刺客は過去から来る(6)
圧縮された炎の砲弾は、熱と圧倒的質量とを以て葛蔭を吹き飛ばす。壁に打ちつけられながら、葛蔭はその身を焼かれた。魔力による身体の強化を以てしても、その灼熱を防ぐことはできず、紅焔に煽られながら葛蔭は呻き声を上げていた。
やがて術が効力を失い炎が掻き消えると、葛蔭はぼろぼろになりながら床に崩れ落ちた。それを京介は冷たく見下ろす。とどめを刺し損ねたな、と思うのと同時に、葛蔭の指がぴくりと動く。
「ぐ、がっ……く、そがぁ……よくも、やりやがったな……」
地獄の底から這い出してきたような恨みの籠った声で吐く。だが、次の瞬間には引き攣った笑声を上げていた。喉をやられているのか途切れ途切れだったが、明らかな嘲笑だった。
「ざ、残念だったな、不破……俺はこうして、まだ生きてる。だが、代償に、お前は地に堕ちた。仲間を、見殺しにしたぞ」
言いながら、葛蔭は体を起こす。そうして顔を上げると、葛蔭の目には勝ち誇ったかのような色が浮かんでいる。
「お前は、また失ったな……お前のせいで、また、死んで……」
しかし、言いかけた言葉が止まった。
葛蔭は目を見開く。
「そんな、馬鹿な……」
思わずといったふうに漏らした言葉は、ひどく掠れていた。
★★★
「……芙蓉、俺は今気が立っているんだ。後悔しても知らないぞ」
京介は怒鳴りつけたくなるのを必死で抑えて告げる。対する芙蓉は冷めた調子で返す。
「させてみろ」
芙蓉が漆黒の剣・黒曜剣を抜く。京介は刈夜叉を抜く。
同時に振り下ろされた刃がぶつかり合い、部屋がびりびりと震えた。
だが、鍔迫り合いにはならなかった。ふだんは芙蓉が程よく加減をしてくれるおかげでいい勝負になっていたが、芙蓉が本気になれば京介では勝負にならない。刈夜叉は一瞬で弾き飛ばされ、部屋の壁に突き刺さる。焦燥した京介が呪符を取る暇もなく、芙蓉は京介を殴り飛ばした。
後ろにあった卓袱台に背中を打ちつけ、周りにあったものを散らかしながら倒れる。唇が切れた。血が流れるのを手で乱暴に拭い、京介は悔しげに芙蓉を睨み上げる。芙蓉は小さく鼻を鳴らし、
「頭を冷やせ、バカ主」
そう罵った。
「葛蔭を殺しに行くと言ったか? 笑わせてくれるな」
「……冗談を言ったつもりはないぞ」
「いつものお前なら、『友達を助けに行く』と答えたはずだ」
「!」
虚をつかれた。そしてようやく、芙蓉が自分の前に立ちはだかった理由を知った。
「私はつまらん私怨なんぞのために、お前を稽古してやった覚えはない。お前がこの地を守るために戦う魔術師であり、仲間のために戦うお人よしな馬鹿だからこそ、式神として付き従ってやっているんだ」
「……全然、従ってないくせに」
漏らした皮肉は力ない。
京介はくしゃりと前髪を掻き上げる。深く溜息をつき、荒ぶる気を鎮める。
憎しみに突き動かされ、復讐に取り憑かれて、それで何になるというのか。失ったものは取り戻せないし、どうせ殺したところでこの恨みが晴れることはない。今再び大切な仲間が危機にさらされている。怒りに我を忘れて足を掬われれば、救えるものだって救えない。
優先すべきは何か。目的は何か。
葛蔭と戦うのは何のためか。それは晴れるはずのない憎しみを晴らすためではない。
ふと思い出されるのは、かつて敵対した妖の哀しげな言葉だ。
『俺にさせたいのは、復讐の手伝いか?』
『いいえ。彼らのような被害者をこれ以上出さないために』
彼女の原動力は醜い復讐心などではなかった。過去の傷を癒すためではなく、仲間の未来を守るための言葉を、彼女は口にしていた。
「……これ以上、悲劇を繰り返させないために」
それが、自分の戦う理由、意味。
ゆっくりとその言葉を噛みしめ、京介は立ち上がる。
「芙蓉、ごめん。俺が間違っていた」
「当たり前だ。いつだって私が正しい」
堂々と言い切る芙蓉に、京介は苦笑する。
「芙蓉。友達を助けたい。力を貸してくれないか」
そう告げると、芙蓉は不敵に微笑む。
「いいだろう。私にしては珍しく、お前を助けてやってもいい気分だ」
相変わらず上から目線に、芙蓉は告げた。
★★★
鉄格子に取りつけられた銃は間違いなく潤平と美波に照準していた。二人は拘束され動くことはできず、弾幕から逃げる方法はなかったし、実際、彼らは逃げていなかった。
「俺が友達を見捨てたように見えたか?」
不発ではなかった。銃は確かに火を噴いた。その証拠に硝煙がくゆっている。無数の弾丸が放たれた。しかしそれらは一発たりとも、二人に掠りすらしなかった。弾痕は潤平と美波を囲むように床に残っている。そこに見えない壁でもあったかのように、丸く円を描いて床にめり込んだ弾丸。潤平は凍り付いていて、さすがの美波も目を見開いて驚いているようだったが、間違いなく無傷だった。
「俺がお前をぶちのめすことに集中できたのは、怒りに我を忘れていたからじゃない。大事な仲間のことは、一番信頼できる奴に任せてあったからだ」
瞳に浮かんでいた冷たい色は鳴りを潜め、京介はふっと不敵に微笑んでいた。
カンッ、と固い足音が響く。潤平が音のした方――上を見て、慌てて目を逸らしていた。
鳥籠の上には芙蓉姫が仁王立ちしていた。ブーツの底で鉄格子を鳴らし、芙蓉は言う。
「人質に手を出したか。救いようのない下衆だな。抵抗できない相手を殺して何が面白いのか、私には理解できない」
「お……お前が、邪魔したのか! いったい、何を、したんだ……!」
葛蔭が忌々しげに芙蓉を睨む。鉄格子の中で起きた銃の乱射を、檻の外にいる芙蓉がどうやって防いだのか、葛蔭には解らないようだった。だが、それをいちいち説明してくれるほど、芙蓉は親切ではない。
「京介、とっととその煩い虫を捻り潰せ」
「お前、復讐なんかやめろって言った口で何を言い出すんだよ」
京介は呆れてしまう。芙蓉は軽く跳躍すると鳥籠の前に降り立ち、右手に剣を現した。それを無造作に横に薙ぐように振るうと、鉄格子が切断さればらばらと崩れ落ちた。芙蓉にかかれば、頑丈な鉄も鉛筆とさして変わりないだろう。
次いで芙蓉は剣先で手錠をコツンと軽く叩く。すると、手錠はあっさりと割れて潤平と美波を解放した。
戒めが解けるなり、潤平は立ち上がり京介の胸ぐらを掴んだ。
「きょーすけっ!」
行動は怒っているようにも見えるが、顔は半泣き状態である。
「俺は、お前が今までの数々の嫌がらせに対する報復として俺を見捨てたかと思った」
「嫌がらせが報復されるに足るものだって自覚はあったか」
「兄さん、これくらいのことでがたがた騒がないでください」
美波がスカートの汚れをぱたぱたと払いながら立ち上がる。兄と違って妹の方は動じなすぎて逆に恐ろしい。
「兄さん、京介さんの演技に気づいていなかったんですか」
「え? 何それ、知らないぞ」
「あの男が私たちに下手な手出しをしないように、あの男の狙い通りに復讐だけを考えているふりをしていたんですよ。結果として、あの男が思った以上のクズだったために撃たれそうになりましたが、そういう可能性も考えて伏兵もいたわけです」
伏兵とは芙蓉のことである。芙蓉は愉快そうに笑って京介に言う。
「京介、この娘はやたらと肝が据わっている上にクレバーだな。精神が不安定すぎてブレブレのお前とは大違いだ」
言い返せないのがつらい。
「京介さん」
美波が申し訳なさそうに俯く。
「ごめんなさい。結局私、あなたの足手まといになってしまいました」
「全然足手まといなんかじゃないよ」
「でも、京介さん、ぼろぼろです」
「こいつがぼろぼろなのはただの実力不足だ。人質がいたこととの因果関係はない」
京介が応える前に芙蓉がばっさり言う。まあ、概ねその通りなので京介は笑って肯定する。
「――何、笑ってんだよ、まだ、終わってねえだろ……!」
「っ、きょーすけ」
低く掠れた怨嗟の声に、潤平が小さく叫ぶ。振り返ると、葛蔭はまだ戦意を失ってはいなかった。
「力を寄越せ!」
唐突に、葛蔭が誰に対してか叫んだ。すると、苦しげだった葛蔭の表情に余裕が戻っていく。
まさか、と思って京介は一瞬だけ「眼」を使う。黄色い光の波が視える。どこからか流れてきたエネルギーを、葛蔭が吸収しているのが視えた。
「先にあちらを片づけておくべきだったか。雑魚だと思って油断したな」
芙蓉が何かを知っているらしく呟く。
「どういうことだ」
「気づいていなかったのか? 最初からここにはもう一人……奴の式神が潜んでいる」
「葛蔭に、式神が……?」
「知覚を狂わせる術は、そいつが使っていた――さっさと出てきたらどうだ?」
芙蓉が声を張り上げると、部屋の隅の方で景色がぐにゃりと歪んだ。やがてそこに人の姿が浮かび上がってくる。幻術で姿を隠していたらしい、葛蔭の式神は、ずっとそこにいたのだ。
現れた式神を見て、京介は絶句する。
「……残念だよ、京介。せっかく仲良くなれたと思っていたのに、まさか君がご主人の敵だったなんてね」
沈んだ声で告げながら歩み寄ってくる少年を、京介は知っていた。
「雲雀」
廃墟の西洋館で出会った少年、雲雀に相違なかった。雲雀は、昼間に会った時とは打って変わって、昏い目で京介を見つめている。
「雲雀……お前の主は葛蔭なのか?」
「そうだよ」
「なんで……そいつがどんな男なのか、知ってるのか。そいつのせいで、三年前に何が起きたのか」
「そんなの知らない。でもご主人は僕を必要だって言ってくれる。それだけでいい。それだけで、僕はご主人に尽くせるんだ」
「だけど、雲雀」
「京介、僕ね、今日君と会ったことを話したら、全部教えてもらったんだ。京介は昼間、僕には誤魔化したけれど、ご主人は全部教えてくれた。朧が、京介のせいで死んだんだって」
京介は息を呑む。葛蔭を見遣ると、歪んだ笑みを浮かべている。葛蔭が雲雀に何を言ったのかは想像に難くない。自分がやったことは巧妙に隠して、京介が朧を殺したのだとでも言ったのだろう。式神にとって主人の言葉は絶対だ、雲雀が葛蔭を疑う道理はない。
そうと解っていても、京介は悔しさで歯噛みする。
違う、と言いたい。朧が死んだのは葛蔭のせいだと言ってやりたい。
だが――
「ふん、馬鹿な式神め」
京介が言葉を発する前に芙蓉が吐き捨てる。
「そのクズ男にどんなデタラメを吹き込まれたか知らないが、うちのバカ主の敵に回るなら叩き潰すまでだ」
「やってみなよ。僕は確かに弱いけど、やるときはやる。ご主人は僕が守ってみせる」
雲雀は葛蔭が落とした杖を拾い上げる。火にまかれ焼け焦げてはいたが、得物としてはまだ使えると判断したのだろう。
芙蓉姫が黒曜剣を握りしめ前に出ようとする。京介はそれを制し、呪符を手にする。
「芙蓉、二人を頼む」
短く告げると、京介は襲いかかってくる雲雀に相対する。
視界の端では、葛蔭がせせら笑うのが見えていた。
「雲雀! そいつがお前の仇敵だ、殺せ!」
葛蔭の命令に、雲雀が加速する。彼こそが、葛蔭による復讐のための切り札に違いなかった。




