懐かしい味
「緊張する……。」
「大丈夫だって、胸張って行ってらっしゃい。」
二日が経った。
浩介の不安定さ、時折悲しげな顔を見せたり、泣いたり、と言う情緒不安定な部分は残っていたが、それでも二人で一緒に、と言う言葉を信じているのか、浩介は頑張ろうと踏ん張っていた。
今日はバイトの面接、大学に入る前にはバイトを始めておきたい浩介にとっては、初めての体験だ。
「行ってらっしゃい。」
「うん、行ってきます。」
玄関でキスをして、スーツを着た浩介を、悠介が送り出す。
浩介は、新調したてのスーツを身にまとって、近所にある個人経営の飲食店に向かう。
「あの、面接をお願いしました、坂崎浩介です。」
「おー!いらっしゃい!今面接の準備するから、ちょっと待っておくれー。」
店につく、店は丁度午後の休みの時間に入っていたのか、客はいない。
そう言えば、と悠介の家から近所なこの店は、浩介の行動範囲外で、来た事がなかった事を思い出す。
古き良き飲食店、と言うか和食処な風貌な店で、店員は店主の小太りで身長の小さい老人の男性一人の様だ。
「いやぁ、かみさんが病気で倒れちまってな、俺独りで続けるってのが難しくてなぁ。さ、坂崎君、面接をしようかぁ。」
「はい、よろしくお願いします。」
店主が椅子に座る様に促して、浩介は席に座って、対面に店主が座って、面接が開始した。
「高校は卒業したんだっけ?これから大学だって言ってたねぇ。それで、今までバイトとかはした事あるのかい?」
「いえ……。それが、部活をずっと続けていたので、バイトとかの経験は無いです。」
「部活は?野球部?」
「はい、野球部でした。」
「ふむふむ。野球部はどこも忙しいって言うのは決まり事みたいなものだからね。それで、大学に入るにあたってバイトを始めようと思ったと。親御さんは賛成してくれてるのかい?」
「いえ……。それが、僕……。僕、捨てられたんです。卒業式が終わって、帰ってきたら両親が引っ越した後で……。」
店主は、それを聞いてあんぐりと口を開けている。
しかし、何処かでその話を聞いた事がある、と言う素振りを見せ、少し悩んでいる様子だ。
「坂崎君、だったね。たしか、家は三丁目のあそこらへんだったか。売り家になった、なんて噂は聞いた事があったけど、まさか子供を置いて行っていたとはねぇ……。それで、今はどこに暮らしているんだい?」
「はい、今は恋人が一緒に暮らしてくれてます。僕も就職するって伝えたんですけど、やりたいことの為にも、大学に進んでほしい、って言ってくれたんです。それに甘える気は無かったんですけど、でも、頑張ってみたいなって、思ったんです。」
「そうかぁ……。良い恋人に出会ったんだなぁ、君は。うん、わかった。どうせかみさんが治るまでは昼は閉めておこうと思ってたんだ、夕方六時から十時、月曜と火曜日以外の週五日勤務でどうかな?」
「えっと……、それって……?」
「君を雇うって事だよ、坂崎君。君の人柄は良さそうだし、嘘も言っていない、誠実そうな子だからね。かみさんが復帰した後も、手伝ってくれると有難いかな。」
「ありがとうございます!」
急に採用が決まって驚いている浩介と、そんな浩介の様子に笑っている店主。
「今度の金曜日からお願いしようかな。エプロンはうちのがあるから、動きやすい格好で来ておくれ。お客さんの相手を任せる事になるだろうけど、良いかい?」
「はい!」
「良い返事だ。きっと良い子なんだろうなって、わかるよ。それじゃ、給料の振込先の話とかはまた今度するとして、うちの味を知ってもらおうか。ちょっと待っててくれ、今何か作るから。そうだ、恋人さんは時間はあるかい?料理を振舞うのは、吝かじゃないんだけど。」
店主の老人は、そう言ってニコニコ笑っている。
浩介は、悠介に連絡をしようと少し席を外します、と言って、店の外で悠介に電話をかける。
「もしもし、悠介?」
「浩介、面接どうだった?」
「あのね、受かっちゃった。ちょっと話しただけだったんだけど、今度の金曜日から来てほしいって。それで、僕と悠介にご飯ご馳走してくれるって言ってくれてるんだけど、来る?」
「そうだな、せっかくだから行こうか。」
浩介が嬉しそうに報告すると、悠介はホッとした声を出し、出かける準備をするから、と電話を切る。
「……。」
良かった、と浩介は思う。
これで、最低限自分の事はなんとか出来る、悠介に迷惑をかけっぱなしでは無くなる。
悠介はもしかしたら、それを寂しがるかもしれないが、しかし浩介にとっては、それが良かったのだと。
「お待たせ、浩介。」
「あ、悠介。待ってたよ、店長も待ってたって。」
「お、恋人さんが……。あれま!悠ちゃんかい?悠ちゃんじゃないかい?」
「お久しぶりです、宮本さん。ご無沙汰してました。」
「え?悠介店長と知り合い?」
店について、ちょっとネタばらし。
店主の老人、宮本さんは、俺の古い知り合いだ。
って言うのも、実は父方の実家がここの周辺で、よくご飯を食べに来てたから。
「昔の事だけどさ、ちょいちょい顔出してたんだよ。宮本のおじいちゃん、なんて言ってたかな。求人が出てるのは知らなかったから、そこはたまたまだけどな。宮本さん、おばあちゃんに何かあったんです?」
「それがなぁ、かみさんは入院だ。腰をやっちゃってね。それで、一人で店を回すのが大変だからと思って、求人を出したんだよ。悠ちゃんの恋人って言うのは、ちらっと聞いた事はあったけど、坂崎君の事だったんだねぇ。」
「じゃあ、悠介は店長の事知ってて、僕に行きなよって言ってくれたの?」
「宮本さんなら、優しいし受け入れてくれると思ったんだ。おばあちゃん、治ると良いですね。」
「いやぁ、不思議な縁って言うか、君達も変わった人生を送っているんだねぇ。さ、ご飯を食べると良い、今作ってるから!」
「はい、いただきます。」
種明かしした所で、宮本さんに誘われて中に入る。
店の内装は変わってない、あの頃からずっと変わらず、でもメニュー表は新しくしたのかな?程度だ。
浩介と席に座って、懐かしい店の香りを吸って、思い出に想い馳せる。
「悠ちゃん、おじいちゃんはどうしたかな?あれから見なくなって、亡くなったって噂は聞いたけれど。」
「四年前に亡くなりました。それ以来こっちには来てなかったですけど、宮本さんは元気そうで良かったです。」
「他人行儀だなぁ。宮本のおじいちゃんって、言ってくれて良いのにねぇ。」
「あはは……。」
宮本さんは、料理をしながら厨房から話しかけてきてくれて、懐かしい話をする。
「そう言えば、悠介のおじいちゃんってどんな人だったの?僕、会った事って無かったよね?」
「ん?そうだな。浩介と出会ったのが小五の頃だったっけ。あの頃には、じいちゃんはボケて介護施設に行ってたからな。じいちゃんは、優しい人だったよ。ばあちゃんをずっと愛してて、一途な人だった。父親が生まれて五年位経った頃って言ってたかな、ばあちゃんが死んじゃって、それ以来父親を独りで育ててきたって言ってたけど、それでも再婚とかをしようとはしなくてさ。ずっと、ばあちゃんに会いたがってた、俺に恋人が出来たら、ずっと愛してやるんだぞ、って言い聞かせてくれてさ。」
懐かしい、昔から家族との折り合いが悪かった俺は、よくじいちゃんの家に遊びに行ってて、決まってここでご飯を食べて。
宮本のおじいちゃんもいつもサービスしてくれて、じいちゃんとは仲が良くて。
小学四年の頃に、じいちゃんがボケ始めて、施設に行く事になって、それ以来ここに来る事もなかった、けど。
こうして来てみると、懐かしい思い出がたくさん詰まった、幸せな場所だったんだなって、身に染みる。
「おじいちゃんはお父さんもよく連れて来てたねぇ。昔、毎日の様に来るもんだから、どうしたんですか?なんてかみさんが言ってねぇ。おばあちゃんが亡くなった、一人息子がいて、飯を食わせたいけど飯の炊き方がわからなくて、なんて言ってたよ?」
「そうだったんですか?じいちゃんらしいや。」
「悠介にとって、大切なおじいちゃんだったんだね。僕、おばあちゃんが大好きでさ。死んじゃった時、暫くずっと泣いてたなぁ。あれが確か、小学三年の頃だったかな。」
浩介のおばあちゃんの話、って聞いた事が無い気がする、じいちゃんは施設で過ごしてる、って言う話だったと思うけど、そんな過去が会ったって言うのは驚きだ。
でも、浩介の優しさって、そういう人達から受け継いでるのかな、とも思う。
「浩介君のおじいちゃんはまだ生きているのかい?」
「はい、って言っても、父ちゃん達と一緒でどこにいるのかはわからないですけど……。」
「そっかぁ。辛かっただろうな、今日はいっぱい食べると良いよ、うちの味を知ってもらわないと、おすすめも出来ないからね!」
宮本のおじいちゃんは、美味しい匂いを漂わせながら、話に交じってくる。
流石に何十年とやってるだけあって、手慣れてると言うか、そうやったとしても、味が落ちないって言うのはホントに凄い事だと思う。
「はい、どうぞ!」
「生姜焼き、懐かしいですね。」
「そうなの?」
「じいちゃんの好物だったんだよ。昔は、俺は生姜の味って苦手でさ、なんであんなに美味しそうに食べるんだろ?って思ってたよ。」
出されたのは生姜焼き定食、この店では看板メニューだ、ってじいちゃんが言ってたっけ。
昔は食べられなかった、じいちゃんと同じ気持ちを味わえなかった、今ならわかるだろう、その味。
「いただきます。」
「いただきます!」
「はい、どうぞ。」
宮本さんがニコニコ笑いながら見てる中、一緒に生姜焼き定食を食べる。
最初に味噌汁を啜って、おばあちゃんのお手製だっていう漬物に手を出して、そう言えばあの頃は漬物なんかも苦手だったな、って思い出す。
「美味しいですね!」
「美味しい、じいちゃんは、この味が好きだったんだ。」
「美味しいだろう?六十年の集大成だからねぇ、かみさんの漬物は天下一品だよ!」
美味しい、漬物はすっぱすぎず、しょっぱすぎず、程よい浸かり具合の糠漬けで、味噌汁は白みそかな?
安心する、ホッとする味と言うか、なんていうか。
お次は生姜焼きだ、ぶ厚めの豚ロースに、タレが絡んでいい香りをしてる。
「……。うん、美味しい。」
「悠介のおじいちゃんは、この味が好きだったんだね。」
「そうだな。ずっと頼んでた、昔と変わらない味だな。」
生姜焼きを一口食べる、それはとても懐かしい味だった。
じいちゃんがずっと頼んでて、一口だけ食べさせてもらった事があって、それは生姜が苦いというか、独特な味で、食べれなくて。
でも、今食べると美味しいと思う、そんな懐かしい味だ。
「悠ちゃん、なんだか懐かしいなぁ。おじいちゃんがずっと一緒だったけど、そうか、亡くなっちゃったんだね。そうかそうか……。あの人とも腐れ縁、なんだか見放せないって言うか、構いたくなる様な感じだったけど、浩介君はまるでおじいちゃんみたいな人だねぇ。悠ちゃんが何とかしたくなる、って気持ちがよくわかるよ。」
「俺とじいちゃんって、似てたんですかね。じいちゃんに影響を受けたな、って今になって思う事はあるんですけど、あの人みたいに立派になれるのかな、って言われると、ちょっと不安なんですよね。」
「大丈夫だよ。きっとね、あの人は悠ちゃんを見てくれてるよ。あの人位優しい人なんて、会った事が無いからねぇ。だから、きっとなれるよ。」
じいちゃん、家族の仲が悪かった中で、唯一俺の味方をしてくれた、優しい人。
ちょっと説教くさくて、でも誰よりも優しくて、そんな憧れの人。
そんな風になれたらいいな、じいちゃんみたいな人になれたら良いな、ってじいちゃんが死んだときに思った、それを受け継げるのは俺だけかもしれないからって。
「店長の言うとおりだよ。悠介は、きっと大丈夫だよ。だって、こんなにも優しいんだもん。」
「……。受け継ぎたい、そう願った覚えがあるな。それなのに、浩介を悲しませる結果を産んだ、それは俺がまだまだ半人前って事だな。」
「そんな事ないよ。悠介は優しい、それは僕がよく知ってる。」
それぞれの想い、それぞれの願い。
浩介には浩介の人生がある、俺には俺の人生がある。
でも、こうして一緒になれた事が、今は嬉しいと感じてる。
それは浩介に言うべき事じゃないと思う、少なくとも今は、まだ浩介はご両親の事を悲しんでる、だから今嬉しいって言うのは間違いだと思う。
でも、嬉しい。
また、一緒になれた、また、一緒に歩いていける事が。
「浩介、これからはずっと、一緒だからな。」
「うん。」
宮本さんは、空気を読んでくれてるのか、奥に引っ込んでて、俺達二人っきりだ。
「僕、考えたんだ。もし、もう一度悠介と一緒になれたら、って。もしもう一度、悠介と一緒になれたら、もう二度と離さなくて良い様に、ぎゅって手を繋いでいようって。悠介はちょっとフワフワしてるって言うか、何処かに行っちゃいそうに見える事があるんだ。だから、僕が手を繋いで、一緒にいられたらって。」
「そんな風に見えるか?」
「うん。時々だけどね。悠介がどこか遠くに行っちゃうんじゃないか、僕なんて忘れて何処かに行っちゃうんじゃないかって、思う事があったんだ。お別れした時も、悠介はきっともう大丈夫なんだ、って思ったけど、それと一緒に、もう一緒には歩けないんだ、って思ったんだ。だから、もう離さない、いつかはどっちかが死んじゃって、離れ離れになる事があるかもしれない。でも、それまでは一緒にいたいなって。」
「……。俺もだ。離れ離れになる事があるとしたら、それは死ぬ時だけだ。何があったとしても、何を誰に言われたとしても、もう浩介の事を離したりしない。」
それはきっと、俺しか残ってないと思ってるからかもしれない。
ご両親とじいちゃんがいなくなって、不安定になって、俺しか見えてないから、そんな事を言うのかもしれない。
でも、それは浩介の本心だとも思った。
きっと浩介は、本心からずっと一緒にいたいって思ってくれてる、それは俺も一緒だ。
離れ離れになるなんて、考える事ももうしない、いつか死ぬ時まで、ずっと一緒だって。
「それじゃ、浩ちゃん、今度の金曜日からお願いね!」
「浩ちゃん、って僕の事ですか?」
「そうだよぉ?悠ちゃんだけ悠ちゃんって呼ぶのは、ちょっと違うだろう?だから、浩ちゃんだ。」
「はい!お願いします!」
食事を終え、浩介と悠介は手を繋ぎながら帰路についていた。
帰り道、少し食べすぎたな、と二人揃って考えながら、しかし満足げな顔をして、歩いている。
「良かったね、店長にまた会えて。」
「ん?そうだな。ずっとお世話になってた人だったからな。何にも言わずにお別れ、なんてのは寂しいしな。」
「きっと悠介、おじいちゃんの事思い出しちゃうから、って来なかったんでしょ?」
「良くわかったな。じいちゃんとの思い出って言うのもあるんだけどさ、それ以上に、じいちゃんを思い出すきっかけって言うのが、ちょっと辛かったんだ。それだけじいちゃんの事が好きだった、って言う証左かもしれないけどな、それでも、思い出を思い出すって言うのも、悪くなかったな。」
悠介は、小学四年以来会っていなかった店長の宮本が自分の事を覚えてくれていた事に驚いていたが、しかしあの店長は記憶力が良い、それもありえなくはないか、と考えていた。
しかし、それでも八年ぶりに来た店は、変わっていなくて、懐かしくて、それでいてどこか寂しくて。
女将が入院したというのは初めて聞いた、それはそれで心配なのだが、きっとすぐに退院して、復帰するだろうと予想を立てていた。
「私は何をされたって死なないのよ?あの人を見送るまで、ね。」
それは、昔女将が言っていた言葉だ。
当時の悠介は意味が分からなかった、見送ると言う言葉の意味がわからなかったが、今ならわかる。
きっと、宮本の死を見送るまで、死ぬつもりはない、という事なのだろうと。
悠介は考える、いつか、自分が見送る立場になるのか、見送られる立場になるのか、それはわからない。
だが、その日が来るまで、二人で一緒に、幸せになりたい、と。
「さ、着替えてゆっくりするか。」
「うん。」
家に帰ってきて、浩介はスーツを脱いで私服になって、俺はベッドに座ってまったり時間だ。
家に椅子はない、置く場所が無かったから、ローテーブルをベッドの横に置いて、対面にカーペットを引いて、って言うのがうちのスタイルだ。
浩介もちょこんと横に座って、ちょっとした無言の時間が過ぎていく。
「ねぇ悠介。」
「なんだ?」
「ありがとう。僕を救ってくれて、僕に生きる希望をくれて、生きてもいい理由をくれて。」
「お礼を言われる様な事じゃないよ。俺だって、浩介に生きる理由を貰ったんだ、そのお返しだから。だから、何があっても自分らしく生きるんだ。俺が言うのも変な話かもしれないけど、浩介は浩介らしくあるだけで良い、それだけで良い。きっと、その魅力に沢山の人が気づいてくれるよ。」
浩介は笑う、まるで昔と立場が逆転したみたいだ。
昔、中学の頃、俺が孤立してて、浩介だけが傍にいてくれて、それで浩介が俺と周りの友達との仲介をしてくれて。
だから、今度は俺の番だ。
「悠介も、悠介らしくいてくれれば、それで僕は良いんだ。強がらなくたって、僕は悠介が大好きだよ。」
「ありがとう、浩介。」
そっと、キスをする。
浩介はいつも、恥ずかしそうな顔をして、顔を真っ赤にする、それは変わらない。
嬉しそうに笑いながら、誰も見てないって言うのに、顔を真っ赤にして、それがまた愛らしくて。
この笑顔を守れるのなら、なんだってする、そう思った。




