我らが将を救出せよ(2)
隣には美波、肩の上には周防という、二人プラス一匹パーティーで、潤平は歩道を全力疾走していた。正門を出た瞬間に始業のチャイムが鳴ったのだが、そんなの知ったこっちゃないと学校からぐんぐん離れていく。目指すのは、京介のアパートだ。
走りながら、美波が悲鳴のような叫びを上げる。
「兄さん、あれからもう三日です! 私、三日も忘れていました! こんなの、一生の不覚です。……あの女、許すまじですよ」
悲鳴が途中から怨嗟に変わった。初めて会った時から高峰蓮実を敵認定していた美波だが、今回の件で完全に蓮実が「ちょっといけ好かない奴」から「必ず制裁すべき相手」にランクアップしただろう。潤平とて同じ気持ちだ。絆と思い出を踏み躙られて、まんまと術中にはまって京介を「他人」だと思い込んで、やらかした数々の言動は思い返せば身悶えしたくなるほどだ。
「京介の奴、絶対ヤバい奴だよな、これ」
「明らかにヤバいですよ。三日も無駄にしてしまったのが悔やまれます。……それにしても兄さん、よく思い出せましたね」
「うちの神いいんちょが思い出させてくれた。いいんちょは記憶操作されてなかったんだ」
文化祭の事件で、柊は魔術や妖怪の存在を知ることになった。しかし、中央会はあの事件に柊が関わっていたことを知らない。これ以上柊を厄介事に巻き込まないようにするため、ついでに秘密を知る一般人がまた一人増えてしまったことについて追及されたくなかったため、京介は文化祭襲撃事件の登場人物を一人削って報告していたのだ。ゆえに蓮実は、潤平と美波の記憶を操作して、それで問題ないと判断してしまった。一番放置しておいてはいけない職権濫用委員を見逃してしまったのが蓮実の敗因だ。
「俺たちがこの件から学ぶべき教訓は、『偉い奴には秘密を作っておけ』だ」
「至言ですね」
柊のファインプレーを称賛しながら、潤平は焦燥に駆られつつ京介のケータイをコールする。だが、案の定電話はつながらない。電源が切られている。不吉な予感は膨れ上がる一方だ。
頼むからそこにいてくれと祈って、一行は京介の部屋へ急いだ。
やがてアパートに辿り着き、階段を駆け上がる。
「きょーすけ!」
叫びながら、玄関の扉に手を掛ける。しかし、当然のように鍵がかかっていた。
普通の奴ならそこで諦めるだろう。そして、普通じゃない奴は、大家を上手いこと騙して合鍵を用意させるだろう。
さて、そこにいたのは尋常でなく普通じゃない奴だった。潤平が人目を遮るように立って盾となり、その陰に隠れて美波は平然とピッキングを始めた。そこは阿吽の呼吸である。復讐のためにスタンガンを持ち出すような兄と一緒に育つと、妹はピッキングくらいそつなくこなせるように成長するのである。
空き巣顔負けのスピードで不正解錠すると、美波は小さくガッツポーズを決めた。迷いなく部屋に不法侵入。靴を脱ぎ散らかして廊下をずかずか突き進みリビングに到達する。しかし、そこはもぬけの殻であった。
「くそ……いない……!」
「……どうやら、しばらく帰ってきていないようですね」
そう告げる美波は、既にキッチンを物色している。
「シンクは乾いているし、濡れた食器もありません。冷蔵庫には賞味期限の切れた卵」
「鞄も制服もない。三日前、放課後に襲われて、どっかに拉致られてそれっきりか」
「どっか、というか、まあ間違いなく魔術師中央会とやらの拠点、ですよね」
「どこにあるんだ、それ」
「一般人に解りやすいところには、なさそうですね」
「周防は何か知らないか?」
肩にのっかる狐に問う。周防は首を横に振る。
「情報通の俺でも、中央会の拠点までは解らねえな。聞いた話じゃ、拠点は全国にいくつもあるらしいけど、そのどの場所も、どこにあるんだか……弱小妖怪には縁のない場所だからなあ」
「いくつもある拠点のうちのどこに連れていかれたかも、不明ですよね」
「この部屋に、地図とか住所のメモとか、そういうのねえかな」
悪いとは思いつつも、潤平は手掛かりを求めて京介の机を物色する。周防は小さな体を生かして机や本棚の裏を捜索する。完全にやってることは空き巣同然だ。
手当たり次第に抽斗を開け、机の上に並べられた書籍のページをぱらぱらめくって間に何か挟まっていないかと期待して、椅子の裏まで覗いてみる。しかし、それらしいものは何もない。
「なんかねえのかよ……」
メモがありそうな場所はどこだ、と思いついたところは虱潰し。デスクマットの下に挟んであるのが定番なのだが、と思いながらマットをめくってみるが、メモや地図はない。代わりに、写真が一枚挟んであった。
写真には、京介と芙蓉が並んで映っていた。なんだか二人ともぎこちない顔をしている。いったいいつの写真だろうかと思いながらじっと見つめていると、アナログカメラで撮られたらしい写真の隅には、日付が印字されている。三年前、すなわち京介が中学三年だったときの、二月の日付が刻まれていた。
「兄さん」
美波が潤平を呼ばう。クローゼットを物色していた美波が手招きする。隣に並んで、開け放たれたクローゼットの中を覗いてみる。半分は、布団が畳んでしまってあったり、服がハンガーにかけられていたりと、通常のクローゼットとの用途に使われている。もう半分には、大量の書類が積み重なっていた。一瞬、授業のプリントか何かだろうかと思ったが、一枚目についたものを拾って読んでみると、そうでないことがすぐに解った。
解読不能な文字、理解できない数式、魔法陣のような幾何学模様。どうやら、魔術に関する記述のようだ。
「魔術関係……ってことは、中央会のこととか、書いてあるのか?」
潤平はほんのわずかな希望を見出す。しかし、仮に書いてあったとしても、読めない字で書かれていたのでは意味がない。
美波が、クリップで留められた書類の束を拾い上げる。
「こちらはかろうじて読める日本語で書いてありますが……どうやら魔術に関する論文のようですね」
「論文? 中央会へのアクセスとか、そういうのではなく?」
「そういうのでは、なさそうです。素人の私には、内容はさっぱり解りませんが……」
美波はページをぱらぱらとめくる。
「ざっと見る限り、『契約』や『式神』という言葉が頻出する論文ですね」
「……きょーすけは、何かを調べていたのか? 契約とか、式神とかのことを」
京介は、「何か」のために、クローゼットの中に膨大な資料を集めていたのか。しかし、いったい何を?
否、今は京介が何を研究していたかよりも、京介の居場所の方が大事だ。
「とにかく、一番怪しいのはこの資料だ。『中央会』なんてワードが出てこないか確認しよう」
潤平たちは手分けして資料を漁り始めた。
しかし結局、京介の部屋からは手掛かりらしきものが見つからなかった。研究資料は空振りに終わったのだ。
ただ、潤平は閃いた。アパートが駄目なら、次は実家の方だ。不破竜胆の屋敷に行けば、何か解るかもしれない。
中学生の時、潤平が京介に勉強を教わったり遊んだりしていたのはもっぱら京介のアパートか潤平の家だったが、一度だけ、京介の実家に行ったことがある。アパートの近くで工事が行われ、その騒音に耐えかねた京介が実家に逃亡していた時期があり、その時に潤平は京介を追いかけるように実家に遊びに行ったのだ。
その時のあやふやな記憶を頼りに、潤平は竜胆邸を目指した。たぶんこっちだったと思うんだよなー、程度のいい加減な調子で、駅周辺の住宅密集地帯から離れて行き、郊外を目指す。
歩きながら、潤平は考える。
「あの王生樹雨とかいう奴はいったい何者なんだろうな」
「さあ……今のところ、自称芙蓉さんの主人の、イタいストーカーという認識ですけれど」
「けど、ただのストーカーに契約紋は現れないだろ」
なぜあの時、京介の手から契約紋が消え、樹雨の手に契約紋があったのか。
「八月の事件の時にも、他人の式神を奪う魔術を使う輩が現れたという話でしたよね。案外、そいつとグルだったのかもしれませんよ」
「だけど、一番気になるのは、姐御自身が、主人は王生樹雨だって証言したことだよな。あれで京介が一気に不利になった」
「どうして嘘をついたのか、ってことですよね。脅迫されていた、とかはどうでしょう? そう嘘をつかないと、京介さんに危害を加える、といった具合に」
「姐御が脅迫に屈するかねえ?」
美波は一拍置いてから、「ないですね」と断言した。
「馬鹿な脅迫者のことなど拳で黙らせる方ですよね、芙蓉さんは」
「そうだよな。どうも、一筋縄じゃ行かなそうな事件だな」
「簡単な話なら、一応正義っぽい機関である中央会が京介さんを連れて行ったりはしませんよ」
「だよなぁ」
道は緩い勾配の上り坂になる。左右には民家が立ち並ぶが、少し行くとそれも疎らになっていく。潤平のおぼろげな記憶によれば、京介の実家は一軒だけぽつんと建っていて、周りに家はなかったはずだ。もう少し先に行ったところだろうか、と徐々に閑散としてくる通りを不安になりながら歩いていく。
「たぶん、こっちであってると思うんだけど……」
何せ随分と前のことである上に、潤平の記憶力が壊滅的に悪いことも重なって、記憶はたいへんあてにならない感じになっている。
だが、奇跡的にも、目当ての建物は見つかった。目の当たりにすると、思い出してきた。石造りの門、その先に見える砂利敷きの庭。京介と竜胆の二人暮らしにしては広すぎるんじゃないかと思ったほどの家屋だ。
「ここだ、ここ!」
「でかしました、兄さん」
ようやくたどり着いた竜胆邸。二人は歓喜しながら門の奥に踏み入れた。
途端に、絶句した。
「……なんじゃ、こりゃ」
庭の砂利は散々に踏み荒らされて汚くなっているし、かつてはきちんと手入れされていただろう庭木は折れている。石の灯籠は砕けているし、家のガラス窓にはひびが入っていて、その奥の障子もところどころ破れている。そして何より目を引くのが、庭に飛び散った血。完全に殺人事件の現場みたいなことになっている。
「おいおい、なんだよこの有様は。死人が出ててもおかしくないレベルで荒らされてるじゃねえか」
幸い、と言っていいのか微妙だが、今のところ死体が転がっている気配はない。
「まさか、竜胆さんにも追及の手が……?」
「ありうるな。それで、乱闘になった、ってとこか」
周防がぴょんと潤平の肩から庭に降り立ち、すんすんと鼻を鳴らす。
「ふむ。俺でも解るレベルの、強い力の残滓を感じるぜ。派手な争いが起きたんだろうなぁ」
「こんなこと訊くのもあれなんだが、やられたのはどっちだ?」
「さぁな、さすがにそりゃあ解らんな。それにしても、わざわざここまで来たってのに、手掛かりゼロか……こっからどうするよ、潤の字」
「うーん」
そろそろ手詰まりの気配がしてきた潤平は難しい顔で唸る。
その時、
「ああっ!!」
美波が突然叫び声を上げた。見ると、顔面蒼白になっている。
「ど、どうした美波」
「わ、私……どうしてこんな大事なことを忘れていたんでしょう……あの女の記憶操作のせいで混乱して……」
「いったい何だ」
これ以上悪いニュースは聞きたくないぞ、と思いながら潤平は問う。
美波は鞄から小さな機械を取り出し、酷く申し訳なさそうな顔をして言う。
「ごめんなさい兄さん……私あの時、咄嗟にレコーダーを回してたんでした」
「それもっと早く……いや超でかした!」
不穏な気配を感じた瞬間すかさず録音を開始するとは、さすが行動力の権化・美波である。潤平はシスコンを差し引いても素直に戦慄……否、感心した。
少々ノイズが入ってはいたものの、潤平と美波が気絶させられた後の会話も、問題なく聞き取れるレベルだった。自分たちが真っ先にリタイアしてしまった後にも更に厄介な事態が進行していたと知り、潤平は眉根を揉む。
「まさか、歌子ちゃんにあっさり見捨てられるとはなぁ……」
歌子は京介を弁護することなく、自分は無関係と京介を切り捨てていた。
「……いえ、まあ、それは割と問題ない話ですけど」
などと美波は言う。この会話を聞いてどこらへんが「問題ない」のかさっぱり理解できず首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「いえ、確証があるわけじゃないので、黙っておきます」
「はあ」
「それよりも重要なことが解ったじゃないですか」
「そうだな。さて、どう動こうかね」
結界術を施し、聞かれて不都合な相手はいないと思って油断したのだろう。録音の中で、高峰蓮実が漏らした指示を、二人は聞き逃さなかった。
『一班は王生殿を屋敷へお送りして、二班は夏村隊の応援に。残りは私と共に来てください――彼を神大地下支部へ連行します』




