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運命はまた回り出す(2)

 ぴくん、とかすかに指が跳ねた。それを目敏く発見した者がいたらしく、周囲が俄にざわめくのが解った。

「――い……おい、しっかり――、」

 瞼が震える。ゆっくりと目を開けると、二つの顔が至近距離で覗きこんできていた。

 何度か瞬きをして、焦点を合わせる。ぼやけていた顔がはっきりと見える。目が合う。その瞬間、男女の二人組が歓声を上げた。

「起きた! 目を覚ました!」

「よかった、本当によかった……!」

 男の方は泣いているのか、ずるずると鼻水をすすっている。危うくこちらに鼻水を垂らされそうになったところで、意識もだいぶはっきりしてきたので、文句を言うことにした。

「……潤平、鼻水垂らすな」

「開口一番に苦情かよ、ばかきょーすけ!」

 口では罵りながらも、潤平は泣き笑いを浮かべていた。隣の美波は、さすが、就学以来一度しか泣いていない強者だけあって、涙ぐむことはなかったものの、心底から安堵したという表情で京介を見つめていた。

「一時はどうなることかと……ああ、本当によかった。他の皆さんにも連絡しないと」

 そう言って、美波はぱたぱたと小走りに離れて行った。

 体を起こそうとすると、潤平にすかさず止められた。

「おい馬鹿、まだ動くな! 傷に障るだろ! 馬鹿なことしてんじゃねえぞ、大馬鹿!」

「ちょっと動いただけで馬鹿って言い過ぎ。大丈夫だよ、たぶん……ここは?」

 言いながら、京介は上体を起こして視線をめぐらせ周囲を観察する。見慣れない部屋だが、白い壁と、自分が横たわる白いベッドで、おおよそ察しがついた。

「病院だ、病院。お前、超やばかったんだからな。血がドバドバ出て止まんなくてよぉ。即手術だよ。そして、そんなお前を救ったのは俺だ、俺がお前のために大量の血を提供してやったんだ、崇め奉れよ、きょーすけ」

「俺たちは血液型が違ったはずだが」

「……」

 こんなときまでさりげなく嘘を織り交ぜてくるとは、恐れ入った。京介は小さく吹き出した。途端に、胸のあたりがずきりと痛んで顔を顰める。すると潤平がびっくりするほど狼狽した。

「ば、馬鹿、傷に障る言動は控えろ! この馬鹿っ! 馬鹿野郎っ!」

「だったら笑わせんなよ」

「それは、お前……」

 言いかけて、潤平は口を噤み、気まずそうな顔をした。少し考えて、彼の複雑そうな表情の理由に思い当たった。おそらく潤平は、京介が落ち込んでいると思って、気を紛らそうとしてくれたのだろう。

 短い時間ではあったが言葉を交わし、和解できると思った相手からの裏切りと、その死。目の前で起きた雲雀のあっけない最期は、確かに衝撃だった。

 三年前、朧を救えなかったばかりか、朧の友達まで死なせてしまった。つくづくどうしようもない奴だな、と京介は自嘲する。

「なあ、京介。あいつ……雲雀のこと、気に病んでるか? 俺が言うのも違うかもしれないけど、お前は責任を感じる必要はないと思うぜ。先に裏切ったのは向こうじゃないか」

「いや。先に騙したのは俺だ。本当のことを言わなかったから」

 雲雀が葛蔭悟の式神だと知ったとき、すぐにでも話すべきだったのだ。

 その男のせいで朧は死んだのだと。朧の友達であったのなら、そんな男に仕えるべきではないと。

 だが、言えなかった。

 自分のことを棚に上げて葛蔭を糾弾する言葉を吐くことはできなかった。最終的に手を下したのは自分だと告白できなかった。くだらない保身のために、こんなことになったのだ。また選択を間違えてしまったらしい。京介は憂鬱げな溜息をついた。

「京介、大丈夫か……?」

「……ああ……大丈夫、だ……」

 潤平が気遣わしげな顔を見せるので、京介はぎこちない微笑みを浮かべて応じる。

 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。大丈夫、また立ち上がれる。

 解っていた。全部を守ることが難しいのは解っていた。朧を失ったとき、そう悟ったのだ。いつかまた、選ばなければならないときがくると。一番大切なものを選び、他のものを失うことになることもあるだろうと、解っていたはずだ。

 雲雀は葛蔭の式神だった。葛蔭が汚い人間で、雲雀に見せていた顔が偽りのものだったとしても、それでも雲雀にとって葛蔭は大事な主人で、葛蔭の言葉がすべてだったはずだ。だから雲雀は主人のために誠実に、主人が一番に望むことをした。

 主人が違えば、式神の正義は異なり、自然、対立することもある。ゆえに雲雀と京介は――雲雀と芙蓉は相容れることなく、芙蓉は彼女自身の意思に従って雲雀を屠った。

 選ばなければならなかった。大事な仲間を守るためには、自分に害をなそうとする者までは守りきれない。

 けれど。

「大丈夫……でも、理屈じゃ、ないんだよな、こういうのって。きっとこうするしかなかったのかもしれない、どうしようもなかったのかもしれない、とは思う。けれど、できることなら助けたかった。たとえ、敵だとしても」

 敵を守れるくらい。全部を選べるくらい、強くなれればよかったのに。

 もどかしくて、悔しくて、苦しい。膝の上で重ねた両手が、小さく震える。

「……ばかきょーすけ」

 潤平が呟く。

「前から思ってたけど、お前、優しすぎるよ。全部自分で守りたい、敵まで助けたいなんて、さ。そんなに優しいから、自分ばっかり苦しいんじゃん。もっとドライになれれば、もっと楽に生きられるだろうに」

「そう、かな……」

「ま、でも、そういうお前だから、俺はお前と友達になれてよかったって思うんだけどさ」

 はっと顔を上げる。潤平が、少し気恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。

「何でもかんでも守ろうとする。神ヶ原の魔術師だから? たぶん、違うだろ……お前はきっと、そんな肩書きなんかなくても、自分の手が届く場所にいる奴みんなを守ろうとする、そういう馬鹿みたいにお人よしな奴だ。そんなんだから、あれこれと一人で背負っちまう。けど、自分ばっかりで背負わなくてもいいだろ。

 お前、一人じゃないんだから。姐御がいて、祖母さんがいて、俺や美波もいて、今まで出会った妖たちだって力を貸してくれる。一人じゃなくてさ、次はみんな一緒に、いろんなものを守れるように強くなればいいじゃん」

 なあ、俺いいこと言っただろ――そう言わんばかりのしたり顔で、潤平が拳を突き出してくる。京介はその拳と潤平の顔とを交互に見て目を瞬かせていた。

 やがて、ふっと息をつく。なんとなく、肩から力が抜けた気がする。「一人じゃない」というありふれた言葉が、しかし唯一無二のもののように、心に染みこんで支えになってくれる。その言葉を本当の意味で実感して、心強いと感じるというのは、きっと素敵なことなのだろうと思う。

 いつの間にか手の震えは止まっている。京介はおずおずと手を持ち上げて、潤平の拳に自分の拳を打ちつける。

「……ありがとう、潤平」

 柔らかく微笑み、京介は言う。

「お前と友達でよかったって心から思うのは、これが三回目くらいだ」

「なにその地味にリアルな数字!」

 こんなときでも律儀にツッコミは忘れない。

 お互いにくすくすと笑い合って、それから潤平は、

「朧の話、聞かせてくれるか?」

「ああ、全部話すよ」

 嘘をつかなくていい。何も隠さなくていい。どんなことでも受け入れてやる。そう語る潤平の表情を見れば、京介は臆することなく、今まで秘めていたことを打ち明けることができた。


★★★


 その後はばたばたと騒がしかった。

 美波が連絡を入れた直後、竜胆が病室を訪れ、その後の後始末のことを教えてくれた。事件の首謀者を、詳しい調査もしないままに殺害してしまったことについて、魔術師中央会が文句をつけてきそうな気配があったらしい。だがそこは、竜胆が営業スマイルを貼りつかせた顔で「そもそもあんたらが逃がしたからこんな面倒なことになったんだろうが」と遠慮なく糾弾して乗り切ったらしい。

 そんな話をしていた時に、歌子と紅刃が病室に駆け込んできた。「どうしてよりによって私たちがいないタイミングでぼろぼろになってるのよ!!」と泣きながら怒っていた。どうしてという理由を分析するなら、京介の作戦――先手を打って中央会にいる可能性のある裏切り者を潰しておくという策が完全に裏目に出たせいである。歌子はひととおり京介の不手際について説教し、それ以上の勢いで京介を心配する言葉を連ねた。怒ったり泣いたりと忙しく百面相をする歌子に、京介は苦笑するばかりだった。

 そして夜も更け、見舞客たちは帰って行った。

 京介はそっと右手の契約紋を掲げる。勝手に現れるのが得意なはずの彼女は、来てくれなかった。待っていても埒が明かないと、京介は名前を呼ぶ。

「おいで、芙蓉姫」

 契約紋が淡い光を放ち、暗い病室に妖艶な華の如き女、芙蓉姫を呼び寄せた。

 ベッドの傍らに立つ芙蓉は、珍しく文句も何も言わない。じっと無表情に京介を見つめ、京介の言葉を待っていた。いつも命令をきかない彼女が、命令を待っているなんて貴重なことである。

「世話をかけたな、芙蓉。助けてくれてありがとう」

「開口一番に礼か?」

「おかしいか」

「最初に言うべきは恨み言じゃないのか。今回の件は私の不手際だった。みすみすお前に重傷を負わせたし、その後の始末も、とてもスマートとは言えなかった」

「もしかして、それを気にして顔を見せに来なかったのか?」

「馬鹿な。普通の式神は召喚されなければ現れないものだ」

 どの口が自分を普通の式神などと言うのか。小さく吹き出すと睨まれた。

「お前は……怒っていないのか。お前は止めたのに、私が雲雀を殺した」

 やはり気にしていたのか、と思いながら、京介は応える。

「怒るわけないよ。俺のために、怒ってくれたんだろ、芙蓉?」

「自惚れるな。別にお前のためというわけではない。ただ……」

 そこで芙蓉は一旦言葉を切る。言おうか言うまいか迷っているように見えた。視線で促すと、芙蓉はやがて溜息交じりに呟く。

「あの時ああしていなければ、きっと私は私を赦せなかっただろうから」

「自分を赦せない、か」

 どんなに上から目線で、高飛車な女王様で、ふだんは命令なんかロクにきかない問題児でも。

 それでも、芙蓉は式神だ。

 主を傷つけられて黙って見ていたのでは、式神としての矜持が赦さないのかもしれない。

「私はお前ほど優しくないし、器用でもない。刃向ってくる敵にまで情けはかけられない。お前はあの式神のことを悔いているかもしれないが、私は後悔していないし、また同じようなことがあれば、同じように敵を屠るだろう」

「正直だな」

 京介は苦笑する。そう迷いなく言い切られると、複雑な気分だ。

「だが、京介、そのことでお前が心を痛める必要はない。それだけは、言っておく」

「芙蓉……」

「お前は優しすぎる。誰にでも、それこそ敵にまでも、手を差し伸べる。守ろうとして、責任を負おうとする。本当はそんな必要はないはずなのに。敵には敵の事情があり、いつでも和解できるわけではない。どうしようもなく対立して傷つけることがあったとしても、それはお前の伸ばした手を振り払った相手の責任だし、実際に手を下した私の責任だ。何でも背負込むのはお前の悪い癖だ。

 それをやめろとは言わない。やめろと言ってきっぱりやめられるくらいなら苦労はないからな。それが、お前という人間なのだろう。だからこそ、私はお前の式神になったわけでもあるし……」

 どこかで聞いたことがある言葉のような気がした。少し考えて解った。

 潤平だ。潤平が言ってくれたのと同じことを、芙蓉も言ってくれている。

 京介の大切な仲間たちは、揃って京介を優しい人間だといい、だからこそ仲間になったのだと言う。

 そしてかつて、朧も京介を、優しいと言ってくれていた。

 芙蓉が徐に手を伸ばし、京介の頭の上に置く。剣を持たない彼女の手は、驚くほど優しく、頭を撫でてくれた。

「だが、自分一人だけで傷つかなくていい。一人だけで背負込まなくていい。他人の責任まで勝手に肩代わりするな。

 お前が俯いていても、明日は変わらずやってくるぞ。早く顔を上げろ、京介」

 潤平と、そして芙蓉の言葉は不思議だ。肩にのしかかっているように感じた重圧を――罪悪感や自責や、いろいろな、重苦しい感情を、軽くしてくれた。重圧をそっと取り除いてくれる、というのとは違う。「一人で抱えていないでこっちにも寄越せ!」と言わんばかりに強引に奪っていくのだ。

 京介はゆっくりと視線を上げて、芙蓉と目を合わせる。

 ふだんは式神らしいところは全然なくて、式神であることを忘れかけてしまうけれど、いざというときはこうして支えてくれる。

 芙蓉姫は間違いなく京介の式神なのだと思える。

 大切な友達がいて、大切な相棒がいて。仲間たちが心強い声をかけてくれる。

 俯いてばかりではいられないと思わせてくれる。また、顔を上げて歩き出せる気がする。

 不本意に終わった結果、失くしてしまった妖たち――それらを決して忘れてはいなしい、忘れてはいけないことだとも思う。だけど、ほんの少しだけ、記憶の片隅にそっとひそめておく。誰にも脅かされることのない箱の中に入れて封じておく。忘れるわけにはいかないけれど、ずっとそれだけに囚われてもいられないから、苦い記憶は今だけ奥底に閉じ込めておく。

 明日からまた顔を上げるために。

「なあ、芙蓉」

「何だ」

「明日からも、ついてきてくれるか?」

 僅かな不安に気づかれないように問いかけると、芙蓉は小さく笑って応じる。

「さっさと歩き出せ。さもなくば、隣で私がお前を蹴飛ばすぞ」

 彼女らしい言い様に、京介は穏やかに笑った。



 後悔と、つらい過去にはしばしの別れを告げる。

 明日、大切なものを確かに守るために、顔を上げる。

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