お騒がせな魔法少女(2)
誰かにつけられているような気がする。
終業式が午前中いっぱいで終了すると放課となり、生徒たちは解散となった。京介はやたらと重い鞄を肩にかけ、帰途についた。
鞄の中には、各教科の教師からたんまり押し付けられた課題の山が詰め込まれている。担任はそれらを総括して、「冬休みに調子に乗りすぎないようにという、君たちのことを思っての粋な計らいです」とのたまった。その瞬間、教室の各所で殺意に似た気配が巻き起こった。今思うと、物騒な気配を漂わせていたのは例外なくリア充連中だった気がする。
非リアであるところの京介は、「課題のあまりの多さに恋人との楽しい時間を過ごすはずの予定に暗雲が立ち込める」などという事態にはならないわけだが、実は宿題によってちょっとした弊害が起きている。
ここ最近はアパートを離れて、実家である竜胆の屋敷に寝泊まりをしていたのだが、それを昨日、追い出された。
竜胆曰く、
「退魔師の修行もいいけれど、お前は魔術師である前に学生だ。学生の本分は学業だ。どうせ冬休みには大量の課題が降ってくるんだろう? それが片付くまでは私の屋敷には来るな。大人しく学生の本分に専念しなさい」
とのこと。遠回しに「休息を取れ」と言っているのは解った。
そういう事情のため、今日は休息日となった。京介はいつになくゆったりとした足取りで、アパートに向かっていた。
その道中、どうやら誰かに尾行されているらしい、というのに気づいた。ふだんなら、またぞろ潤平が奇襲の機会を狙ってつけてきているんだろうな、とでも考えるところだが、今回ばかりはそれはありえない。
というのも、
「きょーすけ、お前は俺に償うべきことが山ほどあるよな? 誠意を見せるべきだよな? とりあえず、俺に宿題教えてくれるところから始めてくれよ」
などと言いながら、潤平は隣を歩いているのである。
「いいか、お前は俺に英語と数学と現文と古文と生物と日本史を教えろ。代わりに俺は保健体育を伝授してやるぜ」
「要らん」
ゲスっぽく笑いながら、潤平は隙を見てスタンガンを突きつけてくる。往来でそんな物騒なものを振り回さないでほしいところだが、京介が適当にあしらっているおかげで、道行く人には男子高校生二人がふざけながら歩いているようにしか見えないという寸法だ。実際はかなり危険なことをしているのだが。
京介は片手間に潤平の嫌がらせを受け流しながら、正体不明の尾行者に意識を割く。狙われる心当たりは、残念ながら多すぎて解らない。不破の一族というだけで、何かと厄介な奴が近づいてくる、ということはままある。
京介のアパートまでは徒歩で十分ほどだ。家までついてこられるのはまずい。京介は声を潜め、表情を変えることなく隣の潤平に言う。
「潤平、少し真面目な話をする。前だけ見てろ」
「ん?」
「お前、誰かとグルになって俺に奇襲をかけようとしてるわけじゃないよな? またしても中谷を買収してるとかないよな?」
中谷はクラスの体育委員だ。以前、潤平に付き合い京介を体育倉庫に閉じ込めた前科がある。
「残念ながら中谷は今日、彼女とデートだ。俺の野望には付き合ってくれない」
「そうか。ということは、面倒だな。実は今、誰かに尾行されてる」
「え」
ふだんからエセ暗殺者として活動している潤平はさすがで、それで反射的に後ろを振り返ったりはしなかった。厳しい表情で、潤平は短く問うてくる。
「どっちが?」
「解らない。だからこの先の横断歩道で、二手に別れよう。俺とお前、どちらが標的か見極める」
「一人になった途端襲ってきたらどうする」
「敵がお前の方に行ったら、俺が後ろから叩く。俺の方に来たら……お前、奇襲は得意だろう」
「おうよ、任せろ!」
「よし。俺は道を渡る。潤平はまっすぐ」
横断歩道は、丁度信号が青になったところだった。不自然にならないように適当な会話をして、潤平と別れる。京介は道を渡り、細い路地へ身を滑り込ませる。
そして、尾行者が自分の方に食いついた気配を確認すると、走り出した。
潤平には適当なことを言っておいたが、実のところ、尾行者の標的が自分だということはほぼ間違いないだろうと踏んでいた。できるだけ、潤平から引き剥がすように、走る。
人気のない場所へと駆ける。だが、全力では走らない。敵がぎりぎり、ついてこれる速度で。そうして邪魔の入らない場所へ相手を誘い込む。相手もこちらも狙いは解っているだろう。京介は正面から迎え撃つつもりでいる。相手もそれを承知の上で乗ってきているようだった。
歩道に沿って設置された柵を乗り越え、竹藪の中に潜り込む。がさがさと鳴る足音。自分の足音以外にも響いている。尾行を隠すつもりももうないらしい。
僅かに開けた場所まで来ると、京介は振り返り、そこで敵を待ち構えた。
がさり、と足音と一緒に、楽しげな少女の笑い声が聞こえてきた。
「優しいのね。お友達を上手く逃がしてあげちゃって。心配しなくても、無関係な一般人に手を出すつもりなんてなかったのに」
現れたのは、まだ若い少女だった。京介と同じか、歳下くらいだろう。白のブラウスに真紅のサスペンダースカートを纏い、細い脚は黒のタイツで包まれている。栗色のロングヘアーをハーフアップにして、頭の上では大きめのリボンが揺れている。
まだあどけなさの残る顔で、しかし瞳だけは強く凛々しい光を宿し、京介を見る。
「初めまして、不破京介君。私は歌子。魔術師よ」
よろしくね、とやけに馴れ馴れしい態度で少女・歌子は言う。
「俺をストーキングしていた目的は?」
「あなたに興味があるの。あなたの力、試させてくれる?」
言うや否や、歌子はスカートを翻す。その下、太腿に巻いたホルスターから、拳銃を抜き放ち、躊躇いなく京介に銃口を向けた。
「退魔銃『月花羅刹』――ぶち抜きなさい」
銃口が火を噴く。飛び出した光弾を避け、京介は右手に刈夜叉を喚び出し走り出す。飛び道具が相手なら、接近戦に持ち込まなければならない。
背後で弾丸が着弾したらしく、ドン、と爆発音が響いた。体に当たったら、痛いでは済まなそうな威力らしい、ということは解った。
歌子は銃を連射する。その弾丸をかいくぐり歌子に肉薄すると、京介は刀を横に薙いだ。歌子はそれを、体を反らして躱す。そのまま流れるように両手を後ろについて後方に転回し、跳ね上げた足で京介を狙う。靴にはナイフが仕込まれていた。
両足から放たれた暗器を、舌打ち交じりに後退しながら刀で弾く。態勢を立て直した歌子が光弾を放つ。避けられる距離ではないと判断すると、京介は迷わず刀を振るう。
「斬れ、刈夜叉!」
退魔の刀である刈夜叉は、持ち主の能力に応じて、物体以外も斬る。たとえば、魔術でさえも。
刃を真正面に構え、放たれた光弾を両断する。球体は二つに別れ、京介の体を避けていく。それを見た歌子はひゅぅ、と口笛を吹いた。
「さすがね、あなたなら斬れると思っていたわ。だけど甘い」
直後、弾丸に込められていた歌子の魔術が発動した。眩しい光が炸裂すると、呪言の文字を連ねた円環が二つ、京介の周りを廻った。
それを切り裂こうと刀を振るおうとするが、意に反して体が動かなかった。
「なっ……体が……!」
「私の結界弾は、斬ったくらいじゃ無効化できないわ」
それでようやく、彼女が放った術は攻撃のためのものではなく、拘束するためのものだったのだと気づく。暗器による攻撃で京介の体勢を崩し、続く弾丸を避けられないように――斬らざるをえないように誘導したのだ。
「さあ、とどめよ、月花羅刹!」
歌子は銃口を上空に向けて引き金を引く。飛び出した光弾は歌子の真上で停止し、ひときわ大きな光を放つ。光は幾筋にも別れ弧を描きながら、隕石の如くに京介に降り注いだ。
拘束術にかかった体は動きを制限されていて、攻撃を避けられそうにない。歌子が勝ち誇ったように笑う。
それにつられるように――京介もにやりと笑う。
「甘いのはお前だ」
ぺろりと舌を出す。と、そこには呪の文字が刻まれている。
「そんなところに術を仕込んで……!」
呪が発動し、赤く光を放つ。
「焔嵐現界」
轟、と激しく炎が燃え上がり、壁となって京介を囲う。流星のような弾丸の嵐をまとめて焼き尽くす。体を戒める呪言の円環もろとも燃やしてしまえば、自由な動きを取り戻す。そして、術が切れるより早く、火の壁を突き破って走り、唖然としている歌子に接近する。
我に返った歌子が銃を構えるが、引き金を引かれるより先に刀で銃把を弾き、歌子の手から銃を吹き飛ばす。
「あっ」
得物を失った少女の目に焦燥が顕れる。追い打ちをかけるように肩を押し脚を払い、地面に押し倒す。マウントを取った状態で刈夜叉を持ち直し、歌子の喉に切っ先を突きつける。歌子が息を呑むのが解った。
「喉掻き切られたくなかったら答えろ。お前は何者だ? なぜ俺を襲う」
歌子は困ったように笑いながら、
「あらら、ちょっとなめてたわ。でも、勝った気になるのはまだ早いんじゃないかしら」
「何……」
瞬間、鋭い殺気を察知し、京介は反射的に飛び退る。その直後、赤い刃を持った男が歌子の傍に降ってきた。のんびりしていたらぐっさりやられていたかもしれないな、と思いながら、京介は刀を構える。
黒のスラックス、ワイシャツにネクタイ、その上にファーコートを羽織った若い男だった。しかし、この男の場合、見た目の若さは実年齢に比例しない。
その男は、妖だった。
人間と、人間の姿をした妖を見極められるように、竜胆から稀眼の使い方を叩きこまれた。正確には、竜胆は出来の悪い京介をぶっ叩いていただけで何も教えてくれなかったので、京介はほぼ独学で身に着けたのだが、おかげで目の前の青年が妖だということは一目で解った。
緋色の瞳をした男は愉快そうな笑みを浮かべて言う。
「ったく、お嬢は結局俺の助けが必要なんだからー」
「うるっさいわね、イイ線いってたじゃない」
「世の中結果が全てってね」
「あっそう。じゃあ、結果が全てだっていうなら、二人がかりで潰しにかかっても、文句は言われないってことね」
「文句なんて誰も言わないでしょ。死人に口なし、ってね」
「確かに、そうね」
歌子が徐にブラウスのボタンを二つ、外した。シャツをはだけた下、鎖骨のあたりで、光を放つ紋様――剣の形に似た契約紋が見えた。
「やっちゃって、紅刃」
歌子が命じた瞬間、式神――紅刃が飛び出した。




