招かれざる客ばかり(6)
見慣れた校舎の風景、だがどこか違う。違和感がある。色のついたセロファン越しに見ているかのように、全体が赤銅色に染まっている。紛い物のような景色は、どう考えても異常事態に陥っていることを表していた。
京介は身を強張らせる。明らかに、何らかの術によるものだ。潤平と美波が緊張するのが解った。柊だけが一人、異常な事態に追いつけずに瞬きを何度も繰り返していた。まるでおかしいのは自分の目だとでも言いたげに、ごしごしと目を擦っている。
「何、何なのよ……急に、周りが変に……」
「……すぐにここから離れた方がいい」
京介は固い表情で告げる。柊は何か言いたげだったが、この場所に留まるのがよくないというのは本能的に理解したらしく、小さく頷くと、小走りに特別棟を目指した。
一足早く廊下の端に辿り着いたのは潤平だった。しかし、渡り廊下を抜けて特別棟校舎に踏み入れようとした瞬間、潤平の体は見えない壁に阻まれたように後ろに弾かれた。べちゃりと尻餅をついた潤平は動揺を滲ませた声で言う。
「なんだよ、これ、先に進めねえじゃねえか」
潤平は透明な壁をガンガンと拳で叩く。だが、どんなに強く叩いても、決して渡り廊下より先には手が届かない。
「もしかして、閉じ込められました?」
美波が不安げな表情で呟く。
「おいおい、きょーすけ、こいつは……」
潤平の言葉の先は、言われなくても解った。
これは、魔術師の仕業なのではないか?
潤平の危惧が的中したことを示すように、突如声が響いた。
「残念、逃げられないよ」
先刻聞こえたのとはまた別の、今度は少年の声が響いた。振り返る。と、一般棟の方からゆったりとした足取りで歩いてきたのは、まだ中学生くらいではないかと思われる幼い少年だった。白いシャツに紺色のベスト、ジーンズという格好で、表情にはあどけなさよりも挑戦的な色が浮かんでいる。なにより特徴的なのは、からからと床を引きずらせている、鈍く光る鉄パイプ。べこべこに凹んでいるそれは、赤黒い汚れがところどころにこびりついている。
少年は緊張する面々に向かって、にやりと笑って告げる。
「さあさあ、楽しいお祭りはここからが本番だよ。このステージからは逃げられない。ここは、周りから完全に隔離された世界だからね」
景色が色を変えたのと同時に、周りの喧騒はぴたりとやんでいた。あったはずの、廊下の先の校舎に満ちていた人々の声、それがまるで存在しないかのよう。この渡り廊下だけが隔離されてしまったらしいということには、京介は気づいていた。
先ほどから、このガラス張りの空間には、誰も入ってこない。二つの校舎を繋ぐ渡り廊下は、それなりに人通りが多くて然るべきなのに、一人も通らなくなった。
「気づいている人もいるかもしれないけれど、一応言っておくよ。今、この『世界』には僕たち五人しかいない。さっきまでいた校舎とは、そっくりだけど全く別物のゲームステージ、現実世界と重なり合うように造られた異世界、といってもいいかな。そこに、選ばれた人間だけが呼び込まれた」
「……さっきから何を言ってるのよ、あいつ」
柊は、わけが解らないというように顔をしかめる。異常な状況に、そして危険な気配のする少年に、柊は警戒している。不安そうな柊を庇うように、潤平が前に出た。
「おい、てめぇ。誰だか知らねえけど、わけ解んねえことばっか言ってっと殴り飛ばすぞ、京介が」
「俺がかよ」
偉そうに啖呵を切りだしたくせに自分では何もする気がないらしい潤平に、京介は呆れた。もっとも、十中八九魔術師である少年を殴り飛ばすとしたら、確かにそれは京介の役目に違いない。
「何が目的だ、金か、金なのか?」
潤平が苛立ち全開に問い詰めると、少年は愉快そうに笑いながら答えた。
「そりゃもちろん、あんただよ、不破京介」
少年がまっすぐに、京介を見る。
「あんたに恨みはないけど、これから始まる祭りには、あんたの存在は邪魔だ。だから、ゲームの前に退場してもらう」
「何を企んでる」
「退場する奴には関係ないよ。あんたは僕がぶっ飛ばす。ま、名前も知らない奴にぶっ飛ばされるんじゃ面白くないだろうから、一応教えておくよ。僕の名前は、逆巻慎二。よろしくね」
「お前の名前に興味はないし、よろしくするつもりもない」
「あっそ。じゃ、とっとと始めようか」
言うや否や、少年・逆巻はぱちんと指を弾いた。
瞬間、少年の前に銀色に光る球体が四つ、現れる。宙に浮かぶ鉄球のようなそれを、逆巻は大きく振りまわす鉄パイプで打ち飛ばした。
弾丸の如く弾き飛ばされた鉄球は、明らかに京介たち四人の頭を狙っていた。
「危ない――!」
柊の叫び声を背中に聞きながら、京介はすっと目を細める。
「来い、刈夜叉」
刀を抜くことに躊躇はなかった。
右手に現した太刀で、京介は鉄球を四つまとめて両断する。
がらん、と半分に割れた鉄球が床に落ちる。
背後で柊が息を呑むのを聞きながら、京介は低く告げる。
「舐めた真似してくれるじゃないか」
逆巻は楽しそうに笑う。敵と戦うのが楽しくて仕方がないというような笑みだ。またぞろ戦闘狂疑惑のある奴が出てきてしまったようだと、京介は微かにうんざりとした気分を抱えながら、刀を握りしめた。
「ふ、不破京介……お前、どこから刀なんか出したのよ!」
この場で唯一、魔術とは完全に無縁の少女、柊が叫んだ。突然、正体不明の相手が非科学的な攻撃を仕掛けてきて、それをクラスメイトが唐突に出現させた刀で一刀両断したら、普通の女子高生なら怯えるところだ。ところが、柊の場合、異常な現状に対する恐怖や狼狽よりも、
「学級委員の前で校則違反とはいい度胸じゃないのよ! 廊下に正座して事情を説明しなさいよ!」
校則違反どころか銃刀法違反のクラスメイトを叱ることの方が大事だったらしい。まなじりを吊り上げて、今にも説教を始めそうな勢いだ。
斜め上の反応だが、いつも通りの彼女らしい言葉に、京介は苦笑する。
「悪いな、柊。これが、お前が散々知りたがってた、俺の本性、ってことになるのかな」
「どういう意味よ」
柊は眉を寄せ、それから傍らの潤平をキッと睨みつける。
「窪谷潤平、全然驚いてないじゃないの。さては、お前は不破京介の秘密を知っていたね?」
「あれ、いいんちょ知らなかったのか、きょーすけはまほーつかい的なあれだぜ」
「軽いノリでとんでもないこと言い出すんじゃないよ! なんだ、まほーつかい的なあれって! なめてんのよね? 私をおちょくってんのよね?」
潤平の胸ぐらを掴んでゆさゆさと揺すり始める柊。今のは完全に潤平の説明がいい加減すぎた。
「不破京介、ちゃんと説明するのよ! 窪谷潤平の話じゃまったく意味が解らないよ!」
「そんな時間はないんだけどな……まあ、ざっくり言うと、俺は魔法使いで、敵も魔法使い。魔法使い同士が顔を合わせると七割くらいの確率でロクなことにならないというのが俺の経験則だ」
「嫌な経験則ね」
「まったくだ。……とにかく、血腥いことになりそうだから、柊たちは離れてろ」
それにしても、今まで隠していた自分の正体が、ここ一年くらいでばれまくっている。自分の大盤振る舞いっぷりに呆れながら、京介は気持ちを切り替えて、逆巻を睨み据えた。
逆巻はにやにやと笑いながら、
「ふうん、迷わず抜いたね、その刀」
感心した風に呟いた。
「普通の人間のフリしてるって聞いてたから、少しは鈍るかと思ったのに」
「そういうお前は、迷わず三人を狙ったな」
「弱点を攻めるのは常識だろ? あんたは魔術師のくせに、甘すぎる。よわっちい人間の仲間なんか作っちゃってさ。足手まといを守りながらで、僕の相手ができるかな?」
「そのために三人を巻き込んで? それで有利になったつもりか」
京介は冷笑を浮かべる。それは強がりでもなんでもなく、本心だった。
「守りながら戦うのは、俺にとってはデフォルトだ。だいたい、その程度のハンディは、俺のスパルタ師匠ならものともしないぞ。それくらいで弱音を吐いたら笑われる」
「はっ、見え見えの虚勢張ってんじゃねえよ」
「虚勢かどうかは、すぐ解る」
言いながら、京介は呪符を繰る。
「焔弾現界、掃討せよ!」
炎の弾丸を生成し、逆巻に放つ。それに応じるように、逆巻は銀の球体を生み出し鉄パイプで打ち出す。衝突する赤と銀の弾丸が、耳障りな破裂音を響かせた。
噴き出した爆煙を切り裂いて、逆巻が飛び出してくる。跳躍し、大きく体を反らせて振り上げた鉄パイプを、勢いよく振り下ろす。京介は素早く刀を構えそれを受け止める。
「断ち斬れ、刈夜叉」
持ち主の力次第で切れ味を増す退魔刀・刈夜叉は、魔術さえも切り裂く代物だ。京介は刃に魔力を込め、ぶつかり合った逆巻の得物、おそらくは魔力で強化されているだろう鉄パイプを、しかし難なく斬り飛ばした。
「おおっと、あっぶねえ」
真っ二つになった鉄パイプを放り出し、逆巻はバックステップで距離を取る。
「やっぱり接近戦は不利か。なら、これだ」
代わりの得物として逆巻が懐から取り出したのはナイフだ。
逆巻が細身のナイフを擲つ。まっすぐに放たれた得物は、避けること自体は容易い。だが、京介が避ければ、後ろの潤平たちに当たる。ではどうするか? 逡巡したのは僅かに一秒にも満たなかった。
タイミングを合わせて、飛来するナイフを太刀で打つ。ナイフ一本程度なら、十分に刀で捌ける。
キン、と刃同士がぶつかり合い、金属音が響いた。
――その瞬間、ナイフが痛いほどの光を放ち爆発した。
「っ!」
炸裂の衝撃でナイフは自壊し、破片が吹き飛ぶ。鋭い金属片が弾け飛び、京介の頬を掠った。
浅く切れた皮膚から流れ出す血を左手で拭う。
どうやら、逆巻のナイフには、着弾と同時に爆発するように魔術が施されているようだ。
「避けても駄目なら受け止めるのも駄目。さあ、どうする?」
逆巻は両手いっぱいにナイフを広げる。
「木端微塵に吹き飛びやがれ!」
大量のナイフ――刃の爆弾が放たれる。
避ければ潤平たちに当たる。かといって受ければ爆破に巻き込まれる。
ではどうするか? 二度目の逡巡だ、今度は間違えない。答えは――焼き尽くす。
「焔嵐現界」
轟、と炎の渦が巻き起こる。京介を中心に大きく螺旋を描く炎の壁に、ナイフが突っ込んでくる。火に触れた瞬間、ナイフは爆発を起こす。だが、その爆炎も爆風も、すべて炎に呑みこまれる。砕けた破片が京介を傷つけることもない。あらゆるものを丸ごと呑み込む焔の嵐は、力ずくで逆巻の攻撃を喰らい尽くす。
結界術で亜空間を作り出し京介たちを引きこんだことが、逆巻にとっては裏目に出た。現実の学校を破壊する心配がないとなれば、京介は焔の加減をする必要がない。
やがて炎の壁が鎮まれば、その先には呆然を目を見開く逆巻の姿があった。
「爆発ごと、燃やされた……?」
「こちとら火焔魔術がほぼ唯一の取柄なんだ。火力で押し負けるものか」
次はこちらの番だと言いたげに、京介は幾枚もの呪符を放った。




