お騒がせな魔法少女(3)
右手に持つ短刀は血のように赤い色をしている。振り下ろされた刃を、刈夜叉で受け止める。
さすが、相手は妖、刀を振るう手は力強く、刃がぶつかり合った瞬間、太刀を握る手がびりびりと痺れた。
押し負ける前に、と京介は紅刃の鳩尾に蹴りを入れる。
「ぐっ……」
呻き声を上げて紅刃がよろめく。
しかし、追い打ちをかけるまでは至らない。紅刃の陰で歌子が放った援護射撃が迫ってきていた。
素早くその場から逃げ、距離を取る。
光弾が地面を抉るのを尻目に敵を見据えれば、紅刃は腹を押さえながらくつくつと笑っていた。
「んだよ、折角の斬り合いだと思ったらいきなり蹴飛ばしてきたぜ。きったねぇ」
「二対一で襲ってる私たちが言えた義理じゃないわよ、紅刃」
「あー、それもそっか」
紅刃が再び短刀を構える。京介は慎重に紅刃と歌子、二人の出方を見ながら、刀を持ち上げる。
その時、びしゃり、と血飛沫が跳ね、自分の両脚に激痛が走るのを感じた。
「え……」
京介は瞠目して呆然とする。刀身が、自分の血で濡れていた。
自分で自分の脚を斬りつけていたのだ。
銀色だったはずの刃が赤い。だがそれは、よく見ると血で汚れているだけではない。刀身全体に這い回るように、紅く幾何学模様が浮かび上がっていた。
「これは…………ぃ、っ……」
痛みに思わず膝をつく。
おそらく、紅刃の術だろう。仕掛けられたのは、鍔迫り合いの時だ。見ると、意識していないのに、刈夜叉を持つ右手が勝手に動いて、その切っ先を自分自身に向けようとしている。
「退け、刈夜叉」
召喚を解き、刀を仕舞うと、右手の暴走は止まる。
「判断が早いな。もう少し遊びたかったんだけどな」
口惜しそうに呟き、紅刃は赤い刃をぺろりと舐める。
「……その短刀で切り付けたものを操る、そういう妖術か」
「正解。ま、操れるのは刃に限られるけれど。俺の前で刀剣類の使用はNGだ。どうする、丸腰になっちゃったよ?」
「魔術師に向かって、何の心配をしているんだ?」
戦う手段を一つ奪われたところで白旗を上げはしない。まだ二の矢がある。京介は両手に大量の呪符を広げ、一気に放った。
「焔弾現界、掃討せよ!」
京介の周りに炎の弾丸が浮かび上がる。しめて十発、一斉に二人に向かって放つ。
対峙する歌子は悠然と微笑みながら、銃を連射する。今まで光の弾丸を放っていた月花羅刹は、しかし今は水の弾丸を放っていた。歌子たちに向かって直進する火炎弾を、水の魔術で撃ち合わせ、相殺する。その素早さと命中精度は筋金入りだ。
「射撃で私に敵うとでも……」
嘲りを浮かべる歌子。すると唐突に、傍らの紅刃が表情を変えて、
「お嬢!」
切羽詰まった叫びを上げる。
歌子より先に、紅刃が気づいた――背後から迫る火の弾丸。放った十発のうち一発だけ、死角から二人の後ろに回り込ませ、背中を狙わせた。
「誘導弾!?」
真正面から直射される魔術に紛れて潜ませた、一つだけの本命は、術者が弾道を自由に操作できる誘導弾だった。
振り返るが、歌子は間に合わない。しかし、いち早く気づいていた紅刃が歌子を庇うように腕を伸ばす。歌子を狙った火焔は紅刃の右手に着弾し、炸裂する。
「紅刃っ!」
歌子が悲鳴のような声を上げる。紅刃は軽く顔を顰めている。服が焼け焦げ、しかし妖ゆえに体は頑丈で、軽い火傷を負った程度だろう。だが、それだけで歌子の逆鱗に触れるには充分だったらしい。
「紅刃、あいつぶちのめして!」
「お嬢、俺のために怒ってくれるのはいいけど、結局俺を使うのね?」
キレる歌子とは対照的に紅刃は愉しそうに笑いながら京介に肉薄する。
「焔弾現界!」
再び火焔の弾丸を放つ。紅刃に狙いを集中させる。紅刃は間合いを詰めてきていた、もう避けられる距離ではないはずだと踏んで、真っ向から攻撃を仕掛けた。
紅刃は避けようとはせず、手にしたナイフを無造作に振り回した。それだけで、京介の魔術を両断してしまう。京介が刈夜叉で魔術を斬れるように、力の強い妖はやはり同じ芸当ができるようだ。相手の実力がある上に、京介が使った焔弾は飛びぬけて威力が高いわけではなかった、それゆえの結果だ。だが、それにしても、足止めにすらならないのかと、京介は息を呑む。
短刀を突き出してくるのを、身を屈めて跳ぶことでぎりぎり躱す。だが、近づかれすぎている。両脚が潰された状態で逃げまわるのは現実的ではない。態勢を崩した京介に向かって、紅刃は刃を振りかざす。このままでは追い詰められるのも時間の問題だった。
「くそっ……」
自分の弱さを呪う罵倒を漏らし、京介は右手を掲げる。
「俺を助けろ――芙蓉姫!」
契約紋が光る。今日は瞬時に召喚に応じてくれた芙蓉が、京介を庇うように紅刃の前に立ちはだかり、刀を振り下ろす紅刃の手を片手で易々と掴んで止めた。
新手の登場に紅刃が瞠目する。
珍しく芙蓉が素直に加勢してくれた。京介が安堵の溜息をつくと、対する芙蓉は聞こえよがしの呆れの溜息をついた。
「まったく、婦女子に堂々と助けを求めて、恥ずかしくないのか、バカ主」
「自覚してるよ、悪かった」
「ふん……まあ、確かに今回ばかりは分が悪そうだな、京介」
言いながら、芙蓉は空いている手で紅刃の顔面を殴り飛ばした。頑丈であるはずの紅刃が、驚くほど簡単に吹き飛ばされる。さすがに、すぐさま受け身を取って立ち上がるが、苦笑いを浮かべて口の端から流れた血を拭っていた。
「弱小退魔師相手では退屈だったんじゃないか? 丁度私も夜のサスペンスが始まるまでは暇を持て余していたんだ……そうでもなければわざわざバカ主に召喚されたりはしない」
「もしサスペンス見てるとこだったら俺見捨てられたの?」
優先順位は主の命令よりサスペンスの方が高いらしい。
「貧弱な魔術師を嬲っても面白くないだろう? 私の暇潰しに付き合うといい。ほらかかってこい、縊り殺してやるから」
ちょくちょく京介に対する罵言を織り交ぜながら、芙蓉はやる気満々に宣戦する。
有り余る戦意を燃やしながらゴキゴキと手を鳴らし始める芙蓉だが、相対する紅刃の方は顔をひきつらせて、芙蓉の戦闘狂的発言に若干引いているように見えた。
「お嬢、ヤバい。相手が悪すぎる。あの凶悪女とはやりたくない」
「はあ!? ちょっと、何弱気なこと言ってるの!」
「だいたい、これ以上やっちゃうとまずいでしょ。ちょっと落ち着こう。そろそろ本来の目的を思い出してみない?」
「目的……むぅ」
歌子は少し不満が残っているような顔だったが、溜息交じりに銃を仕舞った。すると、もっと不満全開の顔で芙蓉は文句を言う。
「おい、降参フラグを立てるのは勝手だが、私は基本的に投降しようが武器を捨てようが、喧嘩を売ってきた相手は全力で叩き潰すぞ」
芙蓉は血も涙もないことを言っている。折角暇潰しになると思って出てきた芙蓉にしてみれば、当然不完全燃焼ということらしい。
すると紅刃が両手を挙げて、
「いや、こっちから仕掛けておいて勝手を言って悪いんだけど、今回は実力を測るのが目的で、それ以上の戦いは命じられてないんだよね。だから勘弁してほしいかな」
「誰の命令だ」
「黒須家当主・黒須宗達、って言えば、解るかな」
「黒須家?」
聞き覚えのある名前に反応したのは京介だ。黒須家――それは、その昔、不破家から別れた分家で、不破家と同じく神ヶ原市を守る退魔師の一族だ。
「じゃ、お前は」
京介が尋ねると、歌子は拗ねたような顔で、
「改めまして、私は黒須歌子。退魔の一族・黒須家の現当主の娘よ。今、神ヶ原市で不穏な動きがある。だから不破本家と協力して事にあたるようにとの命令が下された。だけどその前に、不破家現当主が従うに値する実力の持ち主かどうか測るようにと父は言ったわ」
「そういうことかよ……」
事情が解ると、急に疲労が押し寄せてきて、京介はぐったりする。芙蓉は処置なしというように首を振る。
「まず言っておくと……現当主は俺じゃない。竜胆ばあさまだ」
「えっ!? 当主じゃないの? 嘘、人違い?」
歌子が悲鳴を上げる。叫びたいのは京介の方だ。人違いで襲撃されてはたまらない。
「だ、だって、嘘、じゃ、あなたは次期当主の方? そんなはずないわ、次期当主は超弱くて話にならない奴だって父様は言ってたもの。あなた、普通に強いじゃない、嘘つき」
「俺がいつ嘘ついたよ」
なぜ何もしていないのに嘘つき呼ばわりされなければいけないのか。そしてなぜ「超弱くて話にならない」呼ばわりされなければならないのか。京介は憮然とする。
芙蓉がくつくつと喉の奥で笑いながら、
「情報が古いようだな。確かに少し前までの京介はそんなもんだった」
「芙蓉」
「事実だ。二か月前のお前では、まあ瞬殺されてたな。お前も少しは成長したということだ」
「お前、ついこないだは『成長なし』って言ってたじゃないか」
実際、芙蓉には一度も勝てたためしがない。
「だが、ちゃんと奴らの動きについていけたのだろう?」
「まあ……」
「種明かしをするとだな、稽古を始めた当初は、私は二割くらいしか力を出していなかった」
「二割!」
どれだけ馬鹿にされていたのかよく解る数字だ。
「だが、最近では、まあ、五割くらいまでは出してる。少しずつ、お前に気づかれない程度に、徐々に出力を上げていた。お前はいつもそこそこ健闘してるだろう。まあ、そういうことだ」
つまり、二割しか力を出していない芙蓉と健闘していたレベルから、五割まで本気を出した芙蓉と健闘できるレベルまでは伸びている、ということだ。
手放しで喜べる数字ではないが。
とにもかくにも、これ以上戦う必要がないらしいと解ったところで、京介は溜息交じりに呟いた。
「とりあえず……黒須家に苦情を入れよう」
★★★
不破竜胆から黒須宗達に苦情の電話を入れてもらい、とりあえず歌子と紅刃の襲撃に関しては片が付いた。
「不穏な動き、ってのは何のことだ?」
アパートに戻った京介は脚の手当てをしながら、なぜかついてきて部屋に上り込んできた歌子に説明を求めた。歌子は肩を竦め、
「詳しい話は私も知らない。まだ噂の段階らしいけれど。厄介な妖だか魔術師だかが神ヶ原市で動いているかもしれない、って話」
「めんどくさい魔術師ならすでに目の前にいるんだけどな」
「だから、何か起きた時にすぐに不破家と連携して動けるようにって、私が派遣されたの」
「――ふん、余計な気を回したものだな。こんなじゃじゃ馬娘、扱いが面倒なだけではないか」
本人を目の前にして失礼なことを言うのは芙蓉である。
「だいたい、勘違いで人を襲うような粗忽者、味方に引き入れてもあてにはならんぞ」
言いたい放題の芙蓉にカチンときたらしく、歌子は引きつり気味の笑みを浮かべて応戦し始める。
「あらぁ? あてにならないのはあなたの方じゃなくて? 聞いているわよ、ロクに主人の命令をきかないじゃじゃ馬らしいじゃない。うちの紅刃とは大違いね。ねえ、京介君、私のことを頼りにしてくれていいのよ」
「お前程度の実力ではちっとも頼りにはなるまいよ。大きな口を叩くな小娘」
「式神の分際で、あなたのほうこそ随分と生意気な口をきくじゃない。神経を疑うわね」
「おいおいおい……」
なぜか始まる女同士の険悪な応酬。京介は「お前の主の暴走を止めろ」と紅刃に視線で訴えるが、紅刃は「無理無理、手ぇつけられない」と視線で応えた。
「――とにかく、私はしばらく京介君と手を組むことになるわ。当主同士で決めたことなんだから、式神のあなたは口出ししないでちょうだい」
「京介、今すぐ私に命じろ、『この騒がしい小娘の口を塞げ』と」
「いつも命令ロクにきかないくせに何でこんなときばっかりそんなこと言うんだよ。俺に責任を押しつけたいだけだろ」
「その通りだ」
「悪びれもしない!」
いつにもまして芙蓉は機嫌が悪い。
「芙蓉、やけにつっかかるじゃないか」
「そう簡単に気を許すなと言っているのだ。黒須家は、実力を測るためと言って刺客を送りつけるような家だ。そしてこの娘と式神は、当主の命令ならば何でも実行するらしい。警戒しておくに越したことはない」
「っ!」
歌子の頬に朱が上る。怒りか、屈辱か。しかし、言い返さない。言い返す言葉がなかったのだろう。紅刃の方は無表情に、ことの成り行きを見守っている。そんな二人を冷たく一瞥すると、芙蓉は姿を消す。召喚前の場所に戻ったのだ。
気まずい空気だけを残して消えやがったな、と京介は内心溜息をつく。
「あー……悪いな、芙蓉の口が悪くて」
「……いいえ、彼女が言ったことは正論よ」
「俺は二人のことを頼りにするよ。何かあったら頼む。……芙蓉は、その、少し人間不信になってるんだ。あまり気にしないでくれ」
「人間不信?」
「まあ……いろいろあってな」
それは、容易く口にするのは憚られることだ。彼女たちに話すつもりはなかった。京介は曖昧に言葉を濁すしかなかった。だが歌子は、それをただの気休めだとは思わなかったようで、僅かに表情を緩めた。
「今日のことは、ごめんなさい。何かあったら、協力を惜しまないわ」
歌子はぎこちなくも微笑みを浮かべた。
二人が帰って行った後、京介はぼんやりと考えていた。
黒須家から遣わされた魔術師と式神。不穏な噂。
「……いったい、何が起きるっていうんだ?」




