復讐者との奇妙な縁(3)
名前を呼ぶ。契約紋が光を放つ。
そして、目の前に芙蓉姫が現れ――ない。
「……は?」
京介は目を疑う。確かに召喚術を使ったはずなのに、式神・芙蓉姫が現れない。契約紋の光は小さくなっていき、やがて消えてしまう。
おかしい。京介は頭に疑問符を浮かべまくる。
「芙蓉? 芙蓉姫? おーい」
契約紋に向かって呼びかけてみるが、反応はない。
まさか、
「あいつ……ついに召喚にすら応じなくなった!?」
通常、式神は主人に絶対服従、命令は遵守し、召喚には必ず応じる。それに逆らうことなど本来はできるはずがない。だが、命令違反常習犯、生意気で高飛車な女王様は、命令を拒否するだけでは飽き足らず、ついに召喚命令にまで拒否権を発動するようになったらしい。
「いやいやいやいや、ありえないだろ、正気かあいつッ! 召喚すらできないとか、横紙破りもいいとこだろ!」
喚き散らしても、この場にいない芙蓉姫には京介の声は届かない。予想外すぎる展開に京介は割とてんぱっていた。召喚しても素直に命令には従ってくれないだろうな、というところまでは予定していたが、そこはなんとか宥めすかしてお願いするつもりだった。だというのに、まさか来てくれないなんて、そんなのってないだろう。
「ふっざけんなよくそったれが! ――く、ぅっ……」
大声で叫んでいた京介だったが、不意に頭痛を感じてよろめいた。
「くそ……ちょっと制限緩めただけですぐこれだ……」
京介は慌てて稀眼の制限を元に戻す。視えすぎる目は、脳に負担がかかる。入ってくる情報量が多すぎて、頭の方がすぐに容量オーバーを訴え出すのだ。
瞬きをしてスイッチを切り替えると、術師につながる糸は視えなくなる。術師を辿れそうにない。まさかこんな肝心な時に芙蓉が来てくれないとは想定外だった。くそったれ、と小さく毒づき、しかし今は腐っている場合ではないと、刀を構える。
白い狼が飛び出してくる。牙を剥きだしにして飛び掛かってくる獣を避け、その背中に呪符を放つ。
「烈火現界」
背後で爆発が起きる。それを確認する間もなく、京介は次の標的に向かっている。大きな翼を広げ激しく羽ばたく鳥は、凶暴な猛禽類に違いない。高所から急降下し特攻してくる鳥の翼をまず斬り落とす。地に落とした式神を貫いてとどめを刺し、すぐに刀を抜き放つ。
長い体をくねらせて近づいてくる蛇は、思いのほか俊敏な動きをしている。小さくも獰猛な牙には、どうせ毒があるのだろう。懐に入ってくる前に、炎の魔術を放ち焼き払う。そして、背後に忍び寄っていた蜂を、無造作に振るった刀で両断する。
続けざまに四体の式神を下すが、息をつく暇もなく次の攻撃が来る。再びどこからともなく降ってきた憑代が一枚、巨大な体躯を持つ式神に化ける。大きな角を持つ、怪物。サイを二足歩行にして五倍くらいの大きさにしたらこんな感じかもしれない、というような異形だ。
怪獣映画ばりの巨体が腕を振りおろす。細い刀身で受け切るのは厳しいとみて飛び退る。動きは緩慢で、避けられないスピードではなかった。しかし、その代わり質量はあるようで、掌を叩き落された地面はその形に浅く沈んだ。あれに潰されるのだけは勘弁してほしい。
幸いにして、敵は鈍い。敵より早く動いて、隙を見て切断するだけだ。
しかしその瞬間、背後に気配を感じて反射的に振り返る。京介の死角から、白い触手のようなものが襲いかかってきていた。
舌打ち交じりに伸びてきた触手を斬る。だが、それで終わりではなかった。天井に貼り付いた白い本体から幾本もの触手が蠢きだしている。
「もう一匹いたか」
前と後ろ、上と下に挟まれていたのだ。
ぶわりと風圧が髪を攫う。背後で巨大なサイもどきが腕を振り上げたのだと解った。刀で触手を捌きながら、左手で呪符を繰る。
「旋風現界!」
突風を巻き起こし、腕を持ち上げ大きな隙を作っていた式神を煽る。一度後ろにのめった巨体は、そのまま自重で後ろに倒れ、ずしんと重い音を響かせた。じたばたともがく巨体に炎の魔術で追い打ちをかけてとどめを刺す。
だが、後ろに意識を割きすぎた。片手間に操る刀では触手のスピードに追い付けず、京介の斬撃を逃れた一本が体に巻き付いた。それで動きが鈍れば、次から次へと触手が絡みつき、我が物顔で蹂躙を始める。
触手は京介を締め上げながら宙に吊り上げる。首にまで伸びた触手のせいで息が苦しくなる。酸欠を訴え出す体で、しかし京介は焦ることなく、左手に忍ばせていた呪符を発動する。
「焔々現界、焼却せよッ」
ここなら木造旧校舎と違って誰に文句を言われることもない。絡みつく触手を伝って、炎は天井の本体にまで延焼する。拘束から抜け出した京介は地面に降り立ち、軽く咳き込みながら式神が燃え尽きるのを確認した。
次の攻撃は、来ない。その代わり、ぱちぱちと、乾いた拍手の音が響いた。
音のする方を振り返ると、黒いローブを纏った人影が立っていた。
フードで顔は半分隠れているが、かろうじて見える口元には髭を蓄えている。
「お見事、いとも容易く倒すとは。他の魔術師たちはもう少し苦戦していたけれど、君は優秀だ」
愉快そうなテノールが称賛する。顔も見せない男は、しかし、式神を作り出した魔術師に違いないだろうと、京介は半ば確信していた。
「人造式神をばら撒いて魔術師を襲っているのはお前だな? 各所で苦情が出てるぞ。いったいどういう了見だ」
「いやなに、ちょっとした実験だよ。そしてその実験は終わりが見えてきた。間違いなく成功だ」
「人に迷惑をかける実験はやっちゃいけませんって、小学校で習わなかったか?」
「残念ながら私の通った小学校ではそんな高度なことは教えてくれなかった」
「だったら今からたっぷり勉強しろよ、豚箱でな」
だんっ、と踏切り、一気に男に肉薄する。刀を振り下ろすと、男は右手を持ち上げる。手には短刀が握られており、京介の一閃を軽く受け流した。
フードの下で男がふっと笑う。
「速いね。並みの術師なら今のでやられていただろうね」
「それは、自分は強いですって自慢か?」
「いや。いきなり飛び込んできたのは少々迂闊だったな、という助言だ」
言いながら、男は左手でローブの前をはだける。
その下には、無数の白い蜂が潜んでいた。
「ッ!」
京介はすぐさま後ろに飛び退くが、それに追い縋るように、一斉に蜂の式神が飛び出してきた。
「焔々現界……」
炎の壁で蜂の進撃を阻む。しかし、それを潜り抜けた一匹が首筋に触れる。
ちくりとした小さな痛みに顔を顰める。すぐさま首に取り付いた蜂を握り潰す。だがそれではもう遅い。
急激な眠気に襲われ、京介はたたらを踏む。
男は余裕に満ちた調子で謳う。
「素晴らしい反応だよ。結局式神は全部潰されてしまった。けれど私の式神も無能ではない、一矢報いたと言ったところか。……安心するといい、蜂に仕込んでいたのはただの麻酔だよ」
意識が混濁する。絡みつく睡魔に抗いきれず膝をつく。
男の声がやけに間延びして聞こえる。
「ゆっくりとおやすみ――」
思考がどろどろに溶かされ、瞼が下りる。冷たい地面に力なく倒れ、京介は意識を失った。
★★★
京介に呼ばれたような気がしたけれど、無視した。
しかしそれは何も、召喚に応じるのが面倒だったとか、そういった理由ではない。その時芙蓉姫は、正体不明の白い式神を踏み潰しているところだったのだ。
妖であり式神である芙蓉だが、召喚されていない時は自由気ままに、それこそ普通の女子みたいに暮らしている。だから今日も、京介のお呼びがかからないのをいいことに、優雅に駅前のカフェでティータイムと洒落込んでいた。
それを邪魔してくれたのが、どこからともなく飛んできた、鳥の格好をした人造式神だった。芙蓉はそれを一瞥すると、無造作に鷲掴みして潰し、地面に叩きつけ、仕上げにブーツの底でぐりぐりと踏み潰していた。丁度その時お呼びがかかったのだが、それに応じている余裕がなかったので無視した。本来なら、どういう状況であろうと召喚を拒否することなどできないのだが、芙蓉は当たり前のようにそれをやる。
やがて式神は力尽き、一枚の紙切れ、憑代となる。芙蓉はそれを拾い上げると、ティータイムを邪魔された腹いせにびりびりに破いた。
「茶ぐらいゆっくり飲ませろ、クソ式神」
およそ優雅なティータイムとは程遠い罵言を零すと、芙蓉はウェイトレスを呼んで、ストレスを発散すべくケーキを追加した。
店員と入れ違いに、芙蓉の席に女性が近づいてきたのはその時だった。
「芙蓉ちゃん、ご一緒しても?」
そこにいたのは、還暦過ぎとはとても思えない若々しいマダム、不破竜胆だった。
「……、どうぞ」
「おや、なんだい、今の間は」
「別に」
芙蓉は竜胆のことが、嫌いではないが、苦手だ。人を食ったような感じが特に。まあ、妖である芙蓉が食われる心配はないのだが。
竜胆は楽しそうな笑みを浮かべながら相席し、通りかかったウェイトレスにコーヒーを注文する。しかし、コーヒーを飲みながらゆっくり話をするつもりはないらしく、注文の品が届かないうちから早速話し始める。
「京介がなぁ、いつも言うんだ。芙蓉ちゃんがちっとも命令をきかないって」
「今日は説教をしに?」
そう問いつつも、そうではないだろうな、と芙蓉は思った。それにしては、竜胆は面白そうに微笑んでいたからだ。
「けどね、あいつはそれを、嫌がってはいないようだよ。散々愚痴って嘆いていくけれど、だからって、君に嫌気がさしたり、愛想つかしたりはしないんだ。寧ろ、君はそれでいい、って思っている節がある」
「は……酔狂なことだ。従えるために契約した式神が、従わないのに、それでいいって?」
「元々、あいつが君と契約したのは、君を隷属させるためではないからな」
「……」
知っている。それは、知っている。
竜胆は優しく微笑む。
「だから、まあたまに、あいつのお願いをきいてくれれば、それでいいよ。君は京介にとって、最後の砦だ。一人じゃ本当にどうしようもなくなったとき、きっとあいつが頼れるのは、君くらいだろうから」
「こんな式神にしか頼れないとは、哀れなことだ」
仲間に恵まれていない、可哀相な子ども。
「……まあ、人のことは言えないけれど」
物憂げに呟かれた言葉は、誰にも聞こえず風に消えた。