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刺客は過去から来る(7)

 雲雀はデタラメに杖で殴りかかる。そして巧妙に、幻術を織り交ぜている。距離感と方向感覚を狂わせて、京介の攻撃の精度を下げ、防御に隙を作ろうとするのが、雲雀のやり方だった。自分の力の弱さ、攻撃の拙さを幻術で補っているのだ。

 だが、出方が解っているなら、それに踊らされはしない。タネは解っている、京介は「視る」だけだ。幻術を使ってくるタイミングは、黄色い光――雲雀の妖気の流れが教えてくれる。ゆえに、雲雀の攻撃は、京介には当たらない。それにもかかわらず雲雀との攻防が長引いているのは、京介が雲雀の攻撃を避けるばかりで、自分からは決定的な一撃を入れようとはしていないからだ。長引く戦いのせいで稀眼を使いすぎているのは解っていた。頭は痛いし消耗も激しい。だが、雲雀を力で押し潰す気にはなれなかった。

 京介は説得を続けていた。

「雲雀、止まれ。俺はお前と戦いたくはない」

「黙れ! 君になくても、僕には君を倒す理由がある。ご主人の敵で、朧の仇だ」

「雲雀!」

「全部……全部嘘だったんだな!? 朧と友達だっていうのも嘘で、何も知らないふりして……ほんとは全部解っていたのに。僕のことを馬鹿にして嗤っていたんだろう!」

 雲雀の悲痛な叫びに、京介は苦しげに表情を歪める。

 嘘ではない。朧は大切な友達だ。だが、そんなことを言葉にしたところで何の証明になるか。雲雀を止める力は、京介の言葉にはない。雲雀にとっては葛蔭の言葉こそが絶対であり、京介は雲雀の信頼を得るようなことを何一つしていない。

 それどころか、朧の死の真相を知っていながら誤魔化したのは事実だったのだから。

 とても、言えなかった。朧の死がどんなに無残なものか知っていたから。妖に襲われて死んだのだと、雲雀がそう思っているなら、そのままにしておいたほうがいいとさえ思った。

 だが、自分が下手に誤魔化したせいでこうなってしまった。自業自得でもある。その自覚があるから、自責と罪悪感に縛られて、雲雀と戦うことを躊躇っていた。

 そんな京介を叱責する声が飛んでくる。

「京介! 目の前のそいつは『敵』だぞ!」

 芙蓉姫の声を背中で聞き、はっとする。

 守るべきものは選べ、いつからお前は「敵」を守れるほど強くなったのだ、と芙蓉が言っている。

 何を守るのか、誰のために戦うのかを、間違えてはいけない。今、京介がやるべきことはただ一つ、潤平と美波を守ることだ。敵として立ちはだかり牙を剥く相手のことまで思いやっている余裕などない。敵さえも守ろうとするのは傲慢で、そんなことを本当にできると思っているならただの思い上がりだ。

 すっと目を細める。

「はああッ!」

「……刈夜叉!」

 喚きながら杖を振りかぶる雲雀。京介は刈夜叉を喚び、両手で握りしめた刀で、隙だらけの雲雀の得物を吹き飛ばす。呆然とする雲雀の脚を払い、べちゃんと尻餅をついたところで、喉元に切っ先を突きつける。ひっ、と短い悲鳴が漏れた。

「退け、雲雀」

「まだ……まだ、終わりじゃない!」

 雲雀は刈夜叉の刃を掴んで切っ先を逸らす。自分の手が切れるのもお構いなしだ。その覇気に怯みそうになる。だが、雲雀が立ち上がり京介に殺意をぶつけてきたことで、京介の方も迎え撃つ覚悟がいよいよ決まる。左手で呪符を弾くと、素早く呪を唱えた。

「烈火現界、炸裂せよ!」

 ふだんよりも威力を抑えてはあるが――それは雲雀を気にかけてというよりも、純粋に魔力を消耗していたせいだが――決して軽くはない爆発が起き、雲雀の小柄な体を爆風が吹き飛ばす。床に転がり呻く雲雀に対して、次の一手をどうすべきか僅かに迷っていると、

「鋼の刃よ、切り刻め!」

 虚を突くように葛蔭が叫んだ。葛蔭の周りに浮かび上がる幾本もの銀色のダガー。尖った刃が狙っていたのは京介ではなく潤平たちの方だった。この期に及んで、葛蔭はまだ潤平と美波を傷つけようとする。

 怒りが爆発しそうになるのを理性で抑え、潤平たちを振り返る。

 潤平は美波を庇うように前に出る。男らしいしシスコンらしい行動だが完全に震えている。

 だが、潤平が怯える必要はなかった。二人の守りを託した相手は、最強の女王様なのだから。

「――そんな豆鉄砲が通じるとでも思ったか、三流小悪党めが」

 そう吐き捨てると、芙蓉はぱちんと指を鳴らした。

 瞬間、潤平たちに向かって飛来したダガーが一斉に床に落ちた。何か見えない力で、強引に叩き落されたようだった。

「何だ、今のは……いったい、何者だ、あの式神は!」

 目論見が外れたことで、葛蔭は悔しげに吠えた。

 やはり芙蓉に任せてよかった。これなら大丈夫だと安堵すると、京介は葛蔭に向き直る。自分の手で殺してやりたいという激しい衝動はない。ただ、これ以上彼を放置することはできないという思いが静かに沸き立っている。

 きっと葛蔭は諦めないだろう。何度でも京介の大切な仲間を傷つけようとする。奪おうとする。

「もう繰り返させはしない」

 京介は刈夜叉を手に葛蔭に迫る。葛蔭は、雲雀から妖力の供給を受けて僅かに回復していたようだが、それでも全快とは言い難いし、無限に力を吸収できるわけでもないらしい。喚く力はあっても、京介とやりあう余力はないらしく、壁に凭れたまま動けないでいる。

 葛蔭の前に立ち、京介は刀を握る手に力を込める。

「殺すのか、俺を? 私怨に駆られて、激情のままに殺すのか。自分のエゴのために邪魔者を消すなら、それは俺と同じだ」

「お前と一緒にするな。私怨なんかじゃないし、誰かに責任を押しつける気もない。ただ、お前はのうのうと生きるには罪を犯しすぎたし、放っておくには危険すぎる」

「後顧の憂いを断つ、か。ふはは……いいぜ、やれよ。だがお前は後で苦しむぞ。結局、仲間をだしに使って復讐しただけだと気づくぞ」

「仲間を言い訳には使わない。俺の罪は俺だけのものだ」

 京介の決意が揺るがないと見ると、腹を決めたのか、葛蔭は目を閉じた。

 その時、

「やめて!」

 掠れた声で叫びながら雲雀が割って入った。

「雲雀」

 そいつは守る価値などない男だと言ってやりたかった。だが、言えなかった。

 両手を広げ立ちはだかる雲雀は、涙ながらに訴える。

「ご主人を殺させたりしない。もう君に、僕の大事な人を奪わせたりしない! ご主人は、僕が守る」

 守るべきものを間違えてはいけない。雲雀は敵であり、敵ならば、刃向ってくるならば戦うしかない。

 だが、雲雀はただ主人を守ろうとしているだけだ。式神として当然のことをしているだけ。葛蔭によって捻じ曲がった真実を伝えられているとしても、その想いは純粋で、自分が守ると決めた主を守り、友達を奪った京介を敵と見なしている、それだけのことだ。

 それを、ただの敵として切り捨てることは、京介にはできそうになかった。

「やめろ、雲雀。俺にこれ以上惨めな思いをさせるなよ」

 葛蔭が諦念の混じった声で煩わしそうに吐く。

「仇に情けをかけられてたまるかよ。どうせこのざまじゃ、万が一生き残れたとしたって、この先に待ってるのは不自由な人生だ。だったら生きたって仕方がねえ。死んでやろうじゃねえか」

「嫌だ……僕はそんなの、嫌だ」

 背中に主を庇いながら雲雀は叫ぶ。

「やっと見つけたご主人だ! 絶対に守ると決めたんだ! 惨めだっていい、主の命を守れるなら、惨めだって汚くたって、なんだっていい!」

 涙で滲んだ声で、雲雀は言う。雲雀からはいつの間にか戦意が失われ、口をついて出てくるのは哀願の言葉ばかりになっていた。

「ご主人を殺さないで……助けてよ、京介」

「……」

 三年前の因縁の相手。今もまた友達を危険に晒した危険な相手。放っておいてはいけない。解っている。それなのに、式神の涙に絆されて、情に流されようとしている。

 後ろで聞いているはずの芙蓉は、今度は何も言わない。叱責は飛んでこない。彼女も解っているのかもしれない、自分の主人が、とことん甘い奴だということを。そして、好きにしろとでも思っているのかもしれない。芙蓉が呆れたように肩を竦める姿が目に浮かんだ。

 深く溜息をつき、京介は刈夜叉を仕舞う。雲雀が潤んだ瞳を見開いた。

「……魔術師中央会に引き渡す。二度と出て来れると思うなよ、葛蔭」

 それで本当にいいのかは解らない。朧は浮かばれないかもしれないし、被害に遭った潤平や美波は納得しないかもしれないし、芙蓉は相変わらず甘いと馬鹿にするかもしれない。

 だが、京介から復讐心を抜いたら、残るのは、神ヶ原の退魔師としての使命感と超がつくほどのお人よしぶりだけだ。それらが、殺す必要はないと訴える。歯止めをかける。止まれないと思っていた京介を、止めてくれる。

 そして芙蓉姫の言葉が、心強い味方になってくれる。

『お前がこの地を守るために戦う魔術師であり、仲間のために戦うお人よしな馬鹿だから式神として付き従ってやっているのだ』

 ここで殺してしまったら、それはたぶん、芙蓉姫がついてきてくれる自分ではないし、潤平や美波に誇れる自分でもなくなってしまうだろう。

 刃を収めた京介を見つめ、雲雀が微笑みを漏らす。

「京介、助けてくれるの? 殺さないでくれるの?」

「ああ」

「……ありがとう、京介」

 雲雀は無垢な笑みを浮かべ、その拍子に涙が流す。

 主人のために泣き、命を懸けて守ろうとする。葛蔭のような男にはもったいないくらいの献身ぶりだった。

「ありがとう……ごめんなさい……ありがとう……」

 子どもみたいに泣く雲雀の姿に、京介の中にあった激情が、蝋燭の火をふっと吹き消すかのように静かに消える。決して最善ではないかもしれないが、最悪でもないはずの幕切れを、京介は受け入れ――




 俄に胸が熱くなる。

 それは――雲雀の主人に対する献身に心を打たれたとか、そういう精神的なものではなく。

 もっと生々しくて、痛くて、焼けるような肉体の熱さだ。

 自分の体を見下ろす。ぐにゃりと視界が歪む。見えていなかったものが、保護色を解かれて姿を現していく。自分の胸に突き立てられたナイフを、見た。

「――ッ!」

 雲雀は笑っていた。涙ながらに浮かべていた儚げな微笑みは、しかし、次第に狂ったような黒い笑みに変貌していく。

「ふふ……は、あははは……やった、やったよ、あはは! ねえ、ご主人、僕のこと褒めてくれるよね?」

 言いながら、流れるような手つきで雲雀はナイフを抜いた。途端に血が溢れていく。生命力が流れ出していく。力が抜け、がくがくと体が震え、京介は膝をつく。

 想像していなかった裏切りに、京介は愕然としていた。鈍った思考が現実に追いつかない。間抜けなことに、まだこれが何かの間違いだと信じたがっている。しかし、その現実逃避じみた考えを切り捨てるように、葛蔭の哄笑と雲雀の嘲笑が重なり合って響く。

「はははは! よくやった、雲雀! 思った通り、最後の最後で甘さを見せたな、不破京介!」

「やった……ご主人を守れた。そして、ようやく君のために復讐を遂げたよ、朧」

 悲願を達成した充足のためか、雲雀の表情には恍惚に似た色が浮かんでいる。

「ねえ、京介、僕が君を、そして朧が君を、赦すはずがないだろう。それとも、赦されると思った? そんなはずない、全部君が悪いんだからッ!」

 雲雀は血にまみれたナイフを振りかざす。

 突き刺さるような強烈な殺気に気づき、京介は襲い来る苦痛に耐えながら声を絞り出す。

「やめろ……」

 雲雀はそれを聞いて、いっそう高々と笑い、京介を見下した。

「命乞い? 無様だね、京介! みっともなく許しを乞うたって、僕は赦してあげないよ。とどめをさしてあげる!」

 閃く凶刃、豹変した雲雀、勝ち誇る葛蔭――それらを見つめて、京介は懇願する。

「やめ、て」

 ――殺さないで。

 雲雀がナイフを振り下ろす。

 京介を殺そうとする。

 ――頼むから、殺さないでくれ。

 最後の望みを懸けて、京介は叫ぶ。

「やめてくれッ、()()()!!」



「その命令はきけない」



 ざんっ、と。

 雲雀の首が撥ね飛ばされる。

 元々相手は人形か何かだったのではないか。そんなふうに錯覚してしまうほど、あまりにも抵抗なく、あまりにもあっさりと、頭部が落ちた。だが、作り物ではない。雲雀は確かに生きていた。そして今は、疑いようもなく、絶命している。芙蓉姫が振るう黒い剣が、赤く血で濡れていた。

 間に合わなかった。彼女を、止められなかった。目の前で雲雀は殺された。

 それもこれも、すべて自分の無力さが原因だと思うと、哀しみと虚しさがこみあげて、涙が浮かんだ。

「な……え……?」

 葛蔭は何が起きたか解らず呆然としている。そんな葛蔭に、芙蓉は足早に歩み寄る。

「私は京介ほど甘くない」

 淡々と告げると、芙蓉は黒曜剣を葛蔭の胸に突き立てる。それであっさりと、葛蔭は動かなくなる。

 現実感がなくなるような光景だった。芙蓉はとても簡単に、躊躇いなく、敵を屠った。最初からこうしていればよかったのに、と言わんばかりに、強制的に、救いようのない方法で、取り返しのつかない方法で、すべてを終わらせた。

「芙、蓉……」

 かろうじて名前を呼ぶと同時に意識が遠くなり、京介はぐらりとよろめく。倒れかけた京介を芙蓉が支え、抱き上げる。

 だらりと力なく腕を落とし、苦しげに呼吸をする京介を、芙蓉は無表情に見下ろしていた。

「すまなかった、京介」

 そんなことを、芙蓉は言う。

 彼女の謝罪は何に向けたものだろう。

 京介の命令をきかなかったことか。

 京介が決着をつけるべき戦いに踏み込んだことか。

 京介に手傷を負わせたことか。

 それとも――復讐を止めたこと?

 まるで――復讐を止めなければよかったと。京介に最初から葛蔭を殺させておけばよかったと。歯止めをかけるべきではなかったと。そうすればこんなことにはならなかったのにと。そう言っているように聞こえた。そんな虚しいことを言わないでくれ、と京介は思う。

「ふ、よう」

「もう喋るな、京介」

 京介は芙蓉の腕の中でゆるゆると首を振る。

「お前は……間違ってない。間違えた、のは、俺だ」

「京介」

「……俺が……朧を殺した」

 それが間違いの始まりだった。そう思いながら、京介は目を閉じる。



 溢れ出る血は、止まらない。

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