泣かない理由
「さて、俺も大学生か。浩介とは一年違いになったな。」
「頑張ろうね、悠介。」
春が来た。
悠介と浩介は十九歳、今年で二十歳になる。
悠介は大学一年になり、浩介は大学二年になり、それぞれ忙しそうにしていた。
「今日は仕事でしょ?行ってらっしゃい。」
「あぁ、行ってくる。」
悠介は一年勤めて、だいぶ仕事も増えてきた。
最初は電話番だけだったのが、今では相談窓口の入口の聞き取りをしていて、これが大学を卒業して、心理士の資格を得たら、本格的に相談業務を任される事になる。
まだ四年後、されど四年後、と悠介は考えていて、あっという間に過ぎていくだろう、と思っていた。
「さて、頑張りますか。」
家を出て、いつもの様に電車に乗って、職場に向かう。
電車に揺られながら、そう言えばもう一年経ったのか、と少しだけ驚く。
「さて、僕も準備しなきゃな。」
悠介を見送って、朝食の皿洗いを済ませて、洗濯物を回して、浩介は部活に出ようと準備をする。
「ん、電話?」
そんな事をしていると、電話がなる。
電話の主は宮本で、こんな朝早くにかけてくる事は無かったけれど、と浩介は疑問符を浮かべながら電話に出る。
「もしもーし。」
「あ、浩ちゃんかい……?」
「どうしたの?おじいちゃん元気ない?」
「それがな……。かみさん、死んじまったんだ。今日の朝、急性肺炎って言われてな……。それで、今日から暫くお店休みだから、浩ちゃんに電話しなきゃって……。」
衝撃的な言葉に、言葉を失う浩介。
宮本の妻が亡くなった、それは理解出来たが、あの人を置いていくつもりは無いのよ、と言って入院しながらも元気そうだった宮本の妻が亡くなった、と言う事実が認識しきれない。
「ごめんよ、浩ちゃん。こういう時、どういう言葉を言えば良いかがわからないんだ。爺になったのに、面目ないねぇ。」
「……。ううん、おじいちゃん、僕も今から病院に行っていい?」
「構いやしないけど、なんでだい?」
「おじいちゃん独りで、放っておけないよ。確かに、僕達は関わってから一年位しか経ってないけど、おじいちゃんの孫だって言ってくれてたのに、おばあちゃんだって僕の事可愛がってくれてたのに、独りにしておけない。」
浩介は、悠介と晴也に一言ずつ連絡を入れると、総合病院に走って行った。
「おじいちゃん!」
「浩ちゃん、本当に、来てくれたんだね……?」
「当たり前だよ。大丈夫……、じゃないよね。ずっと一緒にいたんだもんね……。ご愁傷様、おばあちゃんは?」
「安置所に置かれているよ。安らかな顔をしてる。……、俺を置いていくつもりはない、って言葉を、信じてたんだけどねぇ……。でも、仕方のない事なのかも知れない、神様って言うのは、残酷なんだね……。」
「おじいちゃん……。」
病院について、廊下で椅子に座っていた宮本を見つけると、浩介は駆け寄って声を掛ける。
宮本は、涙の跡を残しながら、乾いた笑い声を出す。
神とはかくも残酷で、慈悲もなく、と、ずっと一緒にいるはずだった、逝く時は一緒に、と言っていた妻が、浩もあっけなく死んでしまった、それがショックなのだろう。
「……。僕が傍にいるよ、おじいちゃん。」
「浩ちゃん……。」
「おばあちゃんはずっと、頑張ってたんだ。僕はあんまり見てなかった、見れなかったけど、ずっと一緒に頑張ってきたんでしょ?だから、きっとおじいちゃんを見ていてくれるよ。だから……。一緒に生きていこう?おじいちゃんまでいなくなっちゃったら、僕寂しいよ。」
「浩ちゃん……。いつの間に、こんなに大きくなったんだね……。一年前、浩ちゃんを見た時、良い子だなとは思ったけれど……。こんなにも優しい子だとは、わからなかったなぁ……。」
宮本の手に手を重ねて、浩介は真剣な眼差しで告げる。
宮本は、こんな事を大学生が言う、という事に驚いていたが、しかし、浩介は優しい子だというのはよくわかっていた、それを再認識した、と言う事だろう。
寂しそうに笑うと、浩介の手を握って、そして。
「浩ちゃん、こんな爺で良ければ、これからもお店手伝ってくれるかい?」
「うん、そうしたい、僕の方からお願い、おじいちゃんと、一緒にいたい。」
「ありがとう、浩ちゃん。」
「お通夜が明日で葬式が明後日か。わかった、有給申請して行くよ。」
「でも、おばあちゃんも、急に亡くなっちゃったね。おじいちゃんを置いていくつもりはないのよ?って言ってたのに……。」
「人がいつ死ぬか、いつまで生きられるかなんてのは誰にもわからないからな。……。きっと、おばあちゃんは精一杯生きたんだ。浩介達が、その生きた証になってやれば良い。」
昼休み、浩介からの連絡に気づいて、ちょっと離席して電話。
宮本のおばあちゃんとは、小学四年の頃に会ったっきりだったけど、確か宮本のおじいちゃんより五つ位年上で、もう九十歳にはなるだろう、とは認識してた。
だから、なのかな。
死んじゃった事は悲しいけれど、それもそうかって言う感情の方が大きい。
九十まで生きたのなら、大往生だろう、生き抜いたんだろう、って。
「それじゃ、俺有給のお願いしてくるな。」
「うん、わかった。」
電話を切って、会長の所に行く。
「会長、今大丈夫ですか?」
「はいはい、坂入君の方から僕の所に来るって言うのは、ちょっと珍しいね。何かあったのかい?」
「お世話になった方の奥さんが亡くなった見たいで、有給の申請をしたいんですけど、大丈夫ですか?」
会長は五十ちょいの初老の男性で、この法人を立ち上げただけあって優しい人だ。
会長は、ちょっと考える様子を見せてるけど、多分申請自体は通るだろうな。
「いつからいつまでだい?」
「明日がお通夜で、明後日がお葬式だそうです。」
「そっか、じゃあ五日位は有給を取ると良いよ。坂入君も、それ位は見送りたいだろう?」「そんなに良いんですか?二日程頂ければと思ってたんですけど。」
「大丈夫だよ。思う存分、見送って上げなさい。」
五日間も有給を貰えるとは思ってなかった、二日位なら貰えるだろうなとは思ってたけど、そこまでは想定外だ。
でも、そう言って貰えるのは有難い、浩介もちょっと不安定になるだろうし、宮本のおじいちゃんも心配っちゃ心配だし、それ位の時間があれば、色々出来るだろう。
「ありがとうございます、会長。」
「今日も午後休を取ると良いよ。会いに行って上げなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
俺はそれを聞いて、急いで帰る支度をする。
「坂入君、何かあったのかな?」
「お世話になってた人の奥さんが亡くなったって連絡貰って、会長に葬儀の有給申請しに行ったら、今日午後休とって、五日間有給にしてくれました。心配でもあるので、有難く受け取ろうと思いました。」
「そっか。ご愁傷様、葬儀は大変だろうけど、手伝ってあげるんだよ?」
「はい、ありがとうございます、高橋さん。」
帰り支度をしてると、隣のデスクで飯を食べてた高橋さんに何事かと聞かれて、そのまま答える。
そうか、葬儀の手伝いをする、って言うのも大事だな、宮本のおじいちゃんも高齢だし、回らない部分もあるあろうから。
「それじゃ、お疲れ様でした。」
「はい、気を付けてね。」
高橋さんに他の人への説明を任せて、俺は会社を出て家に帰る。
宮本のおじいちゃんもそうだけど、浩介の事が心配で、足早になった。
「浩介、宮本のおじいちゃん、お待たせ。」
「悠介、来てくれたんだね。」
「悠ちゃん、良かったのかい?お仕事あったんだろう?」
「有給貰って来たよ、宮本のおじいちゃんが心配でさ。おばあちゃん、残念だったね。」
葬儀場の方に行ってた浩介と宮本のおじいちゃんの所に着く、おばあちゃんは今霊安室にいて、会えそうにはない。
宮本のおじいちゃんは,少し落ち着いてるのか、寂しそうに笑ってる、浩介はショックだって言う顔をしてるけど、それを隠してる様にも見える。
「葬儀は明日なんだけど、悠ちゃんも来てくれるかい?かみさんは悠ちゃんの事、気に入ってたんだ。送ってくれると、嬉しいよ。」
「勿論、その為に有給取ったからね。準備、手伝う事ある?」
「じゃあ、常連さん達への連絡を手分けしてお願いしようかな。うちは常連が多くてね、それで、皆に送ってほしいんだ。」
「わかった、電話番号教えて?」
浩介と二人で、手分けして常連さん達に連絡を入れていく。
宮本のおじいちゃんは葬儀場の人と話をしてて、ちょっとバタバタする。
「これで全員かな。」
「そうだね、皆さん、来てくれるって言ってたね。」
「おばあちゃんの人望だろうな。……。浩介、泣かないんだな。お世話になってたんだろう?」
「うん……。一年間だけど、とってもお世話になった。でも……。でも、なんだか今泣くのは違う気がするんだ。なんでだろう、一番悲しいのはおじいちゃんだし、僕まで泣いちゃったら、駄目な気がするんだ。」
浩介はこういう時泣きそうなものだが、と悠介は考えていて、そうではない浩介に少し疑問符を浮かべていた。
良くも悪くも直情的だった浩介が、こうして大人びだ発現をする、という事に、驚く。
しかし、人を思いやる事に関しては誰にも負けない浩介だ、そういった発言や思考は、当たり前なのかもしれない。
悠介は、そう考え直し、話を聞いている。
「僕も辛い、それは変わらないよ。でも、僕まで泣いちゃったら、きっとおばあちゃんは安心して逝けないと思うんだ。だから、僕は泣かない。」
「……。そっか。」
本当は泣きたい、と悠介はその言葉を受け取った。
しかし、浩介がそう決めたのであれば、それに従うだけだ、その意思を尊重したい、と。




