最後の敵は式神さん(2)
「お前が死なせた母を生き返らせる手伝いをしろ――そう言われたら、私に拒否権なんてなかったわ」
透明なガラスケースの一つを撫でながら、姫井は溜息交じりに真相を吐き出す。
「最初のうちは、彼女は何も知らなかった。反対されるのが目に見えていたからでしょうね、彼女に隠して、王生は研究素体の蒐集を始めた。以前私たちがいた街では、事件を起こした問題のある妖の討伐依頼は王生の元に集まった」
「事件解決のため、と偽って、妖をおヒメに倒させたわけだな」
「そう。彼女は正義のため、平和のため、主人のためということを疑わなかった。実際、途中まではその通りよ。最後だけが違う。王生は、芙蓉姫が制圧した妖を、中央会に引き渡すように見せかけて、実際は研究所に運び込んでいたの」
そんなことだろうと思った、と弁天は肩を竦める。あまりに自分の想像通り過ぎて逆に驚いているくらいだ。
「おヒメは戦闘好きであっても、私と違って虐殺は好きではないからね。実験なんぞに荷担するはずがない」
「王生はすべてを隠し通し、彼女を利用していた。けれど、いつまでも隠し通せるわけもないわ。この実験室の存在に彼女は気づいてしまった」
正しいことをしていると思っていたのに、本当はただ利用されていただけと知ってしまった。罪を償って更生してくれると信じていた妖がただの肉塊に変えられてしまっていたと知ってしまった。なにより、忠誠を尽くしていた主人に騙され裏切られていたと知ってしまった。その時の芙蓉の絶望はいかばかりか。主人を持ったことのない弁天には理解しようのない、深い絶望だったに違いない。
「すべてを知った彼女は王生を止めようとして……けれど、契約で縛られた式神が暴走した主人を止めることなどできるはずもないわ。王生は芙蓉姫の制止を一蹴し、すべてを知った上で協力するよう求めた。芙蓉姫はそれに反抗し、王生は彼女の心を折るためだけに彼女を穢した」
知らず、剣を握る手に力が入る。今すぐ腹いせに目の前の女を八つ裂きにしてやろうかと思った。しかし、元凶は王生樹雨だ。この女の腹を掻っ捌いても益はない。弁天は小さく息をついて興奮しかけた気を鎮める。
「あとは知ってのとおり。彼女は自分の声が主人に届かないと思い知った。だから王生を殺して逃げ出そうとしたの。結局、契約に邪魔されたせいか、強い力を持つ彼女でも、殺人は未遂になってしまったけれど。契約に縛られている以上、逃げ出すことなんかできやしないと高をくくっていたのだけれど、まさか神ヶ原の退魔師に保護されるとは思っていなかったわ。意外と無茶を通す人ね、彼」
「それは同感だな。あの男はだいたい無茶で無謀だ」
しかし、その無茶と無謀に、かつて芙蓉は救われた。そして、今も。
「どうやら無鉄砲ぶりは不破京介の専売特許らしい。今もそうやって、おヒメを救おうとしている」
彼ならそれが可能だろうと、弁天は根拠もなく信じている。
★★★
かつて芙蓉は京介を信じて事情を打ち明けてくれた。それを聞いた瞬間、京介は、芙蓉の本当の主人を必ず討たなければならないと確信した。そして、今がその時だ。
京介は王生の前ですべてを語り終えた。お互いに解りきっていることを改めて確認する作業のようなものだった。王生は愉快そうな笑みを唇に湛えて黙って聞いていて、芙蓉は固い表情で成り行きを見守っていた。
「言いたいことはそれで全部かい」
王生が穏やかな表情を崩さずに問う。
「悪いが、それは全部君の妄想ということになるよ」
「俺が話したことは全部事実だ」
「そうだとしても、それを誰が信用するというんだい。中央会は僕が伝えた『真実』に従って、君を犯罪者として扱っている。それを覆せるほどの論拠が、君の証言にあったとは思えないね。誰も信じない真相なんて、妄想と同じだ」
「証言するのは俺だけじゃない。芙蓉も真実を知る一人だ」
「契約に縛られた式神が、主人の不利になる証言をするとでも」
「強制命令で、芙蓉の言葉を操作するつもりか。俺を嵌めたときのように」
中央会が王生を信用し京介を敵と認定した、その決定打となったのは、芙蓉が主人の名を「王生樹雨」と告げたことだ。あの時、王生は主人の名前を言うように芙蓉に命じた。芙蓉の正式な主人は、悔しいことに王生樹雨に違いない。ゆえに芙蓉は、王生の名を告げるしかなかった。
「偽物だった俺と違って、お前の命令に芙蓉は逆らえない。真実を告白するように命じたとすれば、芙蓉は俺が言ったことと同じことを話すだろうな」
「だから僕は、そんな命令はしない。彼女は口を閉ざしたままだ」
芙蓉の口から真実が漏れることはありえない。王生が彼女を支配している限り。王生は勝ち誇るように笑い、京介は対照的に苦渋に満ちた顔をする。
「だったら、お前が今まで蒐集した妖の遺体なら、誤魔化しようのない証拠になる。この研究所に隠しているんだろう」
「君には見つけられないよ。君が中央会に訴えたとしても、調査が入るころには誰も見つけられないように隠しておこう」
「なら、お前の仲間……たとえば、姫井栞奈を問い詰めたらどうだ」
「心配は要らない。彼女には固く言いつけてある」
「『悪事がばれそうになったら自害しろ』とでも?」
「その通り」
成程、どこから攻められても完璧に言い逃れられる自信があるらしい。用意周到に造られた嘘を覆すのは容易くない。
「さて、苦し紛れの抵抗は終了かな。悪いけれど、僕は相手を嵌める時は徹底的に嵌めるんだ。そう簡単に抜けられるようなちゃちな罠は用意しない。僕が罪人に仕立てた以上、君に弁解する道は残されていない。大人しく僕の代わりに処刑されてくれ」
どうやらここで終わりらしい。
深く息を吐いて、京介は目を閉じる。ここまでの会話を回想する。抜け道がないことを確認して、もう一度溜息をついた。
「そうか……じゃあ、最後にもう一つだけ」
目を開けて、まっすぐに芙蓉を見つめる。芙蓉が固い表情の中に小さく不安を覗かせているのが解った。
そんな不安そうな顔をしなくていい。そう励ますように、京介は薄く微笑んだ。
「俺は芙蓉が二時間サスペンスを延々視聴しているのを、ずっと横で眺めていたんだ」
「……は?」
脈絡のない話に王生が眉を寄せる。京介は構わず続けた。
「受験勉強の時でさえ大音量で流され続けるサスペンスドラマから、俺が学んだ教訓は二つだ。一つは、勝ちを確信した犯人ほど饒舌になること。もう一つは、物的証拠がない時に犯人を追いつめたい場合はボイスレコーダーが鉄板だってことだ」
そう言って、京介は懐から美波からの借り物のレコーダーを取り出し、王生に見せつけるように、録音終了のボタンを押した。
ここに来てようやく、初めて、王生の表情が変わった。
動揺と苛立ちを隠そうとしない引き攣った顔だ。
「馬鹿な。そんな方法で……傷を負うのは僕だけでは済まないよ」
「ああ、そうだな」
そんなことは解りきっている。京介はレコーダーを術で仕舞い込む。京介を倒さない限り、誰も触れることのできない異界へ、大切に仕舞っておく。
この録音を使えば確実に王生を破滅させられる。しかし代償は小さくない。芙蓉の過去の傷に触れることになる。ゆえに、決めるのは芙蓉だ。
京介は芙蓉をまっすぐに見据える。芙蓉は驚いたように目を僅かに見開いていた。
お前はどうしたい? そう目線で問えば、芙蓉はやがて、くすりと悪戯っぽく微笑んだ。
「そうだな……レコーダーは鉄板だ。私たちにとっては常識だ」
どうやら答えは決まったようだ。切り札は手に入れた。このカードはいつでも切ることができる。王生には何としてでも京介を倒さなければいけない理由ができた。そして京介は、三年も前から、王生をぶちのめさなければならない理由を抱えていた。お互いにお膳立ては充分だ。
王生ははっきりと苛立った表情を見せて叫んだ。
「芙蓉姫、レコーダーを奪え、否、それでは生温い――この男を叩き潰せ!!」
正規の主人の命令を、式神は拒むことができない。それでも芙蓉は、不快そうに眉を寄せ、僅かな抵抗を示すように両手で体を抱いた。正気を失ってはいないようだが、体は忠実に命令を実行しようとする。それを止めておける時間は長くないだろう。
まあ、ここまではおおむね予定通りだ。京介は用意してきた呪符を手に取り、芙蓉を挑発する。
「来い、芙蓉。丁度そろそろ、お前に低能呼ばわりされるのを卒業しようと思っていたところだ。いい機会だから、お前のご主人サマの実力を見せてやる」
「……いい度胸だ。貧弱魔術師が図に乗るとどうなるか思い知らせてやる。私の全力を以て叩き潰す」
芙蓉が心の内で何を思っているのかは解らない。命令された時点で、式神の意思は多かれ少なかれ歪められてしまう。意に沿わない命令ならなおさらだ。苛立っているのか、諦めているのか、苦しんでいるのか。きっといろいろな感情が渦巻いている。それを表に出すことさえできないけれど、内にはたくさんのものを抱え込んでいる。
それを微塵も感じさせないように、強がるように、芙蓉はただ笑った。
京介の仕事はただ一つ。彼女の心からの笑顔を取り戻すことだ。そのためならば、まあ、たいていのことはできるはずだ。
★★★
元々人形術の技術を極めていた姫井は、王生の暴走以降、屍体人形の研究にのみ傾注するようになった。初めは王生への罪悪感からの行動だった。しかし次第に、姫井は屍体人形の制作――その先にある死者蘇生術の研究に取り憑かれた。
初めは失敗作ばかりだった。とても「ヒト」とは呼べない出来損ないのガラクタばかりが出来上がった。これでは駄目だ、と王生はさらなる研究を求め、姫井はそれに応えようとし、芙蓉はその度に精神をすり減らしていった。
そうしてようやく、初めて、生きているかのような屍体が出来上がった。それが花朱雀だった。時を同じくして、芙蓉姫は王生を裏切り逃走、王生は昏睡状態となった。王生の仲間たちは幾人かいたが、三年間ずっと傍で姫井を支えていたのは花朱雀だった。生者たちは姫井の心の拠り所にはならなかった。
王生の母親とは全く別物の屍体人形・花朱雀。王生にしてみればただの失敗作だろうが、姫井にとってはそうではない。姫井が初めて作り出した「命」は、姫井の宝物だった。
「けれど、その宝物は消えてしまった。もう一度完璧に作り直してみせる、そう思ったけれど……はっと我に返ったら、私は、もう何をしたいのか解らなくなってきてしまったわ。王生のために彼の母親を生き返らせたいのか、前人未到の死者蘇生技術の確立という偉業を成し遂げたいのか、それともただ、もう一度花朱雀に会いたいのか。私はおかしくなってしまった……でも、おかしいというなら、きっと最初からおかしかった」
「当たり前だ……死者から命を作り出そうなんて、最初から狂ってる。そんな馬鹿げたことのために、私の仲間がどれだけ傷ついたか」
償う機会を奪われた妖たち。罪などなかった妖たち。そして、芙蓉姫。
「母親に再会するため、だなんて言えば美談じみて聞こえるけれど、その実お前たちがしてきたことは、とても稚拙で、醜悪で、最低だ」
この場所は芙蓉にとって忌まわしいものだ。
そして、目の前の敵、姫井は芙蓉にとって仇敵の共犯者だ。
なんて都合がいいのだろう、と弁天は微笑む。
消すべきものは、手の届く範囲に全部そろっている。
「全部まとめて消えてくれ」
そう告げ、弁天はやがて黒い闇を生み出す。
姫井はなぜかうっすらと微笑んだ。まるでその言葉を心のどこかでは待っていたかのように。
流石に妖力を使いすぎて疲弊していた。これ以上の厄介事は御免だと思いながら来た道を引き返していくと、紗雪が廊下の壁に凭れて膝を抱え座っていた。足音に気づいて顔を上げた紗雪は、小さく微笑んでくる。
「終わったんですの?」
「ああ……私の役目は終了だ。ここから先は他の連中に任せよう」
弁天は紗雪の隣に腰を下ろし、深く息をつく。本当に、疲れた。
「京介さん、大丈夫でしょうか」
紗雪は、先へ進んだ京介のことを心配しているようだった。姫井を倒してさっさと追いかけるつもりだったが、二人ともそれは難しい状態になってしまった。芙蓉のことは京介に任せるしかない。
結局最後を京介に任せるしかないのは少々癪な気分だった。だが、京介のことは信頼できる。人間を信頼できるなどと、そんなことを思うなんて、随分と甘くなったものだと、弁天は自嘲気味に笑う。
「まあ、大丈夫だろう、あの男なら。なにせ、おヒメが認めた主人だからね」
たとえ本当の契約で結ばれていなかったとしても、芙蓉姫の主人は不破京介しかいないだろう。
弁天は柄にもなくそんなことを思った。




