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招かれざる客ばかり(7)

 柊凛はもういくつめか解らない疑問符を、頭の中に浮かべた。

 自分の常識では計ることのできない異常事態が、目の前で起きていた。見えない壁で渡り廊下に閉じ込められたと思ったら、変な少年が現れて襲いかかってきて、その強襲から守ってくれたのは、クラスメイト。ちょっと女装が似合うだけでそれ以外はごく普通のクラスメイトだと思っていた不破京介が、なぜかどこからともなく日本刀を引っ張り出した上に、手品師も真っ青なレベルで炎を操り少年と戦っている。ファンタジー小説の中でしか見たことのないような光景に、柊は唖然とするしかなかった。

 魔術師って何。

 明らかに銃刀法違反なんだけど。

 どっから火出してんの。

 ツッコミどころは満載だが、緊迫する状況の中では、いちいち訊いてもいられない。しかも、この状況に理解が追いついていないのはどうやら自分だけらしいことに、柊は気づいていた。窪谷兄妹は、京介の超常的な能力については特に驚いていない。前から知っていたらしい。自分だけが何も解っていない、という間抜けな事実を自ら晒すようで気が引けるというのも、柊が何も訊けずに呆然とするしかない理由の一端である。

「まったく、何が何やら……」

 独りごちると、隣の潤平が小さく肩を竦め、

「ま、世の中には自分の常識じゃ計れないこともあるってことさ」

「お前に説かれるのは非常に癪だが、確かにそれは認めなければならないようだよ。私の知らない世界が存在して、どうやら平凡なクラスメイトだと思っていた不破京介は非凡な魔術師とやらだった、というわけね」

「そうそう。意外と話が早いじゃん、いいんちょ」

「いや、正直まだ受け入れがたいよ。けれど目の前でこうして起きている現実から目を背けてもいられないから、ひとまず細かいことは考えないようにして、そういうこともある、ということにしているだけよ」

「それでいいんじゃないの。細かいところまで知る必要はないだろ、いいんちょはふつーの高校生だし」

「はぁ……不破京介は、少々読めないところがあったが、クラスの中では特に目立つこともない、普通中の普通だと思っていたのに。私の目は節穴だったというわけね。これは学級委員として恥ずべき失態よ」

「いやいや、魔術なんて知らないのが普通なんだから、見抜けないだろ、あいつの正体って奴は。俺だって、知ったのはつい最近だし」

「そうなのか?」

「ああ。だから俺だって全然詳しくない。けど、知っちまったからには……俺はきょーすけの友達だから、きょーすけが向き合ってる危険な世界から、目を背けるわけにはいかないんだ」

 いつもおちゃらけている印象の強い潤平が、珍しく昏い目をして言うので、柊は怪訝に思う。

「危険……やっぱり、危険なことがあるんだな」

 謎の少年がいきなり問答無用で攻撃してきたことからもそれは明らかだったのだが、それでも確認するつもりで柊はそう問うた。潤平は苦い顔で小さく頷いた。

「きょーすけは強いけど、それでも、やっぱり俺は不安になるよ。目の前で死にかけられたこともあるし」

 柊はぶるりと背筋を震わせる。

 同じ歳の少年が、そんな危険な世界に身を置いていたなんて。

 学級委員としてクラスメイト達のことはよく見てきたつもりだった。だが、それでもやはり、全然見えていない世界があったようだ。それは、普通の高校生である柊にはどうしようもないことかもしれない。だが、それでも、少しだけでもいいから、どうにかできないものだろうかと、柊は真剣に、そんなことを思う。



 逆巻の、爆発する刃は脅威に思われた。だが、それを京介が生み出した炎が蹴散らし、反撃が始まった。

 京介が解読不能な文字の書かれた札を放り、呪文を唱えた。

「烈火現界!」

 擲たれた呪符は小さく炸裂し、衝撃で逆巻を吹き飛ばす。爆風に煽られた逆巻は、見えない壁に激突して呻いた。がくりと膝をつき蹲る逆巻だが、すぐさま敵意に満ちた目で睨め上げて吠えた。

「ぐっ……調子に、乗るなよ!」

 逆巻の左手の甲に文字のようなものが浮かび上がる。その手で、だんっ、と床を叩く。と、それを合図にしたように、新緑色に光る魔法陣が逆巻の足元に浮かび上がった。

「展開完了。蠢け、『荊棘陣』!!」

 魔法陣がひときわ強い光を放つと、無数の荊が伸び、蠢きながら襲いかかる。鎖の如くに拘束しようと撓る荊は、京介だけでなく柊たちも狙っていた。この中で一番弱い柊を狙って、京介を不利にさせようとするのが、逆巻の手口だった。

 だが、京介は狼狽えることなく唱える。

「焔々現界、焼却せよ」

 京介の体が紅蓮の焔を纏う。湧き上がる火焔は、荊の鎖を触れるそばから焼き尽くしていく。荊を伝って燃え進む焔が逆巻を炙る。逆巻は焦燥を滲ませて飛び退った。

 逆巻が次の手を打つ前に、京介が刀を携え前に出た。

 苦し紛れに放たれたナイフは、火焔の溢れる左手を突き出し掴み取り、焼却する。そうして懐まで潜り込むと、京介は刀を振り下ろした。

 逆巻が慌てたようにナイフで防御する。だが、自分も確実に巻き込まれるだろう状況で爆破の術を使うはずもない。それはなんの術も施されていない、ただの刃だ。京介は逆巻の得物を弾き飛ばし、袈裟懸けに打ちかかった。

 小さな体が呻き声をあげながら転がっていく。

 斬ったの? と、柊が息を呑むと、その不安を見通すように、潤平が軽く笑った。

「心配しなくても、死んじゃいないよ」

「そ、そうなの」

 敵を心配している場合ではないのかもしれない。だが、柊の場合、敵というより京介を心配しているというほうが正しい。同じ歳の同級生が、あっさりと人を斬り殺すようなところは、怖くて見たくないのだ。

 血腥いことになる、と京介が予告した時はどうなることかと思ったが、京介は軽傷だし、敵は倒れたまま起き上がらない。決着したかのように思われた。

 ただ、隣で潤平がひっそりと漏らした言葉が気になった。

「きょーすけは優しい。だけど、それが命取りになるところを見たことがある俺としては、危なっかしくて怖い」


★★★


 ぜえぜえと呼吸を乱す逆巻の喉元に刀の切っ先を突きつける。

「結界術を解け。お前の目的も洗いざらい吐いてもらう」

 ただの脅しではない、と言わんばかりに、京介は逆巻の首を浅く裂く。流れる血に、逆巻は息を呑む。だが、すぐに強がるように笑みを零して吐き捨てた。

「解けないよ。結界術をかけたのは僕じゃないし」

「……」

 半ば予想していたことだが、やはりそうか。京介は厳しい表情で考える。結界術が発動した時に聞こえた詠唱の声は、逆巻とは別人のものだった。逆巻には仲間がいるのだ。逆巻との戦闘中、どこかに潜んでいる仲間が奇襲を仕掛けてくる可能性は一応警戒していたが、動きはなかった。

 結界術の使い手は、どこで何をしているのか。逆巻が追いつめられた今でも、助太刀に入ってこない。

 結界術は、術者を倒せば解除できる場合が殆どだ。京介たちを確実に閉じ込めておくために、術者を前に出さないつもりかもしれない。だとしたら、正攻法で術を解くのを諦め、力ずくで結界を破壊する方法を考えるべきだろうか。

 ひとまず、逆巻を拘束し無力化してから考えようと、京介は捕縛術を行使しようとする。だが、それを制するように、逆巻が言った。

「けど、目的は教えてやるよ。僕たちは、この祭りを狩場に選んだのさ」

「狩場?」

「そう。妖怪共を狩り尽くす狩場だ」

「何を……!」

 京介が問い詰めようとした瞬間、

「マキちゃん喋りすぎー」

 のんびりとした声が響く。と、廊下を塞ぐ見えない壁が、波紋を広げるように揺らいだ。そして、壁の中から――あるいは外からというべきか――新たな闖入者が現れた。

 姿を現すなり、敵は持っていた身の丈を越える長さの棍を振り回した。頭を狙う一撃を、身を屈めて躱すと、京介は一旦距離を置く。

 またしても、結界術の使い手らしき人間とは別の声の魔術師。長身の若い男で、衣替えの概念が存在していないのか、この暑いのに黒いロングコートという、見ている方が暑苦しくなるような格好をしている。

「朔也、お前、来んのが遅いよ!」

 逆巻が文句を言いながら立ち上がる。朔也と呼ばれた男は、たいして悪いと思っていなそうな飄々とした態度で「はいはいごめんー」と間延びした声で言う。

「向こうの教室で見た雑貨が可愛くて、ついつい買い物してるうちに遅くなっちゃった」

「文化祭なんか満喫してんじゃねえよ! 僕たちの目的を忘れたのか?」

「解ってるって。スグちゃんの狩りの邪魔をさせないことでしょ。だいじょーぶ、僕が来たんだから、不破の退魔師なんてすぐに片付くよ」

 男はあからさまな挑発を口にして、京介を見据えた。

「救世主は遅れてやってくるものだから、遅刻は許してね。僕は時枝朔也。マキちゃんと同じと思ってると痛い目見るかもよ?」

 つまり、逆巻よりも格上の魔術師ということらしい。

 格下扱いされた逆巻は少々不服そうに頬を膨らませた。

「いいか、朔也、僕だってこっから本気出すんだからな」

「はいはい」

「二対一で畳み掛ける。朔也がサポートしろよ!」

 逆巻は再び両手にナイフを持つ。

 状況が不利に傾いて来たな――京介は敵二人を観察し、小さく嘆息する。

 二人で連携して動き出すかと思われた時、しかし、時枝は笑いながら言った。

「あ、ごめん、マキちゃん。二対一じゃないよ?」

 そして、得物を大きく横に薙ぎ、逆巻の頭部を殴りつけた。

「!?」

 逆巻と京介の驚愕が重なった。時枝だけが悠然と笑っている。信じられないというような顔で、逆巻が倒れる。

「う……朔、也……てめぇ……!」

「悪いけど、マキちゃんじゃ戦力にならないんだよね。正直、僕だって普通にやったら彼に敵うかどうか。だから、正面からやりあうのはやめ。だいじょーぶ、マキちゃんの犠牲は無駄にしないから」

 言いながら、時枝はさらに追い打ちをかける。鈍い打撃音が何度も響き、逆巻が完全に沈黙する。それでも、まるで懲罰のように痛めつけることをやめない時枝に、京介は唖然とする。

「おい……おいっ、お前!」

 京介が動揺しながら叫ぶと、時枝は面白そうに微笑む。

「もしかして、マキちゃんの心配? 敵の心配までしてくれちゃうなんて、優しいんだね」

「仲間じゃないのか、お前たち」

「仲間だよ。だから、こんなことしても許される。それに、別に出来の悪いマキちゃんを折檻してるわけじゃないよ。ちゃんと、理由がある。ほら……人の心配なんかしてる場合じゃないよ」

 時枝がすっと腕を持ち上げ、京介を指さした。

「記録完了。『再生』」

 瞬間、頭を後ろから思い切り殴り飛ばされたような衝撃に襲われた。

「っ……!?」

 思わずがくりと膝をつく。脳が揺さぶられ、意識が飛びかける。なんとかこらえようとするが、それを嘲笑うかのように、二度、三度と殴打される。そこには誰もいない、何もないはずなのに、繰り返される攻撃。防ぎようのない衝撃に、京介は床に崩れ落ちる。

「きょーすけ!?」

 潤平の悲鳴じみた叫びが遠く聞こえる。床に手をついて立ち上がろうとするが、再び襲い来る衝撃に叩き潰される。

 額からどろりと生温かい血が零れる。体中がひどく痛む。ぐらぐらと揺れる視界の中で、時枝が得物を振りかぶり嗤っていた。

「大人しく沈んでいてくれるかな、不破京介クン?」

 

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