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今日は本気で戦う日(6)

 漆黒の剣、黒曜剣を振り上げ、力任せに降り下ろし、床に叩きつける。鋭い斬撃の波が床をひび割れさせ、女魔術師の足元を狙う。女は軽いステップでそれを避けると、すぐ近くの教室の中に飛び込んだ。狭い廊下で戦うのを嫌ったのか、あるいは、近くで戦っている仲間の魔術師を巻き込まないように配慮したのか。どちらでも構わない、と芙蓉は女を追いかけて教室に飛び込む。

 入った瞬間、芙蓉は僅かに面食らう。扉を入ってすぐに、黒い壁が立ち塞がっていた。勿論、それは張りぼての壁だ。部屋の中は、どうやら迷路になっているらしい。現実の世界で、高校生たちが作り上げた迷路空間を、そのままトレースしているらしい。

「……」

 この異空間での破壊行動は、おそらく現実には影響しない。そう判断すると、芙蓉は迷わず剣を振るい、部屋中の作り物の壁を薙ぎ払い、視界を広げさせた。

 細切れにされた段ボール製の壁の残骸が散らばる床。開けた視界の中で、教壇の上に立っていた女が苦笑した。

「あっさり壊したわね」

「何か問題でも?」

「いいえ。そういえば、聞きそびれていたけれど。他の妖を守るなんて正義の味方ぶったあなたは、いったい何者?」

「バカな退魔師を主に持ってるだけの式神だ」

「ふうん……なかなか骨がありそうだと思ったら、もしかしてあなたは、不破の式神、芙蓉姫ね」

 女は得心したように頷く。

「一応、私も退魔師。名前は雨森酸塊。同じ退魔師でも、あなたのご主人様とは相容れなそうな気がしたから、先に手を打たせてもらったけれど」

「確かにお前とは相容れなさそうだ。一応訊いておくが、京介に何をした」

「命令違反の常習犯と聞いていたけれど、一応ご主人様が心配なのね」

「心配するためではなく、嘲笑するために訊いたつもりだ」

「私の仲間が足止めしている。少し手荒になってしまったと思うけれど。怒った?」

「別に」

 言いながら、芙蓉は駆け出す。

 だんっ、と踏切り跳ね上がると、両手で握り直した剣を、酸塊の頭上に降り下ろす。酸塊は避けようともせず、右手を持ち上げ、手を広げる。その手で受け止めようとでもいうように掲げ、悠然と微笑みながら唱える。

「障壁展開、『盾』」

 振り下ろした刀身を、酸塊の右手が受け止める。

「!」

 芙蓉は軽く目を見開く。酸塊があまりに軽々と受け止めたのに驚いた。だが、よく見ると、受け止めたのは、厳密には彼女の手ではない。彼女の掌と剣との間には、淡く青く光る盾が生み出されている。

 魔術で生み出された盾。様子見のつもりで全力ではなかったとはいえ、芙蓉のパワーを以てしても壊せないということは、相当な強度の盾だ。芙蓉は舌打ち交じりに飛び退く。

「力任せに叩き壊そうとしたって無駄。私は結界魔術のエキスパートだから」

「結界……この異空間を作り出しているのもお前か」

「そう。結界術の本質は、『隔絶』。それを応用すれば、現実世界をトレースしながら現実とは隔離された亜空間を生み出すことや、境界のこちらとあちらを完全に隔絶する盾を生み出すことができる。あなたのパワーは凄まじいけれど、その力に頼って剣を振り回すだけでは、私の結界魔術は破れない」

 酸塊は次いで、右手で刀印を結ぶ。宙に線を引くように、まっすぐ伸ばした指を素早く滑らせる。直後、芙蓉の足元をぐるりと囲むように、青い光の線が描かれる。

「障壁展開、『檻』!」

 瞬時にして、線は光を立ち上らせて壁となる。周囲をぐるりと囲う光の壁は芙蓉の動きを著しく制限する。

 ためしに手を伸ばし、光の壁に触れてみる。淡い光でありながら、そこに物理的に頑丈な壁が存在しているかのごとく、かつん、と固い音が鳴る。光の先に手を進ませることはできない。

「捕縛結界、か……」

 すっと目を細め、今度は力任せに光の壁を殴りつける。しかし、先に酸塊が宣告していたように、やはりそう易々とは壊れてくれなかった。殴った方の手が痛んだだけだ。

 どうやら、ロクに身動きのできない光の障壁の中に、閉じ込められてしまったようだ。

 芙蓉は焦ることなく、むしろ面白がるように笑みを浮かべ、問う。

「私の動きを封じて、それで? この後は?」

「安心して、すぐに出してあげるわ。勿論、絶命した後だけれど」

 酸塊がまっすぐに芙蓉を指さす。

「障壁展開、『礫』」

 すると、指の先に、青い光でできた小さな球体が生み出される。それは、さながら弾丸のようだ。

「成程……内と外を隔てる障壁は弾丸にもなるわけか」

 酸塊の結界術は、防御だけの力ではなく、攻撃にも応用できるようだ。便利なことだ、と芙蓉は感心する。

 つまり、彼女の策は、障壁で敵の動きを封じた上で、弾丸で障壁ごと敵を貫くというものだ。内からでは容易に破壊できない障壁だが、外からなら、あるいは術師である酸塊なら、簡単に貫通させられるのだろうと推測できた。

 酸塊の弾丸は、間違いなく芙蓉の心臓を狙っている。

「あなたは逃げられないし、この距離なら一発で心臓を打ち抜ける。ジ・エンドよ」

 青い弾丸が放たれる。

 弾丸は、一秒としないうちに障壁に辿り着き、障壁を貫通する。そしてその先にある芙蓉の肉体を抉らんと突き進んだ。

 障壁を破ってから芙蓉の体に届くまでの距離はほんの数センチで、時間にすれば一瞬のこと。

 だが、芙蓉にとってはその距離、その時間だけで十分すぎた。

 芙蓉は唇を歪めて嘲笑する。

「甘いぞ、雨森酸塊」

 酸塊の弾丸が、見えない力によって地に叩き落される。

「!?」

 酸塊は瞠目する。芙蓉は逃げられなかったし、剣を振るう余裕もなかった。だというのに、弾丸は、障壁を貫いた直後、芙蓉の体に届く前に、床に引き寄せられるように落下した。

「自分で張った障壁を、自分で壊しておしまいとは、手の込んだ茶番だな」

 あからさまな挑発に、酸塊は舌打ちをして苛立ちを見せる。

「障壁展開、『剣』」

 青い光の障壁で形作られた剣を握り、酸塊が駆ける。振り下ろされる剣に、芙蓉は漆黒の剣で打ち合わせる。

 きぃん、と固い金属音と共に、酸塊の手から、剣はあっさりと弾き飛ばされる。

「結界術の応用で剣を生み出せるのは面白いが、斬り合いとなれば私の方が上手であるのは、言うまでもないな?」

「――侮ったわね!」

 得物を失った酸塊は、しかし焦ることはなかった。芙蓉の目の前で、指をぱちんと弾いた。

「封絶展開、『闇』」

 酸塊が詠唱するや、芙蓉の視界が暗転する。

「っ」

 一瞬にして、世界から光が失われる。目を開いているのに、広がるのは完全な闇。

 視力を奪われたのだ、と気づいた時には、酸塊の蹴撃が鳩尾に食い込んでいた。

「ぐっ……」

 見えていなかったせいで、身構える暇もなかった。予期していなかった、思いのほか強烈な蹴りに、芙蓉は小さく呻きながら後方に吹き飛ばされる。剣を取り落し、教室の壁に叩きつけられる。痛みに顔を顰めていると、酸塊は息つく暇もなく詠唱を紡ぐ。

「障壁展開、『枷』」

 闇に閉ざされていた視界が、次第に回復してくる。しかし、その代わりに体の動きが封じられた。それは、先程のように結界内に封じ込められるのとは違う。壁に縫いつけられたように、動けないのだ。

 許されるのは僅かに身じろぐことくらい。両手首と両脚、それから胴にも、動きを戒める固い感触がある。障壁の応用で作られた枷だ。その枷で、壁に縛りつけられていたのだ。

「結界の本質は、『隔絶』の他にもう一つ。障壁の内側に封じ込める……すなわち、『封印』。視界を『封じ』られると、一瞬とはいえ混乱するでしょう?」

「その隙に不意打ちをする、というわけだ」

 結界魔術の応用性の高さには、素直に感心せざるを得ない。

「今度こそ終わりにするわ」

 酸塊は右手に再び青い光の剣を生み出す。壁に磔にされた敵を貫くだけだ、酸塊にとっては赤子の手を捻るより簡単なことに思えていることだろう。

 だが、

「相手が悪かったな、雨森酸塊」

 芙蓉はあくまでも不敵に笑う。その自信が解らないだろう酸塊は、訝しげに眉を寄せる。

「……あなたは拘束され、剣を振るうことはできない。その状況で、よくそんな強気なことが言えるわね」

「一つ、お前の勘違いを正してやろうか」

「何?」

「これは、まあ、京介も勘違いしている節があるから、初対面のお前が間違うのも無理のない話だが。私は確かに力ずくで相手をねじ伏せる近接戦闘を得意とするが、それ一辺倒というわけではない。馬鹿なお前にも解りやすく説明してやるとだ……剣を振るえないことなど、私にとってはたいした問題ではない」

 瞬間、ばんっ、と何かが床に叩きつけられる大きな音が響く。

 酸塊の体が叩きつけられた音。芙蓉が触れずして酸塊を叩き潰した音だ。芙蓉の眼下では、酸塊が苦痛に顔を歪め、床に這い蹲っている。立ち上がろうと懸命に踏ん張っているのが解る。しかし、足掻いたところで酸塊は立ち上がれない。芙蓉の術が、それを許さない。

 一瞬だった。たったの一瞬で、形勢が逆転する。酸塊は何が起きたか解らないという顔で、芙蓉を睨み上げてくる。

「な、何を……く、ぅぅッ……!?」

 酸塊の呻き声に、芙蓉はくすりと小さく笑う。

「この通り……触れずとも、お前を這い蹲らせることは造作もない」

「これは……」

「お前のいる場所の重力を操作した。脱出不能の加重領域に、捕えられたんだ。馬鹿なお前にも解りやすく説明してやろうか? お前はぺしゃんこになるまでそこで這い蹲っていろということだ」

「そう、か……あなたの力は、重力操作……!?」

 近接戦闘を好む芙蓉姫だが、固有の術は重力操作だ。視認した場所の重力を操作するという反則的な術は、消費する魔力が多いためあまり多用はしないが、元々魔力の容量が大きいから、いざというときは迷わず使う。

 立ち上がることすら許さない、極めて強力な重力領域。一度地に膝をついてしまえば、逃げることは不可能だ。

「己の魔術を過信して、勝ちを確信して油断したな、雨森酸塊。だが恥じることはない。お前の魔術は確かに優れている。ただ、その程度のことなど意に介さないくらい、私が強いというだけの話だ」

「過信? ……過信、してるのは、あなたの方でしょう。私を舐めないで! 障壁展開、『虚』!」

 酸塊が詠唱する。すると、酸塊の呻き声がぴたりと止んだ。

 仕留めたと思ったのだがな、と芙蓉は不機嫌に鼻を鳴らし、両手から衝撃波を放つ。自身の体を戒める結界術を破壊するのは難しくても、縫いつけられている壁の方を壊すのは容易い。芙蓉が狙ったのは後者の方だ。壁を崩せば、枷は意味をなさなくなり、芙蓉は拘束を抜け出すことができた。

 重力に押し潰されていたはずの酸塊は、今は起き上がり、荒く息をつきへたり込んでいる。酸塊を守るように、ドーム状に光の壁が形成されているのだ。

 酸塊は強がるように笑う。

「魔術効果を断絶する守護障壁……あなたの重力魔術は、この結界の内側までは及ばない」

「守護障壁に守られた状態で、お前は私に手を出せるのか?」

「いいえ」

 酸塊は思いのほかすんなり、正直に認めた。

「こうしていれば、お互いに手を出せない、膠着状態というわけ。時間稼ぎさせてもらうわ。何も、一対一である必要はないもの。もう少しすれば、鴇が敵を倒してこっちにくる。そうしたら二対一」

「その作戦には穴が二つある。まず一つ、紅刃はそう簡単にはやられない。もう一つ、仮に二対一になったとしても私は負けない」

「随分な自信ね。妖怪っていうのは、強い力を持っているからって調子に乗って、本当にいけすかない」

「随分と嫌われたものだな。何がお前を駆り立てる。なぜ妖を憎む」

「あら、あなた、人の話を聞くなんてできたの? そういうのは、不破の退魔師の専売特許だと思っていたけれど」

「その通りだ、基本的に私は敵の事情などどうでもいい。暇潰しに聞いただけだ」

「はっ、暇潰し! 人のトラウマに暇潰しで踏み込もうとするなんて、綺麗な顔をして鬼畜ね」

 心底から軽蔑したような声で酸塊は吐き捨てる。

「……まあ、いいわ。教えてあげる。私たちが、妖を駆逐する理由。といっても、勿体ぶるほどたいそうな理由じゃないわ。ありふれた、どこにでもある悲劇の話。私たちは同じ児童養護施設で育ったの。両親を妖に殺されたから」

 同じ施設に四人もの魔術師がいるのは多いように思われるかもしれないが、順を追って考えればさほど特別なことではない。退魔の力は、多くが遺伝する。退魔師の子供は、その力を受け継いでいるのが自然だ。酸塊たちも例に漏れず、親から退魔の力を受け継いだのだろう。すなわち、酸塊の親たちは現役退魔師だったのだろう。そして退魔師は危険に巻き込まれることがしばしばだ。酸塊の両親も、鴇たちの両親も、皆、凶暴な妖との戦いの中で命を落としたのだろうと、芙蓉は推測する。

「そして、私が十歳の時、施設を妖が襲った」

「施設には、普通の子どももいただろう」

「ええ、私たち四人を除いて、大人も子供も死んだわ。施設のあたりには、小さな妖怪が棲んでいたから、それを狙って、強い妖が襲ってきたの。施設のみんなは巻き添えで死んだの」

 突然襲ってきた不条理。何の罪もない人間たちに訪れた理不尽な死は、妖への憎悪を生むには十分すぎただろう。

「解る? 私は二度、家族を奪われた。血の繋がった家族も、新しくできた家族も。妖怪のせいで、二度もよ。小さい妖は無害だなんて、誰が言ったのかしら。違うわ。彼らは存在するだけで害悪。強い災厄を招きよせ、悲劇をまき散らす。弱いも強いも、小さいも大きいも、優しいも冷たいも関係ない。妖は全員、敵――私たちは、そう悟ったの。妖なんかに甘さを見せたらいけないの。みんなまとめて排除しなければ、人間に安寧はない。私たちは間違っていないわ。あなたに私を否定できる?」

「いいや」

 否定するつもりなどない。芙蓉は首を振る。

「お前にはお前の考えがあって、妖を狩ろうとする。勝手にすればいいさ。私の知らないところでなら、何をしようと関係ない。けれど、京介には京介の考えがあって、妖を守ろうとしている。それを知っている以上、私は、私の目の前で、京介の守ろうとするものを傷つける奴は、見過ごせない」

 こんなこと、本人の前では言わないけれど。芙蓉は内心でひっそりと笑う。

「……お互い、譲れないものがあるということだ。言葉などでは止まれないさ。だから、力ずくで押し通すしかない」

 一歩、踏み出す。右手を後ろに引く。拳には黒い妖気を纏わせる。

 酸塊が障壁の向こうで目を見開く。僅かな焦燥を浮かべた瞳だった。

「無理よ。力ずくでは、私の結界は壊せない」

「絶対に壊れないものなんていうのは存在しないものだ。どんなに強固な壁も、それ以上に強硬な拳の前では砕け散るほかない。私は力ずくで相手をねじ伏せる近接戦闘を得意とするが、それ一辺倒というわけではない。しかし、力ずくで解決することを一番好んでいるのも、また事実だ」

 右手に重力の術を収束させて、拳をより強く、固く、重く仕上げる。

「お前の障壁は優れている。だが、逃げ腰のお前が作ったその場凌ぎの障壁は、脆いよ」

 芙蓉はただ全力の拳を叩きつけるだけだ。

 黒い光を纏った右手が、酸塊の守護障壁に阻まれる。だが、一瞬だけだ。一瞬の後には、障壁は砕け散り、拳は何に邪魔されることもなく、酸塊の体に届いた。

 重い衝突音と共に、酸塊は吹き飛ばされ、教室の壁を突き破っていく。悲鳴は高速で遠ざかる。隣の教室まで転がって、ようやく止まった。無論、もう意識はないだろう。

 酸塊が気絶したためか、あるいは芙蓉の一撃がこの空間にまで響いたのか、亜空間を生み出す結界術が揺らぐ気配がした。強引にぶち壊すなら今をおいて他にないだろう。

 芙蓉がそう考えるのと同時に、どうやら同じことを考えた奴がいたらしい、ぱりん、とガラスが割れるような音が聞こえた。

 赤銅色の魔力の結界に、白い亀裂が走る。

 誰かが結界を壊そうと術を放っている。

 結界が崩れかけている。そのおかげで、結界の外――現実世界とのつながりが戻りかけているらしい。結界に取り込まれてからこっち、完全に断ち切られていた「糸」が、微かに感じられ始める。

 式神と主人のつながりが、取り戻されようとしている。

「京介……?」

 今なら、京介の健在が解る。目に見えなくても、近くにいることが、つながっていることが解る。

 芙蓉はふっと不敵な微笑みを漏らす。

「ふん、どうやら無事らしいな。私の主人なら、そうでなくては困る」

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