それぞれの戦闘開始(8)
花朱雀は絶え間なくメスを擲ってくる。そんなに大盤振る舞いで投げてしまっては品切れする未来も遠くないだろうに、遠慮も躊躇も加減もない。だが、やけっぱちでそうしているわけではなく、ちゃんと理由があるだろうことは紗雪も理解していた。
紗雪の後ろでは、弁天が身動きできずに這い蹲っている。かなり恨みがましげな視線を背中にひしひしと感じるが、それはこの際気づかなかったふりをするとして。攻撃を避けるのは簡単だが、避ければ後ろの弁天が危ない。ゆえに、紗雪は律儀に、すべての攻撃を叩き落すしかない。これはそこそこに面倒だし、消耗するし、鬱陶しい。敵が狙ってやっていることは自明だった。
しかし、そう敵の好きにばかりはさせない。投擲武器を使う相手に距離を取っていては面白くないだけだ。とっとと接近戦に持ち込むべきだろう。
太刀を振るい、メスを弾き飛ばしながら、紗雪は詠唱する。
「降り注げ、『氷礫弾雨』」
拳ほどの氷の礫が浮かび上がり、花朱雀へ襲いかかる。大量の氷弾は鋭く研ぎ澄まされている。とても、両手のメスで捌き切れる量ではない。花朱雀は迎撃を諦めてバックステップで回避する。当然、その間、花朱雀の攻撃は途切れる。その隙に、紗雪は敵へ肉薄した。
振り下ろした太刀を、花朱雀は両手のメスを交差させて受け止める。しかし、受け止めただけで満足していたのではまだ甘い。
「凍てつかせなさい、白雪姫」
純白の太刀・白雪姫は、触れたところから冷気を侵蝕させていく。鍔迫り合いの最中、刃から刃へ、そして刃から花朱雀へと、少しずつ氷の息吹を伝わせる。
それに気づいた花朱雀は、ブーツをかつんと鳴らす。その小さな動作で仕掛けが発動するようになっていたらしい、爪先からメスが飛び出した。放たれた暗器が紗雪の頬を掠める。続けざまに、もう片方のブーツから射出されたメス、それを紗雪はすんでのところで飛び退き回避する。
紗雪がうっすらと裂かれた皮膚から流れる血を指で拭うのと、花朱雀の手のメスが砕けるのは同時だった。
花朱雀が次のメスを取ろうと腰のベルトに手を掛け、直後にはっと目を見開く。弾切れだった。その隙を紗雪は見逃さない。
「白銀の女王の怒れる吐息を!」
びゅう、と冷たい風が吹き荒れる。紗雪の手からは凍えてしまいそうなほどの凍気の暴風が吹き出し渦を巻く。激しい回転の威力と冷気を以て、花朱雀を襲う。
花朱雀は、後ろに控える主人を身を挺して守ろうというのか、両腕で体を庇うようにし、暴風の勢いに押されながらも倒れまいと踏みとどまっていた。追い打ちをかけるべく、紗雪は更に唱える。
「白銀の……、っ!」
しかし、その詠唱が突如止まる。
紗雪は目を見開く。背中に激痛。じわりと広がる熱い痛みが確かにあった。
風が掻き消え、がくりと膝をつく。苦しげに息をつきながら、肩越しに己の背を振り返ると、大量のメスが突き刺さっていた。いったいどこから湧き出してきたのかと考えれば、なんということはない、先程まで自分が叩き落していたはずの凶器だ。
目を凝らしてみれば、メスにはきらきらと光る線が繋がっている。注意してみなければ解らないほどの、極細の糸だ。やったらめったらに投げつけていた理由は、弁天を狙っていたからというだけではない。手を離れた得物も、糸で遠隔操作して、死角からの攻撃に使えるからだったようだ。
「迂闊でしたね。優位に立った者ほど大きな隙ができます。その隙は命取りです」
冷気の嵐を耐えきり、花朱雀はうっすらと笑みを浮かべる。糸で操作したのか、落ちていたメスの一つが浮かび上がり花朱雀の右手の中に収まる。かすかに覚束ない足取りで花朱雀が歩いてくる。多少はダメージが残っている様子だが、それでも、跪く紗雪にとどめを刺すのに支障はないといったところだろう。
「どうぞ顔をお上げになってください。まずはその美しい瞳を抉り出して差し上げます」
「あら、それは嬉しゅうございますわ」
心にもないことを口走りながら、紗雪は言われるがままに顔を上げる。無論、眼球を差し出すつもりなどさらさらない。紗雪は浅葱色の瞳で、花朱雀の目を凝視した。
直後、花朱雀が口元を抑えてよろめくように一歩後退る。どうやら、漂い始めた甘い匂いに気づいたらしい。
甘い誘惑の香りと、魅惑の瞳で敵を翻弄する催眠暗示の妖術・氷華香炉。ほんの一息吸った程度では、意思を奪うまでには至らないものの、攻撃の手を緩めさせるには充分だ。
「迂闊ですわよ。優位に立った者ほど大きな隙ができて困ってしまいますわ」
あてつけるように言うと、紗雪は立ち上がりざまに太刀を突き出す。立ち竦む花朱雀の胸を貫いた。
「――!」
花朱雀が目を見開き、声もなく崩れ落ちる。
「そのまま大人しく転げていなさいな」
刀を抜かなければ出血はさほど多くならないはずだ。元々頑丈な妖の体だ、このまま大人しくして適切に処置すれば死にはしない。京介ほど甘くないと豪語しながらも、結局命までは取れないのだから、自分も甘くなったものだ、と紗雪は自嘲気味に笑う。
「さて、お待たせいたしましたわ。次はあなたの番でございますわよ」
言いながら、紗雪は右手に妖力を集中させて氷柱を作り出す。刃物に匹敵する鋭さを持つそれを姫井へ擲つ。
姫井は身を翻し躱そうとするが、氷柱は姫井の回避速度を上回り、彼女の左肩を抉った。
「くっ……!」
おそらく彼女の切り札であろう花朱雀を下した今、姫井自身を倒し切るのは容易い。こちらは手傷を負っているものの、姫井もまた手負いだ。同じ手負いなら、妖である紗雪に分がある。
押し切れる、と確信し、紗雪は姫井に迫る。
その瞬間、
「お忘れ物です。こちらはお返しいたします」
純白の太刀が紗雪の胸を貫いた。
「――え」
己の胸から突き出した刃を見下ろし、紗雪はひどく不思議そうな声を上げた。
ずるりと、血に濡れた刀が引き抜かれる。更に背中に激しい斬撃を受け、紗雪は頽れる。冷たい床に横たわり、信じられない気持ちで見上げると、胸に穴を開けた花朱雀が、涼しい顔で立っていた。彼女は、自分に刺さった刀を、苦痛の声の一つも上げずに抜き取り、仕返しとばかりに紗雪に刺し返したのだ。そして、もう用は済んだというように放り出す。
「勘違いしているようだから教えてあげる」
姫井が微かに優越感の滲んだ調子で語る。
「花朱雀は妖じゃない。たくさんの死体から優れた部分だけを選び集め、継ぎ接ぎして、百日間かけて完成させた、屍体人形。夥しいほどの死体から生まれた、生きながら死んでいる人形よ。あなたがどんなにその子を凍てつかせ、傷つけようとも、元々冷たくて、元々死んでいるその子には関係ないの」
紗雪は目を見開く。人形師を自称してはいたが、よもや死体まで人形にするとは。流石にそこまでは想像していなかった。
「なんて……悪趣味なこと……」
「少しは頑張ったけれど、残念ながらあなたは犬死だわ。けれど、安心するといいわ。あなたの眼球はとても素敵だもの。新しい人形のパーツに丁度いい」
姫井の言葉に、花朱雀は再びメスを手に取る。眼球を抉るというのは、成程、冗談ではなかったらしい。
自分の詰めの甘さを呪いながら、紗雪は、しかし、ふっと微笑む。
「……なぜ笑っているのです」
花朱雀が訝しげに眉を寄せる。傷だらけになり、窮地に追いやられながらも笑っていられるのが理解できないのだろう。紗雪は嘲りの色を隠すことなく笑いながら教えてやる。
「なぜって。こんなに可笑しいことはありませんわよ。詰めの甘さはお互い様ですわ。あなたがたはわたくしの油断を笑っているようですが、わたくしにしてみれば、あなたがたも充分に滑稽ですのよ」
かしゃん、とどこかで氷の砕ける音。
「わたくしにばかり気を取られていて、一番怖い方を忘れていましてよ」
姫井に操られるのを防ぐために身動きを封じた氷は、密かに、静かに、しかし確実に、小さな十字架に向けて冷気を放ち続けていた。それは同時に弁天までも強烈な凍気を浴びることを意味していたが、それに耐えきれぬはずもないと信じていた。花朱雀と姫井の意識を自分自身に集める傍ら、紗雪は弁天を解放する一手を探していた。
「わたくしたち、まだ死ぬつもりはありませんので、十字架は必要ありませんの。壊しておきますので、あしからず」
花朱雀が慌てた様子で後ろを振り返る。
緋色の十字架が砕け、氷が砕け、そして弁天が立ち上がったのが同時だった。
弁天の体を戒めていた緋色十字は跡形もなく砕け散っていた。いつも浮かべている、人を食ったような笑みは鳴りを潜めている。怒りを露わにしているわけでもない。ただ、静かな無表情で敵を見据えている。
「次のお相手はあなたですか。しかし、ご主人様が仰せのとおり、私は屍体人形。すでに死んでいる私を殺せますか」
「殺せるか、だって? まるで自分が生きているみたいな戯言を言うのは止しなよ。死体も人形も殺すことはできない。ただ壊すだけだ。どんなに無能な人形だって、スクラップにくらいならなれるだろう」
「手負いのあなたになにができるというのです。笑止!」
花朱雀が弁天に向かって駆ける。弁天はその場で待ち構える。
「何だってできるさ。詠唱の時間はたっぷりあった」
刹那、花朱雀の足元に底なし沼のような闇が湧き出す。地獄の底から這い出したような漆黒の腕たちが群がり、花朱雀を引きずり込もうとする。
「加減はしなくていい。骨の一本すらも残さず喰い尽くせ、『影骸』」
腕はあっという間に花朱雀の姿を見えなくする。膨れ上がった闇の中から、ぐしゃり、ぐしゃりと咀嚼の音が確かに響いてくる。その光景は、見る者みなに例外なく恐怖を湧き起こさせるほどの悍ましいものだった。
「なにを……なにをしているの! やめなさい!」
姫井が初めて切羽詰まった声を上げる。姫井が興奮するほどに、弁天は冷めた調子で言う。
「別にいいだろう、もう死んでいるんだから、痛みだって感じない。自分の体が喰われていくのを、何の苦痛もなく、無感動に、存在が消えて無くなる最期の瞬間まで見物できるなんて、気が利いた余興じゃないか」
確かに花朱雀は痛みを感じていないだろう。だが、まるでその代わりだとでも言うように、姫井は引きつった顔で、返せ、やめろと喚く。屍体人形の代わりに人形師が心の痛みを感じている。あんな顔をされたら、たとえば京介だったら、敵といえども絆されてしまいそうだ。紗雪でも、少しは迷いを感じるかもしれない。
だが、今回ばかりは相手が悪い。烏丸弁天という妖は、人間がどんなに嘆き悲しもうとも、何の痛痒も感じないようであった。




