第5章:ジャンボーグAの衝撃
操縦概念の限界と、その突破
前章までで述べてきたように、特撮に登場する巨大ロボットたちは、ほぼ例外なく操縦席を持っていた。レバーやスイッチ、ボタン、計器パネル…。たとえ段ボールっぽくても、そこにロマンがあった。そして、そこに必ず生じる問いもあった。
「で、どうやって子犬拾ってるの?」
そう、巨大ロボットに求められる繊細な動作は、旧来の操縦方式ではどうにも整合性がとれなかったのだ。
そんな中、ついにロボット操縦の革命児が登場した。その名は…ジャンボーグA。
Wikipediaに学ぶジャンボーグA操縦法
ここで誤解があってはならない。ジャンボーグAの操縦方式はあまりに画期的すぎて、筆者の記憶だけでは信用ならない。よって、ここは正確を期すため、Wikipedia先生にご登場願おう。
コクピットは左眼の奥にあり、そこに立ったナオキの身体の動きを脳波伝達用ヘッドギアおよびヘッドホン、制御ワイヤーによって忠実にトレースする。
周囲の様子は頭部のカメラによって、前にある大スクリーンに映し出される。
座席や操縦桿の類が室内にまったく存在しない、コントロール・バイ・ワイヤーになっている。
出典:Wikipedia
……な、なにー!!
……そ、そんなんありかよー!!!
そう、これがジャンボーグAである。これまでのように、レバーを引いてパンチ、ボタンを押してミサイル…という「機械的な操作」を超えて、自分がその場で動いたらロボットも同じように動く、まさに同調型操縦システム。
子犬も拾えるジャンボーグA
この方式の最大の利点は、前章で問題視した“繊細な動きの再現性”にある。
人間が手を差し伸べて拾う…その動作をそのままジャンボーグAがトレースする。つまり、
「子犬、拾えます。」
これまで夢でしかなかった動作と操縦の一致が、ついに実現してしまったのだ。
ジャンボーグAの出現は、少年だった私にとって巨大ロボット観を根底から揺さぶる事件だった。
「いやいや、そう来るか…」「そっちで来たか…」「いや、あるか、そんな発想が…!」
まさにロボット操縦史における“コロンブスの卵”であった。
でもナオキ、コクピットで何してんの?
ただ、冷静になって考えてみると――
ロボットがかっこよく戦っているその裏で、コクピットの中ではナオキが一人でエア格闘技をしているのだ。何もない空間で必死にシャドーボクシングを繰り広げている様子は、正直、ちょっと間抜けに見えなくもない。
「その場でジャンプしてんの、誰も見てないと思ってるけど、めっちゃ映ってるで?」
このギャップに、子ども心ながら、少しだけ微妙な気持ちを抱いた記憶もある。とはいえ、それを含めても、ジャンボーグAの発想は斬新だった。単なる「操縦」ではなく、共感覚的な同期操作。これはのちに登場する様々なロボット作品にとって、間違いなく影響を与えるモデルになった。
宇宙人からの贈り物
もうひとつ、ジャンボーグAについて大切なことを記しておきたい。
ジャンボーグAは、主題歌にも歌われているように、遠い星からの贈り物。つまり、これは人類が科学の粋を集めて開発したロボットではない。宇宙人からのプレゼントなのだ。
「なんかずるい気もするけど…ま、いいか。」
我々人類が汗水流して研究開発した成果ではなく、いわば“チート装備”。だがそれでも、「操縦法のイノベーション」という点において、ジャンボーグAの登場は歴史的に重要な意味を持っていた。
人類の手によらぬ存在でありながら、ロボットを“こうやって動かす”という一つの型を提示したこと。その功績は決して小さくない。
さて、ジャンボーグAによって、我々のロボット観は再び変わった。
操作ではなく、同調・同期という新しい境地。
次章では、こうした“人機一体”の延長線上に登場した、アニメという表現形式で描かれたロボットについて語っていこうと思う。
…そう、いよいよ、私が一番語りたかったやつの登場です。
…つづく…しかないでしょう!