海岸
地平の向こうに沈んでいく夕日は、波間から顔を覗かせたり隠れたりしているうちに、消えた
黒色の波飛沫が股下を同色に染めていく
月明かりと夕日の明かりが私の真上で混じり合っている気がして急に吐きそうになった
海岸。弓なりに湾曲した海岸
私はなぜこんな所に居るのか、分からない
迫り上がってきた海水で靴も靴下もぐずぐずになっている
ヒュッ
風を切る音が聞こえた
いつの間にかほんの数メートル横に人が居た
さっきのは竿でも振った音なのだろう。
「釣りですか?」
挨拶も無しにいきなり話しかけた事を後悔したが、それは向こうも同じだなと自分の中で話を完結させた
「ええ」
低い声の男だった。あらかじめ話かけられる事を分かっているような返事をした
「なにを釣りに?」
続け様に言う
「なにも」
なにもってなんだ。素直にそう思った
「なにも」
男はもう一度そう言うと私を突き飛ばした
ばしゃっ
飛沫が飛ぶ。背中が痛い。冷たい海水と痛みの熱その両方を充分に感じた
男を見上げる
夕日の明かりはもう残って無い
ぼんやりと薄い月明かりが男を上から照らしていた。
男は私に馬乗りになって、両手で私の首を絞めた
カヒュ
絞められた気管をこじ開けるように肺の空気がでて、情けない音を出した
苦しい。私の体は勝手に跳ねた
打ち上げられた魚がもがくように跳ねた
すぐ力が入らなくなって、小刻みにピク、と動くだけになった。
急に興味を失ったように手を離した男は視界から消えた。私の手は、足はもう動かないし目は色を失って霞んでいた
そして繰り返し打ち付ける波は、私の身体を少しずつ海に引っ張っていった。私は暗い暗い海に放たれて、いつの間にか死んだ
何回もこの海の上で死んだ。この男に首を絞められてやがて。男の口角の端で泡になった唾液だけが光っているのをもう何回も見た気がする。
後ろから光が私を押していた
今、波の間に立っている
朝らしい
いつの間に朝になったのかなぜ今こんな所に立っているのかなにも覚えていない
「どうだ」
いつの間にか隣にいた男がそう言った
私は水平線だけを見ていた
太陽が頭の上を過ぎて、視界に入ってきて
水平線に重なった
私は急に時間を取り戻したように自分を手を見た。腕を見た。足を見た。胸を見た
生きている
今私以外誰1人居ない海岸を、生きている
夕日は、落ちる早さを増してもう半分消えていた
それに気づいて私は走った。少しでもここから遠ざかるように。足が砂に沈む。
走った
背の高い草が海を狭めている
徐々に小さくなる景色に現れた男の影は、すぐに溶け込んで消えていった
なぜ走ったのか。何回もあの場所で生きた。死んだ。それで良かったはずなのに
息を切らしながら、泣きながら、ただ走った




