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退魔師に休日はない(4)

 京介の危惧は見事に的中した。

 渋々ながら芙蓉に紅茶を用意してやった京介は、その直後、芙蓉から「さて、この首輪でどの程度の命令まできかせられるのか実験してみようじゃないか」と言われて戦慄した。

 無論、京介は反抗した。割と必死に反抗した。

「いや、その実験に何か意味があるのか? お前が面白がりたいだけじゃないだろうな」

「姐御、俺にもぜひやらせてください」

「潤平お前は黙ってろ」

 なぜか芙蓉を姐御呼びし始めた潤平をすぱっと切り捨て、京介は芙蓉を睨む。芙蓉は愉快そうな笑みを隠そうともしない。

「ディーラーとやらと戦うことになれば、当然、敵が隷属させた妖を使ってくる可能性を考えねばなるまい。そいつらは、いわば可哀相な被害者だ」

「自分の式神に実験台にされかかっている俺が一番の被害者だ」

「被害者連中がどう動かされるか、その推測を立てるためにも、やはり実験はやっておいたほうがいいだろう」

「芙蓉、少し落ち着いて話をしよう」

「それに、常々思っていたのだ。私はお前に命令されるばかりだが、私もたまにはお前に命令したいと」

「人の命令ロクにきかねえくせに何言ってやがる!」

「ほら、頭が高いぞ。跪いて足をお舐め」

「芙蓉っ」

 悔しげに声を上げる京介だが、虚しくも、体は従順に跪き、芙蓉の理不尽な命令を忠実に実行しようとする。頭では嫌だと言っているのに、体は意思をまるきり無視して勝手に動く。

 優越感に浸る芙蓉に見下されながら、京介は芙蓉の脚に手を添える。屈辱と羞恥で頬に朱が上る。体が震える。こんな屈辱的なこと、絶対に許せない。京介の理性が、必死で体にストップをかける。ぎりぎりのところで、一線を越えまいと耐える。

「ほう……耐えるのか。魔力が強い分、抵抗力があるらしいな」

「ゆったり、分析なんか、してないで……命令を解けよっ……」

「ふん……まあ、いいだろう。お前に脚を舐められても別に嬉しくないしな」

 じゃあ最初からそんな命令するなよ、と京介は舌打ちする。ともあれ、ようやく芙蓉の悪ふざけから解放された京介は、ぐったりと床に仰向けに転がり、深く息を吐いた。

「もう嫌だ……疲れた……」

「とんだヘタレだな。だが、少しは解ったことがあるぞ」

 疲労困憊の京介とは対照的に実に優雅に紅茶を啜りながら、芙蓉は言う。

「そうやって、死ぬ気で頑張れば命令には抵抗できるということだ。まあ、式神の私だって主人の命令には反抗できるのだから、当然と言えば当然だな」

「当然じゃねえよ。お前はいろいろ規格外なんだよ」

 自分があたかもスタンダードのように言うのはやめてほしい。

「しかし、ヘタレなお前がちゃんと命令に刃向えるかは不確定要素……この石以外にも、ディーラーとかいう馬鹿が奴隷を操る方法があるとしたら、こんな不安要素を戦力にはカウントできないな。つまり、お前はこの上なく役立たずということだ、バカ主」

 そんなことを嬉しそうな顔でのたまう芙蓉に、京介は頭を抱えた。



 散々な元日になってしまったな、と京介は布団にくるまりながら溜息をついた。

 夕方のうちには、潤平は「俺もやってみたかったなぁ」とふざけたことを抜かしながら帰っていき、琴葉はひとまず身柄が竜胆預かりになるということで部屋を出て行った。

 その後、二人きりになった部屋。油断すると芙蓉の悪ふざけにつき合わされ、京介はくたくただった。軽い食事とシャワーを済ませると、早々に布団に倒れ込んだ。

 芙蓉は、まだ部屋にいる。おそらく、今日は戻る気がないのだろう。紫色の宝石を懐に仕舞い込んだまま、芙蓉は勝手に布団を引っ張り出して、勝手に寝てしまう。仕方なく、気を遣った京介は自分の布団を部屋の隅っこの方に追いやって、芙蓉に背を向けて眠ることにする。

 首にはずっと違和感がある。固く冷たい首輪にそっと触れてみる。自由を奪い、主人に隷属される首輪。絶対服従の証。

 魔術で無理矢理に言うことをきかせ、反抗することを許さない。どんな理不尽な命令を下されるか解らない恐怖。最初は、悪ふざけをする芙蓉に憤りが湧いた。だが、次第にその怒りは静まっていく。

 考えてしまう――この首輪と、契約紋は何が違うのだろう。

 ――芙蓉はいつも、こんなふうに感じているのか?

 憂鬱な気持ちで、右手に刻まれた契約紋を撫でる。

「念のため言っておくが」

「!」

 もうとっくに眠ったと思っていた芙蓉が、唐突に声を上げた。京介はびくりと肩を震わせる。芙蓉の顔を見ないまま、京介は芙蓉の言葉に耳を澄ませる。

「少なくとも、私はお前との契約を受け入れた。今のところ、それを後悔はしていない。その契約紋と、首輪は、違う」

「……」

 お見通しかよ、と京介は呟く。だが、心の底の昏い澱がさっと払われた気がした。芙蓉に見通されるのは、そんなに悪い気がしない。

 安心したせいか、意識が微睡み始める。

 忌まわしい宝石を握りしめたまま傍にいる芙蓉は、もしかしたら京介を守ってくれているつもりなのかもしれない。生意気な女王様ではあるが、今はそんなふうに信じたい気分だ。

 京介は何を恐れることもなく、目を閉じることができた。


★★★


 翌朝、竜胆から電話があった。

 変な首輪のせいで凝ってしまった肩を揉みほぐしながら、京介は廊下に出て、通話ボタンを押す。

『艶島操を締め上げたところ、面白い話が出たよ』

「何か解ったのか?」

『黒ローブの狐面男のことさ。どうやら、艶島が買った琴葉以外にもたくさん、奴隷をストックしているらしいね。で、今度それを大放出するらしい』

「何?」

『オークションさ、奴隷妖怪のオークション。私はお得意様だから特別に教えてもらったのよ、なんて艶島は言ってたけど。まったく、馬鹿の考えることはよく解らないね、虫唾が走る』

 一月二日、すなわち本日、午後七時から、神ヶ原グランドホテルにて、と竜胆は告げる。

『表向きは社交パーティーらしいけど、メインイベントで奴隷の競りだとさ。奴隷を欲しがる馬鹿とか、ちょっと魔術を齧った程度の低レベルな魔術師、希少なペット好きのセレブ……そういう連中が集まって、妖を競り落とすわけ』

「そこに、ディーラーも出てくるのか」

『そう。そいつが捕まえた妖を披露して、オークションで値段を吊り上げて売り払う』

「竜胆ばあさま、そこになんとか潜り込めないかな」

『言うだろうと思ったけど、無謀だね。お前は面が割れてる上に首輪付きだ。不安な要素がこれでもかってくらいに盛り込まれている』

「だよな……」

 京介は嘆息する。まあ、確かに無茶だろうとは自分でも思っていた。

『こういうときこそ、式神を使うものだろう?』

「う……」

 はたして芙蓉がパーティーなんかに潜り込んでくれるだろうか。真っ向から敵をぶちのめすことが得意な芙蓉姫、「潜入」という言葉がこれほど似合わない奴もいまい。

 しかし、やはり自分で乗り込むのは現実的でない以上、芙蓉に頼むほかあるまい。京介は電話を切って部屋に戻り、広げたままの布団の上でごろごろしながら、サスペンスの再放送に夢中になる芙蓉を見遣る。そのドラマは確か本放送を見ていたはずなのに、また見ているのか、と思いながら、京介はCMに入るのを見計らって――サスペンス視聴を邪魔すると芙蓉は尋常でなくキレる――芙蓉に声をかける。

「芙蓉、頼みがある」

 言ってみろ、と芙蓉が視線で応じる。

「今日、奴隷妖怪のオークションがあるらしい。そこに潜り込んで、狐面のディーラーをとっ捕まえて、首輪を解除させたい。協力してくれないか、俺はこの通り役立たずだから。おそらく、捕まっている妖怪たちは首輪のせいで自由を奪われているんだろう。ディーラーを叩けば妖怪たちを解放できる。ついでに俺の首輪も解除させられる」

「それなんだが京介、一つ勝負をしないか」

「勝負?」

 芙蓉はにやりと不敵に微笑みながら立ち上がり、懐からアメシスト色の宝石を取り出す。

「私たちは今、奇しくも、互いの支配権を握り合っている。この状態で、同時に命令を出し、相手を従わせられたら勝ち、屈服したら負けだ。お前が勝てば、何でも命令をきいてやろう。私が勝てばお前が私に従え。……どちらが主人に相応しいか、決めようじゃないか」

 勝負をする前から勝つのは自分だと信じて疑わないような自信満々の表情の芙蓉に、京介は対抗意識を燃やす。ここでひいたら、既に地上一センチくらいの位置まで落ち込んでいる主としての威厳が完全に地に叩き落される。

「いいぜ。俺もそろそろ、お前に低能呼ばわりされるのを卒業しようと思っていたところだ」

「ふふ……CMが終わる前に済ませるぞ」

 京介は右手の契約紋を掲げ、芙蓉姫は紫色の宝石を握りしめる。

 まるで西部劇の決闘シーンのような緊張感。

 芙蓉は用意していたコインを左手で弾く。くるくると回るコインが床に落ちた瞬間、二人が同時に叫んだ。

「跪け!!」

 声が重なり合い響いた瞬間――体が魔術によって征服された。

「く、ぅ……」

 がくん、と京介は片膝をつく。悔しさに表情を歪ませ芙蓉を見上げる。芙蓉は腰に手を当て、悠然と微笑みながら京介を見下している。

「勝負あったな、京介」

 言いながら、芙蓉は脚を持ち上げて、京介の頭を踏みつける。

「ほら、頭が高いぞ」

「うぅ……」

 すっかり上機嫌の芙蓉は頭を床に押しつけてぐりぐり踏み躙ってくる。屈辱的な格好に、羞恥で体が熱くなる。

「まあ、そう気を落とすことはない。お前より私が優秀なのは解りきっていたことだ」

 慰めているのか、傷口に塩を塗っているのかよく解らない上から目線なコメントである。

 散々足でぐりぐりしてくれた芙蓉は、やがて気が済んだらしく京介を解放してくれた。すっかり乱れた髪を直しながら、京介は芙蓉を見遣る。少し不貞腐れたような顔になってしまったのは、致し方ない。

「さて、私の命令をきいてもらおうか」

「解ってるよ。なんでもきく」

 京介は肩を竦め、芙蓉の言葉を待つ。

 芙蓉は徐にテレビのリモコンを取ると、スイッチを切った。まだドラマは終わっていないはずなのに、と京介が訝しんでいると、芙蓉はいつになく真剣な表情で命じた。

「私に任せて大人しくしていろ」

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