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それぞれの戦闘開始(3)

「弾幕」

 麻生はたった一言、淡々と告げる。それだけで、麻生の前には無数の弾丸が浮かび上がった。一拍置いて、それらは順次紅刃に向かって放たれ、言葉通り苛烈な弾幕が生み出される。

 紅刃は言葉もなく血の太刀を作り上げる。一言で大量の銃弾を作り出す術は確かに優れている。しかし、弾速も照準もあくまで普通。機関銃を引っ張り出してくるのと何ら変わりはない。結果が同じなら、それを生み出すプロセスが、実際の銃だろうが言霊だろうが、撃たれる側としては関係ない。どちらにしても、同じように淡々と捌くだけだ。

 時に弾丸をすり抜け躱しながら、時に太刀で弾丸を切り裂きながら、紅刃は麻生に肉薄していく。所詮はただの弾幕、この程度で、妖相手に押し切れるとでも思ったのか。紅刃は軽く笑みさえ浮かべながら間合いを詰めた。

 紅刃が太刀を振り下ろす。同時に、麻生は術を行使する。

「剣」

 麻生の右手に剣が握られ、紅刃の一閃を受け止める。そして、

「銃」

 息継ぐ間もなく、今度は左手に拳銃を現し、紅刃の額に銃口を突きつける。

 ゼロ距離からの発砲。乾いた銃声が響く、そのぎりぎり一瞬前に、紅刃は上体を反らす。天井を仰ぐように避けた紅刃の鼻先すれすれを鉛弾が飛んで行った。

 避けた勢いのまま、くるりと後方に転回。蹴り上げた脚で麻生の手から拳銃を弾き飛ばす。そして着地と同時に太刀を持ち直し刺突を繰り出した。

「盾」

 がきん、と固い衝突音。すんでのところで麻生は盾を作り出し防御する。

「地雷」

 さらに続けられた言霊に、紅刃は危機を察知して後ろに飛び退く。直後、一瞬前まで紅刃が立っていた床が爆発した。

 爆風に煽られ乱れた髪を掻き上げ、紅刃は舌打ちをする。自分で仕掛けた爆破に麻生が自分で巻き込まれていれば面白かったが、当然、盾で凌ぎきっている。彼の操る言霊は思いのほか便利だ。

 盾を放り出し、麻生は笑みを見せる。

「どうだい。君がどれだけ苦労して僕を追い詰めようとしたって、僕はたった一言でその労力をなかったことにできる。加えて僕は一瞬で君を逆に追い詰められるわけ」

「閉店セール並みに安い挑発だね。悪いけど、その手の煽りは笑って聞き流す派なんだ」

 と言いつつ、多少イラっときたので、不敵な微笑も若干引き攣り気味。麻生の能力の厄介さにというより、麻生のキャラのウザさにである。

 言霊が優れた術であることは認めるが、圧倒的有利というほどでもない。言葉一つで現実を簡単に捻じ曲げるからには、消費する魔力は甚大のはずだ。麻生がどれだけのエネルギーを持っているかは知らないが、妖怪である紅刃よりは容量が小さいだろう。無駄撃ちさせて電池切れを狙うこともできる。加えて、言葉にしなければ発動しないということは、これから何が起きるのか宣言しなければならないということだ。事前に予告されれば、回避は難しくない。紅刃はそう冷静に分析した。

 こちとら、主人と共に場数を踏んできたのだ。この程度の魔術師は、敵じゃない。

 散々挑発された意趣返しとばかりに、今度は紅刃の方から煽ってやる。

「あんまり調子に乗ってると、足掬われるよ。一瞬で追い詰めることができるのは、なにもそっちの専売特許ってわけじゃないからね」

 唐突に、血飛沫が舞った。麻生の体からだ。脇腹が深く切り裂かれ、派手な出血が天井まで濡らす。明らかな深手。それを負わせたのは、麻生自身が握る剣だ。しかしその剣の、元は美しい銀色だったはずの刀身には、網のように赤い線が這っている。血走った、あるいは、血迷った、というほうが相応しいだろうか。

 切り付けた刃を支配することのできる、紅刃の固有能力だ。紅刃の攻撃を刀剣で受けたのが間違いだ。麻生は呆然とした表情で、深く抉られた腹部と、血に濡れた剣を握る自分の右手とを、交互に見遣っていた。

「……成程、油断した。そういえば、君はこういう力を持っていたっけね」

 そう呟いて、麻生は剣を放り出した。持ち主の手を離れた剣は霧消する。

 優れた魔術を持つがゆえに驕ったか、先に手傷を負ったのは麻生の方だった。麻生の手の内は解ったし、タネのない手品にも、もうさほど驚かされることもない。この調子で押し切れると、紅刃は確信した。

 しかし、

「――治癒」

 一瞬の後に、麻生の体から傷が消え去る。

 跡形もなく。何事もなかったかのように。飛び散っていた血飛沫さえも消え去り、綺麗なままの天井が再生される。

 時間が巻き戻ったかのような、現実感のなくなりそうな奇妙な光景に、紅刃は愕然とする。

「いやいや、何でもアリかよ……」

「言ったよね、全部無駄だって。僕の言葉は一瞬で現実を歪める。たった一言で、君の努力をなかったことにできる」

 傷を癒す術は高度なもので、得手不得手もはっきり別れる。攻撃系統の術が得意な術者は、だいたい治癒の術は苦手だ。歌子も紅刃も治癒魔術は初級程度のものしか使えない。深手を一瞬で癒せはしない。

 しかし、麻生の言霊は、困難なはずの治癒さえも一瞬で可能にする。こんなものを目の当たりにしてしまっては、先程抱いた自信も萎み出す。敵の魔術のスペックは想定以上だと言わざるを得ない。

 どんな重傷を負おうと言葉一つで回復できてしまう相手を、どうやったら倒しきれるというのか。無論、そんな高度な術を使うからには魔力を大量に消費するはずなのだろうが、今のところ、麻生はさほど消耗しているようには見えず、まだまだ余力がありそうだ。長期戦に持ち込めば妖である紅刃の方がエネルギーの容量の点で有利だろうが、とはいえ長々と麻生にかかずらっていたくもない。

 紅刃の逡巡の間に、麻生は次の手を打ってくる。

「拘束」

 麻生の言霊に応えて、紅刃の足元から赤い光線が伸びる。咄嗟に後ろに跳んで距離を取ろうとするが、すかさず追いかけてきた光に捕まり、脚を床に縫いつけられる。更に幾本もの光が鎖のように絡みつき、全身を戒めた。

 魔力で造られた鎖は体をきつく雁字搦めに拘束し、そう簡単には千切れない。動きを封じられた紅刃はどうにか拘束を逃れようと身を捩るが、ぎしぎしと体が軋むばかりで甲斐はない。

「ふふ、捕まえたよ。もがいても無駄。その拘束は、君には斬れないよ」

「あー、捕まったー」

 棒読みで言いながら、紅刃は冷や汗を流す。きっとこの光の鎖は本当に斬れないのだろう。麻生の言霊のチートぶりはよく解った。麻生が斬れないと()()()からには、斬れないのだ。

 ロクに身動きのできない状態で、紅刃は策を講じる。刀を振り回すことさえ不可能な現状だが、幸か不幸か、紅刃の右の掌は、初めに刃を握りしめたときの傷が残っており、そこから流れる血は止まっていない。

 溢れ出る血の珠を弾丸に変える。拘束された状態の紅刃に攻撃の手段はないと思い込み、高をくくっている麻生を狙って、真紅の弾を放った。

 麻生が攻撃に気づいて目を見開いたが、こちらが一手早かった。防御のための言葉を紡がれるより早く、弾丸は麻生の胸を射抜いた。

「が、ふっ……」

 苦しげな呻き声に、紅刃は心の中で快哉を叫ぶ。麻生の体はぐらりと傾ぐ。

 しかし、

「……治、癒」

 倒れかけた麻生が踏みとどまる。その時にはもう、麻生は一瞬前までの苦悶の表情など綺麗さっぱり拭い去って、涼しい顔をしていた。

「闇雲に攻撃したって無駄だよ。言葉を紡ぐのには、一秒すらかからないんだ。つまり、どんな攻撃を受けたって、一秒生きていれば完全に治癒できるわけ。僕を倒したければ、一秒の隙すら与えずに即死させるしかないよ。もっとも、君にそれができるとは思えないけれど」

「随分となめられたもんだね」

「本当のことじゃないか。その状態で僕に致命傷を与えられるとは思えないし……何より君は、昔とは随分変わってしまったから」

 まるで自分の昔を知っているような口ぶりに、紅刃は訝しげに眉を寄せる。しかし、その疑問を問いただす暇はない。

「剣」

 再び言霊で紡ぎ出した剣を右手に握りしめる。剣先を引きずりながら近づいてくる麻生は、歌うように言う。

「昔の君は触れるものを問答無用で切り裂く、まさしく抜身の刃のようだった。けれど、今はすっかり錆びついてしまった。昔の方がずっと良かったのにな」

 麻生の言葉は、何から何まで気持ちが悪い。不快を隠すことなく紅刃は吐き捨てる。

「俺は昔の俺が嫌いだ。全部壊すことしかできなかった頃の自分なんて」

「否定するなよ」

 突然強い口調で麻生が遮った。昏い光を宿した瞳を向けてくる。

「勝手に否定するなよ。そんなことされたら、僕は……」

 麻生の「地雷」を踏んでしまったのかもしれない。今まで能天気な笑みを浮かべていた麻生は一転して、狂気が滲む表情を浮かべていた。

 剣が閃く。無造作に振るわれた刃が、厳重な拘束もろとも紅刃の胸を斬り裂いた。

 燃えるように熱い傷を刻まれ、溢れかけた悲鳴を、しかし紅刃は呑み込む。傷を負いはしたものの、麻生の手によって拘束を断ち切られた今こそ好機だった。

「緋刃……」

「吹き飛べ」

 どうやら紅刃の考えは見通されていたらしい。攻撃を仕掛けるより先に、傷口に麻生の強烈な蹴撃が食い込む。踏みとどまれず、体は横合いの壁に叩きつけられた。

 麻生は息つく間もなく追いかけてくる。反撃の隙など与えられず、呻く紅刃の胸に剣がまっすぐに突き立てられた。

「ぁああッ!」

 今度こそ耐え切れずに苦痛の悲鳴が零れた。体の中央を貫く剣によって壁に磔にされ、灰色の壁は赤く濡れる。

「血刃と呼ばれていた頃の君……あの頃の君に近づきたくて、僕は強くなった。今の君が過去の君を否定することは、僕の生きてきた道を全否定することになる。それだけは駄目だ。だから僕は今の君を壊して、昔の……僕が憧れた君を取り戻すんだ」

 狂気的で、どこか切実な色を孕んだ瞳に射竦められるうちに、紅刃は目の前の青年のことを思い出す。

 最初から、麻生は紅刃を知っているような口ぶりだった。ようやく思い出した。紅刃は以前、麻生と会っている。

 まだ歌子と出会う前の、怪物だったころの紅刃は、麻生に会ったことがある。

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