最後の敵は式神さん(5)
疲弊しきった体には峰打ちでも十分だったのだろう、芙蓉の体がぐらりと傾ぐ。寄りかかるように倒れてきた芙蓉を支えようと受け止めるが、しかし満身創痍なのは京介も同じ、支えきれるはずもなく、押し倒される形になった。
人の心配をする余裕があるわけでもないのだが、それでも芙蓉のことは離さずに抱き寄せていた。腕の中の芙蓉は、とても細くて、軽い。ただの、一人の少女だ。
仰向けに転がる京介は、深く息をつく。
「勝、った……」
正面突破で破れる相手ではないと解っていた。最初から狙いは芙蓉の燃料切れだ。挑発すれば、王生が徹底的にこちらを潰しにかかることは想像できた。そうなれば芙蓉は全力を以て叩き潰しにかかる。京介は殺されないぎりぎりのところまで出力をセーブし、芙蓉が先に力尽きるのを待った。賭けに近かったが、だいたい京介の作戦通りだ。
ここまでぼろ雑巾になるところまで含めて想定通りなのだから、彼我の実力の差は推して知れよう。ぎりぎりのところで勝ちを拾えたのは奇跡に近い。
「京介君!」
ばたばたと足音が駆け寄ってくる。歌子たちが血相を変えて走ってくるところだった。
「京介君、無事……じゃないのは一目瞭然なんだけど、大丈夫?」
「大丈夫……って言っても説得力ないけど、一応大丈夫。そっちは?」
「こっちは大丈夫……って言っても、説得力ないわね」
見ると歌子も紅刃も傷だらけだ。揃いも揃って無茶をしたようだ。
「弁天と紗雪は……」
ここにはいない二人は大丈夫だろうか、と案じて呟くと、計ったかのようなタイミングで、階上から陰が降って来た。芙蓉がぶち抜いた天井の穴を通って下りてきたらしい弁天と紗雪が、揃って着地を決めた。
「人の心配なんて百年早いよ、不破京介」
「まったく京介さんったら、わたくしたちのことは心配ご無用ですわよ」
などと言う二人だが、あからさまに手負いである。紗雪は特に顔色が悪くて、弁天の肩を借りている状態だ。要するに、誰も人のことを言えないのである。
それでも、全員こうしてまた揃った。そして、芙蓉もここにいる。それで十分だ。
「全員勝って万々歳、といきたいところだが……まだそうはいかないらしいな」
勝利の余韻に浸っている暇もない。見上げると、穴が開いて吹き抜け状態になった建物の三階、穴の縁に立って王生がこちらを見下ろしていた。屈辱と苛立ちを混ぜたような顔で、睨みつけてくる。芙蓉が敗れることは、想定していなかっただろう。取るに足らない紛い物の主人と侮っていた相手にここまで追い詰められたのだ、当然面白くないだろう。おまけに、自分のものだと思っていた式神は、今、京介の腕が抱きとめている。そろそろキレる頃だ。
「弁天。芙蓉を頼んでいいか」
「妖使いが荒いねえ」
愉快げに笑いながら、弁天は気を失ったままの芙蓉を抱き上げる。軋む体を無理矢理動かして立ち上がると、京介は退魔刀を持ち直し、王生を睨み返す。
「奴は簡単に引き下がってはくれないだろうな」
「きょーすけ、その体で戦う気かよ」
暗に無茶だ、と潤平は言う。
無茶な自覚はある。芙蓉が既にラスボスみたいなものだったのに、その後すぐに裏ボス戦なんて、普通はあり得ない。
「でも、俺が決着をつけないと意味がないから」
王生樹雨に契約を破棄させる。自分は芙蓉の主ではないのだと認めさせる。二度と彼女を脅かさないと誓わせる。そうしないと意味がない。王生自身が負けを認めなければ、この問題は解決しない。
ゆえに、戦って、勝って、言ってやらなければならないのだ。
「お前は芙蓉に相応しくない。負けを認めてすっこんでろ」
その言葉は、いよいよ逆鱗に触れたらしい。王生は静かに怒りを滲ませた声で言う。
「紛い物の分際で、ふざけたことを……」
天井の穴から、王生が下へ飛び降りてくる。
着地と同時に王生は右手に錆色の光を集束させる。
「お前は僕が、手ずからぶちのめす!」
言うや否や、王生は京介へ飛び掛かる。
錆色の光が炸裂し、小さな魔法弾に分裂して飛来する。円弧を描いて上から撃ち落とされる軌道で迫る光弾を、横合いに跳ねて避けるが、誰もいない地面を抉るはずだった弾丸は軌道を変えて追いかけてくる。追尾弾だ。
どこまでもしつこく追いかけてくる追尾弾は、最終的には撃ち落とすしかないだろうが、京介の炎とぶつかった瞬間に相乗効果でどれだけの被害がでるか未知数だ。近くにいるのが万全の状態の妖だけなら「自分の身は自分で守れ」と言ってやるところだが、全員満身創痍の上、自衛ができない潤平と美波もいる。巻き添えにするわけにはいかない。
彼らとは逆サイドに走り、追尾弾を引きつける。王生は血走った目で京介の姿を追い、更に魔法弾を放つ。背中に迫る厭な気配に冷や汗をかきながら、ぎりぎり追いつかれない距離で駆ける。
十分に距離を取ってから振り返り、滑るように急ブレーキをかけると、呪符を素早く繰り出す。
「焔弾現界」
炎の弾丸で、追い縋る錆色の弾丸を迎え撃った。衝突と同時に黒煙が噴き出す。一瞬だけ視界が奪われる。しかし、王生の居場所は覚えている。
「焔穹現界!」
黒煙を突き破るように火焔の矢が駆けた。
だが、敵も考えることは同じだ。視界がクリアになる前に、煙の中から錆色の光線が飛び出した。一筋の光は敵を真っ二つに斬り上げるように、音もなく床を這い、宙に跳ね上がる。紙一重で射線から逃れると、光線は天井へ駆け上がって深く傷を刻み込むと、再び音もなく煙の中へ引っ込んでいく。
やがて視界が晴れると、王生は光を纏った左手で京介の放った矢を手折り、右手には銀色の柄を握りしめている。錆色の光の線は右手の得物から伸びていて、今はまるで蛇のように床に垂れている。伸縮自在の鞭、といったところだろうか。
「さあ、調教の時間だ」
王生が鞭を振るう。高速で撓り鎌首を擡げるそれは、的確に京介の急所、頭部を狙っている。眼前に迫る凶器を正面から見据え、京介は狩修羅を振るう。鞭が王生の魔力を元に造られているなら、魔術さえも斬り裂く退魔刀であれば截断可能だ。伸びてくる鞭の先端を見切り躱すと、刀で斬り上げて鞭を中央から両断する。
攻勢に転じるべく王生の懐へ踏み込もうとする。
それを待ち構えていたかのように、王生が唇の端を吊り上げて嗤った。
しゅん、と風を切る音。直後、京介の右手に錆色の鞭が絡みついた。
「なっ……」
「斬っても無駄だよ。僕の魔力で造られた鞭は、魔力を込めれば切断面が結合してすぐに再生する。そして、ここからが本番だ」
捕えられた右手に痛みが走る。じわじわと侵蝕してくるような痛みに、思わず刀を取り落す。
「炎使いの退魔師……熱いのはお好きかな?」
手を掴まれ動きを制限されたところに、王生は追い打ちで弾丸を放つ。避ける間もなくまともに体で受けてしまうと、衝撃とは違う、抉るような痛みと熱さが襲ってくる。
「熱ッ……!」
炎ではない。皮膚が焼け爛れる熱さ。まるで酸を浴びた気分だ。
「腐蝕と融解により、讐敵を駆逐する朽爛の魔術……骨すら残してやる気はないぞ」
締め付ける鞭は少しずつ皮膚を焼け溶かす。このままでは冗談じゃなく骨まで溶かされる。
「焔々現界、焼却せよ!」
体に紅焔を纏い、まとわりつく異物を焼き払う。斬ってもすぐにくっついてしまうなら、跡形もなく焼き払ってやる。
絡みついていた鞭は燃え消え、王生の手元には半端な長さの得物が残る。だが、それもすぐに王生の魔力により再生して元の長さを取り戻す。思わず舌打ちしそうになるが、ひとまず拘束を逃れることはできた。この方法ならば一時的に逃れることができる。とはいえ、そう何度も捕まってはいられない。右手首は焼け爛れ血が滲み出している。落とした刀を拾い上げるが、痛みで震えて上手く握りしめることができない。こんな状態では、鍔迫り合いには耐えられそうにない。
「もう終わりか!?」
嘲笑を浮かべながら、王生が鞭を振るい、同時に魔力弾を放つ。鞭の変則的な攻撃と、厄介な追尾弾による同時攻撃は、すべて捌き切るのは面倒だ。かといって、普通の炎で焼き尽くすには、数も多いしその分威力も高い。
京介は呪符を一枚放つ。緋色の文字で書かれたそれは、他の呪符とは違い少々特殊だ。
「劫火現界!」
あらゆるものを触れたそばから焼き尽くす劫火を、その身から放ち続ける。その強力な術を、暴走状態でなく、自分の意思でコントロールし、使いこなす。もっとも、身の丈に合わない強い力を一度に使うという点では、体への負担は暴走した時とさして変わらない。あまり長くもたせられるものではない。
速攻で決めるしかない。京介は王生へ肉薄する。襲いかかる朽爛の攻撃は、甘んじてその身で受ける。当たったところですべて燃やしてしまえば構わない。
攻撃を避けることもせずすべて無視して強行突破する京介に、王生が僅かに怯む。その隙を逃さず、京介は間合いに入り込む。
「調子に乗んな!」
王生の右手を蹴り上げ、銀色の柄を弾き飛ばす。魔力の鞭を何度再生できても、大元の本体を破壊してしまえば関係ない。弾かれた鞭にはすぐさま焔が燃え移り、赤黒い波の中に呑み込み消し炭にする。そしてその勢いのまま、王生の鳩尾に拳を捻じ込み吹き飛ばす。
呻き声を上げながら、王生が床を転がる。利き手でなかったとはいえ、焔の勢いを借りた拳は決して軽くはなかったはずだ。
そろそろ息が苦しくなってきた。締め付けられるような苦痛を紛らすように胸を押さえ、ゆっくりと息を吐き出しながら、劫火を少しずつ鎮めていった。
一気に消耗しすぎたせいか、頭がくらくらする。これくらいで決着してくれると嬉しいのだけれど、と淡い期待を抱いてみるが、厄介なことに、王生は倒れたままくすくすと笑っている。
「……今のが全力か? 全然効いてないよ」
言うや否や、王生が跳ね起きる。ダメージを感じさせない素早い復活に、京介は僅かに瞠目する。
――いくら何でも、元気すぎやしないか。
王生の言葉は強がりでもなんでもなく、本当にまるで効いていないように見える。どうなっているんだ、と京介は苦々しげに表情を歪めながら、左手で呪符を掴み取る。
次瞬、王生の姿が眼前に迫っていた。目で追えないほど一瞬で間合いを詰められ、息を呑む羽目になる。こちらの狼狽など構わず、王生は笑いながら、右手で京介の呪符を弾き飛ばす。魔力を纏った手刀は、ほんの僅かに触れただけで朽爛の力を侵蝕させた。呪符がぼろぼろに朽ちて散っていく。術の発動前に術符が朽ちてしまったのではどうしようもない。
更に追い打ち、王生の手が京介の首を掴んだ。すぐさま皮膚を剥がされるような痛みが襲ってくる。溢れそうになる悲鳴を歯を食いしばって耐え、王生の手を手刀で打ち払い、更に顎先へ掌底を叩きこむ。王生が怯んでたたらを踏む。しかし、追撃をかける前に目の前から敵の姿が掻き消える。
その直後に、背後に殺気が回り込んでいる。振り返ると、ひときわ大きな光の砲弾が目の前で炸裂する。咄嗟に身を躱すが、放たれた砲撃は脇腹を打った。痛みのせいで踏ん張りがきかない。衝撃に押され、更に血の滲み出した腹部を狙って蹴撃を入れられ、京介の体は吹き飛ばされ、床に血を滴らせながら転がった。




