招かれざる客ばかり(5)
芙蓉は思いのほかあっさり、教室を出て行った。二日間ですべての企画を周り尽くすつもりらしく、京介のところにばかりかかずらってはいられないとのこと。見た目こそ若いものの、妖ゆえにもういい歳をした大人のはずなのに、高校生よりはしゃいでいるようなプランだ。そう言ってやると、解っていないな、とばかりに芙蓉は鼻を鳴らした。
「祭りとあらば全力で楽しむ、それが妖の性だ」
初めて聞く性だ。どうせまたぞろ適当なことを抜かしているのだろう、と思っていると、
「妖は長命ゆえに退屈を嫌う。刺激や娯楽がなければ何百年も無為には生きられないさ。だから妖は祭りが好きなものだ。気づいているだろう、客の中には人間に扮した妖が多い」
それは当然、気づいていた。
わざわざ京介を訪ねてきた面々の他にも、人間の姿をした妖がたくさん文化祭に来ているのは、教室の中から廊下をちらりと見ただけでも解る。街を普通に歩いていても、人間に紛れた妖の姿はちらほらと見かけるが、今日はその数がかなり多い。
「まあ、楽しんでくれるなら、人間だろうが妖だろうが大歓迎さ」
「お前らしい言葉だ」
そう言い残して、芙蓉は去って行った。
最難関と思われた客が以外にも面倒を起こさずに帰ったところで、京介のシフトが終了した。ここからはフリータイムとなる。どこに行くとも決めていない京介は、いつまでも教室に居座っていても邪魔なだけだろうと思って、とりあえずパンフレットを片手に教室を出た。
さてどうしたものかと、のろのろ歩を進めていると、後ろからぱたぱたと足音が追いかけてきた。
「不破京介!」
いつでも例外なくフルネームで呼んでくるのは、学級委員の柊である。立ち止まり振り返ると、柊が早足で追いついてきた。
「どうした、柊」
尋ねると、柊はにやにやと、微妙に人の悪い笑みを浮かべた。
「お前、どうせどこへ行くかも、誰と回るかも決めていない無計画野郎だろう」
「まあな」
見栄を張っても仕方がないので正直に認める。なぜか満足そうに頷くと、柊は言う。
「文化祭はな、計画的に動く者が成功するのよ」
「はあ」
「文化祭を全力で楽しめるプランを教えてやる。私について来るのよ」
「は?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。それはもしや、
「……もしかして、一緒に回ろうって誘われてるのか?」
「それ以外にどう聞こえたのよ」
「お前、気に入らない相手と一緒に回って面白いのか?」
「お前のさっきの答えは気に入った」
というと、「腐れ縁」という回答のことだろう。学級委員から及第点を貰えたのなら、喜ばしいことだ。
「私も、学級委員としての務めに熱中するあまり、お前につっかかりすぎたしな。ここで埋め合わせをさせろ」
埋め合わせ、という割に、なぜか有無を言わせぬ命令口調であるのに、京介は苦笑した。
「ま、確かに何も考えてなかったから、引っ張ってくれるのは嬉しいけど」
「よしよし、素直でいいよ。じゃ、手始めに一年八組のコスプレスタジオに行こう。メイド服を着たところを写真撮影してもらえるよ」
「お前それが目当てじゃないだろうな!?」
★★★
両手の親指と人差し指で作ったフレームに、眼下の景色を収める。切り取られたこの風景の中に、いったい何匹の妖が紛れ込んでいるだろう。校舎の屋上から俯瞰する少女は、向かいの校舎の窓から見える、行き交う人々の姿を目で追いながら数える。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……たくさんいるねえ。楽しいことが大好きな妖どもが、無警戒に檻の中に集まっている」
神ヶ原一高の校舎の屋上は、安全上の問題から封鎖されている。にもかかわらず、勝手に侵入を果たしている若い少女は、くすくすと笑っていた。
赤みがかった茶色の髪をツインテールにしている様は、少女を幼く見せた。一方で、黒の革ジャンとダメージジーンズという装いは、大人びて見せる。総じて、年齢不詳の少女である。
目を引くのは、腰から提げた瓢箪だ。酒でも入っているのか、少女は愛おしそうに瓢箪を撫でている。
「酸塊」
後ろから名前を呼ばれ、少女――雨森酸塊は振り返る。
仲間の三人が勢ぞろいしていた。
仲間たちを見回し、酸塊は小さく頷く。
「みんな揃ったことだし、頃合いね。行きましょう」
そうして彼らは「狩り」へと向かう。
★★★
「悔しいけど、お前にはやはり女装の才能があると思うよ」
真剣な顔で何を言い出すかと思えば、柊は聞きたくもないことを言ってくれる。
「認めたくないが、女の私よりお前は綺麗になれる」
「認めたくないなら認めるなよ。俺もそんなの認めたくないよ」
「そんなこと言って。だったらどうして、のこのここんなところまで来たの」
京介と柊は、一年八組の教室前にいた。教室の中では、八組の生徒たちが用意した選り取り見取りの衣装をとっかえひっかえしながら写真撮影するノリノリな客が何人かいる。油断すればその中に自分が放り込まれる可能性がある京介は身震いしながら、今の聞き捨てならない台詞に抗議する。
「俺が好きで来たみたいな言い方をするな」
シフトを終えた直後の、メイド服を着せたがるような柊の発言は、ただの冗談であり、もう終わったことだと思っていた。実際、彼女は、一度は諦めたように肩を竦め、普通に文化祭のおすすめ企画を案内してくれた。
体育館の演劇部のステージ発表を見て、昼頃には三年一組でサンドイッチを食べて、二年二組のお化け屋敷に行き、一年五組の雑貨市に赴き……そうやって、普通に楽しみながら、しかし柊は少しずつ、目当ての教室に京介を誘導した。
京介がすっかり忘れたころに、いつの間にか辿り着かされていたのが一年八組である。
「俺は着ない。二度と着ない。そんなにメイド服が好きならお前が着ろ」
現在の柊は、二年五組の喫茶店の衣装をシフト交代の際に着替えたので制服を着ている。人に着せようとする前に自分で着ればいいのだ。
「私が着たって面白くないよ。お前が着るから面白いのよ」
「面白がるな」
「……お、きょーすけじゃんか!」
京介が柊に対して文句を言っていると、後ろから、このタイミングでは一番聞きたくない奴の声が聞こえてきてしまった。振り返ると、案の定潤平が手を挙げながらやってきた。意外なことに、隣には美波もいる。
「ああ、窪谷美波、昨日は助かったよ。ありがとう」
柊は相好を崩し、美波に礼を言う。美波は昨日、助っ人としてお菓子作りを手伝ってくれたのだ。美波はにこりと微笑んで、
「先程三年五組の教室を覗いてきました。盛況みたいでなによりです」
「窪谷美波のクラスも賑わってたな」
京介が先程柊と見てきた一年五組は美波のクラスだ。生徒が持ち寄った雑貨や手作りの品を売っていたが、特に有志の女子生徒たちが集まって作ったというアクセサリー類が人気で、柊も一つ買っていた。
柊が買ってきたアクセサリーを披露して、美波と話し始める。意識が自分から逸れたその隙を逃さず、京介はそそくさとその場を離れようとする。
が、その瞬間、潤平の目線が目敏く、一年八組の教室を捉えた。無駄に勘の鋭い潤平は状況を察したらしく、素早く後ろに回り込み、京介を羽交い絞めにした。
「柊! 今だ、仕留めろ!」
「潤平、てめえふざけんな!」
「お、窪谷潤平、でかした。不破京介、今逃げようとしたな。逃げるなんて認めないよ」
柊が本来の目的を思い出してしまったらしく、京介の方をじろりと睨んだ。美波は不思議そうに首を傾げていたが、彼女も彼女で勘が鋭い。柊と潤平の目的に気づいたらしく、
「京介さん……悔しいですけど、女子より綺麗でした。私も京介さんに似合うメイド服を見繕うことも吝かじゃないです」
あまつさえ柊たちに味方するようなことを言う。
全員敵らしい。
「大人しくするんだな、きょーすけ!」
「するかッ」
京介は潤平の脚の爪先を思い切り踏んづけた。潤平が激しく痛がり拘束を緩めた。その隙に京介は逃げ出すが、すかさず柊が追ってくる。潤平も慌てて追いかけてきて、美波までついてくる。恐ろしいほどの執念に戦慄しながら、京介は人混みの隙間を縫って走る。
やがて二つの校舎、一般棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下に差し掛かった。ガラス張りになり中庭を見下ろすことのできる二階渡り廊下には丁度他に人がいなかった。全力疾走で差をつけるのにもってこいの場所だ。
ここで三人を引き離して逃げ切ってやる。そう作戦を立てて、廊下を走ってはいけないという当たり前の常識などそっちのけて、京介はスピードを上げる。
渡り廊下の中央に差し掛かったあたりで、後ろから「きょーすけ!! 待ちやがれ!」と潤平の怒号が響いた。誰が待つものか、と更に急ごうとした、その時だった。
ガラス張りの通路を、淡い光が駆けた。
「何だ……?」
京介は反射的に立ち止まる。追いかけてきた潤平が、急に立ち止まった京介の背中にぶつかった。更に柊と美波も玉突きを起こして強制的に停止する。「急に止まるんじゃないよ、不破京介……」と柊がくぐもった声でぼやいたが、京介の意識は既に柊に向けられていなかった。
白い、うっすらとした光の壁のようなものが廊下を通り抜けた。端から端までを通過した光の壁は、ガラスと壁で区切られた空間とその中にあるものをスキャンするかのようだった。
「――読取完了。複製する」
どこからともなく聞こえた凛とした声。
その声の主を見出すより先に、周りの景色が赤銅色に変化した。




