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敗残兵の邂逅と再生(8)

 封印の地を監視する役目を担う不破家当主は、封印に干渉する者が現れたことを感知できるように備えている。そして困ったことに――困っているのは本人だけではあるが――仕事を九割がた孫に丸投げしているとはいえ、一応現在の当主は不破竜胆である。竜胆が居間でだらしなく寝そべりながら適当にテレビのワイドショーを見ていた時、「警報」が鳴った。

「むっ」

 それは他の誰にも聞こえない、竜胆の頭の中にだけ直接響く、魔術的な警鐘だ。半ば忘れかけていた大昔の封印、それを解こうと誰かが儀式を始めているらしい。竜胆は「ヤバいなあ」というよりどちらかというと「めんどくさいなあ」と言いたげな顔で唸る。

「鬼の封印……あれは確か、解呪に血を使うんだったか。成程、くだんの『吸血鬼』の狙いはそれだったか」

 テレビのスイッチを消して、ぶつぶつと呟きながら起き上がる。寝転がっている場合ではなくなってきたらしい。

「誰だか知らないが、儀式に踏み切ったということは、必要なものを全部手に入れて、勝算があるということ、となると……」

 不破の先祖が施した封印を解くには、不破の血が必要だ。竜胆の血でも問題はないわけだが、竜胆はこのとおり無事である。ということは、導き出される結論は簡単だ。

 どちらかといえば竜胆を狙う方が楽なはずなのだが、まあ、老いぼれの血よりは若者の血の方がなんとなくいいように思える気持ちは解らなくもない。ともあれ、状況はあまりよろしくないらしい。京介はおそらく敵の手に落ちた。さて、京介がやられるような相手では、隠居した老いぼれにどうにかできるなどと楽観視はしない方がいいだろう。

「……仕方がない。芙蓉姫ちゃんに土下座してなんとか協力してもらおう」

 苦肉の策だが、竜胆は一応は京介の式神となっている芙蓉姫に助力を願い出ることにした。

 そうと決まれば善は急げ。京介のアパートに車で乗り付け、階段を駆け上がって部屋に駆け込んだ。

「芙蓉姫ちゃん、バディ探偵のDVD買ってあげるからちょっと頼みを聞いて!」

 道中何とか芙蓉姫を説得する方法を考えて、結局思いつかなかったので物で釣ることにした竜胆は、扉を開け放つなり単刀直入に叫んだ。しかし、返事はない。不審に思って部屋に勝手に上り込む。

 部屋の灯りは付けっぱなし、テレビは付けっぱなしで、画面ではおそらく借りてきたDVDのバディ探偵が一時停止状態になっている。まるで、ちょっとトイレに行っているだけですぐに戻ってくるつもりであるような状態。けれど、トイレに人がいる様子はないし、それどころか、この部屋には誰の気配もない。

 部屋の鍵は不用心に開いていた。すぐ近くまでゴミ出しに行ってるだけとでも言うように。

「芙蓉姫ちゃん……?」

 彼女はいったいどこへ消えたのだろう。


★★★


 凍えそうなくらいの寒さで京介は目を覚ました。二月の風が肌に突き刺さる。冷たい空気に晒されて白い息を吐き出す喉が渇いて引き攣れる。

 見上げる空は黒い。いつの間にか夜になっている。だが、冬の空は暗くなるのが早い。今が何時なのか、いったいどれくらい気を失っていたのか、正確には解らない。時計を確認しようにも、両手は地面に縫いつけられていてそれさえもままならない。

 与えられたダメージが思いのほか大きく、まだ回復し切れていないようで、思考が霞んで上手くまとまらない。ここはどこだろう。視線だけを動かしてみるが、星も見えない暗い夜空がどこまでも続いているだけで手掛かりはない。

 意識を取り戻したのに気づいたのか、足音が近づいてきた。やがて傍らまでやってきた人影が顔を覗き込んでくる。

 天夜行だった。空は暗いのに、なぜか天夜行の顔ははっきりと見えた。どこかに照明があるようだ、と思いつく。今考えなくてもいいはずのそんな小さな発見が、なぜか妙に気にかかった。

「起きたか。もうすぐ、準備も終わる。今しばらく大人しく待っていろ」

「……準備?」

 京介は掠れた声で言葉を繰り返す。

 胸騒ぎがした。どうにか起き上がれないだろうかと身じろぎすると、ずきりと両手に痛みが走る。大きく広げさせられた両手は、掌を杭のようなもので貫かれ地面に打ち付けられている。両脚も同じで、もがくほどに傷が広がる。

 ふと、気を失う前までは着ていたはずのコートを、今は着ていないことに気づく。上着も脱がされていて、上はワイシャツ一枚だけ。冬の夜中にこの格好、どうりで寒いはずだ。おまけに傷口から少しずつ血が流れ出している。体温は下がる一方だ。

 姿は見えないが、足音がざりざりと絶え間なく聞こえる。おそらく藍童子が何かの作業をしているのだろうと推測される。天夜行はじっと京介の傍で待っている。監視役のつもりなのだろう。

「少々手こずったが、私たちの計画はおおむね順調だ」

 退屈凌ぎにか、天夜行が訥々と語る。

「まず、儀式に必要な人間の血を集める。騒ぎを起こせば、お前が動くと想定していた。予定通りお前を誘き寄せることには成功した。その後、私と藍童子、二人がかりでお前を倒すのは造作もないことではあったが、それでは駄目だ。ただ痛めつけたところで、お前は口を割らないだろうからな。

 そこで一計を案じた。まずは藍童子と戦わせる。本来なら、藍童子だけで十分お前を無力化できるはずだった。油断があったとはいえ、藍童子が負けたのは少々計算外だった。しかし、それでもお前の力を削ぎ、余裕を奪うことには成功したから、大きな問題ではなかった」

 藍童子の目的は、あの場で京介の口を割らせることではなかった。それは難しいだろうと最初から踏んで、布石を打つことが目的だったのだ。

「秘密を守ろうとする魔術師が警戒するのは読心の類の妖術だ。そういう術を使う妖は少なからずいる。それを警戒している手練れの魔術師に対しては、思考を読む術は成功しにくい」

 だからまず、消耗させる。余裕を奪う。

 魔力の底がつき、焦燥し心が乱れた魔術師が相手なら、思考を読むのは容易い。

「虚をついてブラフを仕掛ければ、必ず表層の思考に封印の場所が顕れると踏んでいた。そうすれば、あとは簡単だ。思考など、突き詰めれば電気信号にすぎない。電気を操る私にしてみれば、その信号を解析して思考を読むことは容易い」

「……あの時、既に封印の場所を突き止めたっていうのは、はったりか」

 思考を読まれることを警戒して、ふだんは考えないようにして記憶の奥深くに仕舞っている秘密。余裕のない状況で不意をつかれれば、咄嗟にそれを考えてしまう。記憶の深いところは読めなくても、今まさに考えている思考ならば読める。まんまと嵌められたわけだ。

「じゃあ、ここは……」

 照明が気になった理由が解った。確かに、その場所には照明がある。夜でも生徒たちが野球練習ができるようにと、ナイター用の大きな照明が煌々と光っている。

「考えてみれば、妥当な場所だな。お前が監視するために、お前の生活圏内にあり、そしてまもなくお前のテリトリーになるはずの場所だ。まさかこんな場所に封じているとは……否、封印された場所に後から建設されたのだろうが」

 すなわち――神ヶ原第一高等学校、グラウンド。

「不破の魔術師が代々後生大事に守っていた秘密も、こうして暴かれたわけだ。だが、恥じることはない。お前が悪いわけではない。私たちはずっと、土宿儺の復活を望んでいた。ずっとそのために動いていた。その方法を突き止め、力を蓄え、ようやく実行に移せるときが来た……それがたまたまお前の代だったというだけだ」

「――兄貴。陣を書き終えたぞ」

 藍童子がのそのそとやってくる。退魔刀で斬ったダメージは確かにあるはずなのだが、多少歩みが緩慢なくらいで、藍童子は涼しい顔をしている。さすがは妖、回復速度は人間とは段違いだ。

「集めた血も、充分陣に吸わせた」

「ご苦労。この男の血も陣に染みこんでいる。封印を解くには充分だろう」

 封印の場所は突き止められ、解放の儀式のための血も足りている。彼らの目論見を妨げるものはもう何もない。じわじわと危機感が溢れだしてくる。どうにかしなければ、とにかく拘束を抜け出さなければと足掻く。しかし、魔力も血も足りていない体は思うように動かず、少し動けたところで傷が深く抉られるだけ。杭を引き抜いて拘束を脱するまでにはいかない。

 無様にもがくさまを、天夜行は冷ややかに嘲笑う。

「大人しくしていろと言っただろう。すぐに終わる。そこで見ているといい」

「待て、やめろ」

 京介の制止など歯牙にもかけず、天夜行は封印の解除に取りかかる。

 地下深くに眠る鬼に語りかけるように、朗々と詠唱する。

「深淵の闇に眠りし者よ、今、大地に血を捧げ、その戒めの楔を打ち砕かん。囚われし御魂を解き放ち、再び時を進めん。顕現したまえ、土宿儺!」




 低く低く、地鳴りがする。

 地震の前兆のように、細かな振動音が続く。ぞくぞくと胸騒ぎを掻きたてる音に冷や汗を流しながら、京介は体を戒める杭との格闘を続けていた。

「っ……外れろ……!」

 固く踏み固められているとはいえ、地面は土だ。深く突き刺されてはいるが、抜けないはずがない。左手に力を込める。血が溢れ激痛が走るが、構わず足掻けばようやく左手の杭が抜けた。自由になった左手で、今度は右手の杭を抜き、次いで両脚も自由にする。手は満足に拳も握れないほどに傷ついていた。

 よろよろと立ち上がりグラウンドを見渡す。地面に描かれた陣が淡く白い光を放っている。今からでも術を止められるだろうかと、京介は指先で呪符を取る。しかし、呪文を唱えるより先に、後ろから手を掴まれる。

「痛ッ……」

 穴の開いた右手を力いっぱい握られ、呪符を取り落す。肩越しに振り返ると、藍童子が鋭い視線を向けていた。

「邪魔をするな、不破の退魔師よ。黙って見ていればすぐ終わる……ほら、いよいよだ」

 はっとして前に向き直る。地面の陣から溢れる光がいっそう強くなる。

 地面から、強く禍々しい妖気が立ち上ってきている。化け物が封印を破って出て来ようとしている。

 水面から顔を出すように、とぷん、と地面が波紋を描き、その中心から黒い影が飛び出してくる。その姿は、決して大きくはなく、普通の人間のような姿をしている。しかし、その華奢な体の中に強大な力を詰め込んでいるように感じられた。

 髪は白く、肌は浅黒い。古びた着物を身に着けた痩身の男が、地上に姿を現した。

 永く封じられていた鬼の姿を、当然ながら京介は、見るのは初めてだ。その昔、神ヶ原で暴れ回り混沌に陥れたと言われていた鬼だ、もっと大柄だったり、異形の姿だったりを想像していたため、目の前に現れた男の姿は予想外のものだ。しかし、だからといって侮りはしない。男から放たれる妖気は確かに強大だった。

 男、土宿儺が、枯茶色の瞳を開いた。

 瞬間、天夜行が歓声に似た声を上げる。

「おお……! この時を何百年待ちわびたことか! ようやく、再び会うことができた……我が兄、土宿儺」

 感極まったというように、天夜行がふらふらと土宿儺の元へ歩み寄る。それにつられるように、藍童子は京介を突き飛ばし、天夜行に続く。

「ようやく俺たちの悲願は達成された。さあ、理不尽にも兄上を封じた愚かな魔術師に復讐を! 再び人間の世に混沌を!」

 二人の弟たちは口々に期待を込めた言葉を発する。歓喜に満ちた鼓舞に、しかし土宿儺は瞳に冷ややかな色を浮かべている。

 土宿儺がゆっくりと両手を持ち上げる。両の掌をそれぞれ弟たちに向けて突き出し、重々しい溜息をつく。

 京介は胸騒ぎを感じていた。土宿儺の復活に興奮している天夜行たちはそれに気づかない。

 封印からの解放に狂喜するでもなく、弟たちとの再会に歓喜するでもない。土宿儺は暗い瞳のまま視線を虚空に彷徨わせると、小さく呟いた。

()()

 轟、と土宿儺の両手から放たれる衝撃波。その直撃を受け、藍童子と天夜行の二人が京介の脇を抜けて後方へ吹き飛んでいく。風圧に髪を攫われる。かろうじて巻き添えを免れただけのすれすれの距離。一歩間違えれば衝撃波に呑み込まれていたのは己だったかもしれないという事実に声を呑んだ。

 そしてそれと同時に、自分を解放してくれた感謝すべき弟たちに無情にも牙を剥いた土宿儺の行動に戦慄する。彼らは仲間だったのではないのか、なぜ、と疑問が渦巻いた。

「世界は回る」

 ぽつりと土宿儺が呟いた。

「俺が眠りにつこうと、弟たちが暴れようと……母が死のうと、世界は回る」

 抑揚のない声が帯びているのは哀傷の色。

「何事もなかったかのように、初めから存在しなかったかのように、平気な顔をして、平和な顔をして、死を置き去りにして世界は回る。俺には、そんな世界が疎ましくて仕方がないのだ」

「だから……壊すのか」

 憂いを帯びた瞳がじろりと京介を見る。

「弟たちは、俺ほど母を愛してはいなかった。女は弱いものと、弱いものがいなくなろうと構わないと、思っているからだ。だが私は母の死を悼み、世界を疎み、壊そうとした。ただ暴れて面白がりたいだけの弟らには理解できまい。誰にも理解はされない。それでも構わない。ただ俺は、この世界を認めたくない」

 ゆえに土宿儺は世界に牙を剥き、この地に封じられた。数百年の時を経て目覚めた鬼は、その衝動を忘れてはいなかった。彼が負った傷も、彼が抱いた執念も、時間が解決はしてくれていなかった。

 大切な者を失くしたその現実を認めたくない――その気持ちは、今の京介に通じるところがある。まるで自分に向かっても言い聞かせるように、京介は訴える。

「冗談じゃない。自分にとって大事な奴が死ぬたびに、いちいち世界を壊すのか」

「人間はそんなことをしないだろうな。だが俺は鬼だ。気に入らないことがあれば力で解決する。人間のようにつまらないしがらみに囚われて躊躇いはしない」

「大切な母親が死んで、哀しみや苦しみをどこに向けていいのか解らない、だからつらい……今のお前は、それだけだ。ここでつらいことと向き合って現実を見ろ。まだ踏みとどまれるだろう」

「踏みとどまる必要など俺にはない」

「止まってくれ」

「今更止まれるものか」

「だったら俺が」

「お前が止めるというのか? 戯言を!」

 嘲るような調子で会話を打ち切ると、土宿儺は両手を広げ呪文を唱え始める。

「木は骨、蔦は血管、土は肉。大地に属する全てのものは、我が血肉となり、我が手足となれ」

 土宿儺を中心に風が巻き起こり螺旋を描く。風に巻き込まれそこらじゅうの土や草が舞い上がり、土宿儺に引き寄せられていく。それらはやがて巨大な茶色い胴を作り上げ、腕を作り上げ、脚を作り上げ立ち上がる。嵐のような暴風の中、不思議と土宿儺の声だけは朗々と響き渡っていた。

「踊れ、『泥人形』」

 数百年の時を超えて、怪物は再び暴れ出す。

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