表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/137

敗残兵の邂逅と再生(3)

 下駄箱を開けると、中に見覚えのない紙袋が入っていた。それを見て一番に考えるのが爆弾の可能性であるあたり、京介の精神状態はなかなか荒んでいる。

 周りの空気がなんとなく浮足立っていて、あっちこっちできゃっきゃと黄色い声が響き、本日の日付が二月十四日であることを思い出して、ようやくバレンタインの贈り物である可能性が思い浮かぶ。中学生らしい可愛らしい可能性に思い至るまでにたっぷり五分はかかった。

 下駄箱の前で五分硬直していた京介は、下校していく生徒たちからそこはかとなく奇異の視線を向けられながら紙袋を手に取った。中から出てきたのは、赤いリボンのかかった、ハート形の箱が入っている。

「……」

 逡巡の末、京介は箱をそっと袋の中に仕舞う。ネームプレートを頼りにクラスメイトの靴箱を探し当てると、勝手に中に贈り物を突っ込んだ。

 一仕事終え、京介が靴を履き替えて昇降口を出ようとする。と、箱が後ろから飛んできて京介の後頭部に直撃した。

 床にハートの箱が落ちるのと、京介が気だるげに頭を擦るのとは同時だった。このタイミングで攻撃してくるということは、やはりどこかに潜んでこちらの様子を監視していたらしいな、と驚きもせず考えながら、京介は振り返る。窪谷潤平がオーバースローを決めた後の体勢のまま、不機嫌なオーラを放っていた。

「な・ん・で! お前が貰ったチョコレートを俺の下駄箱に入れてくんだよ。貰えよ、有難く! 鼻の下を伸ばしながら食えよ、チョコを! 愛の詰まった贈り物を無下にするとは最低だな!」

「いいよ、返すよそれ。どうせ愛という名の下剤が入ってるだけだろ」

「お前はエスパーか!」

 荒みきった青春を送っている京介は人の悪意には割と敏感である。好意的な贈り物なのか、好意の皮をかぶった悪意全開の贈り物なのかは、なんとなくぴんとくる。仲違いして以降、潤平は執拗に嫌がらせを仕掛けてくる。

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら付きまとって来ようとする潤平を適当なところで撒きながら、京介はアパートに戻った。

 二週間ほど前から、京介の部屋に同居人が増えた。アパートの管理人にバレたら面倒そうだが、バレる心配はないだろう、と京介は適当に考えている。なにせ、この同居人は一日中部屋に引きこもってロクに言葉も発しないのだから。

 部屋に入ると、案の定、芙蓉姫は布団の上で膝を抱えて座っていた。何をするでもなく、暗い表情で俯いている。

 芙蓉姫は京介を受け入れてはいない。京介との契約を受け入れてはいない。ただ、式神である以上、抵抗できずどうしようもないから、という理由で諦めて現状に甘んじているだけだ。本当はこんな状況望んでいない、という彼女の心境は手に取るように解る。

 結局、芙蓉姫を取り巻く現状は、京介と契約を結ぶ前と結んだ後とで何ら変わりはない。不自由な式神のまま。主人の椅子に座る人間が京介にすげ変わっただけだ。芙蓉姫にとって、前の主と京介とは同じだ。自分を縛る足枷でしかない。

「ただいま、芙蓉姫」

「……」

「夕飯、食べたいものとかあるか?」

「……」

「お前、俺が何作ってもロクに食ってくれないんだから、好き嫌いがあるなら最初に言ってくれると助かるんだが」

「……」

「……ちゃんと食べないと、体を壊す」

 そのあたりで煩わしくなったのか、芙蓉姫はちらりと視線を上げて、短く問うた。

「『ちゃんと食べろ』……それは命令か?」

「……」

 芙蓉姫は、主人から式神に与えられる言葉は「命令」以外にないと思っている節がある。諦観と、僅かな挑発の混じった問いだと京介は思う。

 私に言うことを聞かせたいなら命令すればいい。そして、命令したならば、お前もあいつと同じだ。

 そんなふうに言われている気がする。だから京介は、芙蓉姫に命令ができない。主人が望まなければ絶対服従の力は機能しない。式神を縛らなくて済む。

 この二週間ほど、芙蓉姫と京介との会話はこんなものだ。ひどく、息苦しい。

 京介は小さく溜息をつき、夕飯の支度を始める。こうなることは、解っていたはずだ。そう簡単に信用されるはずがないと解っていた。だから、大丈夫だ。



 結局その日も、芙蓉姫は茶碗にほんの少しだけよそった白米を食べただけだった。そんな調子で体力がもつはずもないのだが、無理強いしても仕方がないので、京介は何も言わない。食事を終えると、芙蓉姫は再び布団の上で膝を抱えて黙り込む。

 後片付けを終えてから、京介は卓袱台の上にテキスト類を広げる。芙蓉姫のことも重要な案件だが、忘れてはいけないのは、京介は現在受験生であるという現実だ。一応本業は中学生なので、受験勉強に勤しむ必要がある。入試まで一か月を切っている。

 ノートにシャーペンを走らせる。カリカリ、と無機質な音が響く。カチコチ、と時計の針が単調に響く。静かな呼吸音と、微かな衣擦れ。会話のない部屋。覚えずにはいられない気まずさを、京介は目の前の勉強に集中することで気づかないふりをしようとした。

 しかし不意に問題に躓いて集中が途切れると、考えずにはいられない。どうすればいいのだろうか、と。

「……」

 解決不能な問題に頭を抱える。

 と、その時、アパートの外階段をばたばたと荒々しく駆け上がる足音が響いた。部屋の中まで聞こえてくるくらいだから、相当大きな音だ。騒がしい奴だな、と思いながら顔を上げると、慌ただしい足音は一瞬にして近づいてきて、ばんっ、と乱暴に音を立てて京介の部屋の扉を開けた。

 まさか近所迷惑な騒音を立てる奴が自分の部屋への来客だとは思っていなかった京介はぎょっとする。いったい誰だと考えるまもなく、突然の来客が顔を出した。

 飛び込んで来たのは竜胆だった。まあ、ノックもチャイムもナシに勝手に部屋に上り込んでくる不届きな奴など身内以外考えられないので、当然と言えば当然だった。

「竜胆ばあさま?」

 竜胆は酷く息を切らしていた。よほどの緊急事態とみた京介は緊張する。

「いったいどうしたんだ、ばあさま」

「テレビ」

「は?」

「テレビつけろテレビ! うちのテレビが急に壊れちゃったんだよ! 九時から『バディ探偵』が始まっちゃうのに!!」

「…………」

 緊急事態には違いないようだが、京介にとってはこの上なくどうでもいい緊急事態だった。

 京介があまりのどうでもよさに呆れていると、竜胆は勝手にリモコンを取ってテレビの電源を入れた。九時一分前。ぎりぎりセーフといったところか。

 竜胆は盛大に安堵の溜息をついて人の布団に勝手に座った。最近ではもっぱら芙蓉姫の膝抱え用特等席になっていた京介の布団に、新たな客人である。

「いやぁ、よかったー。毎週これだけは楽しみにしてるんだから、見逃すわけにはいかなくってねえ」

 竜胆が毎週欠かさず視聴しているという「バディ探偵」は、厄病神レベルでしょっちゅう殺人事件に出くわす自称探偵の高校生主人公が活躍するサスペンスドラマで、そこそこ人気らしく今年でシーズン7に突入している。主人公はかなりの高確率で犯人によって拉致監禁・暴行等の酷い目に遭わされる。命がいくつあっても足りなそうだが、ピンチのたびに幼馴染にして探偵助手のヒロインが助けてくれるのである。

「先週の予告を見た時から今週は神回の予感がしているんだ。『探偵スバル、絶体絶命!?』って、高城君が冷凍室に閉じ込められてた」

「どうせナナコがドア蹴破って救出するんだろ」

「心が躍るね!」

 ちなみにスバルが主人公でナナコがヒロイン、高城君はスバルを演じている俳優で竜胆のお気に入り。

 いつになくハイテンションの竜胆が勝手にテレビの音量を上げる。やがてドラマが始まって、とても受験勉強に集中できるような雰囲気ではなくなった。京介は小さく嘆息し、ノートを閉じる。休憩がてら、なんとなくドラマを見ることになった。

 開始十分で殺人事件が発生。容疑者は五人、全員アリバイなし。現場には謎の遺留品、勝手に捜査に首を突っ込み推理をするスバル。そして中盤、捜査の最中、何者かに冷凍室に押し込まれ閉じ込められるスバル。そのあたりで竜胆が「ナナコ! はよ来いナナコ!」と奇声を上げ始めた。お約束的ではあるが、スバルが凍死しかけたあたりでようやくナナコが駆けつけ、案の定ドアを蹴破ってスバルを救出した。息も絶え絶えにスバルが「犯人は、あいつに違いない……」と呟いて、CM。

 息を詰めて見入っていた竜胆が、コマーシャルになった途端に興奮気味に言う。

「読めたね。犯人は司書の藤堂に違いない」

「いや、それよりスクールカウンセラーの島津が怪しいと思うんだけど」

「素人だね、京介。司書だよ司書、だってあの時あんなに胡散臭い行動をしてただろ」

「島津が現場に駆けつけるのが遅かったのが引っかかるだろ」

 素人同士がああでもないこうでもないと推理もどきを戦わせる。もうすぐCMがあけるという段になっても、双方折れずに「犯人はあいつに違いない」と主張していた。

 と、不意に後ろからぼそりと、

「……用務員の助川」

 芙蓉姫が呟いた。

 京介は思わず芙蓉姫を振り返り目を瞠る。まさか芙蓉姫も見ていたとは。しかも推理合戦に参戦するとは。

『犯人は用務員の助川さん、あなたですね!』

 スバルが犯人を名指しする。「嘘ぉ~!」と竜胆が頭を抱えている。

『僕の目は誤魔化せません』

 スバルがびしりと決め台詞を放つと、往生際悪く犯人が逃走を図り、すかさずナナコが武力行使で犯人を捕らえる。一件落着、そして次回予告ではまたしてもスバルが絶体絶命になっていた。

 スバル、よく死なねえな、と適当な感想を抱きつつ、京介は芙蓉姫を見遣る。相変わらずの仏頂面の芙蓉姫。だが、

「……こういうの、興味あるのか」

「……」

「……明日、DVD借りてこようか?」

 一拍置いて、芙蓉姫が小さく頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ