刺客は過去から来る(5)
京介が助けに来てくれるどころか味方であるはずの自分の式神と斬り合いを始めている頃、そうとは知らない潤平は、両手を拘束する手錠と格闘していた。
「くそっ、外れねえ!」
目が覚めると見知らぬ場所にいて、両手は背中側に回され、硬質な手錠で戒められていると解ったときには絶望した。手を動かしもがいてもがちゃがちゃと耳障りな音がするばかりだった。
帰り道で最悪なことに葛蔭悟に遭遇し、しかしそこから先の記憶が途切れて、気づいた時には拘束されている。どうやら気絶させられたらしいが、何をどうされたのか全くわからなかった。魔術でも使われたのだろうか。解っているのは、気を失って既に一時間以上経過しているということだけだ。
捕まっているのは、小さなビルのようだった。建設途中で放置されたのか、ワンフロアぶち抜きで、壁も床も天井も打ちっぱなしの灰色コンクリート。そこに、どうやったのかわざわざ電気を引いてきているらしい、天井にぶら下がる蛍光灯が煌々と白い光を放っている。
部屋の中央に設置された黒い檻、鳥籠のような形をした牢の中に、しかし閉じ込められているのは人間二人、潤平と美波である。両手を拘束する手錠が床に固定された鎖につながっているせいで、立ち上がることすらできない。しかも、鉄格子の一本一本に銃が取りつけられている。中に閉じ込められ動けない状態の人間を蜂の巣にするための構造にしか見えない。潤平たちを閉じ込め見世物にするためだけにこの籠を作ったのだとしたら、酔狂で悪趣味だと言うほかない。
隠し持っていたスタンガンやら木刀やらの得物は残らず取り上げられてしまっている。何の道具もない状態で、潤平は必死でもがいていた。
そんな潤平と背中合わせの状態で拘束されている美波は、潤平に遅れること数分ほどで目を覚ましたが、潤平のように見苦しく暴れることも恐怖で泣き叫ぶこともなく、憂鬱そうな溜息をつき、淡々とした調子で呟いた。
「支えになりたいだなんて言いながら、こうもあっさり捕まって人質にされてしまうなんて、情けなくて泣けてきます。兄さん、私もう舌噛んで死んでいいですか」
「オイやめろ美波! お前が言うと冗談でも本気に聞こえる」
「私がいつ冗談を言ったというのです」
「早まるな、大丈夫だ、きっと京介が助けに来てくれる」
「だから、それが嫌だから私は今のうちに潔く死のうと言っているのです。きっと京介さん、私たちを助けるために危ない橋を渡ることになるんですよ。私たちが人質になっている以上、京介さんは明らかに不利です」
「確かになぁ。『動いたら人質を殺すぞ』って台詞は使い古されてるけど、それだけ実効性があるってことだからな」
自分たちが京介の弱みとして使われるなんて最悪だ。潤平はげんなりと天を仰ぐ。
すると、くつくつと喉の奥で笑う声が聞こえてきた。視線を向けると、葛蔭悟が部屋の壁に凭れ腕を組み、愉快そうに笑っている。
「安心しろよ、そんなベタなことは言わないさ。そりゃあお前らを人質にして脅せば、奴は抵抗できないだろうが、無抵抗の相手を嬲っても面白くないからな」
「じゃ、なんで俺たちを捕まえたんだよ」
「お前たちは人質じゃない、ただの発火装置さ」
「どーいう意味だ」
「俺がお前たちに手を出したと知れば、あいつはキレる。憎しみで我を忘れる。三年前の恨みが再燃する。もう復讐のことしか頭になくなる」
「敵に復讐を決意させて焚き付けて? そんなことしてお前に何の得があるんだよ」
「復讐しようとしている相手に返り討ちに遭い完膚なきまでに叩き潰されるなんて滑稽だろ? あいつが立てなくなったところでお前たちを殺す。絶望した不破を最後に殺して大団円だ」
「三流の脚本ですね。とっととお隠れになればいいのに」
聞こえよがしに美波が言う。潤平は背中で聞いていて冷や冷やする。捕まってるんだから大人しくしていてくれ、と思う。
人質には使わない、なんて言っているが、なんだかんだで最終的には潤平と美波を殺すことが計画に組み込まれている。殺すことに躊躇はないということだ。いつ気が変わってもおかしくない。生殺与奪の権利は葛蔭にある。潤平たちは鳥籠の鳥に違いなかった。
どうする、と潤平は自問する。このままでは最悪の展開だ。どうにか逃げ出さなければならない。
しかし、それを考える余裕は、なかった。
こつん、と部屋に足音が響く。
「来たか……」
葛蔭が壁から背を離し、部屋の入り口を見遣る。潤平もつられてそちらを見る。
右手に刀を携えた京介が現れた。
★★★
芙蓉に手酷くやられた。唇の端は切れて血が出ているし、殴られた頬も腫れている。だが、そんな些細な痛みなど、即座に忘れる。芙蓉のことは黙らせた。京介は刀を握りしめ、葛蔭の元にやってきた。
冷たい瞳で葛蔭を睨む。潤平と美波が心配そうな表情で京介を見つめ固唾を呑んで見守っているのだが、京介はそちらを見なかった。葛蔭という仇敵の姿だけを、瞳に映す。
「よお、待ちかねたぜ、不破。こうしてまともに話をするのは三年ぶりだな。俺が居心地の悪い監獄にいた間、お前は随分楽しくやってたみたいだな……俺はずっと、お前への憎しみを抱いて生きて来たっていうのにさ」
そう言って、葛蔭は徐に右手を持ち上げ、己の顔面を掴む。ぐしゃり、と皮膚が歪む。本物の顔を覆っていた偽物の皮膚を取り払う。ひっ、と小さな悲鳴が聞こえた。葛蔭の恐ろしい形相に、潤平が慄いたようだった。
作り物のマスクの下から現れたのは、顔の右半分を覆う火傷の痕だった。爛れた皮膚を撫で、葛蔭は顔をひきつらせながら笑う。
「お前にやられた火傷が、疼いて疼いて仕方なかったぜ……なのに、お前ときたら」
言いながら葛蔭はちらりと潤平たちを一瞥した。
「ただの一般人なのに、魔術師のお前を心配してくれる可愛いお友達ができちゃったみたいで。腹が立って仕方がないからさぁ、お前の両手両足を折って抵抗できなくなった時点で、とりあえず女の子の方は裸にひん剥いてやるから楽しみに」
「葛蔭」
葛蔭の言葉を遮って、京介が低く問う。
「それが最期の言葉でいいのか?」
すると、葛蔭は愉快げに笑った。
「いいね、最高だ。そのぶっ飛んでる感じ! 燃えるような憎しみに身を焦がし、復讐に取り憑かれ、鬼に成り果てる。だがそうまでしても、結局お前は俺に勝てない。そういう構図が最高だ」
「勝手に吠えてろ、クズ野郎」
罵倒と共に京介は駆けだす。葛蔭はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら、懐から数枚の呪符を取り出す。黒い札に血のような赤い色で文字が書かれているそれを、葛蔭は無造作にばら撒いた。
「出でよ、『合成式神』」
床に落ちた呪符から式神が召喚される。それらは奇妙な姿をしていた。体は獣のようでありながら、頭は三つ又に別れた蛇だったり、狼のような体のあちこちから角や鰭が生えていたり、およそ自然界に存在するとは思えない生き物だ。
がくがくとぎこちない動きをしながら襲いかかってくるそれらを、京介は斬り伏せる。あっさりと切断される式神を見て、しかし葛蔭は表情を変えることはない。
「なあ、不破、そいつらがどうやって作られてるか教えてやろうか? 苦労したんだぜ! 牢屋を抜け出してから、そこらじゅうの雑魚妖怪どもをかき集めて、ぐちゃぐちゃに撹拌して作り直したんだ。よわっちいクズどもでも、こうすりゃちっとは利用価値があるかと思ってなぁ」
だが、と葛蔭は嘲笑する。
「結局、雑魚は雑魚だったか」
無残に解体される残骸を見下ろし、葛蔭は嘆息した。
「お前は迷いがねえなあ。おかわいそうな妖怪たちをあっさり斬り殺しやがった。俺を殺すためなら他の奴なんかどうでもいいってか」
葛蔭の言葉に京介の足が鈍る。刀を持つ手が怒りで震える。
キメラたちはただの被害者、それをお前は容赦なく殺したんだと糾弾されている。葛蔭に非難する資格などないことは解っている。だが、京介が躊躇することなく妖怪を見捨てたことは事実に違いなかった。きっと彼らは助けられない、そう決めつけて、言い訳して、助けることを放棄した。助けられないなら、式神たちは葛蔭を倒すにはただの邪魔でしかないと冷酷に断じて。
その酷薄さは、自分の実験のためなら妖怪たちを平気で利用して化け物に変えてしまった葛蔭と、どう違うのか。
だが、そこまで考えて、京介はそれを無駄な思考と決めて、放棄した。今は考えなくていい。敵を屠ることに集中しろ、と頭を振る。
しゅぅぅ、と不意に何か気体が漏れるような音が聞こえるのに気づく。見ると、合成式神の残骸から毒々しい緑色をしたガスが漏れ出していた。葛蔭が惑わせるような言葉を吐いていたのは、正体不明のガスが満ちる渦中に留まらせるためだったのだと遅れて気づく。
「焔々現界、焼却せよ」
呪符を繰り、キメラの死骸を焼く。発生したガスを巻き込んで小さな爆発が起きた。黒い爆炎が上がり、視界を遮る。
と、煙の壁を突き破って、葛蔭が飛び込んできた。手には身の丈ほどもある杖を握りしめている。それを鈍器のように振り下ろしてくる。
受け止めようと、刀を構える。杖と刀がぶつかる――そう思った瞬間、杖は刃をすり抜けて懐に飛び込んできたように見えた。
「!」
防御を抜けて振り下ろされた杖が京介の右肩を打った。
「く、っ……!」
骨がびしりと軋む。苦痛の声を噛み殺し一歩下がる。刀を持っていた右手がだらりと落ちびくびくと震える。
「ほらほら、どうしたぁ!」
勢いづいた葛蔭はめちゃくちゃに杖を振る。京介は刈夜叉でそれを捌こうとするが、痛めた右手では葛蔭の得物と競り合えるほどの力が入らない。受けるたびに刃は弾かれ、次の攻撃をなんとか逸らすくらいが関の山、葛蔭に一太刀を浴びせることなど到底できそうになかった。
京介は後ろに飛び退き一旦距離を置くと、刈夜叉をしまい、代わりに呪符を取った。
「焔弾現界、掃討せよ」
火焔の弾丸が無数に浮かび上がり、葛蔭に向かって直射される。葛蔭はゆったりと構え、杖をどん、と床に突き立てる。
その直後、弾丸はいっせいに着弾する――葛蔭を避けるようにして。
まるでモーセの如く、杖を立てる葛蔭を弾丸が裂けて行ったようにすら見える。周りの床が焼け焦げ抉られ、しかし葛蔭だけは無傷で立っている。
「おいおい、どこ狙ってるんだ?」
あの杖に仕掛けがあるのか、と考える。
葛蔭が魔術で弾丸の軌道を逸らしたのか。否、軌道はまっすぐだった。京介の火炎弾はその軌道を操作して誘導弾として使うこともできるが――歌子と戦った時はそれを使った――あらかじめ決めたとおりに直射することもできる。京介が使ったのは後者だった。それが外れたということは、最初から外れるコースで放っていたということ。杖はおそらくブラフだ。
「……」
そこまで一瞬で考えて、京介は一度目を閉じる。
次に目を開いた時、京介はもう一段階、眼を開けていた。魔力や妖気の流れを見極める稀眼だ。
葛蔭を凝視したまま、京介は呪符を弾く。
「焔々現界」
ぶわり、と体から放たれる火焔を纏い、京介は走る。それを、無策に突っ込んでくるだけと見たのか、葛蔭は笑いながら杖を振り上げた。
敵の間合いに入る。葛蔭が杖を振り下ろした。その瞬間、葛蔭の周りを黄色い光が流れるのが見えた。何かの術が発動している、そしてそれによって、景色がぐにゃりと歪んだように見えた。
「そういうことか」
口の端でふっと笑うと、京介は炎を纏った左手で、振り下ろされる杖を掴んだ。
「な!」
葛蔭が異様に驚いた顔をする。ただ攻撃を受け止めただけでこの驚きよう。自分の推測が正しかったのだと確信すると、京介は「眼」を閉じた。
鷲掴みにした杖に火が燃え移る。葛蔭は慌てて杖を手放す。そうしてできた、葛蔭の隙。京介は葛蔭の顔面に拳を捻じ込んだ。
大きく吹き飛ばされる葛蔭。だが、鼻っ柱を捉えたと思った拳は微妙に狙いが逸れ、葛蔭の頬を抉るにとどまった。葛蔭は一度は倒れたが、すぐによろめきながら立ち上がる。沈め損ねたことに京介は舌打ちする。
「く、くくっ……さすがは天才次期当主サマだ。俺の魔術のタネにもう気づきやがったか」
「幻術の類だろう。知覚を攪乱させ、距離や方向の感覚を惑わせる。だから俺の弾丸は、最初から何もないところを狙わされていた。受け止められると思った攻撃がすり抜けたように感じたのも、実際は攻撃の軌道を読み違えさせられていただけだ」
「ご名答」
「だが、攪乱できるのは僅か。誤差の範囲だ。お前を殴り飛ばせたのがその証拠だ。幻術の効果が強いなら、俺の拳は空を切ってる」
葛蔭は忌々しげに舌打ちする。図星のようだった。ならば、対応は簡単だ。
京介は呪符をまとめて大量に放る。威力を集約させるのだ。
「砲火現界」
右手を突き出すと、宙に魔法陣が浮かび上がる。
知覚攪乱の影響が誤差の程度なら、僅かな誤差が関係なくなるほどの広範囲を焼き尽くせばいい。広域殲滅のための砲撃魔術を起動する。葛蔭焦ったような顔をする。
「んなでかい術使ったら、魔力も底をつくぜ。外したら終わりじゃねえか」
「外さないさ」
迷いなく断言すると、葛蔭は舌打ちする。
「……あーあ、ほんとは使う気はなかったんだけどなあ」
さも残念そうなふうに声を上げると、葛蔭はポケットから小さなリモコンのようなものを取り出す。ボタンを押すと、がちゃがちゃと機械が作動するような音が響き、次いで「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえた。
視線をやると、鳥籠のような檻に囚われている潤平が恐怖で引きつった顔をしている。鉄格子に取りつけられている銃の銃口が、潤平と美波に向けられていた。
「計画が狂っちまった……だが、まあいいだろう。なあ、不破、俺が何を言いたいかは解るな? 術を解け。じゃなきゃ、お前のお友達は蜂の巣だ」
葛蔭は見せつけるようにリモコンを高く掲げる。
「き、きょーすけ……」
弱気な声を上げる潤平。それとは対照的に、美波は毅然と言い切る。
「京介さん、かまわずやってしまってください。あなたの足枷にはなりたくありません」
「美波!? いや、俺もそう思うけどでもやっぱり死にたくはないっていうか……」
「私は覚悟を決めています。兄さん、ぐだぐだと男らしくないですよ」
「うぅぅ」
二人のやり取りを一瞥すると、京介はすぐに葛蔭に向き直る。その様を見て、葛蔭は大きな口を開けて笑った。
「あははっ! 復讐のためなら友達も見捨てるのか! 最高に狂ってるな、お前! お前は俺と同類だよ!」
あからさまな挑発にも、迷う素振りすら見せず、京介は術に集中した。葛蔭がわずかに顔を歪ませる。
「……いや、お前、俺よりクズだな。ははっ、いいぜ、お望み通り、蜂の巣にしてやるよ! お前のその選択の意味を、思い知らせてやるよ!!」
葛蔭がスイッチを押す。それと同時に、京介は叫ぶ。
「――殲滅せよ」
銃が乱射される音と、炎の砲撃が放たれるのは、同時だった。




