招かれざる客ばかり(1)
全力疾走で逃亡してきたが、どうやらここまでのようだ。
部屋の隅に追い詰められ、追っ手達に周りを取り囲まれ、退路を断たれた。じりじりと距離を詰めてくる敵襲に、京介は背中に嫌な汗をかく。肩で息をしながら、牽制するように敵を睨む。
「もう逃げられないよ」
引導を渡すようにそう告げたのは、柊凛だった。肩にかかる髪を払う仕草が大変様になっている、大人びた顔つきの少女だ。両手を握ったり開いたりと準備運動をし始めて、今にも飛び掛かって来そうで恐ろしい。
「安心しなさい、不破京介。大人しくしていれば、すぐに終わらせてあげるよ」
「ふざけるな」
「強情ね……けど、忘れないことね。残念ながらお前の味方はもういない。全員、こちら側だよ」
「柊……汚い真似を……」
「何とでも言うといいよ。それだけ私も本気ということよ。どう、考えを変える気になった?」
「誰が!」
京介が断固として拒絶の意思を示すと、柊はふうと溜息をつく。
「そちらがその気なら、致し方ないよ。――窪谷潤平、捻じ伏せなさい」
ぱちん、と柊が指を鳴らす。それを合図に、潤平が飛び出した。
元復讐者であるところの潤平は手慣れた調子で、スタンガンを突き出す。バチバチとスパークさせてくるスタンガンを避け、京介は潤平の手を容赦なく蹴り飛ばし、得物を弾く。
「くっ……!」
凶器は吹き飛び床に転がる。潤平は手首を押さえて顔を顰める。しばらく物騒な武器など持てなくなる程度には衝撃があったはずだ。
しかし、潤平が怯んでいる間に、別方向から奇襲が仕掛けられた。京介の腕に勢いよくしがみつき動きを制限してきたのは美波だった。
「ごめんなさい、京介さん……」
そう言いながらも、美波は力を弱めることをしない。
「美波ちゃん……頼む、正気に戻ってくれ」
祈るような気持ちで訴えるが、無駄だった。潤平になら遠慮なくやり返すところだが、美波を相手に手荒なことはできない。
「搦め手から攻めるのは常套手段よ。さあ、畳み掛けるよ」
柊の号令で、潤平が再び動き出す。京介が美波を引き剥がすのに苦心している間に背後に忍び寄り、京介の肩を掴む。ぐっと後ろに肩を押され、同時に脚を払われ、京介はバランスを崩して床に倒れる。
そうなってしまうと、あとは数の暴力だった。潤平、美波、そして柊に押さえつけられ、京介は身動きが取れなくなる。
「く……離せ! 柊、卑怯だぞ、二人を手駒にするなんて」
「人の心を操るなんて、私にとっては造作もないことよ。もう観念しなさい、往生際が悪いわよ、不破京介」
「嫌だ……離、せ……」
「もう黙りなさい」
じたばたともがく京介を力ずくで抑え込むと、柊は冷酷に告げる。
「脱がせて」
待ちかねたように、潤平が迷いなくベルトに手を掛けてきて、京介は息を呑む。喉の奥から悲鳴のような声が漏れた。
「潤平っ……やめ――!」
「おぉ……いける。似合ってるぞ、京介。もう当日はそれでいこう」
潤平が感嘆の溜息を漏らす。腹が立つので京介は潤平の鳩尾に拳を捻じ込んでおく。
「確かに集客力がありそうだよ。ただ、何も知らないいたいけな男子諸君が軒並み失恋のショックを味わうことになるけれど……いやまあ、お互いそれでオッケーっていう可能性もあるけれど」
勝手なことを言い出す柊に、京介は舌打ちをする。
「お前らいい加減、俺の制服を返せ」
「何を言うのよ。せっかく着たばっかりなのに。鏡を見てごらんなさいよ、かなり似合ってるわよメイド服」
面と向かってそう言われると羞恥が膨れ上がる。顔を真っ赤にしながら睨みつけ抗議するが、柊は奪い取った制服をどこかに隠してしまって返す気がさらさらないようだ。あえなく京介は無理矢理着せられたメイド服のままでいることに。
「いいか、これきりだからな。間違っても明日――文化祭当日は、女装なんてしないッ!!」
これだけははっきりさせておかねばならないと、京介は毅然たる態度で宣言する。だが、柊は相変わらずにやにやと愉快そうな笑みを浮かべながら、
「またまたぁ、そろそろ女装の楽しさに目覚めちゃった頃でしょう? 気持ちよくなってきちゃったでしょう?」
「なるか!」
「不破京介、お前には才能があるよ。ぜひその才能をクラスのために役立ててくれ。ナンバーワン企画を目指すのよ。そうしたら、商品の『辛神飯店』の食事券、学級委員権限で、お前の取り分を特別に五枚にしてあげるよ」
「いらねえよ、この職権濫用委員め!」
「クラスのため」という言葉を免罪符にしてありとあらゆる非常識なことを実行する、職権濫用の権化、それが柊凛という女子生徒である。高校最後の文化祭を明日に控え、クラスのテンションは最高潮、そして柊のテンションもマックス、ただしおかしな方向を向いている。その犠牲となったのが京介だった。
「最後の文化祭で、投票一位になって最高の思い出を作り、ついでに豪華賞品もゲットするために、人事を尽くすのが学級委員としての私の務めよ。そのためなら、そのへんの下手な女子より肌が綺麗で髪がさらさらしていると前々から目をつけていた男子クラスメイトに古風ゆかしきヴィクトリアンスタイルのメイド服を着せることも吝かでないよ」
柊は心の底から満足そうに頷いている。誰だ、こんな非常識な女子を学級委員に推薦したアホは、と京介は苦り切った顔で思う。
おそらく柊一人だけが相手なら、京介も逃げられただろう。だが、話を聞きつけ悪乗りした潤平と、更に潤平から話を聞きつけて「確かに京介さんの女装、見たいかも……」と言い出した美波が柊に加担したのがまずかった。今日の授業が終わるや否や、京介は三人の刺客に追われ、誰もいない空き教室に追い詰められた挙句、強引に制服を剥ぎ取られてしまったというわけである。
「いいことを思いついたよ、不破京介。お前の写真を撮って売ろう、一枚五百円で。丁度クラスの予算が足りなくなってきたところなのよ」
「却下ッ」
間髪入れずに拒否。
柊は心底残念そうに溜息をついた。
「まったく、クラスのために貢献できない奴はこれだから困るよ」
クラスのために個人の人格を無視する学級委員の方がずっと困る。
「まあいい。さて、悪ふざけはこれくらいにして、そろそろ明日の準備をしなければいけないよ。しっかり働いてもらうよ」
馬車馬の如くこき使うよ、と柊は満面の笑みを浮かべてえげつないことを告げた。
神ヶ原第一高校文化祭は、校訓である「友愛・勤勉・自立」から一字ずつ取って「ゆきじ祭」と名づけられている。毎年六月上旬の土日、二日間の日程で行われる。一般公開される文化祭は、両日とも休日開催ということで、近隣住民や進学希望の中学生たちなど大勢の人で賑わう。
生徒たちも毎年気合が入っていて、クラスごと、部活ごとの企画を実施する。京介と潤平が所属し、女らしさと男前っぷりを両立させていることが特徴的な柊凛が学級委員を務める三年五組は、やたらと女子力の高いメンツが揃っていたため、喫茶店をやることになった。
数少ない飲食系企画の枠を柊の強運で獲得し、製菓部所属の女子数名がリーダーとなり、簡単なケーキやクッキーを提供することになった。一人暮らしをしているため料理の手際はそこそこいい京介は女子ばかりが集う調理班に回された。それはまあいい。
被服研究部所属の生徒がいたことで、ホール担当のためにメイドとギャルソンの衣装が用意され、ローテーションで担当となった生徒がそれを着て給仕することに決定した。それもまあいい。
人手が足りないという理由で、部活に所属しておらずクラス企画に専念できる京介が、調理班とホール班を兼任させられることになった。それもよしとしよう。
着てみたら似合いそうよね、という謎の理由で男の京介がメイド服を着せられたことだけが大問題だった。
「不破京介の女装で客を釣れないのは残念だけれど、まあ、ギャルソンの格好でもよしとしよう。さてと、お遊びはこれくらいにして、明日用の菓子をがんがん焼くよ」
調理室ではすでに、調理班の女子たちが準備を始めているはずだ。ふざけていたせいで、京介たちは出遅れているのである。
一旦教室に戻り、エプロンを準備する。
「急がないと、私の仕事がなくなってしまう」
「よーし、俺もはりきってやるぜ」
腕まくりしてついて行こうとする潤平だが、柊が怪訝そうに首を傾げて潤平を止めた。
「窪谷潤平、お前は調理班じゃないよ」
「ああ。けど、そっち人手不足っぽいし、手伝える人がいたら呼んでくれって言ったのは、いいんちょだろ」
部活の方の準備や塾などの予定が入っているせいで、放課後に調理室に集まってがんがん菓子を焼く調理班に回れた生徒は、さほど多くない。そのため柊は、学級委員としての顔の広さを駆使して方々から助っ人を募った。一年生の美波が三年メンツに混ざって京介を襲ってきたのは、そういう事情で三年五組の内情に精通していたからだ。
「確かにそう言ったし、妹さんが来てくれたことには大いに感謝する。が、窪谷潤平のことは呼んでない」
かなりストレートに「お前はお呼びでないから帰れ」と言ってのける柊に、潤平は見るからにショックを受けた顔をする。
「ええっ、だって、女子に囲まれて楽しくお菓子作りだろ!? 俺だって交ざりたい」
「調理室は他の飲食企画クラスや料理研究部が試作に使用していて、五組が使えるスペースはそんなに広くない。つまり働かない人材を置いておくようなスペースはないのよ」
「いや、俺だってちゃんと手伝う気で準備して来たぜ」
「お前の腕は調理実習の時に把握したよ。それを踏まえた上で言う。帰れ」
にべもない学級委員命令に、潤平が京介を見つめてきた。「援護しろ」と目で訴えているのが解ったが、家庭科の授業で潤平がマドレーヌを丸焦げにした前科を知る京介は、援護のしようがなかった。
そして兄に厳しいことで定評のある美波も案の定、
「兄さんの料理の腕では邪魔です。消えてください」
「相変わらず容赦ない!」
三対一で拒絶された潤平であるが、しつこくついて来ようとする。柊もそろそろ潤平に付き合うのが時間の無駄だと気づいたのか、溜息交じりに「いいか、お前が使用していいスペースはタイル一枚分だけだぞ」と妥協案を出した。
かくしてカリスマ学級委員が舵を取り、三年五組は文化祭に向けて最終準備にとりかかる。
決戦は明日である。




