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排除のオキテ!

作者: ハゲ侍

 今までの人生はどうでしたか。

 そう質問されたら、高校2年生、川本大輝(かわもとだいき)は迷わず『普通』と答える。生まれてこの方16年、突出した才能は持たず、語るに値するほどの美談もなく、9割以上の人が経験するありふれた日々を過ごしてきた。これから先もはみ出すことなくこの普通道(ノーマルロード)を歩き続けるのだ、とほんの3時間前までは思っていた。

(どういう状況なんだ、これは)

 彼は今、体育館ほどあろうかという広い和室に、同じ学校に通う3年生、王狩(おうがり)オキテと2人で正座している。大輝と彼女は友達同士でもなく、部活動の先輩後輩の関係でもない。2人は今日初めて会ったに等しい。なぜ彼女にここへ連行されたのか、これから一体何が始まるのか。主犯のオキテは何も教えてはくれず、ただ「ここで待つ」とだけ言った。その後、目を硬く閉じて背筋を伸ばし、腰にかかる長い髪を揺らすことなく凛として誰かを待ち続けている。

 涼しげなオキテとは正反対に、大輝は落ち着かない。極度の緊張状態が続き、嫌な汗が洪水のように噴き出ている。部屋には時計がなく、何分こうしているのか分からない。遠くに置かれた日本刀が彼を恐怖の底に突き落とす。どう考えても一般人の家ではない。

 帰りたい、今すぐ帰って日常を満喫したい。そう思ったのと同時に(ふすま)が開き、2人の男が入ってきた。1人は黒スーツ姿で座布団を抱え、もう1人は額から頬にまで繋がる大きな縫い傷を持ち、和服を着た中年だ。和服の方が身長は低いが、尋常じゃないほどの殺気を放っている。頭目(ファーザー)とか組長とか、そういった役職の人にしか見えない。

(ああ、やっぱり殺されるのか。オレ)

 今まで死に直面した経験のない大輝でも、終わりが近いことを悟った。あの選択が良くなかったのか。彼は頭の中で、ここに連行されるまでの記憶を再生し始めた。

       

        ――――――――――――――――――――――――――――――――――


(あに)ちゃん、早く起きてよ。朝だよ」 

 妹の声で夢が途切れ、脳が覚醒の道を選んでしまった。全身の感覚が徐々によみがえり、大輝は布団の中にいることを自覚する。

「……残念ながら夢の世界から抜け出せそうにないんで、今日は学校休みます」

「完全に起きてるじゃん。もう怜里(れいり)ちゃん来てるんだから。女の子を待たせるのは一生の恥だよ」

 (すが)りつく布団を無情にも剥ぎ取とられ、カーテンまで開けられてしまった。朝日が目に刺さって痛い。

「朝日ビームとか卑怯すぎるだろ。起きるしかないじゃないか」

「もう、わけ分かんないこと言ってないで早く仕度しなよ!」

 妹は怒りを込めてそう言い残すと、忙しそうに1階へ降りていった。

 だらしない兄とは違って、妹はしっかり者だ。中学生になってからは、共働きの両親に代わって家事をするようになった。それを自分から言い出したのだから偉い。どうやら親の悪性遺伝子を受け継いだのが兄、善性遺伝子を受け継いだのが妹のようだ。ちなみに妹の口癖は、「兄ちゃんみたいな人とは絶対に結婚しない」だ。

 兄妹のダメな方はパジャマから学生服に着替え、教科書(ガラクタ)の入ったカバンを持って階段を下りる。

「おはよう、大くん。今日はいつもより早かったね」

「怜里ちゃん、甘やかさないでよ。ダメダメな兄ちゃんがさらにダメダメになっちゃうから」

 ダイニングの4人掛けテーブル席には、大輝の幼馴染の紋別怜里(もんべつれいり)と彼の妹が並んで座っている。川本家と紋別家は隣近所で、怜里は小学1年生以来の友達だ。大輝と同じ学校に通う高校2年生で、肩にかかるくらいのショートヘア、おっとりした性格、部活は弓道をしている。

「いやぁ、親より厳しい妹って存在するんだな」

 彼女達の向かい側の席に腰掛ける。テーブル上の朝食に食欲を増進された腹が、ぐぅ、と小さく鳴る。

「兄ちゃんがいつもだらしないからいけないんだよ。もっとしっかりしてくれれば(そう)だって厳しくしないのに」

 やれやれ、とため息を1つ吐く妹。(そう)というのは妹の名前で、一人称が自分の名前なのが容姿以外では唯一の子供らしさかもしれない。

「まぁまぁ、落ち着こうよ奏ちゃん。大くんだって努力してるよ、きっと」

「そうだぞ、どうすればだらしない兄になれるか、寝る間を惜しんで研究してるところだ」

「そんな研究するくらいなら早く寝なよ!まったく、怒ったらお腹空いちゃったよ。せーの」

「「「いただきます」」」

 一同、手を合わせて言った。川本家と紋別家の親は仕事で朝早く出て行ってしまうので、子供達だけ集まって朝食を食べる習慣が、大輝と怜里が中学1年生の頃から始まった。発案したのは大輝で、「ご飯は皆で食う方が旨いに決まってる」という理由からだった。最初のうちは主に彼が作っていたが、いつの間にか妹と怜里の当番制に切り替わっていた。2人の方が料理が上手だし、何より楽なことに越したことはないので、彼がそのことに文句を言うことはなかった。

「怜里、来週の木曜日誕生日だよな?」

「うん、そうだね。それがどうかしたの?」

「いやぁ、怜里も大きくなったもんだな、と思ってさ」

「大くんだって同い年だよ。変な大くん」

 怜里は苦笑いを浮かべ、トーストの角をかじる。トーストは歯形を付けられて小さく欠けた。

「兄ちゃん、誕生日会の時間は言ったの?」

「おお、そうだった。誕生日会は来週の木曜日、5時半から我が家で開催するからそのつもりで」

「毎年開いてくれてありがとう。今年も奏ちゃんの料理楽しみにしてるね」

「任せてよ。去年の4倍は凄いの作るんだから」

 薄い胸を誇らしげにトン、と叩く。

「そんなに頑張らなくていいよ。お誕生日会を開いてくれるだけでも嬉しいのに。いや、開いてくれようとする気持ちだけでも十分だよ」

「去年食べた鶏肉のヤツ美味かったよな。あれ今年も作ってくれよ」

「誕生日なのは怜里ちゃんだよ。だから兄ちゃんのリクエストは受け付けません」

「ケチだな。1品くらいいいじゃないか」

「私もあの料理好きだから、また作って欲しいな」

「怜里ちゃんがそう言うならいいけど……」

 楽しい朝のひと時が続いた。この時間の中に笑顔の怜里がいることが、大輝と奏の心を温かくする。もう二度とないかと思われたが、また目を細めて笑ってくれている。これ以上の幸福は存在しない。

「「ごちそうさまでした」」

 さすが兄妹、と言ったところか。2人ともコーンスープを飲み干して食事を終えた。

 1人残されてしまった怜里だが、特に気にすることもなく、黄身をくり抜かれた目玉焼きにイチゴジャムをたっぷり落とした。

「うーん、その食べ方は何度見ても理解しがたいな」

「怜里ちゃんの唯一残念で変なところだよね」

「えー、なんでー?卵の白身にイチゴジャムは最高だよ。去年ゴールドバッテリー賞を取った、清田投手と谷島捕手くらい相性が良いよ」

 怜里は昔から無類の野球好きで、ときたまこんな例え方をする。プロ野球創設から現在に至るまでの全選手を知っているのではないか、というくらいに深い知識の持ち主だ。

「黄身は醤油かけて食べるのにな」

「それは黄身に一番合うのが醤油だからだよ。相性が一番良いものをかけて食べるのが、食べ物に対する礼儀だよ」

「さてと、例えも食べ方も意味わかんないし、歯でも磨きますか」

「奏は洗い物するね。怜里ちゃんはゆっくり食べてていいよ」

「んー、美味しい。この白身のプリプリとした食感とジャムのまったり感が最高だよ。なんでこの美味しさが分からないんだろうね」

 白とピンクの色合いが美しい物体を、1人で幸せそうに食べる怜里であった。

              

 

 学校は徒歩20分という近場にあるため、歩いて通っている。スクールバスでも通えるのだが、それだと帰宅部の大輝はあまりにも運動不足で健康によろしくない。その点、弓道部の怜里は問題ないのだが、散歩が好きという理由で一緒に通っている。

「はぁー、こう晴れてると眠くなるなぁ」

「曇りの日も眠いって言ってるよね」

「そうだったか?じゃあ仕切り直しで……はぁー、晴れでも曇りでも眠いなぁ」

「どっちでも眠いってことは、天気以外に原因があるんだよ。寝不足とか、朝ごはんを良く噛んで食べてないとか」

 校門前に繋がる並木道を、他の生徒と同様になんでもない話をしながら歩く。この道は歩行者のみが通行でき、道の両側にはイチョウの木が整列している。今は6月で緑色だから情緒はないけど、見頃を迎える秋には黄色の葉っぱが乱舞する。この町の名所として、毎年多くの観光客を呼び寄せている。

「おお、今日も見張ってますな」

 並木道を抜けて校門前、門の両端に2人の男子生徒が手を後ろに組んで直立している。ポーズは違えど仁王像を想像してしまう。今日も生徒が左腕にブレスレッドをしているか、目をぎらつかせて監視している。

 彼らは強制排除委員会の人間だ。2年前に風紀委員会から独立したこの機関は、『いじめの完全なる排除』を活動理念としている。独立以来いじめの発生件数は急激に減少し、成果を挙げている。その要因は委員会のトップである執行長の過激な思想もあるが、画期的なシステムの導入によるところが大きい。それが全生徒の左腕に装着されている『監破(カンパ)』と呼ばれるブレスレッドだ。

 人がいじめたとき、またはいじめられたときには、それぞれ特殊なタンパク質が脳内で合成されて血液中に放出される。カンパはこのタンパク質を過敏に検出する。タンパク質の血中濃度が一定の値を超えるといじめと判断し、委員の携帯電話にいじめの位置情報を送信する。そして、いじめ発生場所の近くにいる委員が現場を押さえ、委員会室に強制連行するのだ。

 画期的なところは、個人の主観でしかない『いじめ』を数値化したところにある。これで客観的な判断が可能になり、冤罪(えんざい)を防止し、長い議論をすることなく排除に乗り出せるようになった。

 だから、カンイの装着は義務であり、入学と同時に付けられ、卒業式の日まで1秒たりとも外してはならないのが校則(ルール)だ。

 ちょっとやそっとじゃ外すことはできないし、外すと警報装置が作動して委員に知られるため、校門前で毎日監視する意味はないと思われるが、この日も彼らは頑張っている。

「なんかちょっと怖いよね」

「そうか?いじめが起こらない限り何もしないから大丈夫だろ。トラでも檻に入ってれば怖くないじゃん。おはようございます」

 門に入りながら、左側の門番に挨拶した。男は声を出さずに軽い会釈を返した。

「ほらな。あの委員会はいじめのとき限定の鬼で、他のときは普通の生徒さ。それに、怖いっていうか可哀想だな」

「可哀想?」 

「だって、いつも一人ぼっちじゃん。いくら公平な立場を守るため、て言っても友達がいないのは辛いことだろ。あの委員会の人達はいじめを排除する機能じゃなくて、オレ達と同じ高校生だろ。まぁ、執行長に洗脳されてるっぽいから余計な心配なんだろうけどな」

「大くんは何も考えていないようで、ちゃんと考えてるよね」

「そういうのを一言余計って言うんだ。なんだか、奏に似てきたな」

 大輝の少し怒ってるような、困ってるような表情を見て怜里は笑う。

「ごめんね。怯えてるだけの私とは違って大くんの目線は優しいから、そんな風になりたいなってちょっぴり羨ましくなっただけだよ」

「うーん、これはこれで余計な一言だな」

 今度は嬉しいような、照れ臭いような気持ちになって頬をかく。

 吸い込まれるように学校に入る生徒の流れに乗って、2人も校内に入る。そして、玄関前廊下の掲示板一面を覆う、一枚の異様な掲示物に気づく。

「そういえば今日朝礼だったね。すっかり忘れてたよ」

「そうだな。今日は月の初めだったな」

 掲示してある白地の紙には『本日朝礼』と大きく力強い字体で、筆で書かれている。今日は月に一度の少し特殊な朝礼の日。覚えていた生徒も忘れていた生徒も、上履きに履き替えて体育館へと歩みを進める。

 2人が体育館に入ったときには、各クラスごとの成長途中の列が伸びていた。この人数の前ですらステージ上でたった1人で話す緊張には耐えられないだろう、と大輝は思った。しかし、これからあのステージに立つ人は涼しげな顔で3学年24クラス、総勢960人もの全校生徒の前に立つのだ。人の格が違いすぎる。

「お昼休みにお弁当渡しに行くね。したっけー」

「じゃあな」

 別れの言葉を告げ、大輝は2年2組、怜里は2年6組の列に吸収された。

 


 全校生徒がほぼ揃い、体育館内に生徒のエネルギーが充満している。これだけの人数がいると1人1人の話し声は小さくても、ちり積もって山となるがごとく、窓を震わせるほどの騒音になる。集団の声に負けじと個人が声を大きくして集団の声が大きくなり、またそれに負けじと個人が声を大きくする、を繰り返す。 騒がしさがピークに達したとき、右腕に赤色の腕章をつけた色白の美男子生徒が、ステージ左側の垂れ幕から出てきた。その生徒がステージ中央の机に来る前に、空間の支配構造は静寂へと変化した。一度点くと中々消えない10代の炎を、一瞬で鎮火してみせた。どれほど人望のある教師でも不可能な芸当だ。

(始まるか)

 ハゲの校長もヒゲの教頭も出てこない、世にも奇妙な朝礼の始まりだ。大輝と怜里も含めたほとんどの生徒が緊張で顔を強張らせる。数秒前までにこやかに話していた人と、同じ人物とは思えない。

「それでは朝礼を始めます。一同整列!」

 静まり返った体育館に声を響かせた後、ステージの右奥まで歩き、生徒側を向いて止まる。左側の垂れ幕から、赤の腕章をつけた生徒が次々と出てくる。めりはりのある動きで列を作っていく。総勢26人が全校生徒側を見て並び、『気をつけ』の姿勢でのり付けされたように立っている。それに習って全校生徒もピンと背筋を伸ばして立つ。

 残すはあと1人。最後に垂れ幕から姿を現したのは、神のように完璧な容姿を持つ、落ち着いた足取りの女子生徒。彼女の歩く音だけが体育館に響く。1人の例外もなく生徒の瞳は彼女の方を向き、まるで時が止まったかのように動かない。その目には恐怖、羨望(せんぼう)、怒り、尊敬など人それぞれの感情が宿っている。

「休め!」

 ステージ中央の机を前にして号令を出した。それに従って、全生徒は一斉に足を開いて手を後ろで組んだ。シンクロ人数の世界記録を達成したかもしれない。

「おはよう諸君。強制排除委員会執行長、王狩オキテだ」

 圧倒的な威圧感。この女子が強制排除委員会の創立者にして執行長(トップ)、王狩オキテその人だ。2年前、彼女がまだ1年生の時に委員会を創立、以後変わることなく執行長を務めている。

 彼女の後ろに整列しているのが部下の委員で、始めに出てきた男子生徒は副執行長だ。列には校門前で監視していた2人もいる。

「早速だが、月例報告をしたいと思う。まずはこのグラフを見てくれ」

 ステージ右上の天井から機械らしい音を立ててスクリーンが下り、グラフが映される。

「このグラフは我が委員会創立から先月までの、月ごとのいじめ発生件数を表している。見ての通り、創立当初の発生件数は150件を超えていた。既に卒業した生徒達には手を焼かされたものだ。しかし、3か月後には50件台にまで減じることに成功した。その後も順調に数を減らし、ここ半年は1ケタ台で収まっていた。そしてついに、先月のいじめ発生件数は0になった。完全排除に成功したのだ」

 一部の生徒から、おお、という声が漏れた。

「奇しくも我が委員会創立2年目の月。少し時間がかかり過ぎたが、これは非常に喜ばしいことだ。私1人の力では達成不可能であっただろう。この場を借りて、生徒諸君及び我が委員に感謝したい。ありがとう」

 執行長が頭を下げる。生徒達からは自然と拍手が巻き起こる。威圧的でも(おご)らないからこそ、委員や一部の生徒から熱烈に支持されているのかもしれない。

 顔を上げると珍しく口元に笑みをたたえていたが、

「静粛に」

一瞬にして表情を消した。執行長の雰囲気が変わり、全生徒は拍手を止めて再び休めの姿勢をとる。

「しかし、喜んでばかりはいられない。この世で最も難しいことの1つは継続だ。一度だけ結果を出すのは案外簡単だが、来月も、その次の月も0を目指すとなると、難易度は等比級数的に増加する。それを克服するために、いじめの完全排除を継続するために、我々はより一層精進していく。諸君らの協力も不可欠だ。これからも気を引き締め、たゆまぬ努力をするよう命じる」

 一部の若者が苦手とする『命令』だったが、生徒から不平や不満の声は上がらなかった。そうした場合の、その先にある恐怖を皆知っているからだ。

「最後に1つ。近頃、我々に正義を見て好意を寄せている連中がいるようだが、それは大きな間違いだ。我々は正義などではない。秩序形成に必要なのは正義ではなく暴力であり、我々はそれを体現した装置、いじめを排除するための暴力装置でしかないのだ。そのことを胸に留めておけ」

 語気を強めていった。きれいごとだけでは、いじめはなくならない。それを叫ぶかのように、強制排除委員会執行長は暴力を肯定した。いじめという暴力をより強大な暴力で排除する。そこに正しさがあるかは分からないが、結果は形となって現れた。

 執行長は深く息を吸い、

「以上、直れ!」

大声に変換して吐き出した。全校生徒と委員は一斉に『きをつけ』の姿勢に戻る。

 執行長が左の垂れ幕に消えると、副執行長が前に出る。

「混雑を避けるため、出入り口側の3年1組から教室へ戻ってください」

 緊張から解放された生徒達は、ふう、と肩を下ろす。脱力して重くなった身体を引きずるようにして、体育館を去っていった。



 昼休み。大輝は怜里から弁当を貰い、友達と昼食を済ませた。

 今は絶好の昼寝スポットである校舎裏の林に行こうと、廊下を歩いている。

 その場所は、校舎裏からは林の防御壁で何もなさそうに見えるが、林に入って30メートルくらいの地点にある。開けた空間は誰かが手入れしているらしく、芝生がきれいに生え揃い、遊具はないが小さな公園のようになっている。あるのは寂しげな白いベンチが1つだけだ。大輝は1年の時にこの場所を見つけ、以来週に2、3回は昼寝をしに来る。

 玄関で靴に履き替え、校舎裏に周り込む。今日も全く人の気配を感じない林に足を踏み入れる。この時期はまだ草は短くて歩きやすいが、1ヵ月も経てばジャングルと化して足に絡まってくる。欠伸をしながら携帯電話を取り出して時間を確認する。まだ後40分も時間がある。たっぷり寝られるじゃないか、と前を向くと―――――大輝から5メートルほど前にあるベンチに、女子が座っているのを見つけた。

 彼も思春期だ。美少女とばったり出くわして、恋が始まることをここへ来るたびに密かに期待していた。妄想神(エロス)からの思わぬプレゼントに足を止める。後姿しか見えないけど、スタイルはかなり良さそうだ。美人に違いないだろう。春が来た、オレにもついに春が来た。大輝は歓喜のあまりその場でヒンズースクワットを始める。頭の中はあいさつの言葉より先に、デートプランで一杯になる。

 スクワットを止めると、無駄な運動と緊張のせいで心臓の音しか聞こえない。落ち着け、落ち着け。何回か深呼吸し、集中して美少女を観察する。良く見れば肩が小刻みに震え、おまけにうつむいている。あれは泣いているときの仕草だ。大輝は誰かが泣いているのを、特に女子が泣いているのをほっとけない。嫌でも過去を思い出してしまうのだ。緊張も妄想も解け、今すぐ助けたいという一心で彼女に近づく。

「誰だ」

 あと2メートル、というところで彼女は振り向かずに問うた。大輝はまた立ち止まる。どこかで聞いたことがあるような声だった。

「互いに知らない方が都合がいいと思うから名乗らない。でも何か辛いことがあるんなら相談してくれ。見ず知らずの他人の方が話しやすいこともあるだろうし」

「私は幼きとき、既に一生分の優しさを貰った。だから心配には及ばない。その優しさは他の誰かのためにとって置け。しかし、この私にこの距離まで気づかせないとは中々やるな。褒めてやる」

 そう言って立ち上がり、振り返った。

 前言撤回。互いに知らないわけではなかった。一方通行の知り合いで、大輝はその顔を良く知っている。いつも距離的にも精神的にも遠い存在だが、確実に見知っている。ちょうど、今日の朝礼で見たばかりだ。

「2年2組、川本大輝か。この場所を知る人が他にいたとはな」

 その美少女は執行長、王狩オキテだった。そう認識した瞬間、大輝は金縛りになったように全身が動かなくなった。声を出そうとしても何も出ず、細く息をするのが限界だ。あまりの動揺に彼女の目の赤さや、頬にできた涙の道に気づかない。

 オキテは袖で涙を拭うと、大輝の方へゆっくりと歩み寄る。すれ違い様に彼の肩に手を置き、

「見られてしまったのなら仕方ない。放課後、校門前に来るのだ」

そう言葉を残して去っていった。

「ふぁはっ!」

 身体が解放される。急いで振り返ったが、枝葉と草が風に揺れてるだけだった。王狩オキテの痕跡は一切ない。

「やばいかもしれん……」

 まさか王狩オキテだったとは。昼寝をしたかった自分、あらぬ妄想をした自分、そして不用意に近づき軽率な発言をした自分を悔いた。彼女の泣く姿を見てしまった。執行長としての地位が失墜しかねないこの事実を隠蔽するために、もしかしたら殺されるかもしれない。彼女なら平然とやってのけそうで怖い。疲労困憊(ひろうこんぱい)だが昼寝をする気にはならず、頭を真っ白にして立ち尽くすことしか出来なかった。


        ――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そして、命令を守るべく放課後に校門前へと向かった大輝は、黒スーツの男に誘拐されるように車に乗せられ、この広い和室に強制連行されたわけだ。

 和服の男は威厳を放出して歩き、黒スーツの男が敷いた座布団の上に胡坐(あぐら)をかいて座る。彼との距離はバス1台分くらいはあるのに、すぐ目の前にいるような圧迫感がある。睨まれた大輝は慌てて視線を畳に逸らす。黒スーツの方は襖の前で正座して一礼すると、襖を閉めて出て行った。

「わざわざ呼び出して、何のようだ」

 見た目通り、深く(いか)つい声を出した。不機嫌さを隠そうともしない言い方だ。

 その言葉を聞いてオキテはようやく目を開き、

「父上」

目の前の男をそう呼んだ。目の前の男は彼女の父であるらしい。確かに(まと)っている雰囲気が似ている気がする。では自分は彼女の泣く姿を見た罰として、父親にあの日本刀で斬られるんだ。しかし、彼女本人ならまだしも、なぜ父親に殺されなければならないのか。大輝の頭には疑問が渦巻いているが、とにかく彼女の次の発言で運命が決まることは間違いないと思い、目を瞑って耳に意識を集中させる。

「家法に従い、この者とケッコンすることに致しました」

 彼女は完璧な作法で深々とお辞儀する。

 なるほど、ケッコンという方法で処刑されるのか。字は『血痕』を思い起こさせる。むごたらしい処刑になりそうだ。大輝はまぶたの裏に処刑される自分を映す。

「そうか、ついにこの日が来てしまったか。だが父親としてこんなに嬉しく、誇らしいことはない。隣の者、名を名乗れ」

 彼に父親の言葉は耳に入らず、身体中に鉄のストローを刺されて血を抜き取られる自分を想像している。

「どうした大輝。父上に自己紹介するのだ」

「………え?」

「だから自己紹介だ」

 オキテに耳打ちされて目を開ける。自分を殺そうとしている相手に名を名乗るなんて武士みたいだ。というか、なぜ彼女に呼び捨てにされているのか。

「えーと、川本大輝です。3本線の川に本棚の本、大きく輝くと書きます」

「大輝か、いい名前じゃないか。至らぬところがあるかもしれないが、手塩にかけて育てた自慢の娘だ。これからよろしく頼む」

 父親は語尾を震わせ、目頭を押さえて頭を下げた。娘をよろしく頼まれた大輝は、殺しが行われる気配がないことにようやく気づく。

「は………はい?」

「良かったな、大輝。父上に認めてもらえたぞ」

 一生の宝物になりそうな、可憐な笑顔を大輝に向ける。不意打ちを食らった彼は息が詰まりそうになるが、まだ事情が飲み込めない。

「認めてもらえたって、何のことですか?」

「だからケッコンすることを、だろ。何度も言わせるな、疲れる」

 脳を猛スピードで回転させる。思えば最初からおかしかった。『この者とケッコンする』、この文のケッコンが処刑という意味なら彼女自身も死んでしまうではないか。それと、父親の『娘をよろしく頼む』という発言と目頭を抑える行動から導き出される結論は―――――

「ケッコンて、結婚のことかよ!!」

 ようやく事態を把握した大輝は両手をついて後ずさった。驚きのあまり、飛び出るほど目を開いている。

「いや、え、何でオレと王狩先輩が結婚するんですか?だって今日会ったばっかりだし、わけ分からないっていうか、やっぱりわけ分からないですよ」

「敬語を使うな、私達はもう夫婦なのだから。それと、私のことはオキテと呼んでくれ。王狩先輩なんて他人行儀過ぎる」

 少し怒ったように眉をひそめる。言ってることはお花畑だが、気迫はいつものままだ。

「いいか。王狩家には、『初めて涙を見せた者と結婚するべし』という家法がある。涙を見せるのは信頼できる者のみ、そしてその者こそ人生の伴侶にふさわしいという理論だ。王狩家は代々この家法に従って結婚してきた。もちろんそこに居られる父上も、今は亡き祖父もその前の代もずっとだ。私は今日、初めて人前で涙を見せた。だから家法に従って、大輝、お前と結婚する」

「いや、いやいやいや。そんな家法があっても今日初めて会ったばかりで、何も知らない人と結婚するなんておかしいです……じゃないか。しかも今日オレが王が……オキテの涙を見たのは信頼に足るからじゃなくて単なる偶然だし、信頼は一瞬で築けるものじゃない」

 敬語になりかけたところと苗字を呼びそうなったところで睨まれた。

 その大輝の言葉でスイッチが入ったようで、目頭を押さえていた男が顔を上げた。鬼の形相をしている。

「おい、小僧。さっきから黙って聞いてりゃ、まるで(うち)の娘と結婚したくないみてぇだな」

 言葉遣いが変わった。立ち上がり、ゆらりゆらりと後方の日本刀へ近づく。乱暴に鞘を掴み、冷たく無機質な刀身をむき出しにする。

「おい、どうなんだ。返事によっちゃあ、この刀にてめぇの血を吸わせなくちゃならねぇ……」

「父上、落ち着いてください!」

 今日一番の恐怖に大輝は青ざめ、全身をがくがく震わせる。処刑人が一歩、また一歩と近づいてくる。恐怖のあまり声が出ず、金魚のように口をパクつかせることしかできない。

 処刑距離に入った。髪が全て白くなるほどの緊張感。彼には振り上げられる刀がスローモーションで見えた。しかし身体が動かないからかわせそうにない。全身の神経を喉に集中し、やっとのことで声を絞り出す。

「オレは別にオキテさんと結婚したくないわけじゃないんです!オキテさんは才色兼備な女性、結婚したいに決まってるじゃないですか。でも、高嶺の花たるオキテさんは、程度の低い雑草のオレなんかじゃ嫌だろうな、と思ったんです。そういう不安が心の中にあるから、先ほどのような発言をしました!」

 思いついたことは全て言った、これで殺されるのなら仕方ない。目を硬く瞑って奥歯を噛みしめ、裁きの瞬間を待つ。

「……そうか」

「……え?」

 刀が振り落とされることはなかった。父親は刀を鞘に納め、座っていた座布団に戻る。一変してにこやかな表情を作る。

「そうかそうか、それが貴様の本心か。人は恐怖が極限に達すると本音を言う生き物だ。それを少しばかり利用させてもらった。なに、最初(はな)から殺す気はない。そもそもこの客間で殺しは行わないからな」

 客間で、と言うのが気になったが、大輝は安堵感で全身が溶けそうになる。とりあえず生き残ることができた。

「それにしても、今どき珍しく謙虚な男子じゃないか。良かったな、オキテ。さて、俺はまた仕事に戻る。今後のことは夫婦2人でゆっくり話し合え」

 はっはっは、と笑いながら部屋から出て行く。座布団の上には父親の気が残り、蜃気楼のように揺らめいている。笑い声は次第に遠く、小さくなって消えた。

「あー、死ぬかと思った……」

 大輝は仰向けに寝転がって天井を見る。あの王狩オキテが近くにいるのに、いつの間にかリラックスできていることには気づいていない。

「王が……じゃなくてオキテ、どうしたんだ?」

 隣でずっと下を向いているオキテに声を掛けた。彼女はビクッ、と身体を動かして顔を上げたが、大輝のいない襖の方に顔を向ける。

「け、結婚したいに決まってるとか、才色兼備とか、大輝の本心は恥ずかしすぎる」

「い、いや、オレも必死だったから半分口からでまかせというか、なんというか」

「え、嘘なのか?」

 悲しげな表情のオキテと目が合った。ただの女の子にしか見えない。今朝の朝礼で見た執行長・王狩オキテはどこにもいない。

 大輝ははっきりと否定できない自分の心の弱さが嫌になった。

「いや、嘘じゃないよ。本当にそう思ってるけど、大体オキテはオレなんかでいいのかよ」

「当たり前だ、大輝以外の人間は考えられない。ずっとこうなればいいと思っていた」

 まるで過去に会ったことがあるかのような言い方をした。

 ちくしょう、と大輝は火照る顔を両手で覆い隠す。彼に結婚する気は全くない。しかし、彼女の落ち込んだ顔を見たくなく、期待を裏切りたくない気持ちも強い。それに、拒否したら殺されるかもしれない。神様に解決策を掲示して欲しい気分だ。

「これからよろしくな、大輝」

 彼は指の隙間から笑うオキテを見た。これからどうすればいいのか、これから先何が起こるのか。見通しの良い平坦な道を進んでいた運命のボールは、今日の昼休みに深い霧の中へと転がり、5秒先の未来さえ予測することはできなくなった。ただ1つ分かるのは、霧の中には目の回るような日々が待っていることだけだ。

 短編ですが、気が向いたら続きを書こうと思います。

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