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退魔師に休日はない(3)

 京介から見れば、琴葉の動きはやはり戦い慣れしていない、素人くさいものに見えていた。ナイフを持つ手は震えているし、潤平を抑え込む力もたいして強くはなさそうだ。京介なら、あの程度の脅しには屈することなく、逆に琴葉を抑え込むくらいは容易いだろう。

 しかし、今人質になっているのは残念ながら潤平である。ふだんからやたらと攻撃を仕掛けてくるエセ復讐者の潤平であるが、脇も甘いし詰めも甘い。自分だってカッターナイフを平気で投げつけてくるくせに、いざ自分がナイフを向けられるとビビってしまう。つまりヘタレチキンである。そんな彼に、「その程度の拘束振りほどいて何とかしろ」と言うのは酷である。

「下手な動きをしたら、その生意気なガキの喉を掻き切るわよ」

「きょーすけ、マジ助けて、やばい!」

「潤平……葛蔭との戦いに乱入して来た時の度胸とカッコよさはなんだったんだ。あれは俺が見た幻覚か?」

「あれは奇跡だった。俺の獲物を取られてなるものかという本能が燃え滾ったんだ。きょーすけが人質になってたら俺はもうちょっと頑張れると思うんだが、俺が人質になった場合は一ミリも頑張れない」

 人質が京介の方ならよかったのに、という見解は、くしくも二人で一致した。そんなことが一致しても、嬉しくもなんともないのだが。

「武器を捨てなさい。さあ、早く!」

 状況を冷静に観察する。潤平と琴葉のところまで、距離は二十メートルといったところだ。艶島が琴葉に命令を出すのと、京介が琴葉を無力化するのと、どちらが早いか。潤平の動きには期待できない。

 懸かっているのは潤平の命だ。ギャンブルに出るには、分が悪い。

 小さく嘆息すると、京介は刀を地面に放り出した。

「ふふ……イイ子ね。そのまま大人しくしてなさいな」

 よろよろと立ち上がり、艶島は京介の首に手を伸ばす。ひやりとした感触。京介は僅かに緊張する。反射的に払い除けそうになるが、抵抗したらどうなるか、と言いたげな艶島の目に脅され、京介は悔しげに歯噛みしながらじっとしていた。

「縛」

 艶島が短く唱える。かしゃん、と何かが取り着けられた音。ゆっくりと手を持ち上げて触れてみると、ちゃちなプラスチックでできたみたいな感触の輪っかがついている。どうやらそれは、

「首輪……?」

 京介が呆然と呟くと、艶島はけらけらと癇に障る高笑いをする。

「あはは、お似合いよ。奴隷の証ってこと。一応言っておくと、魔術で作られた首輪は、簡単には外せないわ」

 不意に京介は、琴葉の首元を思い出す。タートルネックのセーターは、この季節に着るには特に不自然ではない。だが、もしあれが防寒ではなく首を隠すために使われているのだとしたら。

 そんな思考にストップをかけるように、艶島が声を上げる。

「とりあえず、跪きなさいよ」

 艶島の「命令」に反応して、体がびくりと震える。意思に反して体が勝手に動く。艶島の思うがままに支配されていることに絶望しながら、両膝を地面についてしまう。艶島は冷笑を浮かべて見下ろしていた。

「面白いでしょう? 人間だろうが妖だろうが、首輪をつけられた奴はみんな、主人の命令に強制的に従わせられる奴隷になるの。妖を使役してばかりの魔術師が、隷属させられるなんて新鮮な体験でしょ」

「……琴葉も、首輪で操っているのか」

「そうよ、だからあいつは私の式神ではなくて、ただのド・レ・イ。ねえ、これを見なさいよ」

 声につられて、京介の視線は勝手に、艶島の左手に吸い寄せられる。彼女は左手で紫色の宝石のようなものを弄んでいた。アメシストに似た小さな石は銀色の鎖に繋がっている。

「綺麗でしょ。これが主人の証。だからこんなこともできるの――」

 艶島が冷たく目を細める。宝石が微かに光を放ち始める、その瞬間、京介の全身に電流が走った。

「っ、ぁあああ!?」

 神経を灼く強烈な電撃。目の前がチカチカとする。首輪から電気を流されたのだ。回避しようのない攻撃に、体がびくびくと痙攣した。跪かされたまま両手を地面について、苦痛を紛らすように呻く。

 幸い、衝撃はすぐに止んだ。だが、生殺与奪の権利を「主人」が握っていることは充分に思い知らされた。

 荒い呼吸を鎮めながら、京介は艶島を忌々しげに睨む。対する艶島は愉悦に満ちた笑みを浮かべる。

「あら、そんな反抗的な目を向けていいの? オシオキが足りないみたいね」

「やめろ、クソビッチ!」

 後ろで潤平が叫んだ。肩越しに振り返ると、潤平は琴葉に押さえつけられながらも、必死に叫んでいた。

「それ以上はやめるんだ!」

「潤、平……」

「お前だけきょーすけを苛めるなんてズルいぞ! 俺にもやらせろ!」

「シバくぞ潤平ッ!!」

 いったい誰のせいでこんな窮地に陥ってしまったと思っているんだ。

「あの子はあなたの友達じゃなかったの……?」

 敵にまで戸惑い気味にそんなこと言われてしまった。

「ま、まあいいわ。ディーラーに首輪代を払わなきゃいけないのは業腹だけど、不破の魔術師を服従させられるなら安いものかもしれないわ。さぁて、いったい何をさせてあげようかしら」

 艶島はくすくすと笑う。

 首輪がある限り、おそらく艶島の命令には逆らえない。しかし、自分の意思でまったく体を動かせないわけではなさそうだ。艶島の命令が下されていない時までは、体を支配されてはいない。艶島が優越感に浸り油断している隙をつけば、勝機があるかもしれない。

 ひそかに背中に回した右手。手首の小さな動きで袖の中から呪符を取り出す。艶島が命令を出す前に詠唱を終わらせる――京介は素早く唱える。

「焔弾現界」

 炎の弾丸が生み出され、艶島に向かって放たれる。詠唱は間に合った、だが直後、艶島は一言、悠然と告げる。

()()

「っ」

 京介は息をのむ。その言葉通り、弾丸は艶島から逸れ、明後日の方へ飛んでいき、誰もいない地面を抉って終わった。しくじった、と悟った直後、艶島の爪先に鳩尾を抉られる。

「ぐっ……」

 小さく呻き声を上げ、京介は地面に転がる。艶島の聞こえよがしの溜息が耳に入る。

「学習能力がないみたいね。そんなにオシオキされたいの?」

 容赦なく蹴られた衝撃で呼吸を詰まらせながら、京介はふらふらと起き上がる。艶島の蔑むような目が京介を射抜いていた。

「死なない程度に調教してやるわ、覚悟なさい」

 そう言い放った、瞬間。

 上空から隕石の如く降ってきたブーツの底が、艶島の頭を踏みつけた。

「!?」

 艶島の目が驚愕で見開かれる。だが、その驚いた顔もほんの一瞬しか拝めなかった。なぜなら、艶島の顔面は、唐突に降ってきた脚によって、砂利塗れの地面に押しつけられてしまったからである。

「……」

 うわあ、痛そう――敵ながら憐れになってしまった。

 艶島の顔面を砂利道にめり込ませた素敵すぎるおみ足の持ち主は案の定、芙蓉だった。彼女は、不機嫌そうに鼻を鳴らすと、京介に一言、言い放った。

「何をしている、バカ主。お前が跪く相手は私だけで充分だ」

「お前にも跪かねえよ」

 助太刀に感謝するより先に、間髪入れずにツッコんでおいた。



 艶島操を縛り上げ、彼女の身柄は竜胆に引き渡した。「あとの始末は私に任せて休めば?」という竜胆の言葉に甘えて、京介はぐったりしながらアパートに帰り着いた。しかし、このまま布団に倒れ込んで眠る、というわけにもいかない。芙蓉は勿論のこと、潤平に、琴葉までアパートについてきてしまっているのだから。

「さてここに、宝石が二つある」

 男三人はカーペットの上に車座になり、芙蓉は椅子に座って脚を組んでいる。右手に紫色の宝石、左手に黄色の宝石を持ち、芙蓉は語る。ちなみに、二つとも艶島の懐から芙蓉がぶんどってきたものである。

「我が間抜けなクソ主は、紫色の首輪をつけられている。で、お前は……」

 芙蓉が琴葉を睨む。琴葉はたじろぎながらも襟を引っ張って、隠していた首を見せた。そこには黄色い首輪が嵌められている。

「この宝石は、奴隷を操るコントローラーというわけだ。首輪と対になっている。たとえば紫の方を使って……そうだな、這い蹲れ、と命令すると……」

「芙蓉、俺を実験台にするな」

 言いながら、京介は這い蹲っている。

「とまあ、こんな具合だ。無理矢理相手を支配するという点では調伏術に似ているな。巷では随分面白いものが流行っているらしい。とりあえず、黄色い方はお前が持っていろ、気が気じゃないだろうから」

 そう言って、芙蓉は黄色の宝石を琴葉に持たせる。琴葉は見るからにほっとしている。気が気でないのは京介の方なのだが、芙蓉は京介の恨めし気な視線を、おそらく気づいていながら気づいていないふりをしている。

「とりあえず京介、茶でも淹れろ」

 芙蓉は無表情に、しかし完全に調子に乗ったことを言う。残念ながら京介は逆らうことができず、大人しくキッチンに立つ。

 京介が屈辱に満ちた顔でお茶の準備をしている間に、芙蓉は勝手に話を進める。京介はおいていかれないように、作業をしながらも耳を傾ける必要があった。

「琴葉。お前が艶島の奴隷にされた経緯を聞かせろ」

「……最初から彼女の奴隷だったわけじゃない。最初は……商品だったんだよ、オレ」

「商品?」

「艶島操がディーラーって呼んでいた、黒いローブの狐面。あの魔術師はオレ以外にも、街でたくさんの妖怪を捕まえては首輪を取り着けて隷属させている。そうして従順になった妖怪を、売り捌いでいる」

「奴隷市場かよ。そんな下衆な商売が成り立つなんて、世も末だな」

 潤平が嫌悪感を露わに呟く。ふだん復讐に駆られているくせに、こういう時は割と正常な価値観を持っているらしいことを窺わせる、不思議な男である。

「オレはたまたま艶島に買われた。そうして、艶島に飼われるようになった。オレはたいした妖力がないから人間には見えにくい。それを利用して、艶島はオレを使って盗みを繰り返した。命令には逆らえないし、反抗的な態度を取ると首輪で痛めつけられる。そうやって、オレは飼い慣らされちまった」

 最後の言葉は自虐的な響きが含まれていた。下賤な目的のために利用されていた琴葉は、ずっと誇りを汚されてきたのだろう。艶島を嫌悪すると同時に、同じくらい、何もできずに利用されるだけの自分をも嫌悪していたに違いない。

「首輪の外し方は?」

「解らない。たぶん、ディーラーじゃないと外せないんだと思う」

「ふん、そのディーラーとかいう奴を締め上げなければならないらしいな」

 京介も同感だった。

 妖を首輪で無理矢理隷属させて、金儲けに利用するなんて、聞いただけで反吐が出る。そんな奴を放っておくわけにはいかない。

 そして、さっさとこの不愉快な首輪を外させてやらなければならない。コントローラーをしっかり握りしめている芙蓉をちらりと見て、京介はかつてない危機感を抱いていた。

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