我らが将を救出せよ(7)
ピンチの瞬間、救世主の如くに登場した二人組に、潤平は僅かに声を上擦らせて問う。
「なんで、二人がここに……? 京介の敵に回ったんじゃなかったのか?」
「あら、どうしてそれを?」
歌子は美波がレコーダーを回していたことを知らない。気を失った後の発言をなぜ知っているのか、訝しんでいるようだ。
潤平が説明するより先に美波が言う。
「やはり、あれは演技でしたか」
「ええ。……いや、だからなんでそれ知ってるの? というか、私たち的には、あなたたちがここにいることのほうが不思議なんだけど。高峰蓮実に記憶を弄られてたんじゃ?」
「気合で思い出したんだよ」
潤平があらゆる説明をすっ飛ばして端的に告げると、歌子が失笑した。
「いいね、気合。友情パワー、素敵よ、そういうの」
「種明かしすると、美波がレコーダー回してたんだよ」
「成程、合点がいったわ」
「で、演技ってのは何なんだ」
「兄さん、鈍いですね」
美波が肩を竦める。歌子は苦笑しながら種明かしする。
「あの時はああするしかなかったの。あの場でたてついても勝ち目はなかったし、私たちまで中央会に捕まって身動きがとれなくなったら、京介君を助けられる人がいなくなると思って。実際には、こうしてあなたたちや、紗雪たちが先に動いてくれちゃったわけだけど」
「じゃあ……中央会に睨まれないように京介を見捨てたフリをしてたのか?」
「まあ、そういうわけ。自由がきいたおかげで、色々と情報を手に入れられたわ。中央会が京介君を奪い返すために旧校舎に向かったって情報も盗聴できたから、ここに来たのよ。王生樹雨のこともだいぶ調べられたし」
万全の態勢で芙蓉を助けに行く、そこまで見越した上で、歌子はあえて京介の「敵」になったらしい。そういうことだったのか、と納得すると同時に、潤平は安堵する。
「よかったぜ……歌子ちゃんにほんとに裏切られてたらショックすぎるもんな。けど……」
「けど?」
「……京介が受けただろう精神的ショックを思うととてもいたたまれない」
「あー、うん、それね……私もちょっと悪いことしたかなーと」
ばつの悪そうな顔で歌子は頬を掻く。
「一応メッセージを送ったつもりなんだけど、気づいてくれたかどうか……」
「メッセージ?」
「ええ……いえ、今はそれよりも」
説明しかけて、しかし歌子はそれどころじゃないと思い出したらしく、拳銃を手に紗雪たちのほうを見遣る。切れ目のない魔法砲撃のせいで反撃の糸口が掴めないでいるようだった。
「まずはここを突破しましょう。加勢するわ」
「けど、この砲撃の中、どうすれば……」
潤平が不安げに漏らした、その時だった。
「ぐあああっ!?」
魔術師の悲鳴が上がった。いったいなんだ、と潤平が怪訝に思っていると、一人、また一人と呻き声を上げている。紗雪たちはまだ反撃していない。いったい何が起きているのだろう。
不思議に思っていると、どこからともなくこんな声が響いてくる。
「オウオウ、てめぇら。人のホームをぶち壊しといて謝罪もナシたぁいい度胸だ」
「弁償だ弁償。私たちの旧校舎に手ぇ出して五体満足で帰れると思うなよ人間共」
「消し炭にするぞカス共。俺たちを舐めたらどうなるか教えてやるから覚悟しろ」
とてつもなく柄の悪く汚らしい罵倒の文句が次から次へと飛び出していく。どうやらこの教室の真上、二階の教室で叫んでいる奴がいるらしい。飛び出すのは暴言だけでなく、攻撃も一緒にお見舞いしているらしく、爆音だの悲鳴だのが折り重なる。態勢を崩されたためか、魔法砲撃が止み、紗雪と恋歌が障壁を解く余裕ができた。
「なんなんだ、この騒ぎは……」
唖然とする潤平。と、転がっていた周防がむくりと起き上がり、ドヤ顔で言う。
「どうやら動き出したらしいな」
罵声の嵐はだんだんヒートアップしていく。志麻たちは、突然現れた伏兵たちに目を白黒させている。潤平たちも、思いがけない加勢に驚いていた。
そんな中、周防が紗雪と恋歌の間をすり抜けて前に出る。危ないぞ、と止めようとするが、引き留める間もなく周防は先陣に立つ。そして、ぽんっ、と白い煙が弾けて周防の体を覆い隠す。
ふわりと一陣の風が吹き、やがて煙が晴れると、中から姿を現したのは、プラチナブロンドの髪を揺らす青年だった。
「周防、なのか……?」
潤平が呆然と呟くと、肩越しにやたらとイケメンな青年が振り返り微笑んだ。それから、変貌を遂げた周防らしき青年は志麻たちに向き直る。
「いいか、てめえらぁ。俺たちは基本的に人畜無害な温厚妖怪で通ってるが、許せないことが二つある。旧校舎を傷つけることと、我らが神ヶ原の退魔師・不破京介を傷つけることだ」
そう語る背中が、とてつもなく頼もしく見える。
「狼藉者共、即刻ここから立ち去れ。これ以上、俺たちの大事なものを傷つけようっていうなら、容赦はしない。俺たち、旧校舎連合が相手になるぞ」
うおおおお、と雄叫びみたいな声が響き、二階から妖たちが飛び降りてくる。校舎の前にずらりと並び壁のように立ち塞がる妖怪集団を、魔術師たちは苦々しい表情で睨む。
「ひ、怯むな! 所詮は有象無象だ!」
「――有象無象かどうかは、そなたの体で試そうか」
物騒なことを言いながら、二階からしゅたっと飛び降り、周防の右隣に並ぶ影。見ると、黒いセーラー服を纏った少女・澪鋼が太刀を構えている。更に続いて和服姿の青年・琥珀丸が飛び降り、左隣に並んだ。
「戦うことは本意ではありませんが、京介さんに手を出そうというなら致し方ありません」
「我らとて容赦はせぬ。そなたらを斬る」
旧校舎連合には怖いくらいに頼りになりそうな二人が存在した。
更に、増援はそれだけでとどまらない。
「ゆきちゃん、れんちゃん、無事ー?」
「不破殿ー! 不破殿は無事でございまするかー!」
どこからか可愛らしい少女と大人びた女性、二つの声が聞こえてくる。それに反応して紗雪と恋歌がはっとする。潤平と美波も聞き覚えのある声に目を見合わせる。
声の主を探して見上げると、空からふわりと人影が降り立った。現れたのは巫女服少女と和服美女の二人組だ。
「戎様!」
巫女服少女を見て、紗雪と恋歌が声を揃える。
「杉菜!?」
八月に上嶺山で会った杉菜の登場に驚いて声を上げる潤平の後ろで、歌子がひゅうと口笛を吹いた。
「水神宮に棲む土地神・戎ノ宮と、神木に宿る杉神・杉菜。敵に回しちゃいけない二人組よ」
まさか神様まで動く大事になろうとは、潤平は思っていなかったし、無論志麻たちだって夢にも思わなかっただろう。美しい二人の神は、キッと魔術師たちを睨みつける。
「おのれ人間共、不破殿を妾の恩人と知っての狼藉か。不破殿に手を出すとは万死に値しますぞ」
「京介ちゃんを苛めるなんて絶対駄目。これ以上苛めるなら私たち神様連合が相手になるからね」
魔術師たちの顔が忌々しげに歪む。大方、「旧校舎連合はともかく神様連合を敵に回すのはマズイ」とでも思っているのだろう。杖を握る手にその躊躇が如実に表れていた。
思いがけない方向に進んでいく事態を見守りながら、潤平は歌子を振り返り、
「とりあえず俺たちもかっこよく連合を名乗っといたほうがいい流れかな」
「いやそんなノリはいらないと思う」
とにもかくにも、京介の味方をしてくれる妖(一部神)がぞろぞろと集結し、魔術師たちとメンチを切り合っている。さっきまで四面楚歌八方塞だと思っていたが、状況はかなり好転している。これは押し切れる、と潤平は拳を固め興奮する。
やがて、志麻は舌打ち交じりに吐き捨てる。
「一時撤退だ!」
苦渋の決断、というように、志麻の表情は苦り切っていた。苛立ちを含んだ声で指示を飛ばし、負傷兵を抱えてぞろぞろと移動を始める。その惨めな背中に向かって、連合軍たちは歓声を上げていた。
「ざまあみさらせ魔術師共! おとといきやがれ!」
「二度とツラ見せるなよ!」
「損害賠償はどうした! 金を置いてけ!」
ふだん人畜無害で通っているらしい旧校舎連合は、しかし意外と口が悪かった。
魔術師たちの姿が完全に見えなくなると、歌子が胸を撫で下ろし溜息をついた。
「どうにか乗り切ったわね。お疲れ様」
「ああ。けど、これで終わったわけじゃないんだよなぁ」
「そうね、ここからが大事なところよ。王生樹雨をぶっ飛ばして芙蓉さんを助ける作戦。どうすればいいのか考えたいところだけれど、とりあえずこの場からは離れた方がよさそうね」
歌子はグラウンドの方をちらりと一瞥して言う。
「中央会の連中がいなくなったから、結界術が解けたはずよ。旧校舎がぶっ壊れてることには、遅かれ早かれ気づかれる。そうしたら騒ぎになるわ。そうなる前にトンズラした方がよさそう」
「そうだな。それに、人畜無害で温厚な旧校舎妖怪を、荒事に巻き込むべきじゃないだろうしな」
潤平がそう言うと、歌子がくすりと笑った。
「一番荒事に無縁であるべきなのはあなたじゃないかと思うんだけど」
「俺はいーんだよ。俺はどこまでもきょーすけについていくと決めたんだ。実に友達甲斐のあるイイ男だと思わないか?」
「そうね、素敵な人だと思うわ」
歌子は屈託なくそう言う。潤平は面映ゆい気持ちで鼻を掻く。
「じゃ、とりあえず次なる隠れ家を探しに行くか」
「それなら私に心当たりがある」
歌子の提案で、潤平たちは旧校舎を後にすることになる。
「戎様が低俗な魔術師共に狙われないか心配」と言う恋歌と、幻術と啖呵で力を使い切ってグロッキー気味の周防とは、ここで別れることになった。旧校舎連合と神様連合に見送られながら、潤平は歩き出す。
肩越しに彼らを振り返り、潤平は思う――ピンチの時に駆けつけてくれる仲間がこんなにいるって、すげえな。
★★★
墓石も十字架もない場所だが、土の下にはたくさんの妖の遺体が埋葬された。だが、京介の一番の友だった彼の亡骸は、塵になってしまったからここにはない。安らかに眠ることさえ許されない非業の死を招いた責任の一端は自分にもある、という自覚はある。ゆえに不破竜胆は、土の上にそっと花束を供えた。
枯れた針葉樹、崩れかけの廃墟。因縁で結ばれたその場所で、竜胆は小さく溜息をつく。
「ここは終わりの場所であり、始まりの場所でもある。一つの別れがあり、一つの出会いがあった。ああいうのを運命の出会いとでも言うんだろうね」
それからふっと微笑んで、語りかけるように続ける。
「あの出会いは、とても大事なもので、互いの支えになったんだよ。だけど今、それが脅かされようとしている。最後の試練、とでも言おうか。私はあいつを信じているし、見守ってやりたいし、これ以上あいつから大事なものを奪いたくない」
竜胆はくるりと後ろを振り返る。予期はしていた、そこには高峰蓮実が立っていた。
「こんなところにいたのでありますか、竜胆殿」
蓮実の突然の登場に、しかし竜胆は特に驚くことはせず、にこりと微笑みかける。
「最後に全てを決めるのは京介であり、私はその選択を見守りたい。少なくとも、外野に余計な手出しをさせるわけにはいかないんだ。それが、私の贖罪のようなものだ」
「不破京介に手を出すな、と言いたいのでありますか?」
「話が早くて助かるね。とりあえず、今回の件を主導している実力者のお前が敗れれば、中央会の連中は慎重にならざるをえないはずだ。悪いがお前には見せしめになってもらおう」
「見せしめ、でありますか。まるで悪役みたいな台詞をおっしゃいますな」
「ふふ、格好いいだろう?」
「ですが、残念ながらあなたの思惑通りにはいきません」
蓮実は目をすっと細める。敵を見据える、戦士の目だ。
徐に蓮実は右手を掲げる。手の中に光が収束し、得物を形成する。かつて竜胆が蓮実を指導していた頃から変わらない、蓮実の愛用の小銃「閃光花」だ。軽量で、弾速と連射性能にステータスを全振りしたみたいな銃だ。加えて連射してもほとんど音がしないため、奇襲に重宝するものである。無論、弾幕によって正面突破することも可能な代物だ。
「おやおや、やる気十分だね。久しぶりにお稽古をつけてあげようか」
「いつまで私の上に立っているおつもりですか? 今の私は以前とは違う……あなたより強い」
「あはは……そいつは面白い冗談だね、蓮実」
にぃ、と唇を歪め、竜胆は邪悪な笑みを浮かべる。
「隠居して久しいけれど、お前のようなひよこちゃんに後れを取るほど老いてはいないよ」
「ならば、試しますか」
「無論だ。私の全力を以てお相手しよう」
竜胆は徐に右手でうなじに触れる。そこには光る契約紋が刻まれていた。
「遊んでおやり――乱鬼」




