噂
「どうしたの、これ? お客さん?」
部屋に戻ると机の上にはカップが二つ。
准将の姿はパッと見では見当たらない。
二人で対面に座り、カップを横に追いやる。
うまく隠れられたことにホッとしつつ言い訳を考える。
「えー、あー、ちょっと練習してたんだ」
そう言って腕を上げてみせる。
包帯に包まれた両腕を見たシャロが声を上げた。
「怪我してるって聞いてたけどホントだったんだ……」
聞いた? 誰に?
中将も会うまで知らなかったみたいだしまだ砦から戻ってないはずだし。
誰に聞いたんだろ?
その疑問に対する答えは聞けそうになかった。
「痛くない? 大丈夫?」
「うん、最初は痛かったけど、今はもう慣れたから」
握ったり開いたりは包帯で固められてるから難しいけど、掴むくらいは出来るようになった。
『治癒』の術式がなかったらどうなってたか分からないとも言われたけど。
何か本当にぐちゃぐちゃだったらしい。
もう二度と手のひらの下で『破裂』なんて使わないと剣に誓うよ。
「そう、良かった」
「あ、でも食事とか手伝ってもらわなくちゃいけないけど……」
それくらいなら大丈夫と言ってくれたのは嬉しかった。
この部屋を出て行くと言っていた手前、ルームメイトに頼るのは心苦しかったのだ。
食事のたびに准将の所に行くわけにもいかないし。
「トイレは大丈夫? お風呂は?」
「そっちは大丈夫。細かい動きが出来ないだけだから」
親友が残念そうな表情をしているように見えるんだが多分気のせいだろう。
お湯に漬けられないから身体を洗って欲しいと言ったら喜んでたけど。
「でも、腕の怪我だけで良かった。噂だと『准将にキズモノにされた』って話だったから」
寝台がガタッと揺れる。
あー准将はそこか。
まぁ、この部屋で隠れられる所ってそこしか無いし。
「ん? 何の音?」
「いや、ちょっとびっくりして机蹴っちゃった」
噂の出処が気になる所だけどまるっきり間違ってるわけでもないし。
「キズモノ」の意味が間違ってるから変なふうに聞こえるけど。
「どこで噂されてるかは知らないけど、それはないよ」
「うん、わかってる。もし本当なら今頃どうなってるかわからないし」
分かってるのか分かってないのかよく分からない返答。
というか、寝台を小刻みに揺らすのは止めてください准将。
いちいち取り繕う私の身にもなってください。
「そういえば、まだ授業中じゃないの?」
「あっそういえば! 忘れ物取りに来たんだった!」
引き出しを開けて目当ての物を見つけると飛び出していく。
「晩御飯は一緒に食べようねー!」
「うん、頑張ってね」
叫びながら駆けて行くルームメイトの背中に言葉を掛けて見送る。
足音が聞こえなくなったのを確認して部屋に戻った。
「すみません。キズモノにした責任は取ります(性的な意味で)」
「されてません。勝手に責任取らないでください」
土下座する准将の言葉を訂正しておく。
意味を分かってて言ってるのかどうかは不安だったが、准将のことだから腕のキズを指してるんだろうなとは思った。
そうでなかった場合、私が准将に説明しなければならないわけだがそれは御免被りたい。
「でも、僕が怪我させたのは事実だし(性的な意味で)」
やっぱり気付いてない。
このままだと准将自身が噂の補強をしかねない。
説明はしておいた方がいいだろうか。
「親御さんにもきちんと挨拶しないと……(性的な意味で)」
勝手に変な方向に突っ走りそうだったので結局説明しました。
「ち、ちちち違うよ! そんなことしてないよ!(性的な意味で)」
「分かってますから大声出さないでください」
そんな噂があるというのに密室で二人きりとか余計怪しまれるじゃないですか!
……二人きり、そういえば二人きりだな。
顔を真っ赤にしている中将も何故か無言で私の顔を見つめてくる。
自然と私も顔が熱くなってきた。
私と准将がそういう関係……。
無いと分かっていても私もうら若き乙女。
つい考えてしまうのは仕方のない事だろう。
ほら、准将って一応美形の部類には入るし、私だってそういう男の人に憧れる気持ちはある。
……って違う! 流されちゃダメ! そういうことはちゃんと段階を踏んでから……!
……って段階踏んでたらいいのか?! それでいいのか、私?!
「えっと、そろそろ帰るよ。何か見つかったら言い逃れ出来そうにないし(性的な意味で)」
「そ、そうですよね! 早く帰ったほうがいいですよ!」
念の為に鎧を着せておく。
混乱している私でもこの方が軍務関係だと言い訳できるから助かるのは分かる。
っていうか、初めからシャロにも素直に紹介しておけば良かったんじゃ……と気付いたが後の祭り。
一度ひっくり返した水はもう元には戻せないのである。
一瞬で鎧を装着する姿を見て、隠れるより早いよなーと思う。
ぼーっと見ていた私に気付いたのか、准将が私の鎧を指差す。
「なんならアイナのもやっとこうか?(性的な意味で)」
「ぜひお願いします」
真っ黒鎧に私の鎧を持たせて送り出す。
これなら見つかっても良い言い訳になるだろう。
寮の玄関まで見送ろうかと思ったが、ここまで連れてきてあげた意味が無くなるからと固辞された。
「包帯替える時は医務局の方に行ってね。話は通しておくから(性的な意味で)」
「分かりました。でも絶対に『キズモノにした』とか言わないでくださいね」
苦笑しつつ、分かってる分かってると繰り返す准将に駄目押しをしておく。
私も知り合いに話を通しておこう。
ドアを開けると目の前には笑顔の寮母さんの姿。
准将と私と交互に視線を向けると人差し指を立てて注意してくる。
「シューストー少尉、寮内は男子禁制ですよ。准将もほら早く出る」
急かされて廊下に出た私達。
寮母さんは結婚して前線から退いた現役中尉。
息子さんが最近軍に入ったと話していたから年齢は想像にお任せする。
「若い女の子が昼間から男の子を連れ込むとか、士官になった娘に言うのもなんだけどもう少しそういう所を直さないと。あたしの若い頃なんて……」
次第に惚気話に移行するところは私の母とそっくりではあるがこのくらいの年代の共通項なのだろうきっと。
際限なく続くその話を遮って、疑問をぶつけてみる。
「どうして私の部屋だって分かったんですか?」
その答えは単純だった。
「だって玄関に軍馬が繋いであったもの。この寮で馬に乗るのって任官してるシューストー少尉しかいないじゃない。それに玄関に繋いであるってことは誰かが一時的に立ち寄ってるってことでしょ」
馬のこと忘れてたーーーー!
門からここまで馬に乗ってきてるし、門で兵士達にも見られてたし、もう言い逃れは出来ないのだと悟った瞬間だった。




