山積みの問題と解決(3)
根気よくコールを続けて、ようやく竜胆に連絡がついた。電話の向こうの竜胆は、なんとなくいつもより疲れた風な声で応じた。
『やあ京介、生きているらしいね』
「おかげさまで」
『こっちは今、中央会の刺客を黙らせたところだ。これで誰にも邪魔されず、お前はお前の戦いができるだろう?』
背中を押してくれるのは大変嬉しい。それゆえに大変心苦しい気分で、京介は告げなければならなかった。
「それなんだが、実は……ちょっと問題があって。刈夜叉が折れてるんだけど」
『……は?』
竜胆の声のトーンが一段低くなった。胃がキリキリと痛むのを感じながら京介は続ける。
「実は八月の時点で既に真っ二つになってた。ばたばたしてて、言いそびれていたんだけど」
『……』
竜胆がついに沈黙する。京介も沈黙する。その周りでは皆が固唾を呑んで成り行きを見守っている。否、訂正、固唾を呑んで見守っているのは歌子、紅刃、潤平、美波であり、紗雪と弁天は笑い出しそうなのを堪えている顔だ。こいつら、他人事だと思って。
たっぷり三十秒は黙っていた竜胆が、ゆっくりと口を開く。
『京介……人の命に値段は付けられないけれど、海老には値段がつけられる。二人分で八百円だ』
「は?」
『そして刀にも値段は付けられる。三千万だ』
「さんっ……!!???」
『更にローンも払い終えていない』
「ローン!?」
退魔刀ってローン組めるのか。というか、代々受け継いでるのにまだローン払い終えてないのか。
思った以上に深刻な裏事情を知ってしまい卒倒しかけるが、なんとか踏みとどまる。
「それでだな、大変申し訳ないんだけど、今はご先祖様にどう謝り倒すかとか、ローンをどうするかとかよりも、さしあたって王生との対決のために得物がないことが問題なんだ。その……落とし前はちゃんとつけるから、とりあえずそれは後回しにしてもらって、現状に対する打開策が欲しいんだけど」
『成程、助太刀してほしいと。はは、刀だけに助太刀……面白いね』
「ごめん全然面白くない」
電話の向こうから乾いた笑い声が聞こえてくる。頭が痛い。決戦前なのにあちこちが痛くて満身創痍気味だ。
深い溜息をつきながら竜胆はのたまう。
『まあ、全部片付いたらお前には体で払ってもらうとして』
「なんで体?」
発想が紗雪と同じだ。
『成程、確かに事態は差し迫っている。お前をどこのメイド喫茶に放り込むかより、芙蓉ちゃんをどう助けるかのほうが重要だ』
「なんでメイド喫茶?」
今度は柊か。
『けどさ京介、私に相談すれば簡単にほいほいと、パワーアップした武器が出てくるなんて思っちゃいけないよ』
「そこまでは思ってないけど……」
否、潤平だけは思っているかも。
『とにかく、そう簡単に代わりの刀なんてあるわけないだろ。そりゃあ、私はお前のサポートに徹する暗躍至上主義者だけれど、だからって万能じゃないんだ。私を四次元ポケットか何かだと思われちゃ……』
と、竜胆が言いかけた時、それにかぶさるように乱鬼の声が聞こえてきた。
『ご主人、お忘れですか』
『ん、何が?』
『刈夜叉は本来、二本で一対の刀でございます。夜叉と対をなす修羅の退魔刀がございます』
『…………そうだっけ?』
『かつてご主人は、「ま、子どもの力じゃ二刀流とか無理っしょ」とおっしゃり、夜叉だけをお譲りになりました。そしてそのまま、修羅を渡しそびれ続けていました。ちなみにご主人もそもそも、「こんな重い刀二本も持てないし」とのたまい、二振りを同時に使うことはついぞございませんでした。修羅が泣いておりますよ』
『…………そういえば、そんなのもあったっけ』
『ちなみに修羅のローンも払い終えておりません』
『マジか』
電話の向こうで重々しい雰囲気が降りた。
しばらくしてから、竜胆がわざとらしいくらい明るい声で、
『あ、京介? なんかあるみたいだわ』
「そ、そうか……」
喜ばしいような、聞きたくなかったような。
約十分後、竜胆が葬儀場跡地で合流した。電話した時は一緒にいたはずの乱鬼の姿は見当たらなかった。竜胆は渋い顔で「奴は私よりエビチリが大事なんだ」と意味不明なことを言った。
「さて、退魔刀だったね。十年以上放置していた刀だけど、曲がりなりにも退魔刀だし、ナマクラにはなっていないはずだけど」
言いながら、竜胆は懐からペンを取り出す。何の変哲もない黒の油性ペンに見える。いったいどんな特殊アイテムかと思えば、「来る途中にコンビニで買ってきたペン」だそうだ。
「なにせ十年以上ぶりだから、少々うろ覚え……」
彼女はいつでも呪文がうろ覚えである。
「まあ、なんとかなるっしょ」
いい加減な調子で、竜胆は床に屈んでペンで魔法陣を描き始める。既に使われていない建物なので、落書きに遠慮がない。
ぐるりとマンホールくらいの大きさの円を描き、ミミズの這ったような謎の文字と数々の図形で装飾した末に、中心には「門」の字をでかでかと刻み込む。それで完成らしく、竜胆は油性ペンを放り出し、魔法陣にぱん、と片手をついて唱える。
「門より出でよ、退魔の神刀、狩修羅!」
うろ覚えなどと不安になるようなことを言ってはいたが、魔法陣は光を放ち術が起動する。竜胆の固有結界の中に保管されていた一振りの刀を陣が吐き出す。目の前に現れたそれを掴み取ると、掌からじんじんと、刀の持つ力の強さを感じた。
「これが……」
「そう、これが、不破の先祖が刀匠を不倫ネタで脅して破格の値段で造らせた退魔刀・狩修羅だ」
「その来歴は聞きたくなかった」
「刀を受け継いできた代々当主たちは、薄給を理由に負債を子孫に押しつけ続けてきた」
「踏み倒され続けた刀匠がそろそろキレてるんじゃないか?」
「安心しろ、不破家御用達の刀匠は妖だ、金を取り立てるまで死にはしない」
「三千万……」
「そういうわけだ、京介、ローンを返すまで死ぬことは許されない。ちゃちゃっと勝って帰って来なさい」
たぶん心配されているし、たぶん応援されている。独特すぎる激励に京介は苦笑しながら応じる。
「解ってるよ。ちゃんと取り返して、帰ってくる」
紗雪が後ろの方で「略奪愛!」と喚いているのが聞こえた。若干語弊があるような気がするが、正規の主人から略奪することには違いない。
だが、決めたことだ。何があっても、約束は守る。
誰を敵に回そうとも取り戻してみせる。
「けれど、自分の得物が折れてることをすっかり忘れてるようなポンコツ退魔師じゃ、先が思いやられるねえ。大丈夫なわけ?」
竜胆が揶揄い調子で言う。心配されてしまうのももっともだ。だが、京介は小さく笑うと強気に応じる。
「大丈夫。怪我の功名って奴だ、ポカをやらかしたおかげで、一つ思いついた」
少々紆余曲折はあったが、準備は無事に整いつつある。得物は手に入れ、そして転んでもただでは起きない。次にやることは決まった。京介は携帯電話を取り出して、とある相手にコールした。
★★★
契約に縛られた体は、とても不便だ。
王生の屋敷では、彼を含めた魔術師たちが迎撃の準備を整えつつあった。それを、芙蓉は黙って見ているしかない。
そして、王生が念を押してくるのにも、黙って頷くほかない。
「いいかい、芙蓉姫、解っているね。彼が……不破京介が来たら、君がちゃんとけじめをつけるんだ。君の主人は僕。主人は二人も要らない。紛い物の主は、君の手で屠れ」
言霊で戒められた体は、自分の心さえも裏切る。
「解ってる」
唇が心にもない言葉を紡ぐ。
なんて不便なことだろう。
自由に生きられない。ならばせめて、自由に死ねればいいのに。けれど、それさえも許されない。
王生が部屋を出て行き、再び一人取り残されると、深く溜息が漏れる。どうしようもないくらい、憂鬱だった。
その時、ピリリッ、と甲高い電子音が響き、芙蓉はびくりと体を震わせた。
いったいどこから、何の音だろう、とやけに動揺してしまったが、よくよく考えれば、それは携帯電話の着信音以外の何物でもなかった。
耳を澄ませて音の出所を探ると、ベッドの傍のサイドボードの引き出しの中から音が響いているようだった。何かの罠だろうかと恐る恐る引き出しを開けると、中に入っているのは、驚くべきことに自分のケータイである。
「元の仲間」との連絡手段であるケータイを没収することなく放置してあるのは、勝者の余裕なのか、はたまた単に忘れただけなのか。もっとも、王生は別に誘拐犯というわけではないので、芙蓉から外部への連絡手段を奪う必要性は、ないといえばない。加えて、王生は連絡を取るべき相手の方を、中央会を利用することで押さえてあったのだから、芙蓉が電話できるような相手などいるはずない、と考えていたかもしれない。
しかし、実際にはこうして誰かから電話がかかってきている。これでただの間違い電話だったら笑ってやる。
微かに震える指で通話ボタンを押す。
『芙蓉』
途端に、聞こえてきたのは、ずっと聞きたかった声だった。
なんだかとても懐かしく感じる。実際はほんの数日なのに、もう何年も聞いていなかったように錯覚する。今一番聞きたくて、しかし今一番、聞こえることがおかしい声である。芙蓉は嬉しくなるより先に呆れた。
「普通、こういう状況では、これから助けに行く相手に当たり前のように電話連絡はしないものだ。お前は馬鹿か、京介」
電話の向こうで京介がくすっと笑うのが解った。
『どの口が「普通」を語るんだよ。……無事か?』
その一言だけで、心配してくれているのが痛いほど伝わってきた。芙蓉は、平静を装って言う。
「それはこちらの台詞だ。幸い私は丁重にもてなされている。陰謀に巻き込まれて拷問紛いの対応をされた誰かさんとは違う」
『俺の傷なんてさしたる問題じゃない。それよりも、お前が傷ついていることの方が心配だ』
当て推量で言っただけだったが、やはり中央会に連れていかれた後の処遇は散々だったらしい。誘導尋問に引っかかって自分が傷を負ったことを明かした京介を案じ、芙蓉は憂鬱な溜息を漏らす。
『不自由な思いをさせてごめん。すぐに行くから。約束はちゃんと守る』
「馬鹿馬鹿しい。三年も前に、それも意識も定かでなかった時に漏らした戯言に、いつまで縛られるつもりだ」
『縛られているわけじゃない。俺がそうしたいからするだけだ』
「来るな」
『お前の命令をきく義理はない』
普段は上下関係を嫌う癖に、都合のいい時だけ主従を持ち出して適当なことを言いやがる。芙蓉は小さく舌打ちをする。
「私は王生に、お前が来たら殺せと命じられている。その意味は解るな?」
『覚悟はしている』
たとえ芙蓉を敵に回すことになっても、芙蓉を守る――そんな皮肉で矛盾した覚悟を、京介はもう決めているのだ。それで一番傷つくのは自分のくせに。
「命令されるのが気に入らないなら、頼む。来ないでくれ、京介」
『どうして』
「私はお前と戦いたくはない」
『悪いが芙蓉、お前の心配は杞憂だ。俺はお前に負けるつもりはない。お前を倒して力ずくでも連れ帰る』
「……」
『馬鹿みたいに沈んで、うじうじして、「つらい」とか「どうしよう」とか考えていそうな露骨に憂鬱な声出している腑抜けに負ける気はしない。今のお前となら十分戦える。余計な心配なんかするな』
「京介――それは流石に大言壮語が過ぎるだろう」
ちょっとカチンときた。
「私の精神状態が少々ばかり鬱状態に傾いていてコンディションが絶不調だとしても、その程度でお前ごときに後れを取るものか。調子に乗るなよ貧弱退魔師」
『お前自分の力を過信しすぎじゃないのか。そろそろ上から目線な発言は控えておいた方がいいぞ。勢い余って殺しちゃったらどうしよう、なんて一人で勝手に不安がっておきながらあっさり負けるようなことになったら後世まで語り継がれるレベルの笑い話だからな』
「少し会わないうちに随分と妄想力に拍車がかかっているんじゃないのか。多少の空想なら可愛いものだが絶対にありえないことを自信満々に語って取らぬ狸の皮算用とはそちらの方がお笑い草だ」
『そっちこそちょっと見ないうちに一段と自意識過剰になっているじゃないか。そろそろ足をすくわれるぞ。記念すべき惨敗を楽しみにしていろ』
「――上等だ弱小魔術師。思い上がりも甚だしい。手ずから叩き潰してやるからとっととかかってこいクソ馬鹿野郎ッ!!」
と、そこで怒りに任せてケータイを床に叩きつけて通話終了。
つー、つー、と無機質な音を聞き流しながら、芙蓉はふと我に返って頭を抱える。
危険だから来るなと言うはずが、どうしていつの間にかガチンコバトル大歓迎みたいなことになっているんだろう。
こんこんと控えめなノックの音が響く。返事をする前に部屋の扉が開き、姫井栞奈が怪訝そうな顔を覗かせた。
急に部屋に入られて少しばかり驚いたせいで、勢い余ってケータイを踏み潰してしまった。姫井はいっそう訝しげな表情になる。
「……失礼。何やら汚らしい罵倒の言葉が聞こえた気がしましたが、何かありましたか」
「知るか」
★★★
「京介君、助けに行くはずの相手に、なんで喧嘩売ってんの?」
「俺も解らん」




