0歳 2日目 冒険者酒場
──「ブランシャード公爵領」ノラク市街地
私の生家に置いていく赤子をカミサに用意させた後、私は服や身分や通貨など、首都を目指すのに必要なものまですべて要求した。
それから私は魔法で身体を強化し、風や大気を操りながら首都までの街道を駆け抜け、ブランシャード公爵家からもっとも遠く離れた街ノラクにたどり着いた。
ここは首都と辺境の境い目になっているような街で交易が盛んなことでも有名だ。
だから夜が明けるか明けないかの時間に到着しても宿屋、もとい冒険者酒場は人で賑わっていた。
「はい、部屋は取っておいたよ~」
宿屋の受付と酒場が合わさった空間でくり広げられる喧騒の中から、そんな呑気な声を出しながらカミサが現れた。
「やっぱり暇なんだね」
「僕もちょっと旅がしたくなって」
街に着いた時点で姿を見せるような旅路が旅と呼べるのかな。
「それにしても君は足が速いねぇ~」
「馬よりもはや~い」
「私もこんなに速く動けるとは思ってなかった」
私はミラシェルの分娩に間に合わないと思い焦っていたのだけど実際に動き出してみると到着するころには半年以上も猶予がありそうなことに気が付いた。
1回死ぬ前は馬車移動が基本だったから、うっかりそれを基準に考えていたのだ。
「死ぬ前よりも風魔法の扱いが上手くなってる気がする」
「これも【人生やり直しチート】とやらの効果?」
「さぁ、どうだろうねぇ」
カミサは無駄にもったいぶる。
どっちにしろそこまで興味はない。
「じゃあ部屋まで行きましょう」
「ちょっとちょっと」
「僕と"いっしょの部屋じゃ嫌だ"とかそういうツッコミはないの?」
「なんで?」
「なんでって僕は男子だよぉ」
「神様でしょ」
カミサの外見や性別に意味はなさそう。
強いて言えば本人の趣味なんだろう。
「そう思うならさ~」
「その趣味を尊重して僕を男の子として扱ってほしいなぁ」
カミサは私の心を読んで先回りして苦言を呈した。
「じゃあ別の部屋にして」
「つれないなぁ」
「せっかくこんなにお世話してあげてるのに」
「じゃあいっしょの部屋でいいよ」
「……君は情緒ってのが分かってないね」
「その前にさ、お腹すかない?」
そういえば産まれてから、まだ何も口にしていなかった。
「それなら時間が巻き戻って産まれ直した令嬢にふさわしい料理を用意してよ」
私はカミサが喜びそうな無理難題を突きつけてみた。
本当は食べられる物ならなんでもいい。
「へへへへ……君も分かってきたねぇ」
「それではお嬢様、どうぞこちらの席へ」
この子はこういう"ごっこ遊び"が好きなんだ……。
ミラシェルが産まれるまでは暇だから付き合ってやらないこともない。
私はカミサに向かって右手を差し出した。
「お手を拝借」
カミサは私の右手を取って酒場の中で不自然に空いたテーブル席まで歩いていく。
他の卓はすべて埋まっているからカミサが"何か"して、ここだけ開けたのだろう。
「こちらにお座りください」
そして恭しい態度で私を席に座らせた……。
……後に私の隣にカミサは座った。
「何になさいますか?」
ほとんど間を空けずに酒場の女主人が注文を取りに来た。
カミサが私に聞こえないように注文を囁き、すぐに女主人は引き返していった。
「何を頼んだの?」
「来てからのお楽しみだよっ」
「ここはまあまあ文化が交わっている場所だから」
「それなりに期待できそうだね」
「きっと君の口にも合うよぉ」
「ところで王宮の贅沢な料理と牢獄のドブみたいなご飯はどうだったぁ?」
「王宮ではずっとミラシェルといっしょに食事を取っていたから」
「味なんて関係ない」
「つねに至高の料理を食べていたような気分だった」
「じゃあドブご飯は?」
「ミラシェルのために牢獄暮らしも耐えていたんだから」
「どんなに不味くても食べられたよ」
「んぐふふふ……」
「僕は味の感想を教えてほしいんだけどねぇ」
「まぁいいや」
「ほかにはさ──」
「なんでこんなところにガキがいんだ?」
カミサが次の言葉を口にしようとしたとき、見るからにガラの悪い男が私たちの卓に近付いてきた。
身長は高めで精悍な顔つきをした短い銀髪の男。
パッと見では普通のゴロツキのように偽っている。
しかし立ち姿や雰囲気からして、それなりに地位や武の素養もありそうだ。
「おねえちゃん、こわいっ」
おねえちゃん?
カミサは私に抱き着いて白々しい演技をしていた。
「なに?」
私は面倒だったけど男の顔に視線を向けた。
……ミラシェル?
私は心臓が止まりそうな気分になった。
男の顔はどことなくミラシェルに似ていたのだ。
ミラシェルから繊細さを抜いて無骨さを足したような顔だった。
「こっちが聞いてんだろ」
「こんな変な時間に危ねえぞ」
「あーもう、ジェイデン!」
「二人がびっくりしちゃうでしょ!」
ジェイデンと呼ばれた男の後ろから長い黒髪の女が姿を見せた。
「ごめんなさい」
「この人ったら不器用で」
「うっせ」
「二人のことが目について心配だったみたいなの」
そうなんだ。
するとカミサの念話が私の脳内に鳴り響く。
(周囲の人間には違和感を感じないようにしておいたんだけど)
(どうやら彼にはそれが通用しなかったみたいだね)
(ポンコツ)
使えない神様だ。
(くすくすくす、どうにか切り抜けてよ)
(おねえちゃん)
カミサの感じからして私を困らせるために、わざとこの二人に"何も"しなかったのもあり得る。
「心配してくれてありがとう」
「私は"サラエスキシア・エトラルム"」
「こう見えてもSランク冒険者だから大丈夫です」
私はカミサが用意した嘘の身分を名乗った。
「えっ、えっ、Sランク冒険者~!?」
「は、初めて見た……」
長髪の女の子の悲鳴が酒場中に響き渡った。
一方、ジェイデンと呼ばれた銀髪の男は怪訝な顔をした。
「そんなわけねえだろ」
「俺でも見たことないんだから」
「はい、これ」
私はカミサに渡された偽りの身分証を首元から取り出す。
七色に光る四角形が幾重にも重なった不思議な結晶を提げたネックレス。
「ま、マジかよ……」
ジェイデンは冷や汗を流しているようだった。
偽物なんだけどね。いや、神様が作ったから本物以上に本物なのかな?
その瞬間、酒場を覆っていた異様な空気が一気に晴れた。
どうやら仕掛けていた"何か"をカミサが解除したらしい。
そして酒場中の視線が私とカミサに一斉に向いた。
そんな中、ジェイデンは殊勝な顔をして口を開く。
「失礼した」
「余計なお世話だったな」
「いえ、心配してくれていたわけですから」
「ところでお二人はこの後ご予定は?」
「えっ、今日はもうご飯食べて寝るだけだよね」
長髪の子が慌ててジェイデンに同意を求めた。
「あ、あぁ。そうだけど……」
「それなら良ければいっしょに食べませんか?」
私はジェイデンの素性が気になったので二人を食事に誘うことにした。