退魔師に休日はない(5)
「なかなか素敵な話じゃないの。ただ疑問なのは、自信満々に任せろなんて豪語したはずのあなたが、なぜ私を頼るのかということなのだけれど」
引きつり気味の笑みを浮かべる黒須歌子に向かって、芙蓉は堂々と、
「頼る気はない、利用してやろうというだけの話だ」
遠慮会釈なく本音をぶちまけた。
一月二日、午後三時。問題の奴隷オークション開始まであと四時間。ゆったりしている暇はあまりないのだが、芙蓉は歌子を呼びつけ、駅ビルのファミレスで落ち合っていた。歌子の隣では、保護者面をした式神・紅刃が愉快げな表情を隠すこともなく成り行きを見守っている。
歌子が溜息交じりに問うてくる。
「芙蓉さん、私のことは信用ならないんじゃなかったの」
「信用はしていない。だが、話した通り、うちの主は使い物にならない」
「情け容赦ない言い方ね」
「一方で、首輪で隷属させられている妖怪たちは早急に解放しなければならない。売られて散り散りになってから手を打つのは面倒だ、売られる前に決着をつけたい。それに、ディーラーとやらもぶちのめして、うちのバカ主の首輪を外させる必要がある」
「あなたが今夜中に決着をつけたい理由は解ったわ。だけど、私と組もうとする意図が解らないわ。あなた、強いじゃない。私なんか必要ないでしょ」
「その通りだ」
断言した瞬間、歌子が青筋を浮かべ、紅刃は笑いをこらえるように手で口を塞いだ。
「戦闘となれば、私が人間の力を借りる必要はない。だが、今回の任務で求められているのは、正面切っての戦闘ではなく、潜入だ。まあ、最終的にディーラーをぶちのめすときは力がものをいうが、そこに辿り着くまではできるだけ大人しく動くべきだろう。妖怪である私一人で乗り込むのは怪しい。怪しまれれば、ディーラーが姿を現さない可能性がある」
「成程、だから私なのね。私の式神、って体で会場入りしたいわけか」
「話が早いな」
芙蓉は満足げに頷く。
「紅刃と芙蓉さん……両手に花の式神を連れるだけでは飽き足らず貪欲にも奴隷に手を出そうとしているワガママなご主人様。そういうスタンスでいいのかしら?」
「ああ」
「まったく、式神がこんな調子じゃ、京介君は苦労が絶えないわね。まあいいわ。あなたにいいように使われるのは少々業腹だけれど、オークションなんて、黒須家の娘として捨て置けないし、京介君を助けるためなら協力を惜しむ気はないわ」
「交渉成立だな」
「だけど、一つ条件があるわ」
生意気にもそんなことを言ってきた歌子を、芙蓉はまっすぐ睨む。歌子は、怯む様子はない。肝の据わった娘だ。いきなり条件を出してくるなんて、なかなかどうして面白い話じゃないか、と芙蓉はにやりと微笑む。
「言ってみろ」
すると歌子は、いっそ胡散臭く感じるほどの晴れやかな笑みを浮かべて、告げた。
「パーティーに出るなら、まずはその無粋な軍服を脱げ」
警戒を怠ったつもりはなかった。だが、無意識のうちに油断していたのかもしれない。驕りは足をすくうものだ、肝に銘じなくては、と芙蓉は思う。
そう、少しでも気を許した自分が間違いだったのだ。おかげで、こんな――
「おい、黒須歌子! なんだこの服は、やけにひらひらしているし、む、胸元が開きすぎじゃないか? 破廉恥だ!」
「この程度で何言ってるのよ」
歌子は芙蓉の異議申し立てを冷たく突っぱねてずんずん歩いていく。芙蓉は悔しさと苛立ちに一抹の恥ずかしさをミックスした表情でついていく。
芙蓉がいつになく複雑な表情をしているのは、着慣れない、というか今まで着たことのない種類の衣装を纏っているせいだ。
深紅のベアトップドレスのせいで、肩も背中も腕も露わになっている。一応黒いレースのストールを羽織ってはいるが、胸元もやたらとすーすーするし、芙蓉は気が気じゃない。スカートの丈も短いし、いつも着ているスカートと違って、生地は薄くてひらひらしているし、風が吹いた瞬間下着が見えそうである。
「こんな格好では戦いにくいではないか!」
「芙蓉さん、自分で言ったのよ、これは戦闘ではなく潜入なの。潜入ってのは目立たないのが一番なの。パーティーで目立たないようにするには、パーティーらしい格好をするしかないのよ。大丈夫、弘法筆を選ばず……戦闘狂衣装を選ばず」
「いい加減な諺を創作するな!」
こんなことになってしまったこの数時間のことは、思い出すだけでげんなりする。
ファミレスを早々に辞去するや、芙蓉は歌子に引きずられるようにドレスの専門店に連れ込まれ、試着室に放り込まれ、ああでもないこうでもないと着せ替え人形にされてしまった。なんだこれは、と目を白黒させているうちに歌子は勝手に芙蓉の衣装を決め、ブラックカードでお買い上げ。
不覚だ。芙蓉は忌々しげに顔を歪める。歌子は対照的に上機嫌で、
「ほらほら、パーティーなんだから不景気な顔してないでよ」
「ふん……愉快なパーティーでもあるまいよ」
「まぁ、確かにね」
歌子は肩を竦め、ようやく真面目な表情になった。戦いの舞台に辿り着いたのだ。
かつん、とヒールを鳴らして立ち止まり、芙蓉と歌子は目の前の建物を見上げる。夜闇の中で無数の灯りを放ち煌く、神ヶ原グランドホテル。一泊三万円からという、薄給魔術師には手の届かないホテルである。今夜用があるのは、収容人数五百名を誇る六階宴会場「ヴィーナス」である。
自動ドアを潜り抜けロビーへ進む。フロアマップを見ると、会場ヴィーナスは「株式会社スピリチュアル」なる胡散臭い団体がパーティーのために借りていることになっている。ホテル側はそこで実際に行われるのが違法なオークションだと知らないのか、あるいはスタッフがディーラー側に抱きこまれているのか。そこまでは解らないが、仮に後者だとしてもホテルスタッフなど、ディーラーにしてみればいつでも切り捨てられるトカゲの尻尾だろう。とにかく、あの胡散臭い狐面さえ叩き潰せばいい、と芙蓉は方針を整理する。
エレベーターに乗り込み、六階を目指す。ゆったりと上昇する箱の中で、歌子は契約紋のある鎖骨の下に触れた。
「紅刃」
契約紋が光り、エレベーターの中に紅刃が召喚される。紅刃は準備万端整っていて、おそらく歌子が見立てたのであろう上品なフォーマルスーツを着ている。
紅刃は浮かない顔で肩を竦めてぼやく。
「せっかくいい服を見繕ってくれたのはいいけど、これが結局血で汚れると思うと絶望だね」
「あなたは別に絶望しないでしょう、絶望してるのは私の財布よ。これで敵がしょーもない三下だったら最悪ね、場合によっては不破家に必要経費として請求するわ」
「勝手にしろ、その場合、絶望するのは私ではなく京介の財布だ」
いっそこのドレスは血みどろに汚して再起不能にしておいた方が後々安心かもしれない。未だに胸元がすーすーするドレスに慣れない芙蓉はそんな不謹慎なことさえ考えていた。
やがてエレベーターは六階に到着する。
歌子が先頭を歩き、芙蓉と紅刃は従順な式神を装って――紅刃は実際そうなのだが――一歩後ろをついていく。会場前の受付に、歌子が招待状を提示する。招待状は、艶島操が持っていたのを拝借した。
受付スタッフの若い男は、招待状を受け取ると上品な笑みを浮かべて頭を垂れる。
「ようこそいらっしゃいました。中でお待ちください」
招待状を見せただけで厳格な身分確認はない。違法な奴隷オークションにしてはガードが甘い。やはりスタッフはトカゲの尻尾らしい、と芙蓉は思う。
スタッフの案内で会場に入ると、中には既に多くの招待客が集まっており、各々談笑していた。きらびやかな服を纏い、グラスを片手に微笑む参加者たちを見回しながら、会場の中央へと歩いていく。
参加者の中には、首輪のついた者もいる。オークションの常連が戦利品を連れて次なる商品を求めてきたのだろう。
「妖の自由を剥奪し奴隷にする……まったく、反吐が出る」
「気持ちは解るけれど、ここでそんなことをおおっぴらに言っちゃ駄目よ」
ぼそりと呟いた言葉を耳聡く聞きつけ、歌子は小声で釘を刺した。
「――おや、その二人は君のペットかな?」
上機嫌そうな声で話しかけながら、若い男が歌子に近づいてきた。男は後ろに少女の姿をした妖を連れている。赤毛の少女は俯きがちで、首には赤い首輪をつけている。
歌子は本心を悟らせない営業スマイルを浮かべてそつなく応対する。
「まあね」
「見たところ強そうな妖だ。けど、首輪はしていないね」
「調伏した式神よ」
「これは驚いた。見かけによらずお嬢さんも強いらしい」
「けど、やっぱり調伏するのは面倒ね。首輪で従順にさせられるなら楽だと思うわ」
「違いない」
「あなたも随分と可愛らしい子を連れているわね」
「まあ、愛玩用としては悪くないと思っているがね」
男から情報を引き出すつもりなのか、歌子はにこやかに会話を続ける。それを少し離れて見守っていると、
「訊いてもいいかな」
歌子の方を向いたまま、紅刃が囁いてきた。芙蓉は振り向かないままに応じる。
「何だ」
「君はどうして彼――不破京介と契約したんだい? 話を聞く限り、君は彼にたいして従順じゃないみたいじゃないか」
「まったく従順ではないな」
悪びれることなく言うと、紅刃は微かに苦笑する。
「そもそもなんで命令に逆らえるのかっていう、いろいろ規格外な点についてはひとまず置いといて……一度は主に忠誠を誓い契約を受け入れたなら、命令に背こうだなんて思わないんじゃないのかなーって思って、そのへん、俺としてはいまいち理解できないんだ。君は彼に調伏されたわけじゃないんだろ? どうも、君と彼との関係が読めないんだよな」
魔術師が妖を式神とする方法は二通りある。契約か、調伏だ。前者が主人と従者の合意で成り立つのに対して、後者は魔術師が妖を力ずくで従わせるものだ。
芙蓉と京介は双方合意の元で契約を交わした。従うことを一度は約束したくせに、なぜ今更のように京介に背くのか――紅刃はそれが理解できないらしい。
「そういうお前は、なぜ黒須歌子に従う」
「俺? 俺は、ほら、お嬢にベタ惚れだから」
「ああ、そう」
「で、君は?」
「教えない」
「そりゃないよー、俺は答えたのに」
紅刃が小声でぶうぶう文句を言うが、芙蓉は聞こえないふりをした。
なぜ京介と契約したのか。
二年前に交わした誓いを、とりあえず今のところ後悔はしていない。だが、喜んで受け入れているかというと。
「……」
契約に対する考えを、主である京介に対する考えを、芙蓉は二年間、保留したままでいる。まだ答えは出せそうにない。
「あ、終わったみたい」
紅刃が呟くのに顔を上げると、歌子と話していた男が背を向けて離れて行ったところだった。歌子は男の背中を笑顔で見送っていたが、男が完全に離れたのを確認すると、うんざりといった表情を隠そうともしなかった。
「もうやだ、ここに来てる客ってみんなあんな感じなの? 気分悪い、なんで私、こんなとこ来ちゃったのかしら」
「頑張ってお嬢、まだ始まってもいないから」
「はぁ……まあ頑張るけどね」
溜息を一つついて、歌子は切り替えた。
「今の男から聞いた情報によると、首輪による対象の隷属魔術は狐面ディーラーのオリジナルらしく、術式構成は部外秘。つまり今のところ、解析不能で解除不能なわけ。目を付けた妖には見境なく首輪をつけて、抵抗不能な命令と電撃で奴隷の反抗心を摘み取って調教した上でオークションで売り捌くってのがやり方らしいわ。奴隷はだいたい五十万円からで、首輪単品なら十万円。奴隷を買った人間には、もれなく宝石の形をしたコントローラー『操縦石』がついてくる」
「例の石か……そいつで首輪は外せるのか」
「首輪を外すには、狐面が持ってる石……マスターキーみたいな奴が必要らしいわ。勝手に解放するなってことね」
「やはり狐面をぶちのめして外させるしかないわけか」
「そうね……あら、噂をすれば、狐面のご登場よ」
会場前方のステージを歌子が示す。
黒いローブと狐面で姿を隠した謎の男・ディーラーがステージ中央に出てきたところだった。
「どうやら芙蓉さんは怪しまれなかったようね。ドレス、着てよかったでしょう?」
歌子の戯言は黙殺し、芙蓉はディーラーを睨みつけていた。




