我らが将を救出せよ(4)
白いキャンバスに無造作に赤い線を描いていくように、肌を血の色に染め上げる。傷だらけになった京介を見下ろし、葛城は妖艶に笑う。
「そろそろお終いかしら」
京介は苦しげな吐息を漏らしている。悲鳴で声が嗄れたのか、強気な発言で反抗することもなくなった。
これまで幾人もの罪人を尋問してきた葛城には解った。あと一息で落ちる、と。
三日間、眠ることも許さず、死なない程度に僅かな水だけしか与えていない。あとは、想像を絶する痛みでひたすら追い詰め続けた。神経は疲弊しきっていて、嘘や隠匿をする余裕はないはずだ。葛城は京介の頤を掴んで顔を持ち上げる。どろりと濁ったような虚ろな目は、焦点が合っていない。
「私が見てきた連中はね、最初の一日は強気にだんまりを決め込むの。二日目になると、痛みから逃げたくていい加減なことを言う。三日目になってようやく、抵抗する意思が根こそぎ奪われて、正直になるってわけ。さ、やっと本番が始められるわね。あなたの知ってること、全部話してくれる」
飴と鞭を使い分けるように、散々に甚振りつくした後には、誘惑するように甘い声で語りかける。これでもう楽になれる、解放される、と誘う。
やがて、京介の唇が何か言いかけて薄く開く。
「……っ」
しかし、思い留まるようにきゅっと唇を噛む。体はとうに限界のはずなのに、心がまだ折れない。
「ふん、まだ抵抗するの? つらくなるだけなのに。ま、いいわ。もう少し、遊びたい気分だったしね」
葛城は相手を痛めつけることに、なんら罪悪感を抱かない。良心の呵責など感じたこともない。寧ろ、苦痛に呻く人間を見て愉悦を覚えるサディストだ。そういう性根でなければ、魔術師相手の尋問係など務まらない。なかなか口を割らない強情な人間が相手となると、葛城は俄然燃えてくる。さて次はどうしてやろうと、舌なめずりをしながら思案した。
興奮してくる葛城の思考、それに水を差したのは、かちゃりと部屋の扉が開く音だった。冷や水をぶっかけられたように、高速で冷静になっていきながら、葛城は後ろを振り返る。自分が尋問をしているときは誰も邪魔をしてはいけないと、仲間たちにはきつく言ってあるというのに。
「いったいなに」
思わず不機嫌になってしまったのを隠しもせずに問う。すると、薄く開いた扉から、若い女が身を滑り込ませてきた。
「お邪魔をしてしまったみたいで申し訳ありませんわ。けれど、そちらがいけないのですわよ? こんなにあっさりと、妖の侵入を許してしまうザル警備なんですもの」
「っ! あなた、何者?」
見覚えのない相手であること、加えて今の発言から、どうやら侵入者らしいと解り、葛城は身を固くする。神ヶ原大学の地下に造られた魔術師中央会神大地下支部は、いくつかの入り口があるが、その入り口は当然普通の扉などではない。一般人が万が一にも紛れ込まないように、そもそも魔術を使わなければ入り口は姿を現さない。更に、その入り口を開くためには重ねて特殊な術を使う必要があり――たとえるなら、暗証番号を入力するようなものだ――それを知らない者に対しては容赦なく攻撃術式が発動するようになっている。
目の前の女は、攻撃を受けた様子などなく、涼しい顔をしている。なぜ平然と、こんなところに潜り込んでいるのだ。それに、この尋問部屋に辿り着くまでに、他の魔術師たちに会わなかったのだろうか。
そんな疑問が顔に出ていたのか、女はにこりと微笑むと、懇切丁寧に解説する。
「地下施設の存在を魔術で隠そうとしたまではいいですけれど、一流の術師なら、魔術を使っていることにすら気づかせないものですわ。解りやすいくらい魔術の痕跡がありましたので、わたくしにとっては、『ここに入り口があります』と教えてもらっているようなものでしたわ」
「くっ……」
確かに、魔術を使っていることを見破れる相手になら、目印をつけているようなものだろう。しかし、そうはいっても、痕跡などそう簡単には見破れないはずだ。とするとこの女は、それを見破れるだけの強い力を持った強敵、ということになる。
「侵入者用の対抗術式も、力ずくで破壊してしまえば関係ありません。ついでに申し上げますと、ここに来るまでの間に遭遇した方々にはもれなく眠っていただきました。ご安心ください、殺してはいませんわ。あなたがたと違って、わたくしは優しいんですの」
「何者なの、あなた」
「紗雪御前と申します」
侵入者はスカートの裾を抓んで優雅にお辞儀をしてみせた。
「妖が、なぜここに。魔術師中央会を敵に回したらどうなるか、解っているのでしょうね」
「ではわたくしも申し上げましょう――その方を傷つけたらどうなるか、解っておいでですか」
低く告げる声に、葛城はぞくりと背筋を凍らせる。明確で強い殺気に、情けないことに本能的に恐怖を感じてしまったのだ。紗雪御前は微笑んでいる。だが、唇は笑っていても、目は笑っていない。
「わたくしが本気になればあなたごときを縊り殺すのは造作もないことですけれど、そんなことをしたら幻滅されてしまいそうなのでやめておきますわ。京介さんを、返していただきます」
「ふ、ふざけないで……!」
勝手なことを言う紗雪に、葛城は咄嗟にナイフを持ち上げる。
瞬間、紗雪の背後、開いたままの扉の向こうから白い糸が飛び出してきて、葛城の右手を縛り上げた。その途端に、がくりと体の力が抜け、葛城はへたり込む。
「こ、これは……」
抵抗できず脱力する葛城の体を、糸は強引に振り回し、壁に叩きつける。頭を強かに打ち、目が回る。小さく呻き声を上げていると、紗雪の他にもう一人、妖が部屋に入ってきていた。
「悪いけど、そこでじっとしててくれる? そうすれば、私たちはさっさと退散するから」
後から現れた白いワンピースの女は、つかつかと京介に歩み寄ると、施されていた魔術ごと、彼の拘束を断ち切った。途端に崩れそうになった京介を、紗雪が支え、さっと抱き上げた。
「さ、ゆき……?」
かろうじてまだ意識があった京介が掠れた声で名前を呼ぶ。
「ご安心くださいまし。すぐに安全な場所までお連れいたしますわ」
仲間の登場に気が緩んだのか、元々限界だった京介はふっと意識を失った。気絶した京介を抱え、紗雪ともう一人の女はさっさと踵を返す。
「それでは、御機嫌よう」
風のようにやってきて、獲物を掻っ攫って、再び風のように消える。
目の前でまんまとしてやられた。その悔しさに歯噛みしながら、葛城は気を失った。
★★★
外に出ていた高峰蓮実は、昼前になって神大地下支部に戻って来た瞬間、唖然とした。
廊下にばたばたと倒れている構成員たちと、それを慌てて介抱する別の仲間たち。そして、尋問室から担架で運ばれていく葛城を見て、呆然とした。やがて我に返ると、運ばれていく葛城に駆け寄った。
「葛城。これはどういうことでありますか」
幸い、葛城に目立った外傷はないようだった。運んでいる仲間に訊くと、軽い脳震盪だそうだ。かろうじて意識を取り戻したところらしい葛城は、悔しげに言う。
「申し訳、ありません。妖の侵入を許し、不破京介を連れ去られました」
「何ですって。なぜ妖が侵入できたのです」
それに答えたのは、葛城を運んでいた男だった。
「本来、結界術によって、外部の者にはここの存在が解らないはずですが、相手はそれを越えて来ました。誰にも侵入されるはずがないという油断があったのかもしれません……侵入に気づいて魔術師たちが対応に出る前に、敵は目的を果たして迅速に撤収していきました。まだ行方は解っていません」
やがて葛城が運ばれていく。それを見送りながら蓮実は舌打ちする。
本部に連行するのは時間も手間もかかるからと思って、支部に一時的に調査拠点を置いてことにあたっていたのが祟った。本部の洗練された魔術師たちと厳重なセキュリティならこんなことにはならなかっただろうに、と思う。
否、支部の者達だけを責めることはできない。蓮実は自分自身の判断も誤りだったと認めざるを得ない。京介の友人たちの記憶は奪い、黒須歌子とその式神も京介の味方をしなかったし、不破竜胆に対しては捕縛命令を出した。なにより、芙蓉姫が京介の傍にいない。彼の味方は誰一人いなかったはずだ。誰も助けに来るはずがないと、蓮実自身も油断していた。まさか妖が動くとは。
それに、本部だって、ついこないだまで敵に潜り込まれていたのだ。偉そうなことはいえない。
頭を切り替える。今は、過ぎたことを後悔しても仕方がない。とにかく、早急に不破京介の行方を掴み捕えなくてはならない。
加えて、蓮実には別の役目もある。今までも、その役目のために支部を空けて外に出ていた。三日前、不破竜胆を拘束に向かった部隊が、全員尽く返り討ちに遭ってきたのだ。竜胆も現在行方不明。近年では神ヶ原の退魔師としての役目を孫に任せて第一線から退いていたというのに、まだ戦う力は衰えていないらしい。
彼女の存在は極めてジョーカー的で、放っておくと不安要素しかない。それなりの精鋭部隊が送り込まれたはずなのに、あっさりと逃げ果せてしまったところを見るに、やはり自分が出るしかないようだ、と蓮実は思っている。
後悔は後回しだ。蓮実は苛立ちを鎮め、冷静に次の手を打つ。
「……私は引き続き不破竜胆を追います。動ける他の者は、負傷者の手当てと、セキュリティの確認、そして不破京介の捜索にあたりなさい」
★★★
ホテルの一室で、ベッドに腰掛けて休憩していた紅刃は、不意に、先月京介と話した時のことを思い出していた。
『あなたは――いったい何者だ?』
『俺は、偽物だよ』
彼から聞いた言葉の意味を考える。今起きている問題のことを併せて考えると、なんとなく事情が解ってきた。紅刃はきっと事件の核心に一番近づいているだろう。
そう、彼は偽物なのだ。
しかし、だから何だというのだ。たとえ偽物だとしても、彼の信念は本物だ。そして紅刃は彼の信念に救われた。彼の味方をしない理由がない。
「紅刃」
顔を上げると、歌子が部屋に入ってきた。
歌子はにこりと微笑むと、首尾を報告する。
「竜胆様直伝の盗聴魔術は完璧ね。こっちはばっちりよ。中央会の連中の話の盗み聞きで、次の動きは把握したわ。そっちは?」
紅刃はピースサインで応じる。
「中央会のデータベースのハッキングは完了。王生樹雨の情報はあらかた手に入れたよ」
「オーケー。そろそろ行きましょ」
歌子に促され、紅刃は立ち上がる。
歌子は上機嫌に笑いながら言う。
「ふふん、それにしても中央会の連中は間抜けね。私たちが京介君を見捨てるなんて、本気で信じるとは」
「まあ、連中が間抜けだったおかげで、目論見通り、俺たちは拘束されることなく裏で準備を進められたわけだけど」
「私たちのこと、舐めたら痛い目見るって教えてあげなきゃね」
そして二人は目的地へと向かう。




