波乱を呼ぶ春の邂逅(2)
そこにいたのは、神ヶ原一高のセーラー服を着た、黒須歌子であった。
真新しい制服を着て、体育館から出てきたらしい歌子を見て、京介は目を見開く。
「歌子? なんだ、お前、潜入捜査か?」
そう言うと、歌子は頬を膨らませて抗議する。
「あのねえ、なんでもっとストレートに新入生だって思わないわけ?」
「新入生? お前、今日からここの一年生?」
「そうよ」
胸を張って宣言する歌子。初めて知った新事実に、京介は割と大きな衝撃を受けた。
「お前、二つも年下だったのかよ! てか、去年の十二月に会った時点ではまだ中三!? 俺は女子中学生に襲われたのかよ!」
「その通りだけどその言い方は誤解を招くからやめて!」
言われて、京介も失言だったと気づく。素直に謝って、改めて問う。
「……え、本当に新入生?」
「そうよ。昨年度いろいろと悶着があったときはもう受験シーズン真っただ中だったわ。まあ、私は優秀だから、余裕で合格したけれど」
「お嬢、嘘はやめた方がいいよ。入試前夜泣きながら勉強してたじゃん」
後ろからやってきた紅刃があっさりばらした。保護者席にでも交じって参観していたのか、紅刃はかっちりとした上下黒のスーツを着ていた。
歌子は顔を真っ赤にして紅刃の頭をぽかぽか殴る。
「どうしてそういう余計なことを言うのよっ」
「あははー、ごめんー」
ちっとも悪く思っていなそうな調子で紅刃は言う。
退魔師の少女・黒須歌子。その実力は頼りにしているのだが、高校の中では平々凡々・普通の高校生として生活しているところに後輩として彼女が転がり込んでくるのは、
「……騒がしくなりそうだな」
と思わなくもない。
「まぁ、そういうわけだから、よろしくね、センパイ」
にっこり悪戯っぽく笑いかけ、歌子は手を振りながら去っていった。癖のある後輩が入ってきたものだ、と京介は肩を竦める。
さて、そろそろ潤平のところに戻らなければ、と京介は歩き出す。するとまたしても、
「京介さん」
校舎に戻ろうとした京介を呼び止める声があった。今度はいったい誰だと振り返り、京介は目を瞠った。
教室へ向かっていく新入生の集団から外れてこちらへ歩いてきたのは、真新しいセーラー服に身を包んだ少女。黒いストレートのロングヘアをしていて、サイドの髪は頬にかかる長さでカットしたいわゆる姫カット。上目遣いにこちらを見てくる挑戦的な視線には、覚えがある。
「お久しぶりです、京介さん。兄さんがご迷惑をおかけしていませんか」
兄の方よりよっぽど大人びた様子の少女は、上品に微笑む。
「……美波ちゃん」
窪谷潤平の二つ下の妹・窪谷美波。彼女も神ヶ原一高に入学したらしい。以前に会った時より背が伸びて、顔つきも大人っぽくなった気がする。
「京介さん、もうお帰りですか? 私、この後教室に戻らなければいけないんですけれど、すぐに終わると思うんです。待っていてもらえませんか」
「いや、でも……」
こうして面と向かって話をするのは中三の時以来だ。最後に会ったのが、彼女を振ったときなので、京介としてはどうにも気まずく、ついしどろもどろになってしまう。だが、美波は平然としていて、笑顔を向けてくる。その振る舞いに、京介は戸惑う。
「クラスは兄さんと同じ三年五組になったんですよね。そこに行きますから。待っていてください。話したいことがあるんです」
丁寧な物腰ながら、有無を言わせぬ強引さを孕みつつ、美波はそう言った。
「では、またのちほど」
髪を揺らしてお辞儀をすると、美波はスカートを翻し小走りに去っていく。
今日は予想外の人物によく会う日だ。
窪谷美波との再会は、波乱の気配がする。というか、この後美波と待ち合わせをしているとばれたら潤平に闇討ちされるのは間違いない。
さて、どうしたものか。温んできたココアを手の中で弄びながら、京介は非常階段を上がっていく。
ガラス戸を押し開けて別館内に戻り、静まりかえった廊下を歩く。国語科講義室の教室が見えてきた。そこで、京介はふと怪訝に思って眉を寄せた。教室を出る時は閉めたはずの扉が、今は開いていた。潤平がどこかに行ったのだろうか、と思いながら教室に入る。
その瞬間、京介は絶句して思わず持っていた缶を取り落した。
教室の床に潤平が倒れていた。白いワイシャツが赤く染まっていて、周りに赤い液体が広がっている。
「潤平!?」
焦って駆け寄りぐったりと倒れる潤平の体を抱き起こす。つい先日も、潤平は妖怪に襲われた。その時は幸い大事には至らなかったが、その記憶が新しいせいで、京介は慌てた。今回はぐっしょりと血で濡れていて、ただ事でないことが明らかな分、なおさら肝を冷やした。
「潤平! しっかりしろ!」
大声で叫ぶと、潤平が小さく唸り声を上げながら目を開ける。
「きょーすけ……」
「潤平、何があった!? 酷い血……」
「きょーすけ――抜かったな」
直後、血を流す潤平の口がにやりと吊り上った。
しまった、と思うが遅い。潤平の右手にはスタンガンが握られている。避ける暇はなく、首筋で電流が弾けた。
「ッぁああ!!」
びくっ、と体が震え、筋肉が収縮する。硬直した体は制御が利かず、為す術なく床に崩れ落ちた。それと入れ違うように潤平が元気そうに立ち上がる。
「ふっ……油断したな、きょーすけ。長かった、俺の復讐の日々……ようやくお前に一矢報いたぜ!」
心底嬉しそうにガッツポーズを決める潤平を、京介は恨めし気に睨みつける。
「潤平、お前なあ……」
「言っただろ、今にお前を圧倒する暗殺手段を用意するってな。油断大敵だぜ、きょーすけ。すべてはこの瞬間のため! このためだけに早起きして血糊の準備をしてワイシャツを一枚おじゃんにする覚悟を決めた」
「んな暇があんなら、製本作業に精を出せよ……」
舌が上手く回らないせいでツッコミにも力がない。
準備万端整えてきたらしい潤平は倒れた京介の腕を取り、どこからともなく手錠を取り出し、床に固定された長机の脚に鎖を通して、両手を背中側で拘束する。京介が疲れ切った溜息をついているうちに、教室の扉を閉めて中から施錠する。次いで窓側に向かうとカーテンを隙間なく閉める。
「この教室の鍵は現在俺が貸出中で、中から施錠した。つまり誰にも邪魔されることはないということだ」
「教師にばれたら大目玉だ。受験生のやることじゃないだろ」
「安心しろ、ばれないことにかけては俺は天才だ」
自分で言ってりゃ世話がない。
京介は埃っぽい床に横たわったまま、再び深々と溜息をついた。
「……で、この後は?」
「ふ、俺に辱められる覚悟は決まったようだな! お前を苛めたおすために、俺は恥を忍んでアダルトショップに行ってきたんだ」
「そこは恥じろよ」
「こないだ誕生日を迎え晴れて十八歳になった直後、十八禁小説を読み漁って勉強した俺に死角はない」
「受験勉強そっちのけでなに勉強してんだ」
「安心しろ、お前の泣き叫ぶ声を録音してケータイの着信音に設定するだけで勘弁してやる」
「情け容赦ゼロじゃねえか」
その時、ケータイのバイブレーションの音が響いた。潤平はふっと笑う。
「いいぜ、出な。お前の最期の声を聞かせてやりな」
ノリノリで言ってくれるのはいいのだが、
「鳴ってんの、お前のケータイだけど」
「あれっ!?」
潤平は慌てて鞄の中から自分のケータイを引っ張り出す。発信者名を見て、潤平はぱっと表情を明るくすると素早く通話ボタンを押した。
解りやすい。相手は美波に違いない。
「もしもし。どうした、美波? 入学式はもう終わったのか?」
京介相手では絶対に発することのないような甘い声で潤平は話す。美波の声がかすかに漏れ聞こえてくる。
『ああ、兄さん。式が終わったので一緒に帰ろうと思ったのですけれど、今どちらですか』
「今? ……美波はどこにいるんだ? 俺が迎えに行くよ」
国語科講義室にいる、とは口が裂けても言えなかったのだろう。なにせ、教室では事件が発生している。美波に見られるわけにはいかないだろう。かといってシスコンの潤平は美波に嘘をつくことができなかった。上手く逃げ道を探した応対である。
が、
『兄さん、私の質問に答えてください。今どちらですか。私がお迎えに上がります』
「えぇぇ? いや、お前入学したてて場所が解らないだろう。迷子になるから自分の教室で待っていなさい」
『実はですね、兄さん、私今別館に来ていまして、とある教室に向かっているんです』
「は?」
『兄さんの部屋のゴミ箱からいかがわしいショップのレシートと、スタンガンの外装が見つかりました。そして先程、外から校舎を眺めますと、特に必要性があるとも思えないのにカーテンがきっちり閉まっている教室がありました。兄さんが何をやろうとしているのかはだいたい察しがつきましたので、強行突破します――あ、今着きました』
瞬間、教室の扉が蹴破られた。
開いた口が塞がらない様子の潤平。その視線の先には、ケータイを片手に微笑む少女。
「兄さん、みっけ」
清楚な雰囲気を醸し出していながら、その印象を大きく裏切る挑戦的な瞳と唇。大和撫子に見えてその正体は行動力の権化であるという少女、窪谷美波。
教室の前で仁王立ちする美波と、蛇に睨まれた蛙の如く硬直する潤平。二人を交互に見遣り、京介は一言、ぼやいた。
「もうやだこの兄妹」
「兄さん、やっていいことといけないことの区別もつかないんですか。スタンガンまではまあいいとしても、アダルトグッズは駄目ですよ、自分が未成年だという自覚はありますか」
などと説教する美波。スタンガンまではOKという価値観を持っているあたり、この兄にしてこの妹ありだな、と京介はげんなりする。
場所は神ヶ原駅一階のファミレス。好きな物を食べてくださいね、と美波は言う。その手に持っているのは潤平から強奪した財布である。
「まったく……兄さんが絡むとうざいので京介さんと二人で話をしたかったのですけれど、兄さんが予想以上に馬鹿なことをしていたせいで、兄さんの謝罪タイムになってしまったじゃありませんか。反省してください」
先ほどまで散々潤平に説教をしていたせいで喉がカラカラに乾いてしまったらしく、美波はグラスのオレンジジュースを一気に飲み干した。
過激な復讐者・潤平と、それ以上に過激な妹・美波。並んで座る末恐ろしい兄妹を眺め、京介はひっそりと溜息をつく。
「ところで美波、お前こんなところで男二人に囲まれて……彼氏に誤解されるんじゃないか」
「あら、兄さん、心配してくれるんですか? あんな男は認めないって兄さんが公言していること、知っていますからね?」
「エッ!? いや、それとこれとは……」
「まあ、ご安心ください。私、あの人とは半年前に別れました」
「何? 聞いてないぞ、美波」
「私の恋愛事情を兄さんに話す義務がありますか? だいたい、破局したのは半分くらい兄さんのせいですよ。兄さんがちょっかいをかけるから……」
「う、知っていたのか」
「まあ、半分は自分のせいなので文句は言いませんが。残念ながら私の行動力に恐れをなして、逃げてしまったんですよ。『もう君にはついていけない』って泣きながら言われました」
いったい付き合っていた男性にどんな過激な行動を見せつけていたのだろうか。
「ねえ、京介さん」
「はいっ?」
急に水を向けられて、京介はびくりとする。
「私、こっぴどく振られてしまったんですけれど、でもそれくらいで泣いたりしませんでしたよ。振られたことが哀しくて泣くような、可愛い女じゃないんです」
「は、はあ」
「だから、私が三年前に泣いたのは京介さんのせいじゃないんです。今日はそれを伝えたかったんですよ」




