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それぞれの戦闘開始(1)

「――今の話は本当でありますか」

 障子の桟に糊を塗りながら、顔を上げずに高峰蓮実が問うてきた。それを、後ろで安楽椅子にふんぞり返って見物中の竜胆は肯定する。

「勿論。私がお前に嘘をついたことがあったかな」

「両手の指では足りないくらいには」

 成程、蓮実にとって竜胆はかなり信用のならない相手であるらしい。しかし、内容が内容だけに、最終的には嘘をついているわけではないと判断してくれたらしく、蓮実は嘆息した。

「由々しきことでありますな。一人の魔術師の企みに、中央会がまんまと踊らされるとは。そしてその企みが、かつて逃げ出した式神を取り戻すためだけのものだとは」

「狂気だね」

「まったくですな。しかし、そんな狂った魔術師が暗躍しているというのに、なぜ私は、こんなところで障子張りなどさせられているのでありましょう」

「そりゃ、お前の部下が障子を破ったからだよ」

 竜胆は久しぶりに自分の屋敷に戻ってきていた。中央会に目をつけられて以降、見つからないように息をひそめる生活を送ること数日。蓮実を倒したことで逃げまわる必要も特になくなり、ようやく悠々と帰宅することができたわけだ。

 そして、ただ帰ってきて休むだけでは済まさないのが、竜胆の悪徳なところだ。ノックアウトされて気を失っていた蓮実を、目を覚まさないのをいいことに自邸に連行、起きた瞬間に障子張りを命じた。逆らう権利がないことを一秒で悟った蓮実は、大人しく屋敷の修繕作業に勤しみ出した。それを見物しながら、竜胆はこれまでに掴んでいた情報を聞かせてやっていたのだ。

 蓮実は王生に係る新たな情報に俄に動揺していたが、一方の竜胆はあくまで暇つぶしがてらに王生の話を聞かせただけであり、京介に任せた時点で八割がたの興味が失せていた。竜胆にとって一番重要なことは自分の屋敷が元通りになるかどうかであった。

「部下の尻拭いくらいきっちりやりなさい。言っておくけど、障子張りなんて序の口だよ、畳も新しくしてもらうし、庭だって元通りにしてもらうから」

「ついでに台所ですが、最新式のシステムキッチンを導入してください」

 竜胆の後ろに控える、台所に並々ならぬ愛情を注ぐ妖・乱鬼が要望を出した。

「修復までは請け負いますが、改修工事まではできかねます」

 上品な装いをした乱鬼が、ちっと品のない舌打ちをした。

「ところで蓮実、私との約束はちゃんと守ってくれたかい」

「私が約束を破ったことがありましたか」

「両手の指では足りないくらいには」

「それは私が竜胆殿に破られた回数でありましょう」

 過去を捏造するな、と蓮実が憤慨した。

「話を戻しますが、竜胆殿の要求は確かに承りました。中央会には、今回の件を静観するよう通達を出しました」

「うんうん、それでいいよ。全部終わった後の後始末だけしてくれればいい」

「しかし、よろしいのでありますか。このような事情であれば、中央会は王生の捕縛のために尽力するのが筋でありましょうに」

「いいのさ。邪魔をしないのは勿論だけど、余計な手出しもしないのが一番なんだ。これはあの子たちの戦いだからね」

「不破京介殿、そしてその仲間の魔術師と、妖たち……彼らだけで、敵う相手でありましょうか。王生樹雨は一筋縄ではいかない相手でしょう。配下の魔術師たちも手練れぞろいです」

 王生樹雨の陣営の戦力については調べがついていた。確かに、敵に回すのは面倒そうな奴だ、というのが竜胆の感想だ。

「はたして、太刀打ちできましょうか」

 だが、竜胆はさほど深刻には考えていない。相手は確かに手練れぞろいだろうが、こちら側だって負けてはいない。

「杞憂だよ、蓮実。うちのパーティーが、女の子を泣かせるようなゲスい連中に負けるわけないじゃない」

 いつだって、女の子のために戦う奴は強いのだ、というのが竜胆の持論である。

 そういう精神論は聞いていないのですが、と蓮実が無粋なことを言うので、彼女が張り終えたばかりの障子に指で穴を開けて理不尽に張り直しを命じた。


★★★


 チャイムの代わりに手榴弾を鳴らして扉を吹き飛ばして騒々しく突入。

 勝手に雑魚を薙ぎ倒して先へ進んでしまうせっかちな連中に、京介は入口のところでようやく追いついて横に並んだ。危うく置き去りにされるところだった。

「慎重に行くべきだって、さっき言ってたの誰だよ」

 少々恨みがましげに言ってみると、弁天が呆れたように言う。

「こういうのは即突撃に決まっているだろう? 誰がそんな馬鹿みたいなことを言ったんだい」

 お前だよ、とよっぽど言ってやろうかと思ったが、その暇はなかった。

 赤い絨毯の敷かれたホールは吹き抜けで、正面を見上げると二階廊下の欄干に凭れてこちらを見下ろす男がいた。扉を爆破されたというのに慌てた様子も焦った様子もなく、悠然と微笑んでいるのは、王生樹雨である。

 いきなり出てきてくれるとは、探しに行く手間が省けて好都合だ。

「ようこそ、遠路はるばる無駄骨を折りによく来てくれたね」

 爽やかな笑みで厭味ったらしく言う王生に、女性陣が早速キレた。

「客人を迎える最低限のマナーもなっていないなんてこれだからゆとり世代は困ります」

「今あの虫はなんと言ったのでしょうか。人語を話してくれないとわたくし理解できませんわ」

「何あいつ超腹立つんだけど。ああいう男は絶対モテないと思う」

「とりあえず首撥ねていいかい」

 このパーティーには怖い女しかいない。

 散々に罵られながらも、王生は表情を変えず愉快そうに笑っている。あのにやけ面が癪に障るのは同感であるが、京介は幾分か冷静に告げる。

「芙蓉を返してもらいに来た」

「返してもらう、とはおかしなこと言うね。正統なる主人はこの僕だ」

「俺が紛い物なのは先刻承知だ。それでも俺は、力ずくでも芙蓉を取り戻す」

 宣戦布告に、王生は尚も悠然と、そしてどこか嘲りを含んで微笑んだ。

「かっこいいねえ。だけど、そう上手くはいかないよ。君たちは、敵の中枢に踏み込んだということがどういうことか、解っていないようだ」

 徐に、王生が右手を高々と掲げる。その手の中に握られているのは、何かのスイッチのように見えた。

「扉を爆破するような不届きな客は、そこで這い蹲っていろ」

 かちん、とスイッチが押される。

 耳鳴りのような不快な感覚を覚え、その直後、体が急激に重くなる。

「っ、く……!?」

 全身の血管に鉛を流し込まれたかのような感覚。体が酷く重い。自分の体なのに、まるでいうことをきかない。京介は思わずがくりと膝をつく。気づけば仲間たちは、皆一様に跪き苦痛に顔を歪めている。

 首筋に脂汗が浮かぶ。倒れるわけにはいかないと、歯を食いしばって、階上の王生を睨み上げる。王生は涼しい顔で見下ろしている。

「叛乱魔術師制圧用の負荷装置。悪さをした妖怪や魔術師を、どうにか安全かつ確実に止められないものかと、真面目に研究した時代があってね。どうだい、驚いたかい?」

「……装置云々より、そんな真面目な時代が存在してたことの方が驚きだ」

 王生の御託を聞き流しながら、京介は視線を走らせる。打開策を求めて、この状況を生み出している元凶を探すために、重い頭をどうにか持ち上げる。

「魔力に反応して負荷をかける広域制圧術式の開発には成功したけれど、いかんせん大掛かりすぎる装置だから持ち運びができなくてね、こうして自分の屋敷に設置して侵入者を門前払いするためくらいにしか使えない。無論、僕や仲間たちは影響を受けないようにしているわけだけど」

 大掛かりな術式は、たった一カ所の綻びが致命的になるというのが相場だ。すなわち、装置全部を完全に破壊し尽くせなくても、要所をピンポイントで壊せば機能しなくなる。とはいえ、それさえも困難なほど、京介の体は重圧に押し潰されていた。こんな状態では、まともに動けるはずもない。

「折角大勢で遊びに来てくれたのに申し訳ないけれど、君たちにはこのままここで沈んでもらおう」

 床に這い蹲る京介たちにとどめを刺すのは容易だろう。

「随分と呑気なものだな、王生」

「そりゃあね。君たちは最初から、何もできない」

 王生の言うとおり、何もできない――魔術師と妖は。

「――()()()()()

「!」

「天井の右隅だ」

「合点承知ィ!!」

 直後、潤平と美波が素早く立ち上がる。二人は携えていた銀色のアタッシェケースを開けて得物を取り出した。潤平は、掌から僅かに溢れるくらいの大きさの黒い塊を鷲掴みにし、ピッチャーよろしく大きく振りかぶる。

「っしゃあ、くたばれー!」

 やたらとハイテンションに全力投球したのは爆弾である。まさかいきなり爆弾を放り投げてくる高校生がいるとは思っていなかったようで、王生は呆然と目を見開いて見送る。元・似非復讐者であるところの潤平は思いのほか強肩で、投げた爆弾は二階の天井まで悠々と届く。それが京介の指示した通り目的の場所に辿り着いた瞬間、美波が何の緊張も躊躇もなさそうな無表情のまま、手の中のスイッチを押して起爆した。

 派手な爆音と、天井ががらがらと崩れる音が折り重なる。想像以上に威力のある爆発が天井に穴を開けていた。幸い京介たちの真上ではないので、とりあえず瓦礫に潰されることはない。

 そして、負荷装置の一部を破壊したことで術式に致命的な欠陥が生まれる。全身を襲う重圧が消え去った。他の仲間たちも次々と重圧から解放されて立ち上がる。

「ふははは、魔術何とか装置だか何だか知らないが、時代は科学、爆弾による破壊が最強と相場が決まってるんだよわははは! きょーすけ見たか、俺の華麗なる活躍を!」

「上出来だ」

 得意顔で高笑いする潤平とハイタッチを交わす。

 紅刃のハッキングによる情報収集で、王生の過去の研究内容は把握していた。敵の拠点に乗り込む時点で、退魔術師用の罠があることは想定していた。ゆえに、危険を承知で潤平と美波に協力を頼んだのだ。魔力に反応して魔術師と妖を制圧する類の罠は、二人には通じない。

 以前に一度だけ顔を合わせた二人組が普通の人間であることをようやく思い出したらしく、王生は呆れたような溜息をつく。

「成程、まさか妖怪でも魔術師でもない、なんの力もないただの高校生を連れてくるとはね。それにしても、最近の高校生は随分と派手な武器を使う」

「痴漢撃退用の武器を常備するのは女子高生の嗜みです」

 美波がさもこれが常識のように言う。とりあえず、爆弾を痴漢撃退用武器に分類する思考はどう考えても常識ではない。

「ふん……僕の出方は想定済みだったというわけだ。なら、これは想定できていたかな」

 王生がぱちんと指を鳴らす。 

 と、不意に襲い来る浮遊感。

 足元が覚束ない――というか、足元が無い。

 床が抜けている、と思った時には、既に重力に従い落下を始めている。

「――っ!」

 声にならない悲鳴を上げながら自由落下。想定できていたか、だと? 屋敷に落とし穴なんて大掛かりな罠を造っているなんて誰が想像するんだ。これでもし乗り込んできていなかったら、完全に経費の無駄遣いではないか。

 そんな悪態をコンマ一秒のうちに考えていると、不意に喉が締め付けられて、京介は思わず「ぐぇ」と轢き殺されたカエルみたいな声を上げた。

 誰かが襟を引っ掴んで、重力に逆らって持ち上げる。力任せに放り投げられて、暗い奈落から脱出、地上一階の床に放り出された。落下から脱出までが五秒以内で済まされて、何が何だかわからないうちに床に這い蹲ることになった。見上げると、背中から黒い翼を生やした弁天が澄ました顔で浮遊している。京介と同じく弁天に救出されたと思しき紗雪が、隣でスカートをはたいて埃を払っていて、こちらも澄ました顔である。

「こんな馬鹿げたことに金を使うとは。これが人間の世界でいう『ゆとり世代』という奴か?」

「違いましてよ弁天さん、これはいわゆる『セレブ』というものですわ」

「絶対どっちも違う」

 投げやりにツッコミを入れながら、京介は息を整えながら立ち上がる。振り返れば、床には三メートル四方程度の穴が開いていて、覗けばどこまで続いているのか解らない深い闇がある。一昔前のRPGのダンジョンじゃないんだから、いきなり床が落ちるなんて解るわけがない、建築基準法に謝れ。あまりに馬鹿げた罠に、内心の悪態も疲れ気味である。

「他の皆は」

 問うと、弁天は溜息交じりに言う。

「私の手は二本しかない」

 二人助けてやったんだからそれ以上無茶を言うな、ということである。至極もっともであり、助けられた京介は何も言えない。

 王生の方はといえば、この一瞬のごたごたの間に、既に姿を消している。落とし穴に落とすためだけに出てきたのかと思うと腹立たしくて仕方がない。今すぐ追いかけてやりたいところだが、穴に落ちた潤平たちが気がかりだ。歌子と紅刃がついているから滅多なことはないだろうが。

「どうなさいます」

 紗雪が問う。どうする、とはすなわち、潤平たちと合流する方法を考えるか、一刻も早く王生を追いかけるか、ということだ。

 京介は逡巡する。芙蓉のことも、潤平たちのことも気がかりだ。どちらに先に向かうべきか。あるいは、この三人の中で更に二手に別れるべきか。

 と、結論を待たずに、電子音が鳴り響いた。何かと思えば、ウエストポーチの中でケータイが鳴っている。慌てて通話ボタンを押すと、電話の向こうで怒鳴り声が聞こえた。

『こんなトンデモトラップ作るとか敵は一周回って馬鹿なのか!?』

 思いのほか元気な潤平だった。

 王生が一周回って馬鹿なのは否定しない。それはともかく、

「そっちは無事か」

『驚いたけど、まあ実害といえばゴールまでの道が長くなったってだけだからな』

 それから、がちゃがちゃと雑音が入ると、向こうで相手が交代した。

『そーいうわけだから、こっちは別ルートで王生を追いかけるわ』

 歌子だった。そして、脇から紅刃が口を出して、

『こっちにはスーパーエリートの俺がいるから、心配無用だよー』

『私も超本気出すからね。美波ちゃんたちのことは絶対守るし、そっちにも必ず合流するから、京介君は最短ルートで王生を追うのよ』

「大丈夫なのか、歌子」

『任せなさい。京介君は、()()()()()引いてるんだから、ぱぱっと済ませちゃいなさいよ!』

 太鼓判を押す歌子。見えないが、胸を張って力強く頷く姿が目に浮かぶ。

 逡巡は終わった。

「気を付けろよ」

『そっちもな、きょーすけ!』

 最後にまた潤平に戻って、通話は終了した。

「……先を急ごう」

 四人を信じ、迷いを振り捨てて、京介は行く先を見据える。

 歌子が言うところの当たりくじ――芙蓉に負けず劣らずの最凶の妖二人組はふっと不敵に笑う。

「まあ、お馬鹿な敵相手には、いいハンディキャップですわね」

「惨殺現場なんてオコサマ達には刺激が強いだろうから、丁度良かったんじゃないか?」

 手持ちのカードが少々反則気味な気がする。

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