それぞれの戦闘開始(2)
建物の中に落とし穴なんて、生真面目な京介は夢にも思わないだろう。一方で、一昔前のダンジョンRPGをそこそこにやり込み、ノリとテンションとフィーリングでたいていの難局を乗り越えるタイプの歌子にとっては、そこまで想像の埒外というほどでもない。ゆえに、突然フリーフォールを始めても、焦らず慌てず紅刃に指示を出した。紅刃は己の操る血液を極細の網状に張り巡らせて、歌子たちを受け止めてくれた。おかげで全員五体満足、頭蓋骨骨折を免れた。
放り出された地下空間は、先へと通路が続いていた。残念ながら弁天と違って飛べない四人組なので、遥か高みの天井を目指すより、先に進んで階段を探すべきだと判断し、一行は未知の通路へと進む。
そして進み出した途端に、
「そりゃあね、腐っても敵地だもの、罠は警戒していたわ。でもまさか、屋敷にアホみたいな改造を施しているなんて。建築基準法に土下座して謝りなさいよ」
思ったよりぶっ飛んだ思考らしい敵に、歌子はぶうぶうと文句をつけた。
「屋敷っていうより、侵入者をこてんぱんにとっちめるためだけの要塞ってカンジだな。金の使いどころが絶対間違ってる」
後ろをついてくる潤平が率直な感想を述べると、
「芙蓉さんを誰にも渡さない、というわけですか。独占欲丸出しで普通に気色悪いですね」
美波が歯に衣着せぬ言い様で王生を罵倒した。
「そんなこと言ったら、京介だって、芙蓉ちゃんに執着全開で横恋慕なわけでしょー?」
歌子の隣で前方をしっかり警戒しながら、意地悪く紅刃が問うが、美波は平然と「京介さんのそういうところが素敵です」と言い切った。清々しいくらいのダブルスタンダードである。
無駄に広く、しかも扉も何もない、無機質な廊下が延々と続いていく。とにかく下に落とされてしまった分、上に登るための階段なりエレベーターなりを探すべく歩く。固い足音がばらばらと響く。
道を探すと同時に、歌子は敵の奇襲を警戒していた。落とし穴の先にわざわざ用意したルートというからには、そろそろ敵が待ち構えていてもおかしくない。何かと大掛かりなトラップの多い砦だ、いきなり壁から天井から機関銃が飛び出して弾丸をばら撒き始めても驚きはしない。驚きはしないけれど、そこはかとなく困るからできればやめてほしい。
歌子は銃を胸の高さに構え、緊張の面持ちで進む。と、自分たちの足音以外に、もう一つの足音が、かつん、かつんと廊下に反響し近づいてくるのに気づく。
立ち止まり、警戒。紅刃が素早く前に出る。廊下は曲がり角に差し掛かっていた。やがて、角から姿を覗かせたのは、若い青年だった。
青年はやたらとにこにこと、能天気な笑みを浮かべていた。笑みの胡散臭さでいうと、弁天と同類の匂いがした。
「ようこそ、侵入者のみなさん。僕は麻生はじめ。侵入者たちを丁重にもてなすように王生から言いつかっているので、よろしく」
麻生と名乗った青年は口上を述べると、軽く首を傾げる。
「あれ、ちょっと足りない? なんだ、罠にかけそこねた人がいるの」
「最大戦力が先に進んだわよ。おたくの罠、ちょっとチャチいんじゃない」
歌子が安い挑発を仕掛けるが、麻生はにこにこ顔をちっとも崩さず肩を竦めた。
「仕方がない。まあでも、あっちはあっちで怖い人が待ち構えているからいいや。それに正直、あんまりこっちに来られても困るっていうのが本音なんだよね。ほら、僕って戦闘向きじゃないでしょ?」
でしょ、と同意を求められても困る。初対面なのだから、麻生の能力など知るはずもないわけで。
天然なのか煽っているのか、いまいち判断に悩む言動の奴だ。しかし、戦闘向きであろうとなかろうと、わざわざ待ち構えていたからには戦る気なのだろう。ならば、こちらも手加減はナシだ。
様子見のつもりで、歌子は魔法弾を一発放った。戦いは苦手な風なことを言っておきながら、しかし麻生はその攻撃を身を屈めて難なく躱した。
「うわっ、いきなりおっかないなぁ。僕は戦いは苦手なのに」
「だったら引っ込んでろよ。俺たちは先に行かせてもらうからよ」
潤平が若干の苛立ちを含ませた声で言う。麻生は再び首を傾げ、
「でも、言われた仕事はやらないとね。とはいえ、ちょっと人数が多くて骨が折れそうだから、半分そっちで引き受けてくれるー?」
後半、麻生の言葉は明らかに別の人間に向けられたもので、その視線は歌子たちを飛び越えて背後に注がれていた。振り返ると、いつからそこにいたのか、足音も気配もなく数メートル後ろに女性が立っていた。
背は低めで、不機嫌そうな仏頂面をしていて、黒髪は肩までのおさげ。烏のような黒いワンピースとショートブーツという格好で、右手には身の丈ほどもある箒を持っていて、「魔女」という言葉がしっくりくるような出で立ちだ。
「安達。公平に二・二で分けよう」
麻生が提案すると、安達と呼ばれた女性は「冗談でしょ」と棘のある声で応じる。
「一・三よ。面倒事を押しつけようったってそうはいかないわ」
「解った、一・三だね」
麻生は肩を竦める。そして一拍置いて、一言告げた。
「壁よ」
直後、歌子の目の前に鋼色の壁が出現した。
「!?」
何の前触れもなく現れた隔壁は完全に前後を分断した。歌子の視界から麻生の姿は消える。そして、紅刃もだ。
紅刃と分断された。背後では潤平と美波が動揺し息を呑む気配。
さらにその背後では、安達が舌打ちをしていた。
「なんで私が三の方なのよ」
★★★
「なんであっちが三なの」
安達と同じく釈然としない紅刃が直球で問うと、麻生は笑って答える。
「なんだかんだ言っても、安達は僕より優秀だから、文句言いつつも三人くらい軽く片付ける。だいたい、三人って言ったって、そのうち二人はただの子どもだし、戦力的にノーカンでしょう」
「あと、一応言っておくけど、俺とお嬢を分断してもまったく意味はないからね。その気になれば、お嬢は俺をいつでも召喚できる」
魔術的な結界で契約の繋がりを遮断されると厄介だが、ただの分厚い壁というだけなら、召喚術はそれを容易く越えられる。歌子はいざというときは、紅刃を呼び出すことができる。
「残念だけど、君は彼女のもとには行けないよ」
「……」
どういう意味なのか、麻生の真意を測ろうと、紅刃は麻生のむやみににやにやとした口元を睨みつけてみる。
突然現れた壁。今のは麻生の魔術だったのだろうか。だとすれば、何か特殊な仕掛けが施されている可能性はある。それが、召喚術を阻害するということかもしれない。
相当分厚い壁なのか、一枚隔てただけで、もうその向こうにいる歌子たちの声は全く聞こえない。向こうで何が起きているのか計り知ることはできない。その気になれば壊せないこともないのかもしれないが、壊すことに意識を向けて麻生に背を向けるのは危険だ。
相手の策に乗るのは面白くないが、ここは大人しく麻生の相手をするのがスタンダートか、と紅刃は結論付ける。どうせ先に進むためには排除しなければならない敵だ。安達の方は歌子に任せ、こちらはこちらのすべきことをしよう、と決める。
「とっととあんたを潰すのが手っ取り早そうだね」
「やる気になったね。さて、できるだけ手間をかけずに君を無力化したいところだけれど……催眠ガスでさくっと眠ってもらうのが一番早いと思うんだけど、どうかな」
どうかな、と同意を求められても困る。いちいちイラつく言動の奴だなあ、と紅刃は舌打ちしそうになるのをぎりぎりで我慢する。安い挑発には乗らない主義だ。
不意に、麻生が懐に手を伸ばす。そこに得物を隠しているのだろうか。急襲のタイミングを測るように、麻生はじっと紅刃を見据える。紅刃は警戒して右手に血で作り上げた短刀を握りしめた。
その時、くらっと視界が揺れた。
「……っ?」
絡みつくような眠気が襲う。まさか、と紅刃は口元を袖口で塞ぐ。まだ敵は動いていないはずなのに、催眠ガスが充満してきている?
瞼が重い。膝から力が抜け、かくりと跪く。不意打ちには気を付けていたはずなのに、こうもあっさり先手を打たれるとは。
「大人しく眠っていれば、痛い目をみなくて済む。お互い、痛いのはナシにしようよ」
「く……」
思考に靄がかかっていく。抗いがたい眠気。だが、こんなところで簡単にやられるわけにはいかない。
紅刃の体は今にも倒れてしまいそうで、ぎりぎりのところで耐えていた。崩れるのは時間の問題かと思われた。しかし、どうにか持ちこたえ、立ち上がる。
麻生が興味深そうに口角を上げた。
「ふうん? しぶといね。どうして立ち上がれるのかな」
その答えとでもいうように、ぽたり、と水音がする。血の滴る音だ。紅刃は咄嗟に、眠気を吹き飛ばすために剥き出しの刃を右手で握りしめたのだ。傷口から血が流れ落ちていくが、それを見ても、鉄臭い匂いを捉えても、妖の本能は決して異常な昂ぶりを見せることはない。一方で、麻生に対してはふつふつと静かに敵意を漲らせていく。
「そうか……あんたの声、聞き覚えのある声だと思ったら。これは、呑気に寝てる気分じゃなくなっちゃったね」
「……ああ、気づいてくれた?」
少しだけ、嬉しそうに麻生が問う。紅刃の方は、嬉しくもなんともない。寧ろむかっ腹が立ってきた。
「俺の頭にガンガン勝手に喋ってきたかまってちゃんは、あんただろ」
忘れはしない。文化祭での事件以降、頭に直接話しかけ、紅刃を歌子から引き離そうと誘ってきた嫌らしい声だ。千鳥八尋の一件が片付いた時、その仲間だろうと考えていた声の主が結局姿を見せなかったことに疑問を持っていたが、こんなところで出くわすとは思わなかった。
腹立たしい、一方でこれは僥倖だ。正体不明だった忌々しい敵を手ずからぶちのめす機会に恵まれたのだから。
「王生の仲間だったとは思わなかったよ」
「千鳥の手下だと思っていたのかな。残念、彼とは無関係。たまたま獲物がバッティングしただけ。君に最初に目を付けたのは僕だっていうのに、あいつが横から掻っ攫って行こうとしたんだ。だから罰が当たって芙蓉姫に敗れた。自業自得だね」
「ものっすごい自分本位な考え方で気持ち悪いね」
「でも本当のことさ。僕の方が先に君を欲しがった。だからずっと君に呼びかけていた」
「一応言っておくけれど、男にモテても全っ然嬉しくないから」
「というわけで、改めて君が欲しいんだけど、こっち側に来る気はない?」
「もしかして空気も行間も読めないタイプ? ストレートに『失せろ』って言わないと通じないの」
「君の能力は優れているし、内に秘めた残虐性もいい。どう考えても君は『正義の味方』って柄じゃないよね」
「絶対人の話聞いてないよね。自分に都合の悪い話は耳に入らない系のメンヘラなの?」
お互いに腹黒い笑みを浮かべながら応酬する。痛みと、ヒートアップした会話のおかげで意識ははっきりした。先に痺れを切らした紅刃の方が、にっこり笑ったまま告げる。
「とりあえず、そろそろウザいから潰す」
紅刃は先手必勝と、宙に魔法弾を浮かべる。麻生は避ける様子も攻撃してくる様子もなく、何の構えもなく立ったままだ。
「放て」
麻生の魔術にはおおよそ察しがついた。それを確認するつもりで、手始めに三発、弾丸を放つ。高速で麻生の急所を狙う弾丸。麻生は余裕の表情で、一言告げるだけだった。
「盾」
たったそれだけで、突如、麻生の目の前に、彼を守るように重厚な盾が出現した。魔法弾はすべてそれに阻まれ消失する。
詠唱といえるほどたいそうなものではなく、ただ一言で言葉を具現化し、現実に干渉する。麻生の力は予想していた通りのものだと確信する。
「言霊遣いか」
「まあ、こうあからさまにやったら、そりゃあばれるよね」
麻生は隠すつもりもない。仕掛けが割れたところで、アドバンテージが揺るがない自信があるのだ。
「その通り、僕の魔術は、言葉を現実にする術だ。君がどれだけ策を練り、複雑な魔法陣を描き、高度な詠唱をしようとも、僕は言葉一つで現実を捻じ曲げる」
先程、麻生は呑気なおしゃべりの中に「催眠ガス」と言葉を交ぜ、術を発動させた。ゆえに、なにもしていないように見えたのに、実際には知らない間にガスが充満して、危うく意識を飛ばすところだった。
「まったく、大人しく眠らされておけばいいものを。どうしてそう戦いたがるかな」
「さっすが言霊遣い、言葉にされなきゃそんなことも解らないんだね」
麻生の問いに皮肉を返し、紅刃は親切に教えてやる。
「あんたのことはこの手でぶちのめさないと気が済まないから。這い蹲らせてやるから、覚悟してよ」
さあ、戦闘開始だ。




