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今日は本気で戦う日(2)

 潤平と柊が、時枝を京介から引き離すように戦ってくれたおかげで、美波は倒れた京介の元まで辿り着くことができた。

 美波は戦局に注意しながら、京介をそっと抱き起す。呼吸も脈拍もとりあえず正常。気を失っているだけらしい。人質として使うことを仄めかす時枝の発言から、殺しはしていないだろうということは解ったが、それでも実際に心臓が動いていることを自分の手で確認するまでは怖かった。

 しかしそうはいっても、殴打された体は傷だらけで、すぐに手当てをするべき状態だ。結界に囚われている現状ではそれすらままならない。美波はもどかしさに歯噛みする。

 視線を上げれば、魔術師を相手に潤平と柊が戦っている。無謀な戦いは、始まってしまった。もう後には引けない。

「京介さん……」

 京介の白い頬には、刃の欠片が掠めた細い傷跡が残っている。それを指でなぞり、美波は思案する。

 敵に油断があるだろうことは確かだ、と美波も思う。しかし、だからと言って、素人高校生が束になったところで、魔術師相手に勝てる見込みなどあるはずもない。頑張ればなんとかなるなどと、甘っちょろい希望を抱くほど自分たちの力を過信はしていない。潤平も柊も、きっとそれは解っているはずだ。解った上で、綱渡りのような選択をしている。

「なら、私のすべきことは……」

 いざという時は、考えがある。

 静かに戦意を湛えた瞳で、美波は戦局を見守った。


★★★


 潤平の意外性のある攻撃で意表をつき、その隙をに柊が斬りかかる。初めて合わせるコンビネーションの割に、息はぴったりだ。時枝がまだ油断して手を抜いてくれているおかげで、ぎりぎり勝負が成り立っている、そんな調子だった。

 こっちが本気だっていうのに相手は完全にお遊びモードだなんて情けない、と悔しさを滲ませながらも、柊は太刀を振るった。

 潤平がスタンロッドを振り下ろす。しかし、さすがにそう何度も同じ手は食らってくれない。棍を器用に振り回し、警棒の柄を打ち、潤平の手から弾き飛ばした。

 得物を奪われ潤平が僅かに怯む。だが、それも一瞬だけだった。もはや普通の高校生を名乗るのがおこがましいほど、潤平はすぐさま次の行動に移る。彼が次に懐から取り出したのは、赤いスーパーボールのような球体だった。

「必殺ボール・改!」

 両手の指に挟んだ小さなボールを、潤平は次々と投げつける。時枝は棍をくるくると素早く回して、ボールを片端から叩き潰す。その度に、ボールが潰れてびしゃりと赤い液体を跳ね飛ばし、あちこちに散った。そのうちの一滴が時枝の頬に跳ねる。途端に、時枝はげんなりしたように顔を歪めた。

「うぅ……なんか皮膚が爛れるようなイヤな感じ。君、ハバネロかなんか仕込んだだろ」

「ふっ、ハバネロはもはや時代遅れ。時代はブート・ジョロキアだ。俺の三か月分の小遣いはジョロキアボールの開発費用に費やされたと言っても過言ではない」

「もっと金の使い方考えてよ」

 柊は思わずツッコミを入れた。

 時枝は肩を竦める。

「眼に入ったら大変だ。ま、そんな間抜けなことにはならないだろうけどね」

「油断すると痛い目を見るぜ。俺はかつて魔術師の目にハバネロボールをぶち込んだことがある」

 それを聞いて柊は目を剥いて怒鳴った。

「窪谷潤平、お前、不破京介にそんな非道な仕打ちをしたのか!?」

「ごっ、誤解だぞいいんちょ! きょーすけにはやってない!」

「じゃあ誰にやったのよ」

「詳しい説明は省くが、悪いまほーつかい的な奴が相手だった」

「お前、なぜただの高校生の分際でそんなに魔術師とのコンタクト率が高そうなのよ」

「俺が訊きたいわッ」

 潤平は思った以上に修羅場を潜り抜けているらしい。

「まーいい、とにかく、俺の攻撃は、実は魔術師相手でも通じなくはないってことだ。そりゃあそうだな、魔術師だって人間なんだ。目にジョロキアが入れば痛いし、男ならタマ潰されりゃ痛いに決まってる! 俺は非情になるぞ、なりふり構わずタマを潰しにかかることも吝かじゃないぞ!」

「おお怖い、最近の高校生は酷いこと考えるね」

 たいして怖いとも酷いとも思っていなそうな口調で、時枝は呑気に嘯いた。

 それから徐に、時枝はポケットからスマホを取り出して時刻を確認した。

「おっと、ついつい遊びすぎちゃった。そろそろ仕事に戻らないと、スグちゃんに怒られちゃう」

「そう簡単に仲間と合流なんかさせてやらねえぜ。お前はここで伸びていやがれ」

「悪いけど、君たちのオママゴトに付き合うのにも限度がある。そりゃあ確かに魔術師だって人間だから、ジョロキアも金的蹴りも痛いよ。けど、普通なら、魔術師はそんな間抜けな攻撃を喰らいはしないんだよ。どうしてか解る?」

 訊いておきながら、時枝は二人の答えを待たずに自分で解答を告げる。

「そんな小細工薙ぎ払えるくらい、魔術っていうのは反則技なんだよ」

 時枝が左手を前に突き出す。直後、彼の掌から放たれた不可視の衝撃波に、柊と潤平の体は吹き飛ばされた。

「なっ……!?」

 車に撥ねられた――そんな錯覚を覚えるほど。時枝の姿が一気にぐんと遠ざかる。強引に撥ね飛ばされ、結界の壁に揃って叩きつけられ、肺の中の空気を吐き尽くした。

「どんなに頑張っても、所詮はただの子どもだ。魔術に対抗する術なんか、ありはしない」

 今までの時枝がいかに手を抜いていたかがよく解る。魔術師としての力のほんの片鱗を見せられただけで、柊は為す術なく吹き飛ばされ、痛みに喘いで蹲ってしまった。潤平も同様で、床に膝をついて呼吸を乱していた。

「普通の人間の努力で、結界を破れるかい? 衝撃波を防げるかい? 無理だろう。それが君たちの限界だ。無謀な戦い……というか、そもそも戦いが成立するはずもなかった。今まで、なんとか凌げていたように見えたかもしれないけど、それは僕が遊んであげていただけなんだよ。けど、遊びはもう終わりだ。ほんとうだったら、ただの子どもだ、見逃してあげてもよかったんだけど、そっちから喧嘩を売って来たんだ。多少の痛い目は文句ないだろう?」

 時枝の握る棍が不意に紫色の光を纏う。明らかな魔術の発動に、柊は得も言われぬ不安に襲われる。

「さて、まずは、僕にスタンガンをぶちこんでくれた君。その次が、僕の一張羅を台無しにしたお嬢さんだ」

 右手で持った得物を後ろに引く。

「そう、簡単に……」

 悪あがきをするように潤平がよろよろと立ち上がる。

「やられるかよッ!」

 最後の切り札とでも言わんばかりに潤平が手にしたのは銃だった。勿論本物ではなく、エアガンだ。潤平のことだから、違法に改造してあるに違いない。

「おおおッ!!」

 改造エアガンを連射しながら突撃する潤平。時枝は、潤平の足掻きを一瞥すると、疲れたように息をつく。無造作に振るった棍で、弾丸を完全に見切って弾き飛ばすと、一息で距離を詰めて潤平の間合いには入る。

「『痛覚再生・粉砕』」

 紫色の光を纏った棍の先端で、軽く潤平の手首を突く。

「――っぁあああああ!?」

 響いた潤平の絶叫に柊は息を呑む。エアガンが廊下に滑り落ち、潤平は打たれた手首を押さえ蹲り、断続的に悲鳴を漏らす。

 軽く小突いた程度に見えたのに、実際には、潤平が動けなくなるほどの激痛に襲われている。外観と現実の齟齬。これが魔術を使うということなのか?

「く、窪谷潤平!」

 あまりにも悲痛な叫び声に、柊は策もなく潤平に駆け寄った。

「折られたのか!?」

「折っちゃいないよ。もっとも、骨折じゃ済まない程度の痛みは感じているだろうけどね」

 潤平の代わりに時枝が応じる。

「あらかじめ『記録』していた痛みを『再生』したんだ。骨を粉々に砕かれる痛みを『再生』したけれど、体は実際には傷ついていない。実際に体を壊したら、人は簡単に死んでしまうからね」

 時枝の言葉が示唆する二つのことに、柊はすぐに行き着く。一つは、時枝は痛みを『記録』するために、少なくとも一度は誰かの骨を粉々に砕いたのだということ。時枝は、それができる残虐な人間だ。そしてもう一つ、体を壊さずに痛みを与えられるということは、場合によっては死よりもつらい痛みを与えることが可能だということだ。

 時枝は体を壊さない代わりに精神を壊す。痛みで心を折って屈服させようとしている。それは、一応はただの高校生である敵を殺さない配慮だろうか。それとも、殺す以上の苦痛を与えてやらなければ気が済まないという執拗な怨憎だろうか。

 時枝という得体の知れない魔術師の考えが、柊には読めなかった。人を読むことを得意とする柊をもってしても、この男のことは解らない。

 ただ一つ言えるのは、魔術師が本気になると、こうなるということだ。

 やはり勝ち目などないのか?

「いいんちょ……!」

「!」

 燃え尽きそうになる戦意の炎、それを再び煽るように、潤平が声を絞り出した。

「諦めんな……言っとくけどな、俺はこれくらいじゃ潰れねえからな……!」

「窪谷潤平……」

 そうだ、もう後には引けない。諦めるわけにはいかないのだ。

 消え失せそうになる戦意を再び燃やし、止まりかける体を叱咤する。

 時枝が興味深そうな視線を向けてくる。

「ふうん、まだ喋る元気があるんだ。お仕置きには、痛みが足りなかったかな」

 時枝が再び棍を握り直すのを捉え、柊は焦燥する。少々乱暴にではあるが、潤平を引きずるようにして時枝から引き離し、代わりに庇うように前に出る。

「待ちなさいよ。窪谷潤平をやるっていうなら、まずは学級委員の私が先に相手になるわよ」

「いいんちょ」

「任せておきなさい、私はこれでも剣道を」

 言いながら刀を構えた瞬間、時枝が振るった武器に弾かれ、一瞬で丸腰にされてしまった。

「……。と、とにかく、これ以上私の前で大事なクラスメイトをやらせはしないよ」

「はぁ……高校生がこんなに馬鹿だったなんて知らなかったよ」

 心底呆れ果てたというようにぼやく時枝。

「ま、しょうがない。もう少し本気を出そうかな」

 時枝が瞳に昏い光を宿した、その時、

「兄さん、逃げてください!!」

 美波が叫びながら駆けてくる。攻撃を仕掛けようとする時枝を力ずくで止めようと、美波が飛び掛かった。美波が戦闘に乱入することは予想外だったらしく、時枝が微かによろめき後退った。

「兄さんにこれ以上手出しはさせません!」

「み、美波、やめろ!」

 無謀な突撃をする美波に対して、潤平が泡を食って裏返った声で制止する。

「やれやれ、君まで馬鹿なことを」

 最初こそ少しは態勢を崩した時枝だったが、基本的に相手は非力な女子高生だ、すぐさま美波を引き剥がし、くるりと体を反転させると、片手を美波の首に回して締め上げた。

「きゃあ!」

「美波ッ!」

 美波が悲鳴を上げ、潤平が顔を真っ青にする。時枝は悠然と笑い声高に叫ぶ。

「さあ、最後のチャンスをあげるよ。自分たちの行動がいかに愚かか解った頃だろう。僕が用があるのは不破京介だけだ、そこに転がっている彼をこっちに引きずっておいで。そうしたら、この子を離してあげる。駄々をこねるなら、いくらでも痛みを『再生』して……」

 と、時枝が最後まで言い終わらないうちのことだ。

 時枝に首を絞められ苦悶の表情を浮かべていた美波が、すっと瞳に怜悧な光を浮かべた。冷静に考えれば、取った人質がいかに非力そうな女子に見えたとしても、その両手を自由にさせておいた時枝に慢心があったのだ。美波はスカートのポケットに忍ばせていたボールペンを右手でくるりと回し、芯の突き出た先端を、思い切り時枝の大腿に突き立てた。

「いっ……!?」

 時枝が驚愕に目を見開く。怯んだ隙に、美波は拘束を抜け出すと、流れるような動きで足を振り上げ、時枝の急所を蹴り抜いた。行きがけの駄賃と、更に顔面に拳を打ちこむと、時枝がふらふらと、苦痛に顔を歪めて後退った。

 柊はその攻防を唖然と見つめていた。隣で潤平が頭を抱えている。

「美波が俺を気遣うようなこと言うわけがない。あんないかにもかよわい女子めいた悲鳴も柄じゃない。あれは背筋が凍った」

 顔面蒼白だったのはそういう理由だったらしい。

 美波はたたっと小走りで柊たちの方に戻ってきて、一言。

「兄さん、奇襲とはこうやるのです」

 成程、似た者兄妹だな、と柊が納得した瞬間である。

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