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名を呼ばれない一日(3)

 自分の部屋の鍵と、京介の部屋の合鍵とを、買ったばかりのマカロンキーホルダーにつけて、芙蓉は満足した。フロアをあらかた物色し終えると、正午をとっくに過ぎていた。時刻を確認すると、途端に空腹を感じ始める。

 芙蓉はエスカレーターで一階まで降りて、すぐ目の前にあるファミレスを覗きこむ。丁度昼時ゆえに店内は混雑していたが、客が待っているほどではない。これならすぐに通されそうだと推測しながら扉に手を伸ばす。

 その時、後ろから呼び止められる。

「あっれえ、芙蓉ちゃんじゃないか。奇遇だねえ」

 店に入ろうとした瞬間に呼ばれるという状況に既視感を覚えながら振り返る。やたらと芝居がかった調子で声をかけてくる女性に、心当たりは一人しかいない。還暦過ぎには到底見えない、外見と実年齢の乖離ぶりが妖怪並みに詐欺レベルの女性、不破竜胆が手を振った。奇遇、と白々しいことをいうが、彼女が絡んで「偶然」などありえまい、と芙蓉は思う。

「これからランチ? ご一緒してもよろしいかな。ああ、勿論私の奢りだ。遠慮なく何でも食べるといい」

 奢りにつられたわけではないが、断る理由もないので、芙蓉は竜胆と一緒にファミレスに入る。

 差し向かいで座る。竜胆は自分の孫が臥せっている割に呑気そうで、にこにこ笑っている。芙蓉はなるべくそれを直視しないように、頬杖を突いて窓の外に視線をやる。

「期間限定のトマトパスタか、暖かい時こそ熱いものってことであつあつ温玉ドリアか……芙蓉ちゃんはもう決めたの?」

「ミックスベリーデニッシュ」

「それランチなの? 完全にデザートじゃない。十時のおやつにも甘いもの食べたんじゃないの?」

 まるで見ていたかのようにずばり当ててきた。京介をして「あの人は千里眼なんじゃないかな、マジで」と言わしめるだけのことはある。

 注文を済ませると、芙蓉は早速口火を切る。まどろこしいのは好きじゃない。竜胆がこうして狙ったかのように現れたということは、まさしく狙っていたのであり、用件があるのだとみて間違いないだろう。

「用があるなら、単刀直入にどうぞ」

「ふふ、せっかちだねえ、芙蓉ちゃん。ま、確かに、私たちの仲だ、前置きは要るまい」

 グラスの水をがぶりと一飲みし、竜胆は切り出す。

「艶島操、って覚えてる?」

「……」

 眉間を指でコンコンと叩いて記憶を引っ繰り返す。なんだか聞いたことがある名前、だがたぶんそんなに重要ではない名前。誰だったかな、と本気で考え込むこと十五秒。はっとひらめいた。

「正月に戦った魔術師か」

 竜胆がにこりと笑って首肯する。

「そうそう。芙蓉ちゃんが顔面から地面にダイブさせた魔術師」

 そういやそんな奴もいたっけなあ、と芙蓉は思い出す。

 艶島操と相見えたのは約三か月前のこと。基本的に三下魔術師・低級妖怪・雑魚野郎の三点セットは即座に記憶から薄れていく上、艶島の顔はファーストコンタクトの瞬間に踏み潰してしまったせいでよく見ていなかったため、思い出すのに時間がかかった。芙蓉にしてみれば記憶から完全に抹消されていなかったのが奇跡なくらいだ。

 芙蓉がよく覚えていないということは、さして覚えておく必要性のない相手だったということ。三か月も前に解決した事件の関係者の話をなぜ今更、と怪訝に思う。

「芙蓉ちゃんの認識がその程度だから、たいした相手じゃないというのは事実だよ。ただ、物事には相性とかタイミングとか運とかいうのがあってねえ」

「何が言いたい」

「彼女、たいして強い力は持ってないし、たいして重大なことをやらかしたわけでもなかったでしょ」

「そうだな」

 妖怪を隷属させ操っていた魔術師。だが、それを可能にしたのは黒幕である狐面の魔術師、通称・ディーラーの魔術であり、艶島自身の魔術が恐ろしいものだったわけではない。大勢の妖を捕え商品にしてあくどい商売をしていたのもディーラーであって、艶島の方はさしてたいそれたことはしていない。

「彼女、芙蓉ちゃんがぶっ潰した後、即座にお縄になって中央会に連行されたんだ」

「それで」

「彼女はとても反省して、捕まってた間は実に模範囚だったんだよ」

「はあ」

「模範的だったし、たいして危険な相手でもないからって、彼女、実はもう仮釈放されてるんだよね」

「ふうん」

「危険な奴なら、魔術を封じた上で放免なんだけど、そんなに危険じゃない奴って、特に封印術は使われないみたいでね」

「ほう」

「そうやって自由になった雑魚魔術師ほど、実は再犯率が高いらしい」

 どんどんきな臭い話になってきた。

 芙蓉の顔が渋くなるのと比例するように、竜胆はなぜか笑みを深くしていく。

「久しぶりに娑婆に出てきた艶島ちゃん。自分を豚箱に入れてくれた原因である不破の退魔師は、なんと負傷中。ねえ、どう思う?」

「…………」

 どう思うか、というよりは、艶島はどう思っただろうか、という問題だろう。

 艶島が本当に心から反省して改心して本当に模範囚だったなら、心配することは何もない。更生おめでとうと拍手してやってもいいくらいだ。実際には拍手なんかしてやらないが。

 だが、模範囚を演じてさっさと娑婆に戻ることを企てていたのだとしたら、そして実際に狙い通りに事が運んでいるのだとしたら、面倒だ。本来なら、艶島程度の相手はさして厄介ではない。艶島相手にサシで戦うなら、苦戦する方が難しい。しかし、成程、竜胆が言うように、物事には相性とかタイミングとか運の要素が絡んでくる。艶島が娑婆に出てきたタイミングで京介が戦えない状況である、というのは、面倒くさい予感がしないでもない。

 お待たせしましたー、とウェイトレスが平和的な笑みを浮かべてミックスベリーデニッシュを運んでくる。とりあえずデニッシュが熱いうちにとフォークをぶっさし、黙々と咀嚼しながら考える。

 グラスの氷がカランと音を立てる。芙蓉は自分に言い聞かせるように呟く。

「艶島を直接倒したのは私だ。恨まれるとしたら私だろう」

「彼女が計算高い魔術師だとしたら、芙蓉ちゃんに敵わないことは承知した上で、芙蓉ちゃんの弱みを突いてくるに決まっているさ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ってね」

 差し詰め、芙蓉が将で京介が馬というわけだ。本来の主従関係を考えれば逆のはずなのだが。

「一つ訊きたい」

「なぁに」

「艶島操が私への仕返しを企て、まず手始めに手負いの京介に手を出すかもしれない、という懸念については理解した。しかし解せないな。そこまで予測しているなら、なぜこんなところでのんびりランチなどしている? 心配なら、病室に張り付いていればいい」

「もっともな疑問だ。理由は二つある」

「そのうちの一つは、予想がつくから言わなくていい」

「そう?」

 おおかた、荒事は自分の領分ではないとでも言うのだろう。不破の退魔師としての戦闘を京介に丸投げして久しい彼女のことだ、用心棒のつもりで病室についていたところで、いざ艶島が襲来した時に戦力になるかどうかは怪しい。

「これはね、艶島操を諦めさせるためのプロセスなんだよ」

「どういう意味だ」

「仮に私が京介のガードについたとしよう。まあ、私では戦力にならないから、ガードなんて、あってないようなものなんだけど。でも一応、現当主だからね、そうなると、艶島は警戒して、たぶん近づいてこないだろうね。だけど、たぶんそれじゃ諦めない。

 諦めるっていうのはね、自分の無力さを思い知って再起不能なまでに打ち砕かれることだよ。挑みさえしないうちでは諦めることなどありえない。確かに艶島が機会を狙っているうちに、京介は早晩回復するだろうさ。だけど、危なっかしい京介のことだ、また今回みたいにダウンすることがないとも限らない。その度にいちいち艶島なんかの存在を気にしなければならないのは、ちょっと鬱陶しいと思わない?」

「成程、言いたいことはだいたい解った」

 艶島に復讐なんか忘れさせるために。もう二度と芙蓉や京介に手を出そうなどとは思わせないために。一度挑ませなければならない。その上で、完膚なきまでに叩き潰すというプロセスが必要なのだ。

「京介を守るために、京介を餌にする……なかなか皮肉な話だ」

 竜胆の言い分は理解した。さすが、暗躍が専門である竜胆だ、戦略的なことを考えている。しかし、必要なプロセスとはいえ、襲われると解っているのをみすみす見過ごし危険に晒すというのは面白くない。

「いっそ、今のうちに艶島を叩けばいいのでは」

「一応模範囚として出てきたんだ。何もしてないのに叩いたらこっちが悪者」

「ああ、まあ、そうだろうな」

 中央会に睨まれでもしたら面倒だ。芙蓉は肩を竦める。

「まったく、なぜ艶島などという雑魚のためにこんな……」

 一度は下した格下相手に振り回されるというのは、芙蓉にしてみればなかなか業腹なことであった。そもそもにして、艶島との最初の因縁である正月の時も、思えば艶島のせいでだいぶ振り回された。一番苦労したのはおそらく京介だろうが、芙蓉もそれなりに働かされた。年始からそんな調子だったのは実に腹立たしい。

「金輪際、艶島なんぞに振り回されたくないものだ」

「芙蓉ちゃん?」

「私に話を持ってきたということは、最初から私に任せる腹積もりだったのだろう? いいさ、踊ってやるよ」

「あはは、敵わないなあ、芙蓉ちゃんには」

「元より、私が摘み損ねた芽だ。名を呼ばれない休日はだいぶ満喫したことだし、午後からは名前を呼ばれなくとも式神としてサービスしてやろうじゃないか」

「頼もしいね」

 もしかすると、竜胆が昼食を奢りだと言っていたのは、元々芙蓉がこう言いだすことを見越してのことだったのかもしれない。なにせ、彼女は「千里眼」らしいから、相手から自分が望む言葉を引き出すくらいは造作もないだろう。

 食えない女性である。まあ、たまにはいいように使われてやろうじゃないか。

 デニッシュをぺろりと平らげると、芙蓉は熱すぎるドリアを前に格闘している竜胆を残して席を立つ。背を向ける芙蓉に向かって、竜胆は悪戯っぽく言った。

「お礼代わりに、京介の代わりにツッコミを一つ――『そんな上から目線なサービスがあるか』」

 千里眼の祖母は孫のことがよく解っている。確かに言いそうだな、と芙蓉は失笑した。

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