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我らが将を救出せよ(8)

 疲弊しきって、底なし沼みたいな闇に呑まれていた意識が、不意に浮上する。覚醒に近づくと、途端に体の痛みが思い出された。ずきずきと断続的に襲い来る疼痛に眠りを妨げられて、京介はふっと目を覚ました。

「……」

 頭が酷く重い。霞がかかったようなぼやけた意識のまま、記憶を手繰り寄せる。いつ意識を手放したのか、気を失う前はどういう状況だったのか、すぐには思い出せない。仕方がないので、記憶を掘り起こすのと並行して、視覚から情報を拾い集める。

 京介が横たわっていたのは、少々埃っぽい畳の部屋で、薄っぺらい座布団を枕代わりにしている。自分の部屋でないことは明らかだが、知らない場所でもない。特に、なぜか穴だらけになっている壁には、見覚えがあるような気がする。

「お、きょーすけ、起きたか!」

 ほど近くで叫ばれた声に視線を巡らせると、傍らに膝をつきこちらの顔を覗き込んでくる潤平と目が合った。

「……潤平?」

 そう名前を呼んだ京介の声は、自分でも驚くくらいに掠れていた。ぎしぎしと軋む体を起こそうとすると、潤平が慌てたように喚く。

「おい馬鹿っ、急に起きるな、怪我人なんだからまだ寝てろ馬鹿! 馬鹿なことをするな!」

 その言い様に軽い既視感を覚えて、京介はうっすらと苦笑する。

 潤平に心配されながらよろよろと起き上がる。改めて部屋を見回すと、道理で覚えがあるような気がすると思ったら、そこは以前に千鳥八尋と戦った、葬儀社跡建物、その一階和室である。戦いの爪痕は生々しく、壁やら天井やらはずたずたで壁も一面が半壊している。部屋として機能しているかといえば、まあぎりぎりグレーゾーンといったところか。

 その和室に集まっている面々が予想外の連中で、京介は目を瞬かせる。

 傍で不安げな顔で京介を見つめる潤平と、その隣には美波。壁に背を預け腕を組む紗雪御前。部屋の隅の方で行儀よく正座する歌子と、彼女を守るように刀を握り立っている紅刃。

 おかしいな、と京介は頭を抱える。少しずつ思い出してきた過去の状況と、現在の状況との齟齬が甚だしい。王生樹雨の陰謀と魔術師中央会のタチの悪い策略のせいで、四面楚歌、周りは全員敵だらけ、仲間ゼロという状態に追い込まれた上で拉致され、そこから先は延々と尋問されて孤独な戦いを強いられていた。しかし、こうして目を覚ましてみるとどうだろう、周りに仲間がいる。

「潤平……美波ちゃん……なんで、ここに……?」

「気合」

「は?」

「気合と、あと友情パワー的なあれやこれやで駆けつけた。どうだ、感動したか?」

「悪い……まだお前の突飛な話についていけるほど頭が回ってないんだ」

 気合ってなんだよ、とぼやいていると、脇から紗雪がやたらとはしゃいだ声を挟んできた。

「京介さん、とりあえずお水をどうぞ。不肖、わたくしめが口移しで飲ませて差し上げます」

「なんで口移し限定?」

「先程やり損ねてしまいましたので、ぜひ」

「既にやろうとしてたのか?」

「ご安心くださいませ、わたくし、前戯の勉強はしてありますので」

「不安しかないんだけど」

「京介さん、紗雪さんではなく私とやりましょう!」

「何を張り合ってるんだ美波ちゃん」

 とりあえず自分で水を飲む。紗雪と美波が口惜しそうな顔をするが見なかったことにする。

 まだ少々頭がずきずきと痛むが、紗雪相手にツッコミを入れたおかげか、だいぶ意識がはっきりとしてきた。すると改めてこの現状が奇妙に思えてくる。いるはずのない顔ぶれだらけだ。

「いったい、どうなってるんだ」

「お、聞くか? 聞いちゃうか? いいぜ、教えてやろう、ここまでのスーパー波乱万丈なエピソードを」

「なるべく手短に」

 京介の要望に応えて、潤平はそこそこ簡潔にこれまでの経緯を教えてくれた。

 天才的学級委員・柊凛と旧校舎のボス・周防のファインプレーにより記憶を取り戻した潤平は、美波が恐ろしくなるほど準備よく回していたレコーダーから手掛かりを得て、神ヶ原大学地下にアジトがあることを突き止めた。そこでばったり出くわした紗雪御前たちの協力で、京介を奪い返し、旧校舎に避難。歌子と紅刃が味方に付き、更に旧校舎連合・神様連合と追っ手の魔術師たちとがにらみ合いを始め、なんとか魔術師中央会を追い払い、今に至る。

 成程確かに波乱万丈だな、と京介は眉根を揉んだ。

 何から言うべきか迷った挙句、とりあえず京介は潤平に一言。

「お前、無茶しすぎ」

「きょーすけに言われたくねえっての。お前が一番満身創痍だからな。俺たちはぴんしゃんしてるんだから」

「うぐっ」

 的確に言い返され、京介は言葉に詰まる。

 すると歌子がすかさずフォローに入る。

「まあ、京介君は悪くないんだから。中央会がアホなのが悪いのよ、うん」

 そう言ってから、歌子は少しばつの悪そうな顔で、

「って、しれっと味方に戻って来ちゃってるけど、あの時はごめんね、京介君。王生樹雨の策略で一網打尽にされるのはマズイと思って、咄嗟に敵に回っちゃった」

「いや、賢明な判断だったと思う。……そこはかとなくショックだったけど」

「うー、ごめん」

 歌子は胸の前で両手を合わせる。

 だが、歌子が実は裏切っていなかったということを念頭に改めて考えてみると、あの時彼女が言っていた言葉の意味が変わってくる。

『よーするに、全部嘘っぱちってことよね!』

 あれは、京介の言葉が嘘だったのだと詰っているのではなく、歌子自身の言葉が蓮実たちを騙すための嘘であることを密かに伝えようとしていたものだった。その時は咄嗟にそこまで考えが回らなかったせいで、酷く衝撃を受けたけれど。

「お詫びといっちゃなんだけど、この三日で王生のことは調べたわ」

 歌子はスカートのポケットから手帳を取り出し、ぱらぱらと捲る。

「王生樹雨はフリーの魔術師。二十歳独身。両親は共に五年前に他界。強い魔力を持っていて、退魔師兼研究者として有名。問題を起こした妖を討伐する傍ら、魔術や妖怪について研究をしていたみたい。戦いに使えそうな大掛かりな術式も開発していたみたいだから、あとで詳しく説明するわね。……だけど、三年前くらいからぱったりと表舞台から姿を消したわ。重傷を負って、つい最近まで昏睡状態だったようね。奇跡的に目覚めたらしいわ」

「奇跡的に目覚めたばかりの男があんなにぴんぴんしてたのかー」

 潤平が恐れ入ったというふうに肩を竦めていた。

「彼は地方にいくつかの拠点を持っていて、以前は神ヶ原から二十キロ先の森杜市で活動、療養もそこでしていたようなのだけれど、現在は神ヶ原市余郷地区の住居兼研究施設に移っているわ。自分が『正しい側』でこっちを『悪者』に仕立てているから、隠れもしないで堂々としたものよ。芙蓉さんもそこにいるわ」

 そこまで言ってから歌子は京介に視線をくれる。

「芙蓉さんを助けに行くんでしょう、京介君」

「ああ」

 迷いなく京介は答える。

「私も勿論、一緒に行くわ」

「きょーすけ、俺もだ」

 歌子と潤平がすかさず言う。紅刃と美波、紗雪御前も力強く頷いてくれる。

 本音を言えば彼らを巻き込みたくはない。だが、すでに巻き込んでしまっている。それに、自分一人でやれることには限界があるし、ことこうなっては、彼らにも無関係というわけにはいかないだろう。

「ありがとう、みんな。……けど、それを決める前に、話を聞いてほしい。大事な話だ……もう、隠しているわけにはいかないから」

 高峰蓮実に追及された時は、何も言い返すことができなかった。しかし、もう隠していられることではないと悟った。ここにいるのは、危険を顧みず自分を助けに来てくれた仲間たちだ。仲間に隠し事をしたまま助力を求めるわけにはいかない。

 一つ深呼吸をしてから、京介は語り始める。

「最初に結論から言っておくと……俺は、芙蓉の本当の主人じゃない」

「…………は?」

 潤平たちが一様に口を半開きにして唖然とする。

 芙蓉姫は京介の式神であり王生樹雨が悪者、という大前提を引っ繰り返す発言だ、当然の反応だろう。紅刃だけは、さほど驚いてはいない。彼にだけは、先月の時点で核心に迫る話を仄めかしていたからだ。

「えっと、そ、それって、どういう……」

 歌子が問いかける。と、それを遮るように別の声が響く。

「――その話、私も聞かせてもらおうかな」

 はっと振り返ると、部屋の入口のところに凭れる女がいた。そ知らぬ顔で侵入し、さりげなく話に混ざってきたのは、烏丸弁天であった。

 彼女の神出鬼没ぶりに慣れつつあった京介は、たいして驚くこともなく受け入れる。他の面々は、突然の闖入者に少々面食らっていたが、弁天は自分がその元凶でありながらちっとも気にするそぶりもない。

「弁天、いつからいたんだ」

「お前の高校の方で面白いことになっていると聞いて行ってみたんだが、丁度敵が帰っていくところでね、不完全燃焼気味にお前たちを尾けていた」

「お前の妖力の強さで、よくこっそり来れたな」

「『影牢』を応用して自分に使うと気配を消せるんだよ」

「お前のアレ、割と便利だな」

「こんなにあっさり尾行されて、私が敵でなくてよかったな?」

「次からは普通に声をかけてくればいいと思う」

「次があればそうしよう。さて、おヒメのことなら、私にも知る権利があるはずだ」

「ああ……そうだな、お前は、芙蓉の友達だからな」

「友達ではない、腐れ縁だ」

 芙蓉と全く同じ言い様に京介は苦笑する。

 話す相手が一人増えたが、話すことは変わりない。

「始まりは……俺と芙蓉が出会った、三年前」

 中学三年生の冬。京介が朧を殺し、失意に沈んでいた時のことだった。

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