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退魔師に休日はない(6)

 狐面は、がらがらと台車を押して登場した。勿体ぶるように赤いクロスで隠しているのは、形からして箱か檻といったところだろう。それを台車でステージ中央に運ぶと、狐面は会場の面々に向かって優雅にお辞儀する。

「皆さま、ようこそお越しくださいました。今宵は私のコレクションの中でもとびきりの愛玩奴隷を披露いたしますので、どうぞご期待くださいませ」

 盛大な拍手が沸き起こる。芙蓉がシラケた顔でぺちぺちと適当すぎる拍手を送ると、歌子が「目立つから真面目にやれ」と目線で脅してきた。

 ステージでは狐面の口上が続く。

「早速お披露目いたしましょう。今宵の目玉は、人語を離す狐です。ふふ、私のことではありませんよ」

 さほど上等なジョークとも思えなかったが、会場には微かな笑いが起こる。

「美しい白い毛並みとつぶらな瞳を持つ狐は二足歩行も可能な上、人の言葉を解します。可愛らしいペットと会話ができるのです。必ずや主人を癒してくれることでしょう。愛玩用にぜひどうぞ――さあ、ご紹介しましょう」

 狐面はかぶせていたクロスをばっと取り払う。赤いクロスの下から露わになったのは獣を捕えるための檻だ。檻の中では、エメラルド色の首輪をつけられた白い狐が、なんとか脱出しようというように、鉄格子を握りしめガタガタと喚いていた。

「うわあああ、京の字へるぷみぃぃぃ」

「……どこかで見た顔だな」

 芙蓉は頭を抱えた。

 檻の中にとっ捕まっていたのは、自称・神ヶ原一高旧校舎のボス狐、周防であった。彼が京介と親しくしている妖であることは知っている。芙蓉自身も、何度か顔を合わせたことがある。だが、まさか少し見ないうちにアホな魔術師に捕まって愛玩奴隷扱いされているとは思わなかった。

 少々小生意気っぽく見える顔の周防は、可愛い物好きのセレブたちに好評らしく、会場内は大いに沸き立った。芙蓉には理解できないのだが、周防はなかなかウケがいいようだ。

「あの生意気狐がうっかり六十万ばかしの安値で売り払われたら京介は泣くぞ」

 心配しているというよりは呆れている声で芙蓉はぼやく。

「どーするお嬢、下手に安い値段で入札されて狐がショックを受ける前にぶち壊す?」

 紅刃がひそひそと囁くと、歌子は肩を竦めて、

「あんまりおおっぴらにオークションを台無しにすると、狐面どころか会場中から袋叩きにされるわね。一応ここには魔術師も妖もわんさかいるわ。できるだけ敵には回したくない」

「けど、あの狐と、それからたぶん他にもいるだろう奴隷を解放するなら、オークションが終わる前に決着をつけた方がいいんじゃない?」

「ジレンマね。どうしたものかしら」

「悩むまでもなかろう」

「何か考えがあるの、芙蓉さん」

「要は、私たちがやったとばれないようにぶち壊せばいいのだ」

 芙蓉はにやりと笑いながら、歌子に耳打ちする。歌子は一瞬はっとして、やがて人の悪い笑みを浮かべる。

「……ま、ここに来てる全員ロクでもない連中だし、多少怖い目見たっていいわよね」

 脇で紅刃が「怖い女が二人揃うととんでもないなぁ」などと呟いているが、気にしない。

 歌子の行動がばれないように、芙蓉と紅刃が二人で盾となる。陰で歌子は、スカートの下から退魔銃・月花羅刹を抜いた。

 客たちの目線はステージに釘付けになっている。やるなら今だ。

「月花羅刹。今日のところはサイレンサーモードでひっそりと決めましょう」

 銃口を照準するのは、会場にいくつも並べられたテーブルのうちの一つだ。

「炎弾装填」

 密やかに唱え引き金を引き、歌子は炎の魔術を放つ。炎の灯りはシャンデリアの煌きに紛れて誰にも気づかれずに、純白のテーブルクロスに着弾する。小さな炎はみるみるうちに燃え広がっていく。空気が煙たくなったのに気づいたのか、近くにいた客がきょろきょろと視線を巡らせ始める。まもなく、客のうちの一人がクロスが燃えているのに気づいて悲鳴を上げる。

「か、火事!?」

 切羽詰まった叫び声は波紋のように広がっていく。混乱が波及し、会場はあっという間に騒ぎになる。

 何人かは火を消そうとするが、歌子が進行形であちこちに火を放っているため、被害は広がる一方である。見つかったら立派な放火魔だが、見つからなければこっちのもの、と歌子は調子づいている。

「火災だ、避難しろ!」

 誰かが叫ぶと、客たちはばたばたと堰を切ったように出口に殺到する。スタッフが落ち着いて避難するようにと誘導する。しかし、こういった非常事態には慣れていないのか、若いスタッフの声掛けはさほど役立っているようには見えない。会場内はちょっとしたパニックだ。

 煙が天井の火災報知機に触れる。けたたましいサイレンが鳴り響きスプリンクラーが作動すると、混乱は最高潮となる。

「まったく、酷い慌てぶりだな」

 逃げ惑う客の波を器用に避けながら、芙蓉は呆れたように呟く。言いながら、視線はステージから逸らさない。狐面は檻の鍵を開け、中から周防を引っ張り出して小脇に抱え、会場の前の扉から外へ出て行った。

「動いたか」

 芙蓉は逃げる人波に逆らって狐面を追う。逃げる客が迷惑そうに舌打ちするが、構わない。

「あの奥はバックヤードのはずよ」

 隣についてきた歌子が言う。先へ進もうとする歌子を、紅刃はしっかり人波から守っていた。

 狐面を追いかけてバックヤードに飛び込む。パーティーの準備用の控室となっている空間には、大小さまざまな檻が置かれていて、中には一様に、首輪をつけられた妖が捕えられている。今日のオークションに出品される予定だった奴隷たちだろう。

 妖たちをぐるりと見回し、芙蓉は呟く。

「ふむ……人間のくせに首輪をつけられた間抜けは、やはりうちのバカ主だけらしいな」

「言ってる場合じゃないわよ、芙蓉さん」

 小さなスペースの中央には、周防を担いだ狐面がいた。大事な商品を連れて火事現場からどうやって逃げたものかとうろうろしていたようだ。

 おたおたしている狐面に歌子が告げる。

「慌てて逃げないで、ちょっと顔貸しなさいよ。火ならちゃんと消しとめてあるから」

「……」

 ホテルを燃やすわけにはいかない。サイレンとスプリンクラーが作動し、会場が混乱してパーティーがなし崩し的に中止になった時点で、炎の役目は終了した。歌子が水の魔術で既に消火していたのを、芙蓉は知っている。

「とんだマッチポンプ野郎だな」

「言っておくけどあなたがけしかけたのよ芙蓉さん」

 芙蓉はそ知らぬ顔で歌子の前に出て苦情を受け流し、狐面を睨みつける。

「お前が作り出した悪趣味な首輪の隷属魔術……それを全部まとめて解呪しろ。一応言っておくが拒否権はない」

「ふ……まさかこんな、無作法な客が紛れ込んでいるとは。おかげでイベントは台無しです」

「このまま大人しく牢屋にぶち込まれておけばクレーム処理をしなくて済むぞ」

「まあまあ魅力的な提案ですが、やはり私は娑婆で自由を謳歌していたいですから、遠慮しておきましょう」

 狐面は抱えていた周防を床に下ろす。だが、逃がしてやるつもりではないらしい。

「捕えられた妖を助けようとは、正義の味方気取りですか? しかし、彼らの支配権は私にあります。あなたたちを襲わせることなど容易い……助ける相手にやられる気分を、ぜひ聞かせてくださいよ」

 ぱちん、と狐面が指を鳴らす。と、周防が俄に表情を変え、突如、芙蓉たちの方に向かって駆けだした。

「うわあああ、止めてくれええ」

 全力疾走しながら泣きわめいているところを見ると、どうやら周防は狐面に動きを操られているようだった。

「仲間同士でやり合わせる気? 卑怯者っ」

 歌子が不愉快そうに叫ぶが、狐面は当然取り合わない。涙目の周防が力強く踏切り、芙蓉に向かって飛び掛かった。小さな体ではあるが、曲がりなりにも妖だ、前足には鋭い爪が光っている。

 目の前に周防の刃が迫った瞬間、

「目障りだ」

 無表情に無慈悲なことを言い放ち、芙蓉は周防を蹴飛ばした。

「ぶぎゅっ!」

 芙蓉の脚が顔面にめり込み、周防は謎の奇声を発する。ボールのように思い切り蹴飛ばされた周防の体は狙ったかのように狐面に突っ込んだ。

「ぎゅむぅうぅ」

「ひいい!」

 周防と狐面の奇声が重なり合って不協和音を奏でる。歌子と紅刃が唖然とするのを尻目に、芙蓉は何事もなかったかのように乱れたスカートを直す。

「ふ、芙蓉さん、何、今の容赦なさすぎるキック」

「いやなに、周防が『狐面に一矢報いたい』という顔をしていたので、要望通り突撃の手伝いをしてやったまでだ」

「そんな顔してなかったわよね? 自分の都合のいいように意見の捏造をしちゃ駄目よ?」

「細かいことを気にするな。結果オーライ、万事解決じゃないか。周防は意に沿わぬことをさせられずに済むし」

「意に沿わぬことどころか何もできなくなっちゃったわよね、だって気絶してるもの」

「ついでに狐面の化けの皮は剥がれたぞ。ははあ、いまいちブサイクなおっさんだな」

 周防が激突したことで、顔を隠していた面が割れて落ちた。露わになったのは、四十代くらいの男の顔で、仮面の破片が刺さったのか額から血を流している。かっこつけで仮面なんかかぶっているからこうなるのだ、と芙蓉は適当な感想を抱く。

「ぐ、ぐぅぅ……信じられません、助けるどころか自分でとどめを刺しそうな勢いじゃありませんか」

 解せない、と言いたげにディーラーは顔を歪める。

「残念だが、お前の茶番に付き合う気はない。いくら手駒を操って私を襲おうとしても意味はない。私に喧嘩を売るなら、操られていようがなんだろうが関係ない、全員平等に叩き潰す」

「血も涙もない台詞ですね。なら、その言葉が本当か、確かめてみようじゃないですか」

 ディーラーは懐から金色に光る鍵を取り出す。ロックを解くかのように鍵をくるりと回すと、部屋に集められていた檻が解錠されて扉が開く。中から、首輪付きの妖怪たちがぞろぞろと出てきて、一斉に襲いかかった。

「まったく、懲りないな」

「ちょ、芙蓉さん、本気で叩き潰す気?」

「当然だ」

 迷いなく断言する芙蓉に、歌子が嘆息した。

「ちょっとタイム、あなたに任せていたら無駄に怪我人が増えるわ。十秒ちょうだい、こっちでなんとかするから、少し大人しくしてて」

「何か考えがあるのか」

「うちの式神なら、少なくともあなたよりは穏便に解決できるわ――やっちゃって、紅刃」

「了解」

 応える紅刃は両手に血のように赤い色をしたナイフを幾本も握っている。だらりと垂らした手から、手首のスナップを利かせて、ほぼノーモーションからのアンダースロー。擲たれたナイフは襲い来る妖怪たちの衣服だけを的確に貫き、床や壁に縫い止めていく。

 制圧するのに一分もかからなかった。相手を傷つけることなく無力化した紅刃は得意そうに胸を張る。

「ほらほら、芙蓉ちゃんもこういうスマートな解決方法を覚えないと」

「どうでもいいが、奴が逃げるぞ」

 紅刃が奴隷たちの相手をしている間に、ディーラーはそそくさと逃げ出している。

「あ、こら待ちなさい!」

 歌子が喚くが、そんなことを言っても止まるはずがないと解りきっているので、芙蓉は既に動いている。中身が抜け出したことで空になった檻の一つを無造作に蹴飛ばす。さほど強く蹴ってはいない。だが、重そうな檻が浮き上がり、まるで引き寄せられるように、ディーラーめがけて吹き飛んだ。

 一瞬振り返ったディーラーは、自分に向かって突っ込んでくる檻に目を剥いていた。しかし、直後に檻に衝突され、巻き込まれるように転倒、上手い具合に檻の中に入り、転がる檻は狙ったように開閉部を下にして止まった。

 鉄格子に囚われてあっけなく気絶したディーラーを見据え、芙蓉は肩を竦める。

「正月から三流小悪党に付き合わされるとは、新年早々幸先が悪いな」

 まあ、もっと幸先が悪いのは芙蓉よりもその主人だろうが。


★★★


 歌子たちと別れてアパートに帰り着くと、京介がなぜかげっそりと青白い顔で迎えてくれた。何があったのかと怪訝にしていると、尋ねる前に廊下の奥からひょっこり竜胆が顔を出した。アパートの方に竜胆が来ているのは珍しいな、と思うと同時に、京介の顔面蒼白の原因は十中八九彼女に違いない、と芙蓉は推測する。

「無事解決したようだね、先程、京介の首輪も外れたよ」

 芙蓉はディーラーを締め上げて、すべての首輪の魔術を解呪させた。売られた妖も売られる前の妖も間抜けな主も、もれなく解放されたわけだ。

 だが、京介は喜ぶどころかげんなりしている。

「何か不満そうな顔だな」

「お前に対して不満はないよ。いや、主を実験台扱いしたことについては大いに不満があるけれど、それについてはまあいいんだ」

「竜胆ばーさんがいることと関係あるか」

「実は……いや」

 ぼそりと呟いた京介だが、それ以上は口にするのも悍ましいというように言葉を呑み、「少し休む」と言って布団を引きかぶって寝込んでしまった。

 不審に思っていると、竜胆が暴露してくれた。

「いやあ、孫が首輪で飼われてるなんてあんまり可哀相だから、何とか外してあげようと思って、屋敷の倉庫から電動ドリルを引っ張り出してわざわざ来てやったんだ。けど、最近老眼が進行しつつあるから手元が狂うかもしれないと言ったら京介が抵抗するので、狭い部屋の中で乱闘騒ぎだ。周りの部屋から明日にも苦情が来るかもしれない」

「……楽しそうで何より」

 芙蓉は珍しく京介に同情した。

「この後の処理は、そちらに任せていいのだろう?」

「勿論さ。ディーラーと名乗っていた魔術師は牢にぶち込んでおくよ。首輪の魔術……あれは広まると面倒だからね。解呪法だけ中央会で管理して、術式の情報は消去しておくのがよさそうだね」

 やることがたくさんあって大変だ、と竜胆はたいして大変そうではない顔をして言った。

「ところで芙蓉ちゃん、一ついいかな」

 不意に、竜胆が改まった顔をして言った。

「何だ」

「そのドレス可愛いね」

「……」

 芙蓉は答えず、とっとと踵を返す。早く着替えよう、そしてこんなひらひらなドレスは二度と着まいと心に誓った。

 仕事が終わったからにはここに用はない。さっさと帰ろうと玄関に立った芙蓉だったが、竜胆と入れ違いで、寝込んだはずの京介が這い出してきて、呼び止めた。竜胆に茶化されたせいで一気に虫の居所が悪くなった芙蓉の表情を見て、京介は尻込みしたようだった。芙蓉は苛立ち交じりに京介を急かす。

「何だ、京介。用件は手短に済ませろ」

「……えらく不機嫌だな」

 えらく顔色の悪い奴に言われたくはないが。

「それで?」

「……ありがとう。今日は助かった」

「……」

 かっかと気が立っていたのが、すっかり毒気を抜かれてしまう。芙蓉は肩を竦める。

 式神というのは主人に従うのが当たり前の存在だ。命令違反を咎めるならともかく、珍しく助けたからといって律儀に礼を言ってくるなど、奇特なことである。

 だが、感謝されるのは、悪い気はしない。

 手をひらりと振って応じ、芙蓉は部屋を後にした。

 ――まあ、悪くない年になりそうだ。

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