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刺客は過去から来る(2)

 おかしい、と歌子は思う。

 新学期が始まった。始まったと思ったらいきなり実力診断考査が待ち構えていたのには業腹だが、それは乗り切ったからまあいい。結果は多分あんまりよくないだろうが、まあいい。

 問題なのは、実力考査を乗り切ったと思ったら季節外れのインフルエンザを理由に新学期早々連続で学校を欠席している不破京介である。

 可愛い新入生として先輩を弄り倒してやろうと三年の教室に遊びに行ったら、京介は休みだった。気を取り直して突撃した翌日も、京介は休みだった。理由を聞いたら、インフルエンザと聞いている、などと担任は言った。絶対に嘘に違いない、と歌子は直感した。というかお前も嘘だと気づけよこの鈍感、と担任教師の間抜けぶりを内心で罵倒もした。

 その日の放課後、前にも一度押しかけたことのあるアパートに向かった。なぜか留守だった。

 そして、翌日、つまり今日である。放課後になるや、歌子は正門前で憤慨していた。

「おかしいおかしいおかしいっ! なんでいないわけ、京介君はッ!」

 魔術師か妖怪絡みで何かが起きているに違いない、と思う。だが、それならなぜ自分に知らされないのか。もともと、神ヶ原で起きている不穏な動きに不破家と連携して対処するように、との理由で、歌子は派遣されたのだ。だというのに、明らかに現在進行形で問題が起きていそうなのに情報が共有されるどころか本家次期当主が行方をくらませているとはどういうことだ。ちなみに、現当主・不破竜胆には電話がつながらなかった。

「不破家め……私に隠し事とはいい度胸じゃないの。舐めているわね、完全に私を舐めているわね!?」

 こうなったら自力で京介を見つけて首根っこ引っ掴んで洗いざらい白状させるしかない。

 しかしそう決意したはいいが、どうやって京介を探そうかと歌子は思案する。簡単に人探しができるような便利な魔術はない。魔術に頼らず科学で――すなわち、GPSで追跡とか、そういうことは理論上可能なわけだが、そういった知識や技術も、歌子にはない。

「くっそぅ……いきなり手詰まりなんて、そんなのってないわ。なにか、なにか方法は……」

 イライラしながら足をトントン鳴らして考えていると、

「――ったく、きょーすけの奴、三日連続でズル休みたぁ、いい度胸じゃねえか」

「やはり何かが起きているようですね。京介さんを探すべきです」

「けど、どうやるんだ、美波?」

「何とかしてみせますよ。兄さんとは頭のデキが違いますからね」

 そんな声が聞こえてきて、歌子ははっと後ろを振り返る。男女二人組が正門を出てきたところだった。そのうち男子生徒の方は知っている顔だ。京介と一緒に歩いているところを見たことがある。おそらく京介のクラスメイトだ。

「魔術だか妖怪だか知りませんが、私たちは一般人らしく科学による正攻法で京介さんを追い詰めましょう」

「追い詰めてどうすんだよ」

 意気揚々と歩き出す京介の友人と、その妹らしき女子生徒。しかもどうやら、京介の裏事情を知っている様子だ。

 歌子はその背中に向かって慌てて声を上げる。

「――ちょっとストップ! 私も交ぜて!」


★★★


 ズル休み生活三日目。受験生のやることじゃないな、と思いながら、しかし京介は抱えている案件が片付くまで高校には行けないだろうな、と考えていた。

 葛蔭悟が復讐に来る可能性がある。高校にいるときに押しかけられでもしたら無関係な生徒たちを巻き込みかねないし、魔術師であることを隠す必要がある以上後手に回ってしまう。ゆえに、しばらくはインフルエンザを理由に休んでおこうと決めた。葛蔭の復讐が、京介が高校を休むことを見越しての、出席日数不足で留年させることだとしたら、まんまと敵の術中にはまっていることになるが、葛蔭の狙いはそんなヌルいものではないだろう。

 さらに面倒なことに、アパートにも戻れない。そろそろズル休みが歌子にばれた頃だ。歌子が部屋に押しかけてきたら無理矢理事情を白状させられるに違いない。だがこの一件は、できることなら自分で片を付けたい。歌子とは鉢合わせしないようにするしかないだろう。

 学校にも自分の部屋にも戻れない状態で、京介は葛蔭悟の居場所を探していた。

 神ヶ原に葛蔭が来ていることは解った。わざわざ宣戦布告していったということは、まだ神ヶ原のどこかにいるはずだ。魔術師中央会の追っ手から逃れ、どこかに潜み、復讐の機会を虎視眈々と狙っているのだろう。だが、それだけとは思えない。また、三年前のように何かを企んでいる、と考えた方がいい。

 父・葛蔭亮と同じく、葛蔭悟は「実験」と称してロクでもない企てをする男だった。脱獄した葛蔭悟が何かの「実験」をしようとしているなら、どこかに拠点、研究所のような場所があるはずだ。そう踏んで、京介は葛蔭の隠れ家を捜し歩いていた。

「……さすがに、ここにはいないか」

 京介が訪れていたのは、三年前に葛蔭が拠点にしていた場所――神ヶ原市北部、鬱蒼と茂る森の中にひっそりと建つ、赤レンガ造りの廃墟である。地上二階、地下一階の西洋館で、近所に民家はなく、人目を忍んで後ろ暗いことをするにはうってつけの場所だったようだ。しかしそうはいっても、三年前に摘発された場所に舞い戻ってくるはずもない。念のため、と思って来てみたが、空振りだったようだ。

 赤レンガの壁は、三年前に見た時よりもさらに汚れ、古びたように見える。あの時の光景を、京介はまだ覚えている。忘れられない、苦い記憶だ。

「葛蔭……」

 すべての元凶である男の名前を呟けば、思考が過去の記憶へと沈み込んでいこうとする。

 その時、ざりっ、と砂利を踏む音が聞こえ、京介ははっと後ろを振り返る。

 こんな、森と廃墟しかない場所にいったい誰が、と見ると、そこには一人の少年が立っていた。

 京介に向かって不思議そうな視線を投げかける少年は、妖だった。廃れたジーンズに、襟のよれたTシャツ、紺色のパーカーを着た少年で、人間でいうと中学生くらいの外見をしている。

「びっくりした……こんなところに人が来るなんて、めずらしいなぁ」

 言いながら、少年は廃墟に向かって歩いてくる。その手には花束を抱えている。

「……その花は」

 何より先に、京介はそう訊いていた。

 少年は哀しげに笑って答える。

「ここは、友達が死んだ場所で。お墓とかないから、ここに花を供えるんだ」

「その友達は、妖か」

 少年はぱちぱちと瞬きする。

「ああ……じゃあ、君は魔術師か」

「その友達の、名前って」

 躊躇いがちに問うと、少年は答える。はたして、その名前は京介が想像した通りのものだった。

オボロ



 少年は、雲雀ヒバリと名乗った。

「僕と朧はよく一緒に遊んでたんだ。あんまり大きな声じゃ言えないけれど、人間を化かしてね」

 雲雀は悪戯っぽく笑う。

「道にね、迷わせるんだ。なぜか目的地に辿り着けなくて人間がぽかんとしているのが面白くって。実際には、幻術で方向感覚と距離感を狂わせて同じ道を行ったり来たりさせてるんだけど……あ、勿論ほどほどにね」

「そんなことをしてたのか」

「今はしてないけどね。朧と一緒だったから楽しかったんだ。一人じゃ……一緒に笑い合う相手がいなきゃ、悪戯は面白くない」

「……その、朧が、どうして死んだのか……」

 京介は慎重に言葉を選ぶ。朧の友達だったという彼が、どこまで知っているのか探りを入れた。

「詳しくは知らない。ただ、この場所で、妖怪に襲われて死んだんだって聞いてる」

「……そうか」

「ねえ、京介も朧の知り合いなんだよね。だからここにいたってことだよね」

 前半は正しいが、それが理由でここにいたというのでは語弊がある。ここへは、葛蔭悟を探しに来たのだ。雲雀のように、朧の弔いのために来たわけではない。だが、葛蔭のことを雲雀に話すのは躊躇われ、京介は雲雀の言葉を肯定した。

「朧に人間の友達がいたなんて知らなかったな。教えてくれれば、僕も京介ともっと前に知り合えてさ、三人で遊べたのにさ」

 無邪気にそう言う雲雀に、京介は苦笑しながら問う。

「人間を一緒に化かそうって、俺を誘うのか?」

「ありゃ、そっか。そりゃまずい。あはは」

 雲雀は屈託なく笑う。

「あっ……いけない、僕、そろそろ戻らないと」

 腕時計に目を落として雲雀は言った。

「今日はご主人にちょっとだけ休みをもらってここに来たんだ。もう帰らないと、怒られちゃう」

「ご主人……雲雀は、式神なのか」

「うん。僕さ、たいした能力もなくて、妖怪としてはよわっちいほうなんだけど。ご主人は少し前に僕を拾ってくれたんだ。念願の就職先を見つけたってわけ」

「念願だったのか」

「うん。妖怪の中には、人間に使われるのはごめんだ、自由に生きるのが一番だって言う奴もいるけどさ。僕は誰かに必要とされるほうが好きなんだ。もう一緒に遊んでくれる朧はいないし、そしたらもう、僕の生きがいは誰かの役に立って、誰かに必要だって言ってもらうことくらいなんだよね」

 嬉しそうに雲雀は語る。きっといい主と出会えたのだろうな、と京介は想像する。

「またね、京介」

 にっこり笑ってそう告げてから、雲雀は廃墟に向かって寂しそうな目を向けて、「またね、朧」と囁いた。

 朧は廃墟に背を向けて小走りに去っていく。

 遠ざかっていく背中を見送ると、雲雀と入れ違いに、廃墟に向かって歩いてくる人影があるのに気づいた。

 左右を木々に囲まれた砂利道を、ざくざくと踏みしめて近づいてくる影。

 やがてその正体に気づく。

 京介は目を見開き、掠れた声を漏らした。

「お前……」

 やってきた人影は、にぃっと唇を吊り上げて笑った。

「よぉ、ここにいたか――」

 低い声で囁くと、その男は京介に向かって躊躇なく凶器を振り上げた。

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