退魔師に休日はない(2)
あと数歩で手が届く、というところで、相手に気づかれた。
自分のことが視える奴が近づいてきた、と察したらしい少年妖怪は、一目散に逃げ出す。
「待て!」
京介は慌てて走り出す。周りの人間たちは、突然声を上げて全力疾走を始めた京介に奇異の目を向けたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。拝殿の裏の方に駆けていく少年に、京介は追い縋る。
後から潤平が追いかけてきて、京介と伴走し始める。
「おい、きょーすけ、どうした、逃げられたのか」
相手をまだ視認できていないのに、潤平は一緒に走ってくれている。
「意外と足が速い奴だ」
「俺が見えれば、挟み撃ちにでもなんでもしてやれるのになあ」
「ああ……って、そういやちゃんと見えてるはずの適任者がいるじゃないか」
思い出して後ろを振り返る。が、見えない潤平が追いかけてきてくれているのに、見えている芙蓉は見て見ぬふりを決め込んだらしく追いかけてくる気配がない。案の定である。京介は舌打ち交じりに毒づく。
「くそ、正月トラップだ。あいつ今日は完全に働かない気だぞ」
もっとも、仮に正月でなかったとしても、スリを働くようなちんけな妖怪相手に、芙蓉が手を貸してくれるとも思えないが。
本殿の脇をすり抜け奥へと走る。境内はぐるりと森に囲まれているが、そこに入られると追いかけるのが面倒になる。相手は予想したより走るのが早いが、まだ視界の中には捉えている。逃げ切られる前に足を止めさせるしかない。幸い、本殿の裏の方までは人は来ていない。魔術を使っても誰に見咎められることもないだろう。
「縛鎖現界、拘束せよ!」
呪文を唱えると、少年の足元から幾本もの鎖が伸び、少年の体に巻き付いた。
「うお、急に見えるようになった」
潤平が不思議そうに瞬きする。京介の魔術が「触れた」ことで、目に映りにくかった妖怪の姿が、潤平にも見えるようになったようだ。普通の人間にはまったく見えない妖もいるが、一方で見えにくいだけの相手なら、一度そこに存在することが解れば、潤平にも見ることはできる。
少年はなんとかもがいて鎖の拘束を振り切るが、その頃には京介と潤平が追いついていた。
「逃がさないぞ」
京介が少年の肩を掴む。
「離せっ!」
声変わり前のような高い声で少年が叫ぶ。
「離してほしけりゃ、盗った財布はおいていけ」
「そんなことできるか! オレは行かなきゃいけないんだっ」
「なんでそこまでして……」
予想外に強情な少年に、京介は微かに困惑を浮かべる。
その時、シュン、と風を切るような鋭い音が聞こえた。目線を上げると、前方に若い女が立っていて、右手に持った鞭を撓らせ、京介を狙っていた。
反射的に少年を離して後退る。鞭の先端が砂利敷きの地面を抉り礫を跳ね飛ばす。飛び散った石礫から腕で顔を庇うと、その隙に少年は逃げ走り、女の元まで辿り着いた。
ボルドーのライダースーツを纏った女は、鮮やかなルージュで彩った唇を挑戦的に吊り上げる。
「まったく……財布を盗っておいでと言ったのに、こんな余計な虫をくっつけてくるとは、役に立たない子ね。オシオキが必要かしら?」
「ご、ごめんなさい……」
先ほどの態度からは一転して、少年は震える声で許しを乞う。
隣で潤平が得心したように頷く。
「ははぁん、読めたぜ。この性悪な悪女が式神使ってコソ泥をさせてやがったわけだな」
「そうらしいな」
「俺はな、こーいうビッチ臭い女は嫌いなんだ。女子ってのは清楚であるべきだ、うちの美波みたいに」
「お前は妹が好きなだけだろ」
潤平のさりげない妹アピールはどうでもいいとして、真に敵とみなすべきは、少年ではなく、少年を使役している女のほうらしい。
京介は女に向かって告げる。
「式神を使った窃盗行為は主人の罪だ。新年早々俺に仕事をさせるとはいい度胸だな」
「ふふん、私を捕まえる気? 残念だけど、私は服従する側ではなくさせる側の人間よ。あなたみたいなガキに捕まってなんかア・ゲ・ナ・イ♪」
ウインクする女に、潤平が即座にブーイングを飛ばした。
「年増のウインクなんて気持ち悪いだけだぞ! 自意識過剰か!」
「黙りなさいそこのクソガキ! 大人の魅力の解らないドーテイがナマ言ってんじゃないわよ!」
化けの皮が剥がれるのは案外早かった。
「誰だか知らないけれど、邪魔をしようって言うなら容赦はしないわ。二人まとめてこの私、艶島操の虜にしてアゲル……さぁ、やるのよ、琴葉!」
琴葉と呼ばれた少年がぴくんと反応する。怯えたような震えがやみ、琴葉は京介を睨みつける。ポケットから小さな折り畳みのナイフを取り出すと、手首のスナップで刃を出す。
「わぁああああッ!」
玩具のような小ぶりのナイフを両手で握りしめ闇雲に突っ込んでくる琴葉。潤平が「ヤバい刃物持ってる!」と騒いでいるが、刃物だったらお前だっていつも持っているじゃないか、と京介はひっそりと思う。
冷静に、右手に退魔刀・刈夜叉を喚び出す。またしても潤平が「こっちの方が凶悪な刃物持ってる!」と騒ぎ立てるが、もう気にしない。突進してくる琴葉の手のナイフを刀で弾き飛ばし、怯んで立ち止まる琴葉の鳩尾を蹴り飛ばす。
少年が砂利道に背中から倒れ込み、腹を押さえて苦しげに体を丸める。それを見ていた潤平が非難の声を上げる。
「きょーすけ! 子ども相手に容赦ねえな、えげつねえぞ! 暴力反対!」
「お前はどっちの味方だ」
言ってから、そういえば自分の味方ではないんだっけ、と思い出す。
あっさりと退けられた琴葉を見て、艶島はヒステリックに喚き散らす。
「琴葉! 何やってるの、早く立ちなさい! 役に立たなきゃ折檻よ、あんたにいくら払ったと思ってるの!?」
「く、ぅぅ……」
琴葉は呻き声を上げるばかりで立ち上がらない。艶島は苛立たしげに舌打ちをする。
「自分の式神に随分な仕打ちじゃないのか。それに、今のは聞き捨てならないな。お前、その妖怪を金で買ったのか?」
京介の問いに、艶島は苛立ちのままに叫ぶ。
「そうよ、悪い? 今はね、妖だってお金で買えちゃうのよ」
潤平が汚いものを見るような目を艶島に向けていた。
「金で買った妖を式神に? それじゃ式神っていうより奴隷だな」
「その通りよ。まあ、あなたたちみたいな田舎臭いガキは、知らない世界かもしれないけれど……」
「――喋りすぎですよ、艶島さん」
どこからともなく、男の声が響く。
奥の森から、足音もなく、黒いローブを纏い狐の面で顔を隠した男が出てきたのはその時だった。お互い知った相手らしく、艶島は顔も見えないのに、
「ディーラーじゃないの」
相手をそう呼んだ。「監視していたの?」と僅かに不機嫌そうに艶島は続ける。
「人聞きが悪いです。商品が不具合なく機能しているか確認しているだけですよ」
「それを監視というんじゃないの。それより、喋りすぎって何よ」
艶島の問いに、狐面は京介の方を見遣り応じる。
「あの少年は神ヶ原の守り手、不破の退魔師ですよ。彼に知られてしまっては面倒ではないですか」
「不破の? へぇ、不破の魔術師って、こんなガキだったの? たいしたことなさそうじゃない。そんなことより、琴葉が全然使えないんだけれど。あんなにたくさん払ったのに」
「最初に話したはずですよ、琴葉は存在感の薄さを利用した、奇襲や窃盗用に向いていると。魔術師相手の戦闘用ではありません」
「なら、戦闘用をちょうだいよ、あの生意気なガキを黙らせられるだけのね」
「生憎、そこまでのものはありませんね。ですが、『首輪』なら一つ、手持ちがあります」
狐面の言葉に、艶島はにやりと笑う。
「なら、それを使うわ」
仮面の下で男が微かに笑ったように聞こえた。ローブに包まれた体がゆったりと動いて、艶島に何かを渡したようだった。
「さて、私はこのへんで失礼しましょうか」
急に現れた男は、勝手にそんなことを言う。
明らかに何か詳しい事情を知っていそうな怪しい奴を逃がす気はない。京介は呪符を放つ。
「縛鎖現界、拘束せよ!」
男の足元から鎖が伸び、ローブに包まれた体を縛り付ける。
直後、狐の面がからんと地面に落ちた。すると、黒いローブも支えを失ったように地面に崩れ、緩んだ鎖も地に落ちる。ローブの中に入っていたはずの男は、姿を見せることもなくいずこかへ消え去ってしまったのだ。
おそらく転移の魔術を使ったのだろう。一手遅かったらしい、と京介は舌打ちする。
艶島が嘲るように言う。
「ふふ、不破の魔術師といっても、案外間抜けなのね」
「……お前を締め上げればいいだけだ。潤平、どっか隠れてろよ」
「任せろ、きょーすけ。俺はお前を見捨てて逃げることに対してなんの罪悪感も抱かないぞ!」
そこまで胸を張って言ってくれなくてもいい。
潤平の足音が遠ざかる。と、同時に艶島は攻撃を仕掛けてくる。
「蝶の如く舞い、蛇の如く戒めよ――蠢妖鞭!」
艶島が鞭を撓らせる。波打つ鞭は、蛇のようにも見える。俊敏な動きで伸びてきた鞭は、京介の右腕を絡め取る。
「捕まえたわよ!」
勝ち誇ったように笑う艶島。しかし京介は慌てることなく、小さく唱える。
「焔々現界」
今の攻撃は、あえて避けなかった。京介の手から放たれた炎が、鞭を伝っていく。
「――焼却せよ!」
瞬時に延焼する炎に、艶島は慌てて鞭を放り出す。得物を失った艶島に、京介は肉薄する。峰で艶島の脇腹を打ち、よろめいた華奢な体を蹴り飛ばす。艶島は呻きながら後ろに吹き飛ぶ。
琴葉同様、艶島自身も戦いには不慣れのようだった。京介は呪符を取り、術で艶島を拘束して終わりにしようとする。
その時、
「動くな!」
後ろから鋭い叫び声が響き、京介ははっとして振り返る。見ると、いつの間にか復活していた琴葉が、潤平を押さえつけ跪かせている。弱りきった顔の潤平は、喉元にナイフを突きつけられている。京介は潤平を心配するより先に、なんてこったと手で頭を抱え空を仰いだ。
「潤平、隠れてろって言ったはずだぞ」
「悪いな京介。逃げようとした瞬間、足が縺れて転んだ」
「なんて間抜けな……お前、それでも自称復讐者か」
「どうやら俺は、清楚系が好きと言いつつ、その実、性悪ビッチの豊満なボディのせいで腰砕けになっていたらしい」
「要らねえよそんなどーでもいい言い訳!」
艶島が苦しそうにしながらも、勝機を見出して微笑みを浮かべ始めていた。
「どうやら、形勢逆転みたいね」
こんな形勢逆転は認めたくない、と京介は苦虫を噛み潰したような顔をした。




