて手当てをしなければならないというほどの怪我ではなかったのだが、だからといって放っておくのが、歌子は嫌だったらしい。

「まったくこんなことになるなんて思ってなかったわね。傍迷惑な連中よ」

 歌子がここにはいない魔術師たちに対する不満を漏らす。彼女が文化祭を楽しみにしていたのは、紅刃もよく知っている。だから、魔術師たちによって邪魔をされ、戦う羽目になってしまったのは残念だと思う。おまけに、自分の情けない姿も見せてしまった。お互い、散々な一日だ。

「お嬢は敵認定されてなかったぽいし、こっちのことは気にしないっていう手もあったんだよ?」

「そんなことできるわけないでしょーが。敵からまったく相手にもされないなんて沽券に係わるし」

 当初、自分だけ蚊帳のことにされたことについて、歌子はまだ根に持っているらしい。

「それに、あなたが巻き込まれてるとあっちゃ、放っておけるわけないでしょ」

「お嬢……」

「いい? あなたはもう少し自信を持ってちょうだい。私に大事にされてるって自覚を持つのよ。これ、すっごく大事」

「うん……ありがと、お嬢」

 にっと笑顔を浮かべる歌子に、紅刃も微笑を返す。

 ――おそらく歌子は薄々、紅刃の「狂気」に気づいている。

 歌子が結界を破って駆けつけた時、紅刃は気が動転していた。歌子に全部見られたと思った。血によって残虐性を顕し、容赦なく敵を屠ろうとした姿を見られてしまったと。しかし、冷静になって思い返せば、その時点では歌子は結界の外にいて、中の紅刃たちの戦う様子を知る術はなかったはずだ。

 それにもかかわらず、紅刃が漏らした弱音に、歌子は迷いなく、大丈夫、怖くないと応じた。紅刃が己を指して「化け物」と称した意味を、歌子は瞬時に理解していた。

 知られたくなかった、けれどたぶん、彼女はとっくに知っていたのだろう。

 不思議な気分だった。隠しておきたいと思っていたのに、既に知られていると解って、どこか安堵している。知っていてなお、彼女は自分に微笑みかけてくれる――それがこの上なく、幸せなことなのだ。

 だから紅刃も、自分を大切にしてくれる主人に対して、いつまでも微笑み返す。

 彼女は、彼女だけは自分を受け入れてくれている。自分にとって唯一無二の主人だと、紅刃は確信することができた。

 ――だから決して、俺はお嬢を裏切らない。

 紅刃は改めて、そう心に誓う――


『――ほんとうにそれでいいの?』


 突如、頭の中に声が響いた。

 誰かいるのか、と紅刃ははっと後ろを振り返る。しかし、きょろきょろと視線を巡らせるが、不審な人物は見当たらない。急に立ち止まった紅刃を、歌子が怪訝そうに見ている。

「どうしたの?」

「あ、いや……」

 生返事を返している間にも、謎の声が語りかける。

『君は血を浴びることを望んでいる。それが君の本能で、君の欲求だ。それは誤魔化しようのない、君の本音のはずだ』

 思わず耳を塞ぐ。だが、意味はない。声はより鮮明に響く。

『己の欲望を押さえつけて、人間なんかに付き従って、それで君は本当に幸せなのかい? 本当の君を、解放すればいいのに……』

 目に見える世界が、闇に沈み暗くなったような気がした。

 宥めるように、教え諭すように、正体不明の声が告げる。

『君の望む主は、本当に彼女なのかい?』

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