孤独
「それじゃ、行ってくるな。」
「うん、行ってらっしゃい。」
二週間位時間が過ぎた、浩介はバイトが始まって、覚える事が多いやって楽しそうにしてる。
後五日したら大学も始まる、部活も続けるって言ってたし、忙しくなるだろうな。
俺は今日から出勤、四月一日、今日は初出勤の日だ。
卒業式の次の日に買いに行ったスーツを着て、ちょっと苦しいけどネクタイを締めて、革靴を履いて家を出る。
「ふー……。」
家から駅まで十分位、電車を三十分位乗って、そこから五分で職場につく。
まだちょっと肌寒い中、緊張とかで少し暑い気がする、そんな事を思いながら、家を出た。
「はぁ……。」
浩介が、夜になると暗くなると言うか、夜中に泣いてるのは変わらない。
まだ、立ち直れてないんだろう、それは浩介自身が良く自覚してると思う、ただ、俺は傍にいる事しか出来ない。
気の利いたセリフの一つでも言えれば良かったんだろうけど、生憎と俺は気が利かないって言うか、そういう類の話が苦手だ。
「電車、混んでるかな。」
でも、今は切り替えていかないと。
今日から仕事、社会人としてスタートを切る事になる、浩介の事は心配だけど、それはそれ、これはこれ。
社会はそんな甘い事を許してはくれない、しっかりしないと、足元を掬われて転げ落ちる事になる。
じいちゃんの言ってた事だ、周りの人間の半分は、自分の敵になり得るもんだ、だから、あと半分の人達を見つけて、強くなれ、って。
「……。」
電車は混んでる、今日から社会人って言う子達もいるだろう、緊張してる顔がいくらか見える、俺もきっとそのうちの一人だろう。
「まもなく、上野ー、上野ー。」
「……。」
目的地についた、降りなきゃ。
上野で降りる人は多いだろうし、人の流れに乗っちゃえばなんとなくで降りられるだろうな。
「ふぅ……。」
朝八時半、通勤の時間だって言うのはわかってるけど、結構最初は辛いな。
人ごみを潜り抜けながら、目的地に向かっていく。
ピンポーン
「はーい!」
「今日から就職させていただきました、坂入悠介です。」
「あ、はーい!」
八時四十分、悠介は新しい職場に到着する。
特定非営利法人、それが悠介の職場だ。
主に青少年のお悩み相談のホットライン、場合によっては赴いて相談業務をしたり、電話で相談業務をしたり、と言う場所だ。
何故悠介がそこを選んだのか、選ぶのであれば、大学の心理学科を卒業した後の方が、就職的には有利であり、幅も広がる中、そこを選んだ理由は、主に二つだ。
「よろしくお願いします。」
「はーい、皆ー!今日から一緒に仕事する、坂入君だよー!」
「おー、新入社員なんて数年ぶりじゃないですか?この子が噂の、ほー。」
一つは、高卒で家を出たかったから。
家族との折り合いが悪かった悠介は、大学進学を許されていなかった。
奨学金を借りる、と言っても保証人もいない、親戚付き合いがあったわけでもない。
もう一つは、悠介がいつか、そういった仕事がしてみたいと、高校生の頃に考えたからだ。
単純な理由かもしれないが、それだけの理由で、この法人の求人を見つけ、面接を何とかして、入社するにあたった。
「俺は高橋、君の教育係になるから、よろしくね。」
「はい、よろしくお願いします、高橋さん。」
「じゃあ、まずは席を……。」
先輩社員、高橋が悠介の教育係になる、と言う事を覚える。
悠介は人の名前を覚えるのが少し苦手だ、こっそりとメモを用意して、高橋の容姿の特徴と名前をメモしている。
「ここが君のデスクね。ちょっと前まで使ってた人がいたんだけど、辞めちゃってね。まあ、綺麗に使ってくれてたから、問題はないかな?」
「はい、わかりました。」
高橋に案内されたデスクは、少し使用感はあるものの、綺麗に使われていたのだろう、十年以上前の物とは思えない程綺麗だった。
この法人が出来てから十年と言う説明は面接の時に受けていて、その時に買ったのであろう、とは予想がつく。
「さて、坂入君は高卒だったね。最初は電話がかかってきたら、各それぞれに繋いでもらって、それで名前を覚えようか。」
「はい。」
まずは簡単な事から、覚えていかなければならない。
バイトである程度の対人スキルは身に着けてきた、しかし、これから相手するのは、心に陰りを持っている相手だ。
今まで以上に神経を使わなければいけない、今までよりずっと、心を使わないといけないだろう。
悠介は、それを理解したうえで、ここにいる。
「悠介、今頃頑張ってるのかなぁ……。」
昼頃、悠介が作り置きをしてくれていたチャーハンをレンジで温めながら、浩介は独り呟いた。
今までは自分がバイトに行く以外の時間はずっと一緒にいた、しかし、これからはこういう時間も増えるだろう、独りで過ごす時間と言うのも、増えていくだろう。
「……。」
寂しい、それは仕方のない感情なのだろう。
独りっきりになる事が無かった、悠介がこの数週間気を利かせて、浩介を独りにしなかった。
だから、寂しい。
「……。」
駄目だ、これ以上考えてはいけない。
浩介は、自身の思考の危うさに気づいた、それを止めようとした。
「……。」
止まらない。
なぜ自分は捨てられたのか、何故置いて行かれたのか、何故、何故、何故。
悠介がいてくれたから、考えずに済んでいた事、無意識に封をしていた事。
それらの封が開いてしまった。
「なんで……。」
ぽたぽたと、涙が流れ落ちる。
今は独り、涙を拭いてくれる人はいない。
「駄目だ……。」
死のうとまでは思わない、それは悠介に対する暴力だと考えているから。
しかし、辛いと思う事は止められない。
あれだけ仲が良かった家族だったのに、あれだけ良くしてくれた両親と祖父だったのに、三人は浩介を置いて何処かに行ってしまった。
「なんで……?」
何故、こんな思いをしなければならないのか。
自問自答した所で、答えは出てはくれない。
悲しい気持ちは消えてくれない、もしかしたら、生涯その感情は付きまとうのかもしれない。
悠介がそれを知ったら、どう思うのだろう。
怒るのだろうか、悲しむのだろうか。
違う。
きっと、悠介は受け入れるだろう。
浩介の感情を、浩介の悲しみを、受け入れて一緒に歩いてくれるだろう。
それがわかっていたとしても、悲しい事に変わりはない。
それだけ、大きな存在を失ってしまった、それが浩介の感情だった。
「ただいまー、疲れたぁ……。」
「悠介……。お帰り、お仕事、どうだった?」
夜の七時、また満員電車に揉まれて、くたくたになって帰って来ると、浩介は少し驚いたって言うか、びっくりした感じで出迎えてくれる。
「チャーハン、美味しかったか?」
「あ……。あのね、食べて、無いんだ……。」
部屋の電気もつけてなかった、浩介はそんな中で何をしてたのか。
容易に想像がつく、きっと悲しいんだ。
「お腹空いただろ。今、ご飯作るから。」
「えっと……、悠介……。」
「ん?」
「今は、こうしてたい……。」
スーツを脱いで夕飯を、と思ってたんだけど、浩介が後ろから抱き着いてきて、すすり泣く声が聞こえてくる。
「……。」
振り向いて、浩介の頭を撫でる。
浩介が大丈夫だって思えるまで、前を向けるまで。
ずっとずっと、ここにいよう。
浩介の隣にいよう、浩介と共にあろう。
愛しているから、誰よりも愛しているんだから。
「ごめんね、悠介……。」
「良いんだ。浩介が辛いのはわかってる、俺はそれを受け止めるって決めたんだ、いくらでも付き合うよ。さ、飯作るか。何がいい?」
「悠介のお料理はどれも美味しいから、なんでも。」
「じゃあ、ハンバーグにでもしようか。」
暫くして、浩介が落ち着いて、俺はスーツを脱いで私服に着替えて、飯を作り始める。
浩介は、安心したからかなのか、腹をグーグー鳴らして、恥ずかしそうに笑ってる。
「お米洗ってもらっても良いか?」
「うん。」
浩介にちょっとした事を任せて、少し気が紛れればいいんだけど、と思いながら、冷蔵庫から肉と玉ねぎを出して、料理を始める。
もう慣れたもんだ、家庭科の授業云々の前に、俺は自分で飯を作ってた人間だし、材料なんかも自分で選んでた。
母親は最低限虐待にならない様に、って金だけ出してきたけど、高校に入って以来はそれも自分でまかなう様になった。
「何合炊けばいい?」
「三合でいいかな。明日の朝の分は、またあとでで良いだろ。」
「わかった。」
浩介が米櫃から米を軽量してる横で、玉ねぎをみじん切りにしながら考える。
これまでは、ずっと一緒にいられたって言うか、浩介が独りになる時間って言うのは無かったけど、そうか、これからは独りで過ごす時間も増えるのか。
寂しい思いはさせたくないけど、でも仕事はしないと共倒れになっちゃうし、どうしたもんかなと。
「うーん……。」
「どうかした?」
「いや、何でもないよ。ちょっと考え事って言うか、なんていうかな。」
「そっか。」
お米を炊飯ジャーにセットして、浩介は俺の作業を眺めてる。
これから先、浩介も自炊をしなきゃいけない事があるかもしれない、その為の準備として、見ておきたいんだろう。
ちょっと恥ずかしい様な気もするけど、まあ見られて困るもんでもない。
「それじゃ、いただきます。」
「いただきます。」
夕食が出来上がり、浩介と悠介は食事をしていた。
意図せず昼食を抜いていた浩介は、腹が減っているからか、かきこむ様にハンバーグを口に放り込み、白米をもぐもぐと食べている。
「お腹空いてたんだな、浩介。」
「ん?うん。」
「残ったチャーハンも食べるか?」
「うん。」
昼にレンジで温めたままだったチャーハンも、勿体ないからと悠介が温め、食卓に出す。
「悠介ってさ、お料理上手だよね。中学生からずっと作ってたって言ってたけど、お母さんは作ってくれなかったの?」
「そうだな……。俺と母親って、壊滅的に好みが合わなくてな。小学生の頃はある程度合わせてくれてたんだけど、中学入ってから、それをしてくれなくなったんだ。なら、いっその事自分で作る、って言って作り始めたのがきっかけだな。高校入ってからは、自分の食費なんだから、って思って、自分で稼いでたな。」
「悠介、お弁当も自分で作ってたって言ってたもんね。夜ご飯はバイト先の賄が殆どだって。」
悠介は、それも家族仲が悪くなった理由の一つだろうな、と考えてた。
母親と味覚が合わない、家族と味の好みが合わない、すれ違って、亀裂が入った、と。
小さな積み重ね、それが今の人間関係を作っている、それは良くも悪くも、と。
「なんだか寂しいね。でも、悠介のご飯美味しいから嬉しいや。」
「そうか?それは聞けて良かったな。」
浩介は、美味しい美味しいと言いながら、ご飯をかきこんでいる。
食べ盛りの十代だ、ご飯が三合で足りると良いが、と悠介はチャーハンに口をつけた。




