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今日は本気で戦う日(3)

 言うまでもないことだが、立ち直った時枝は憤怒の形相だ。一応高校生相手ということで精いっぱい譲歩してくれていたというのにここまで虚仮にしてしまったのだ、当然の結果だろう。金輪際、一かけらさえも、情けをかけるつもりなどないと、その瞳が語っている。

「この、ガキ共! ただの高校生のくせに、調子に乗って付け上がって! 魔術師に歯向うとどうなるか、思い知らせてやる!」

 貼り付いていた余裕の笑みも消え失せていた。

 潤平が引き攣った顔を見せる。それは、手の痛みだけが原因ではないだろう。

「おいおい美波、奇襲は鮮やか見事だが、どうせならとどめを刺しておいてくれよ。敵を無駄に本気にさせちまっただけの可能性が微レ存だ」

「無茶です、非力な女子高生にそこまでのことを期待しないでください」

「どの口で非力とか言うんだよ」

「お前たち、冗談言い合ってる場合じゃないよ!」

「『痛覚再生・刺突』!!」

 時枝の周りに、紫色の光の弾が三つ浮かび上がり、直後、一直線に放たれた。

 魔術師が本気になって放った魔術は高速すぎて、素人三人組に避けられるはずもない。直撃だった。光の弾丸が腹部を貫いていった。その直後に、さながら刃に貫かれたが如く痛みが走る。

「く、ぅぅぅっ……!」

 歯を食いしばって耐えようとするが、こらえきれず、柊は床に蹲る。血が出ていないのが不思議なくらい、生々しい激痛と熱が広がる。見ると、潤平は床に転げて荒々しく息をついており、美波は縋るように壁に凭れている。一様に声にならない悲鳴を上げていた。

 この痛みは錯覚だ。偽物に過ぎない。体は傷ついてなどいない。そうと解っていても、肉体を超えて直接感覚に刻みつけられた痛みは消えない。

「痛い? これで少しは、懲りたかな」

 見上げると、屈服しろと脅しつける迫力で、時枝が睨みつけている。

 柊は精一杯強がって笑ってみせる。

「……はっ、馬鹿にしないでよ。これぐらいで、屈するとでも? これだから男は甘っちょろいのよ。この程度の痛み、生理痛こじらせた女子高生なら日常茶飯事なのよ!」

「いいんちょ流石にそれは無理があると思う」

 潤平が息も絶え絶えになりながらも律儀にツッコミを入れた。

 それから声を潜めて潤平が言う。

「で、冗談はさておき、どうする、いいんちょ。そろそろ俺も万策尽きて来たんだけど。諦めない精神の根性論だけで誤魔化すのは限界っていうか」

「奇遇ね、私もそろそろ、このゴリ押し適当プランは潮時だと思っていたのよ」

「体痛すぎて、立てる気しないんだけど」

「同感よ、もう立てない。立たなくても攻撃できる便利武器とか持っていないわけ?」

「ありますよ」

 か細い声に振り返る。壁に凭れる美波が、汗を浮かべて苦しげに表情を歪めながらも、ぎりぎりのところで微笑んでいた。

「きっと勝てますよ、私たち」

 言いながら、美波は体の後ろに手を回す。

 再び前に出した彼女の手には、得物が握られている。特別な物ではない、当たり前にそこに存在していた、学校には設置義務のある、消火器である。

 鈍器としても有用な消火器だが、三人の誰も、これを振り回す余力はない。ゆえに素直に、消火器の通常の使い方を実践するのみだ。

 無論、目の前に火など燻ってはいない。しかし文字通り火を消すための消火器ではあるが、火がなくとも、こと戦闘においては、その白い消火薬剤は貴重な煙幕となる。

 柊たちは目を見合わせて笑う。

「今よ」

「やっちまえ」

「大詰めですね」

 素早い手際で、美波が消火剤を噴射する。視界が一気に真っ白に染まった。

「つまらない抵抗を……!」

 粉末薬剤の霧の中で、時枝の苛立たしげな声が響いた。

「こんな目くらましで何になる? 逃げようったって、この結界内に閉じ込められている以上、君たちに逃げ場所なんてないのに!」

 逃げるつもりなどさらさらない。

 消火剤で、ほんのわずかな時間ではあるが、煙幕を張り、時枝の視界を奪った。そうやって稼いだ貴重な時間の間に、柊たちはしかし、逃げるでもなく態勢を立て直すでもなく、ただじっとしていた。

 真っ白に染まった視界の中で、黒い影が疾るのがかろうじて見えた。

 時枝に迫っていく足音。

「!」

 時枝が近づいてくる気配に気づいたのか、棍を振り回し、煙幕を蹴散らした。しかし、その時にはすでに間合いに入りこんでいる。さっと晴れた視界の中で柊は見る。

 振るわれた棍を避け肉薄していた京介が、呪符を片手に詠唱した。

「――砲火現界、殲滅せよッ!!」

 火焔の砲弾が、時枝を吹き飛ばす。


★★★


 巨大な炎の塊に撥ね飛ばされ、時枝の体は吹き飛び、後方、結界の壁に激突した。容赦なく殴られたお返しだ、こちらも遠慮なく、全力の砲撃を撃ち込んだ。時枝の体はずるずると壁を滑り落ち、床にぐったりと崩れた。

 制圧完了。と同時に、がくりと膝から力が抜けて倒れそうになる。顔面から床にダイブせずに済んだのは、すかさず支えてくれた潤平のおかげだった。肩を貸してくれながら、潤平がにやりと笑った。

「いいところを持っていったな。素敵すぎる目覚めじゃねえか」

「最悪すぎる目覚めだ。誰の発案だ、この無謀プランは」

「以心伝心で全会一致だ。どーせ俺たち素人集団で倒しきれるはずないからな。最後の詰めはお前に丸投げすることにして、俺たちは時間稼ぎに徹してたってわけさ。気絶してる奴さえ容赦なく扱き使う鬼畜プランだ、恐れ入ったか」

「とても。けど、助かった」

 昏倒するまで殴打されたものの、なんとか意識を取り戻した。周りがこれだけ騒がしければ、そりゃあ目も覚める。

 その瞬間に、目敏く気づいた美波が消火器で煙幕を張りアイコンタクトをしてきたので、いきなりのことすぎて何が何だか解らなかった。状況を理解するのに二秒。目配せの意味が「今すぐ奇襲しろ」だと気づいた。

 寿命が縮んだような気がした。時枝の進入を防ぎ三人を守るようにと放った結界は確かに発動し、自分が気絶してしまった後も問題なく作用しているはずだったのに、三人まとめて結界の外に出て時枝に勝負を挑んでいるのだから驚いた。

 潤平たちの計画通り、時間稼ぎが功を奏し、最後の詰めの役割は京介に回ってきた。成功したからいいようなものの、綱渡りの作戦だ。

 どうしてこんな無茶を、と訊こうとして、やめた。代わりに礼を言った。

 潤平の手を借りて、壁に凭れ座り込むと、柊が顔を覗き込んでくる。

「不破京介、無茶をさせておいて訊くのもなんだけど、大丈夫なのか?」

 凛々しく自信に満ちた表情がトレードマークみたいな柊にしては珍しく、とても不安そうな顔で問うてきた。まあ、いきなり目の前で魔術バトルが始まってしまったのだから無理もない。

「俺は慣れているから。それより、柊は?」

「私は常日頃から鍛えているから問題ないよ」

「巻き込んで悪かった、柊。潤平と、美波ちゃんも」

「不破京介が謝ることじゃないよ。いきなり仕掛けてきた不逞の輩はあちらだよ。……それにしても、驚いた。今でも、夢を見ているんじゃないかと思ってしまうけれど、全部現実なのよね」

 柊はそう言うが、驚いて立ち尽くすでも現実逃避するでもなく、素早く現実を受け入れて順応して、あまつさえ魔術師相手に戦いを挑んだというのだから、その現実対応能力には目を瞠る。魔術というものの存在を初めて知った少女とは思えない対応力だ。

「まったく、学級委員にこんなものすごいことを隠していたなんて許しがたいよ。こうなったら、隠していること全部、ぶちまけなさいよ」

 唇を尖らせて言うが、柊の目は微かに笑っている。京介は小さく苦笑して、いつものように言い返す。

「職権濫用だ」



 逆巻と時枝の二人を拘束してから、体を休めつつ思考を働かせる。

 二人の発言から、彼らの他に、少なくとも一人、仲間がいることが判明している。時枝が「スグちゃん」と呼んでいた奴だ。そいつは、邪魔者である京介を結界内に閉じ込め、刺客として逆巻と時枝を宛がって、外で目的を達しようとしている。そしてその目的とは、逆巻の言葉を信じるなら、妖怪を狩ること。

 この文化祭には、京介が知っているだけでも六人の妖がいる。式神である芙蓉と、紅刃。周防、紗雪御前、恋歌、そして厳密には妖というよりは神である戎ノ宮。他にも人間に紛れて祭りを楽しんでいる妖怪は大勢いるはずだ。

 妖怪共を狩り尽くす――逆巻はそう言った。つまり、特定の誰かを狙うのではない。この文化祭を訪れている妖を無差別に襲おうとしている。妖怪という存在自体に恨みを抱いているのかもしれない。ゆえに、妖を根絶やしにすることを最終的な目的として、手始めに選んだ狩場が、妖が集まりやすい祭りの日なのだろう。

 妖の中には、人間を襲う危険な奴もいる。そういう妖を相手にすることの多い京介は、そういった輩に襲われた人間が、妖怪に対して強い恨みや憎しみを抱くことがあるのも知っている。

 しかし、月並みになってしまうが、妖怪が皆危険な存在というわけではない。妖にだっていろいろな奴がいる。妖というだけで一括りにして憎しみをぶつけるのは暴論だ。もっとも、そんな理性的な正論が通じないからこそ、復讐に駆られる人間が出るのも事実だが。

 今回の事件は、妖を憎む魔術師たちが起こしているのかもしれない。京介は、気を失っている逆巻と時枝を順々に見て考える。

 京介を抑えるためとはいえ、魔術師でもない潤平たちを巻き込んだ手口からして、相手はかなり過激な連中だ。放置しておけば、外の妖たちが危ない。最悪、芙蓉のような規格外な強者は放っておいてもそう簡単にやられはしないだろうが、周防のように人畜無害を絵に描いたような平和的な妖では対処しきれないかもしれない。

 早々に結界を解いて、残る敵を討たねばなるまい。京介は呪符を片手に立ち上がる。

 だが、途端によろめき、潤平に支えられる羽目になった。

 潤平はまなじりを吊り上げる。

「きょーすけ、まだじっとしてろ!」

「大丈夫だ……少し体が重いくらいで、問題はない」

「問題ありまくりだっての。そんなふらふらで出てったって、役立たずだって姐御に言われるだけだぜ」

 それは確かに、芙蓉が言いそうだな、と京介はげんなりする。

「きっと、大丈夫さ。だって、外には姐御がいるんだろ? 姐御は、きょーすけが命令なんかしなくたって、やるときはやってくれるさ」

 自信満々に潤平が請け合う。

 京介は小さく嘆息する。潤平に芙蓉を語られるのはなんとなく悔しい気がしたので、京介は少々不貞腐れた顔で言い返した。

「……んなこと、お前に言われるまでもなく、解ってるよ」


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