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今日は本気で戦う日(4)

 周りにいた人間が一瞬にして消え去り、景色が赤銅色に霞む。

 廊下で立ち止まり、芙蓉は慎重に状況を確認した。

「結界術の類か。人間を消す……否、結界内に連れ込まれ消えたのは私の方か」

 おそらく人間たちは、何も知らず、文化祭を続行中だろう。術者に目をつけられた者だけが、現実世界を複製した赤銅色の異空間に引きずり込まれ、閉じ込められている。邪魔の入らない場所で、術師が何をしようとしているのか。まあ、ロクでもないことを考えているのは間違いないだろう、と芙蓉は思う。

 京介はどうしているだろうか、と芙蓉は考える。学校を舞台に大掛かりな術が使われているのだ、京介が気づかないはずがない。事件が起きているとなれば、京介はすぐさま芙蓉を召喚しそうなものだが、少し待ってみたが呼ばれる気配はない。

 どうやら、京介はこの空間の中にはいないらしい、と判断する。現実世界にいるのか、あるいは別の結界内か。いずれにしても、簡単には接触できないだろう。解った瞬間、芙蓉は忌々しげに舌打ちする。

「肝心な時に蚊帳の外か。京介め、こんな面倒そうな事態の対処を、よもや私に丸投げするつもりではあるまいな」

 芙蓉は徐に右手を持ち上げ、掌をすぐ横の壁に向ける。

 瞬間、放たれる衝撃波。

 穿たれた壁は脆くも崩れ、穴を開ける。崩れた壁の向こうには外の景色が見えるはずと思われたが、しかしそこには赤銅色の光の壁が立ち塞がっていた。結界の壁だ。そう簡単には破壊できなかった結界術を分析し、呟く。

「固いな。術者は少なくとも、結界術に関しては相当の手練れか。力ずくで破壊するより術者を抑えた方が早いか。面倒な……」

「それを確かめるために壁壊したのかよ。相変わらず過激ー」

 けらけらと笑いながら足音が近づいてくる。振り返ると、紅刃が軽く手を挙げて「やあ」と呑気に挨拶する。

 紅刃の主人である歌子が学校に通っているのだから、紅刃がここにいることは不思議ではない。しかし、今、紅刃の傍に歌子はいない。

「主人はどうした」

「そっちこそ。……どうやら、この結界内に取り込まれたのは妖怪だけらしいよ」

 あたりを探索して来たらしい紅刃の報告を聞き、芙蓉は再び舌打ちをする。

「こんなことをして、敵は何を考えているのか……」

「敵が何を考えていようと問答無用で叩き潰すくせに」

「違いない」

 とにかく潰す。これ以上ないくらい単純明快な方針だ。

 敵の動機とか目的とか、そういうのを考えるのは京介の仕事で、芙蓉の役目ではない。京介なら、敵の事情を考えたり、場合によっては説得してみたりとするだろうが、芙蓉はそんな面倒なことはしない。

「京介がいるとあれこれとまどろこしい余計な注文をつけられる。たまには命令など無視して好き勝手にやりたいと思っていたところだ」

「いつも命令無視してるじゃん」

「馬鹿を言え。二割くらいはきいてやってる」

「二割で自慢げに言われても」

「お前はどうする気だ? いつも命令に忠実に従うばかりのお前は、命令がなければどう動く」

 あてつけるように言うと、紅刃はにやりと笑った。

「言われなくても、望まれることをするのが、優秀な従者って奴さ。後でうんと褒めてもらおう」

 どうやらお互い、主が不在でもやることは変わらないようだ。

 芙蓉は右手に喚び出した漆黒の剣を肩に担ぎ、いずこかに潜んでいるであろう敵に向かって宣戦する。

「――ふざけたことをやらかした敵を捻り潰す。私の休日を邪魔した報いは高くつくぞ」


★★★


 思いのほか、この文化祭に集まっている妖怪は雑魚が多いらしい。たいして手間取ることもなく、酸塊は既に十匹の妖を処理していた。正確に言えば、刃向ってくる妖どもを尽く返り討ちにして無力化してくれたのは、酸塊についてきている青年・天草ときであるが。

 革ジャンにダメージジーンズという適当な格好の酸塊とは対照的に、天草はスラックスにブレザー、ネクタイまできちんと締めている。斜め後ろを静かについてくる天草を肩越しに振り返り、酸塊は言う。

「こんな調子なら、天草の手を煩わせるまでもなかったかもしれないね」

「戦闘を取ったら私の役目が残らないじゃありませんか。不破の魔術師の相手にしても、さすがに三人も戦力を割くほどではありませんし」

 今回の計画で一番の障害になるとすれば不破の退魔師だろうと踏んでいた。この高校に通う少年は、人間も妖も平等に守ろうとする、正しき仲介者だ。自分たちとは確実に相容れない。だから、先手を打って、妖たちを閉じ込めた結界とは別の結界内に閉じ込め、さらに足止め役として逆巻と時枝を宛がった。そこまで警戒するくらいなら、わざわざ不破の魔術師と縁のある場所で事件を起こさなければいいという話なのだが、神ヶ原の妖たちが多く集まるこの機会を逃したくはなかったのだ。

 できるだけ迅速に、効率的に、妖どもを狩り尽くす。その目的のためには、この文化祭はお誂え向きだった。

 幸い、足止めは上手くいっているようで、今のところ計画は順調だ。この調子で残る妖怪たちも狩ってしまおう。

 酸塊は天草を引き連れて、結界により現実世界と隔離された複製校舎をしらみつぶしにしていく。一階はあらかた「掃除」し終えた。階段を上がり、二階に赴く。

 少し逡巡して、先に一般棟の方に進む。現実の校舎を、生物を除いて複製して異空間を作り上げたため、歩いていく廊下は文化祭仕様に装飾がなされている。場合によっては、それらが血で濡れることもありうる。もっとも、この赤銅色の校舎に傷がついたとしても、それは現実世界には影響しない。

 この結界の外では、何も知らない人間たちが文化祭を楽しんでいる。文化祭に訪れた客の中からほんの一握り、妖怪だけが姿を消しているとしても、人間たちはそれに気づかないだろう。今まで始末してきた妖たちは力の弱い奴ばかりで、そういった連中はえてして人間に見えにくいのだ。よしんば人間に認識されていた妖でも、結界内に取り込まれて現実世界から消えた瞬間、人間にとってその妖など元から存在しなかったかのように錯覚させられるよう、意識に干渉する術をかけてある。妖怪の消失に気づくのは、魔術師くらいのものだ。

 そして、その問題となる魔術師についても、すでに捕えてある以上、異変に気づき邪魔をしてくる者はいないということだ。酸塊は何を心配することなく目の前の仕事に集中できる。

 二階は三年生の教室だ。最後の文化祭ということもあって、気合が入っているらしいことは教室を見れば解る。とても楽しそうだということも解る。がらんとした教室を一通り眺めて微笑ましい気持ちになっていると、視界の端をちらりと横切る影があり、酸塊は気を引き締めた。

 三年生の教室から一匹、白い狐のような妖が飛び出してきた。白狐は酸塊たちを一瞥すると、一目散に走って行った。正面から戦う気はないらしい。だが、逃しはしない。

「天草」

「はい、捕えます」

 天草が素早く走り出す。追い縋ってくる天草を振り返り、白い狐が悲鳴のような声を上げる。

「ひぃぃぃっ! 来るな来るなッ!! 俺は食っても美味くねえぞおお!」

 言われなくても解ることを宣言しながら駆ける狐は、存外脚が速い。

「逃がしませんよ」

 天草が右手を掲げる。手の中に喚び出された得物は、鉄扇だった。

「『死閃シセン』」

 瞬時に広げた鉄扇を仰ぐと、四筋の風の攻撃、鎌鼬が放たれ、床に爪痕を刻みながら狐の小さな体に迫る。敵を切り裂かんとする斬撃が飛び、標的の悲鳴がいっそう高く響く。

 鎌鼬が敵を食い千切ろうとした、その瞬間。

 両者を分断するように、黒い剣が床に突き立てられた。

「!」

 予想外の妨害に酸塊と天草は軽く目を見開く。漆黒の剣は斬撃を弾き飛ばし、楯のように、その後ろの狐の体を守った。

 白く細い腕が身の丈ほどもある剣を引き抜き、肩に担ぐ。長い黒髪を揺らす女妖怪が、こちらを睨みつけている。

「へぇ……いよいよ大物が釣れたようね」

 酸塊は微かな興奮を感じながら、腰にさげた瓢箪を愛おしげに撫でた。


★★★


「うおおおお、芙蓉姫えええ!」

 脚にまとわりつく周防が鬱陶しく泣きわめくので、蹴り飛ばそうかと思った。しかし、それを見透かしたように、あとから追いかけてきた紅刃がタイミングよく「蹴っちゃ駄目だよ」と釘を刺してくれたので、味方にとどめを刺さずに済んだ。

「死ぬかと思った、今度こそ死ぬかと思ったぜえ」

 確かに、あのままだったら確実に周防は八つ裂きにされていたことだろう。芙蓉が間一髪で間に合ってよかった。

「それにしても、気に入らないな……戦意のない貧弱狐を後ろから攻撃して、何が面白いのか」

 芙蓉は敵二人を見据える。ラフな格好で、なぜか瓢箪を提げた女と、スーツ姿の男。二人とも魔術師のようだ。

 芙蓉は、戦いは好きだが、弱い者いじめは好きではない。戦意のない相手を斬るのは主義に反する。相手が非道な妖や魔術師なら、戦意を喪失して降参したところで容赦はしないのだが、元々戦う気のない人畜無害を相手に一方的に暴力を振るうことは、まあたぶん滅多にない。

 攻撃の術を持たず、逃げ惑うだけの周防を背後から狙うやり口は、気に入らない。

 だが、芙蓉の考えを嘲笑うように、女魔術師は言う。

「卑怯だとでも罵る気かな。けど、これはゲームじゃないの。卑怯だとかズルいだとか喚いたって意味はない。妖の世界は弱肉強食、死は常に隣り合わせで、弱い奴は死んだって文句も言えない。そういうものでしょう?」

「人間のくせに、妖の理を語るのか」

「本当は語りたくなんかないけれどね、大嫌いな妖のことなんか」

「その口ぶりからすると、妖を狙う理由は私怨か」

「妖なんか害悪でしかない。だから駆逐する。退魔師として当たり前のことをしているの。あなたに責められるいわれはないわ」

「責める気はないが、お前のような人間を退魔師とは認めない。相手が人間でないというだけで、やっていることは無差別殺人鬼のようなものだ」

「やっぱり人間と妖とじゃ、話が平行線ね。時間の無駄だわ、戦りましょう。どうせあなたも、説得するつもりで出てきたわけじゃないんでしょ」

 見透かしたことを言う女に、芙蓉は挑発的に笑った。

「確かにな。お前のような馬鹿は殴って言うことをきかせるほうが手っ取り早い」

 

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