天国で最初に出会ったのはコスプレ似非仙人でした。
「ほっほっほっ。やあやあ、よく来たね。ここは日本天国庁入国管理局。文字通り、天国の入り口じゃよ」
「…………。……はあ、そうですか」
市役所の受付のようなカウンターで、禿頭に白髭の御老人が私に向かって微笑んでいます。
どうやら私、本当に死んでしまったようです。死んだ時の記憶もちゃんと残っていますので、わかってはいましたが。
で、死んでしまったから天国まで連れてこられたと……。
つまり、これが私の天国デビューということですか。嫌なデビューもあったものです。
(しかも、天国に来て最初にエンカウントしたのが、これとは……)
目の前のコスプレ似非仙人に憐みの視線を向けながら、心の中で溜息をつきます。
まあ、人生最後の読書通りに地獄へ落ちなかっただけ良しとしておきますかね。私が地獄に落ちるなど、絶対にありえないことではありますが。
「うむうむ……。まだ自分が死んだという実感がないのじゃな。無理もない。君のように若くして亡くなった人には、よくあることじゃ。時間はたっぷりあるから、ゆっくりと折り合いをつけていきなさい」
私が嘆息交じりに取り止めのない考え事をしていたら、御老人は労わるような口調で言葉を重ねてきました。
どうやらこの御老体、黙っている私を見て、何か勘違いをしているみたいですね。
私は自分の死を嘆いているわけでもなければ、受け入れられないでいるわけでもありません。
天国に来たと思ったら、いきなり頭が見た目中身共に残念系の老人に絡まれて、辟易としているだけです。
とはいえ、訂正するのもぶっちゃけ面倒くさいですしね。このまま勘違いさせておくことにしましょう。
省エネ、大事です。ついでに、目の前のヒヒジジイに対する動物愛護の精神というやつです。
「おっと、そう言えば自己紹介がまだだったのう。儂は白仙。この日本天国庁で、入国管理官を務める者じゃ」
「ああ、ご丁寧にどうも。私は天野宏美と申します」
豊かな白髭を撫でながら自己紹介するハゲ――じゃなくて、白仙さんへ向かって頭を下げます。
正直、頭の中身がアレな感じのコスプレ老人にしか見えませんが、一応年上です。礼儀は弁えておくことにしました。
「おやおや。これは、礼儀正しいお嬢さんじゃな。加えて、艶やかな黒髪の美人さんときた。いやはや、現世の男どもは惜しい人を亡くしたものじゃのう。ほっほっほっ」
「あははー。それはどうも~」
「ほっ?」
あら、いけない。私としたことが、ヒヒジジイのお世辞に対して、思わず斜向いて適当な受け答えをしてしまいました。
視線を戻すと、白仙さんが目をパチクリさせています。
ほう。これは意外と可愛らしい。オラウータンみたいです。
「それで白仙さん、天国の入国手続きとはどういうものなのでしょうか?」
「ん? ああ、そうじゃったな」
私が強引に話を戻すと、白仙さんは狐につままれたような表情のまま、入国管理のお仕事に戻られました。
「特に難しい手続きかあるわけじゃないから、安心なさい。ちょっと、天国のことを説明させてもらうだけじゃ」
「ああ、そうですか。なら、手早く済ませてくださいます?」
軽く首を傾けながら、笑顔で催促してみます。
それを見た白仙さんは、何だか諦めたような表情で、「なるほど、こういう子なわけか……」と溜息をつきました。
はて、どうしたのでしょう? 天国の役人とはいえ、いい年こいたジジイですからね。早くも息切れしてしまったのでしょうか。
「あ~、うん。わかった、わかった。では手早く済ませますかの。まず、この天国というところは――」
なぜか悟ったような雰囲気を纏って、お仕事を全うし始めた白仙さん。
これはこれで、何だかムカつく態度ですね。
本来ならお灸を据えたいところですけど、まあ今回は特別に許してあげましょう。
だって私も、聞く振りだけして頭の中では別のこと、有り体に言えば死んだ時のこと考えていたわけですから――。
* * *
私が死んだのは、体感時間で半日ほど前――暦の上では四月一日のことです。
この春、超優秀な成績で短大を卒業した私は、司書として地元の図書館に就職しました。
静謐な空間で、本のページを捲る美人司書。もはや芸術の域ですね。絵になること、この上ありません。
加えて私は人当たりも最高に良くて、営業スマイルなどはハリウッド女優並です。司書という職業は、正に私のために用意された仕事と言えるでしょう。
……ああ、一応断っておきますが、昔から本を読むことが大好きだったというのも司書を志望した理由の一つですよ。ええ、大好きでしたとも!
実は私、外見的な事情で昔から人間関係に苦労しておりまして……。
しつこく言い寄ってくるナンパ男に、意中の男を取られて辻斬り・御礼参りに来る嫉妬女。さらには表裏様々なスカウトや援交目的と思しき自称優しい紳士達。etc.etc.……。
生きていた頃の私の周り、そんなのばかりだったわけですよ。
いやはや、大和撫子と持て囃されるのも考えものですね。おかげで私、キリスト並に聖人君子なのに友人皆無です。ままならないものですね。
で、それら奇人変人共を時に笑顔であしらい、時に超笑顔で蹴散らし弱みを握り、ついでに各種隠蔽工作までこなしながら、私は日々を過ごしてきたのです。
死んだ今にして思えば、我ながら、なかなかエキセントリックな人生でしたね。おかげで色々と鍛えられましたが……。
で、なかなかに刺激的な日々を送っていた私の心を癒してくれたのが、数多の本達だったというわけです。
本相手なら妙な駆け引きをする必要がありませんし、疲れた時は手軽に現実を忘れさせてくれます。ああ~、本とは誠に素晴らしいものです。正しく人類の宝と呼ぶに相応しいですね。――嘘じゃありませんよ?
というわけで、智謀・策略を巡らせ手に入れた(面接官の一人が、高校時代に声をかけてきた自称紳士だったことが決まり手。色々手間が省けました)、念願の司書という職です。
喜び勇んで図書館へ初出勤した私は、全力で職務に励みました。
ええ。それはもう、爽やかな汗を流してしまうくらい――。
普段では考えられないくらい、この日の私はハイテンションでした。
――ただ……柄にもなく励み過ぎてしまったのです。それがまさか、こんな結果につながるとも知らずに……。
ことの始まりは、一日目の就労も間もなく終わろうかという、午後五時過ぎ。
私はこの日の最後の仕事として、上司から百科事典全三十冊を地下書庫へ移動するように仰せつかりました。下心を丸出しで手伝いを申し出る先輩をいつも通り笑顔であしらいつつ、私は事典を運搬用の台車に乗せ、一人で地下を目指したのです。
今にして思えば、この時、素直に先輩を顎で使ってやるべきでしたね。
ですが、初仕事でテンションがハイになっていた私は、一人で作業を続けるという愚行を犯してしまったのです。
折しも夕方という時間帯。地下にもつながっているエレベーターは、利用者達で大変混雑していました。そこで私は、階段で少しずつ事典を運ぶことにしたのです。
そして――事件は、この最中に起こりました。
重たい事典を何冊も抱えた私は、あろうことか足を滑らせて階段から転落。階段を転がり落ちながら頭を打ち、止めのように辞書の流星群を浴びて、あえなく死亡してしまいました。
いやはや、まったくあれですね。美人薄命とは言いますが、まさか就職一日目に享年二十歳で死ぬこととなってしまうとは、夢にも思いませんでしたよ。
不慮の事故とはいえ、運命とは本当に理不尽なものです。
一体全体、私が何をしたというのでしょう。
せっかく権謀術数を用いて周囲の印象操作を行い、清廉潔白な大和撫子として生きてきたというのに……。この仕打ち、あんまりじゃありません?
……………………。
ふむ。別に自分の死を嘆いたりする気はありませんけどね。改めて思い返すと、何だか腹が立ってきましたよ。
どこかにこの怒りをぶつけられる、手頃なカモはいないでしょうか――。