雨宿りでゴドーを待つ
サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』と”雨宿り”が合いそうな気がして、書いてみました。
「…だよな、要が鍵持ったまま帰っちゃったからだよな。」
稽古部屋に入れない俺たち。12月の寒い中、練習着姿で凍えている。おまけに、雨まで降って来やがった。稽古部屋に近い焼却炉の狭い軒下に、とりあえずの”雨宿り”。
大学3年恒例の課題、『ゴドーを待ちながら』のグループ発表が近い。この学年なら誰もが通る道だ。解釈は自由。なので、グループそれぞれの『ゴドー…』が演じられる。他人の演出を見るのは楽しい。だが、この作品は哲学的で正解はなく、かつ“喜劇”と来ている。だから難しい。それをどうやって演じようか議論するはずだったのに…。
「寒い!」
「…よう、ただ要を待っているだけは虚しいから、おまえだったら“ゴドー”をどう考えるか言ってみ?」
「“ゴドー”なぁ…。あれってさ、調べてみると“ゴドー”イコール“God(神)”って解釈もあるけどさ、俺は“ゴドー”は“ゴドー”だと思う。」
「問題は、俺たちの “ゴドー”は何か、だなぁ。」
「戯曲として読む分にはいいけど、いざ演じるとなると、変なループにはまって頭がおかしくなりそうでよ…。」
「難解だよなぁ…。俺らのアタマでやれるのか?」
「ホームレスふたり、救世主の“ゴドー”、暴君と召使…そして…。」
「“今日は来ないよ”っていう、少年だろ?」
「でまた、翌日も来ないんだよな?」
「すんげぇ搔い摘んで言うとな。」
「んで、俺たちは“要”を待っているわけだよ!」
「早く来いよ~、寒くて死にそう。」
例えば、エストラゴンの俺と、ウラジミールのこいつが、共に“要”を待っている。
「“要”来ねぇかなぁ。」
「鍵ねぇと、練習できねぇし…それに、寒いしなぁ。」
「雨だしなぁ。」
「でもよ、これってある意味、試練かも知んねぇぜ?」
「焼却炉で雨宿りが、かよ?」
「この状況をいかにして切る抜けるか、試されてるってわけよ!」
「なるほどな。」
「まずは、この寒さだな。」
「焼却炉の軒下にいるんなら、なんか燃やしてみっか?」
「そりゃいいや!暖かくなんべ!」
「暖かくするには、何燃やすかな。」
「う~ん。」ふたりで悩んだ末…。
「薪がねぇから、おめぇかな?」
“うわぁぁぁぁっ!”
俺は…今寝てたのか?
「ねぇねぇ、“要”、今夜は来られないって。明日、来るって。」
「そっかぁ…そうなんだ。」と、俺ら。
…ところで、お前、誰?
了
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