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4.決意

 ズンズンと前を歩き続ける彼女は、フェリティアのことなど気にもしていないようだった。当然のようにフェリティアが後ろをついてきていると、信じて疑わないように。


「ね、ねえ、どこに向かってるの……?」


 ほぼほぼ駆け足のように彼女を追いかけながら、フェリティアは疑問をぶつけた。


「言ったでしょう。賢者様のところよ」


「賢者様ってどこにいるの?」


「図書館よ」


「……トショカンって?」


 聞き覚えのない言葉にフェリティアは首を傾げた。

 すると、彼女は歩みを緩めず首だけこちらをくるりと振り返った。そして、大きなため息を1つ吐くと、何も答えずにまた前を向いた。


(……酷い)


 不満気にぷくりと頬を膨らませる。

 いくら手錠を解いてくれた人だからと言っても、何も言わずに連いてこいなどとは横暴だ。

 どこに向かうのかすら、聞いても教えてくれないなんて。


「黙って着いてきなさい」


(……説明するの、めんどくさいだけ?)


 黙れと言われたのでフェリティアが口をつぐんで彼女に着いて行くと、城の中と中を繋ぐ外の廊下に出た。ぽかぽかとした外の陽気と、先程ぶりの日光に当たる。馬車で見かけた綺麗な庭だった。

 そのまま廊下を通り過ぎるのかと思えば、彼女は廊下を曲がって、庭を歩き始めた。


「外に出るの?トショカンって外にあるの?」


「少し黙っていて」


(ひどい……)


 先程膨らませた頬が更に膨らむ。

 綺麗な庭を出て、小さな門をくぐり、あまり手入れのされていない生垣の道を歩く。

 道が途切れれば、柵で囲われた森の横に続く獣道に入る。森の反対側には、小さいが綺麗な花畑もあった。


(……あれ?)


 その花畑の真ん中に、小さな人影があった。よく目を凝らして見れば、フェリティアと同い年くらいだろうか。髪の長い少女が花を摘んでいた。

 着いてこいと言われていたのにもかかわらず、フェリティアはそれを無視してふらりと花畑の中に入っていってしまった。

 少女はフェリティアに背中を向けていた。熱心に花を摘み取っているようだ。

 無造作に伸びた灰色混じりの茶髪が地面にまでついており、長い髪は顔にまでかかっていた。


(……それって、前見えてるのかな)


 背後まで近づいて、そっと様子を覗き込む。

 よく見れば、紫色の特定の花しか摘んでいないようだ。よっぽどその花が好きなのだろうか。


「……ねえねえ」


 フェリティアはその少女に興味が湧いて、肩をトントンとしてみる。

 肩がぴくりと反応し、顔だけそろりと振り返った。


「何してるの?」


 フェリティアは手を背中に組み、前屈みになりながら少女が摘んでいる花を覗き込んだ。

 葉は大きく、ふわふわとした小さな紫色の花弁がが集まってできている花のようだ。


「…………花、つんでる」


 作業をしている自分に、一体何の用なのかとでも言いたげな声色だった。

 少女の顔を覗き込んでみるけれど、前髪が長い上に俯いているせいで、顔がよく見えない。


「なんのお花?それ好きなの?」


「……これはベリランダ。薬になるから、つんでるだけ」


「薬って?なんの薬?」


「………ずつうやく」


「ずつうやく?」


「……しらないの?」


「ずつうやくってなあに?」


「……頭のいたみをおさえてくれる薬」


「へえ……」


 ふいっと顔を背けて、また少女は花を摘む作業に戻ってしまった。

 そっけない返事だった。しかし、はっきりと返ってきた質問の答えに、フェリティアは少し嬉しくなった。わからないことばかりだというとに、周りに質問しても良い返答が得られてこなかったせいだろうか。


「ちょっと、勝手にどこか行かないでくれるかしら」


 突然後ろから降ってきた声に、肩が思い切り跳ねた。

 振り返れば、怖い顔をしたの黒猫の彼女が腕を組んでフェリティアを見下ろしていた。


「ご、ごめんなさい……」


「一体何をして……ああ、ユリウスね」


 そう言った彼女の視線は、フェリティアの後ろにいる少女に注がれていた。

 彼女の声を聞いた少女が、そろりと彼女を見上げる。


「ベリランダは摘み終わったのかしら」


「……もうすこしでおわります」


「早く終わらせて戻りなさい。……ほら、貴方も行くわよ」


 そう言うと、彼女はフェリティアの手を取るとぐいっと引っ張った。本日何回目だろうか。


「じゃあね」


 少女に向かって手を振ったけれど、彼女は振り返りすらしてくれなかった。


(……むう。同い年くらいの子がいて、ちょっと嬉しかったのに)


 あわよくば仲良くなんてなれないだろうかと思っていたのに、とても寂しい反応だった。


 今度は勝手に行かないようにと釘を刺されながら黒猫の彼女の後ろを歩けば、獣道から再び整備された道に入る。円筒状の高い建物がその道の奥にあるのがわかった。あそこがトショカンだろうか。

 道の両側にある花壇には、庭園や花畑に咲いている花とは少し雰囲気と違った可愛らしい花が植えられていて、風に吹かれて揺れている。

 トショカンの扉の前まで来ると、黒猫の彼女は指をパチリと鳴らした。すると、扉が独りでに動き、中へ誘うように開く。


「行くわよ」


 勝手に開いた扉にフェリティアが目を丸くしていれば、中に入るよう催促された。

 足を踏み入れた中は薄暗かった。外から見たところ、ここには沢山の窓がついていたはずなのだが、その全てに黒いカーテンがひかれているようだった。中を灯すのは、ずっと上の天井にあるシャンデリアと、壁にかかったランプだけのようだ。

 中に入ったフェリティア達は、トショカンの中心に伸びる広い道を進み始めた。


「ここ、どんなところなの?」


「……図書館は本を読む場所よ。そこら中に本があるでしょう。本の貯蔵庫と言った方が正しいかしら」


 確かに、至るところにフェリティアの身長の2倍程ありそうな本棚が置かれていて、所狭しと本が詰め込まれている。薄い本から厚い本、巻かれた紙のようなものまで。

 しかし、この暗さは本を読むのに適しているのだろうか。


 図書館は静かだが、フェリティア達の足音以外に小さく四方八方から音が聞こえてきた。本をしまう音、足音、何かが引かれる音。あちこちに人の気配もする。

 通りかかった本棚で誰かが作業をしていた。車輪のついた本が高く積み上がった、台のようなものを押して、一つ一つ本を棚に戻している。

 その作業をしている人にも、フェリティアを連れて歩く彼女のように、黒猫の耳と尻尾が生えていた。

 その女性は、高くて手が届かない棚に本を戻すために、精一杯背伸びをして本を戻しているようだ。ゆらゆら尻尾が揺らいでいた。

 通りがかりにフェリティアがそれを見ていると、その女性はフェリティアの方へと振り返る。


「あ……お客様だ」


「え?」


「お客様だあ!」


 黒猫の可愛らしい女性は、フェリティアを指差すと目をキラキラさせて大きな声で叫んだ。


 フェリティアを連れて歩いていた彼女が振り返って眉を顰めたのと同時に、この大声があちこちで作業をしていた人達の耳に届いてしまう。


「おい、お客様がいるらしいぞ」


「何?お客様だって?」


 向かいの本棚、先に続く本棚、そのまた先の本棚……と、本棚という本棚の間からひょこりひょこりと人が姿を現す。


「おおっ!本当だ!お客様がいるぞ!」


「お客様よ、お客様!こんにちはー!!」


「あーお客様だあ!!珍しいー!」


(……な、なになになに!?)


 それはもう、図書館中が大きな騒ぎとなった。

 全員が全員本棚の奥で作業をしていたはずだというのに、どの階にいるもの達もバタバタと色んな階から見下ろしては、フェリティアを指さし手を振って何やら大声で叫んでいる。

 いきなり騒ついてしまった図書館に、前後ろ右左とフェリティアら忙しなく首を動かしていた。


(……なんの騒ぎなの!?)


「今日はどんな本をお求めで!」


「私!私がその本を探しましょうか!」


「いや僕が探します!」


「私のオススメの本も読みませんかー!!」


 落っこちそうなほど身を乗り出す人もいてフェリティアはとても不安になる。


 皆が皆、黒い耳に尻尾を生やした不思議な人達だった。

 驚くことに、この薄暗い中でも一人一人の瞳がまるで黄金の月のように灯りを灯している。

 この不思議な光景と圧倒されるほどの勢いに、フェリティアはたじろいでしまっていた。


「……ちょっと、貴方達?」


 怒気を含んだ静かな1つの声が、まるで風が通り抜けるように、この騒がしい図書館に響き渡り、図書館が一度で静まり返る。

 あの喧騒の中、よく彼女の声1つがこれだけ聞こえるものだと感心するところだが、あまりの怒りのオーラに誰も何も言えなくなっていた。


「……貴方達、そんな風に仕事を放棄していいと思っているのかしら。さっさと仕事に戻りなさい!」


 ギラリと薄紫に輝く瞳が、騒いでいた黒猫達を一人一人射抜いていく。

 凛としたよく通る怒りの声と、乾いた手を叩く大きな音に、騒いでいた全員の毛と尻尾が逆立った。

 慌てて静かに作業に戻っていく皆を見て、フェリティアは口をぽかんと開けながら彼女を見た。


(……こ、怖い……)


「貴方も」


「ふぇっ」


「さっさと着いてきなさい」


「は、はい……」


(怖いよ……!!)


 あんまり逆らわないようにしよう、フェリティアは半泣きになりながらそう心に決めた。


 ふう、とため息を吐く彼女は、前を歩きながらポツリと話し始めた。


「黒猫族は集団意識が高いけれど、他所者も大歓迎な種族。だから、こんな風に馬鹿みたいに騒いで歓迎してしまうのよ。仕事くらいは放棄しないでほしいのだけれど」


 人に黒猫の耳と尻尾が生えて、猫のような目を持つ彼らのことを、世間一般的に「黒猫族」と呼ぶそうだ。


「最初はどんな他所者に対しても"ああ"よ。だけど、敵に回した瞬間に爪を尖らせ牙を剥くわ。……気をつけなさい」


 明るく賑やかな種族だが、魔法に対する熱意と研究意欲が強い面もあり、技術力もある。

 「敵に回すと恐ろしいわよ」と密かに釘を刺された。


(そんな恐ろしいことしないよ……!)


「……でも、なんでそんな他人事みたいに言うの……?」


「何がかしら」


「だって、同じ種族じゃないの?」


「……ええ、同じよ。だけど、私はずっと賢者様といたのよ。集落が同じだったわけじゃないわ」


 彼女はこれまで同族と共に過ごしてきたわけではないため、特に彼らに対して仲間意識がないらしい。

 賢者の命で、今は彼らを統括するリーダーのような役目を担っているらしい。


「目も違うのは、どうして?」


 他の者達は皆満月のような黄金の瞳をしているが、彼女だけ宝石のような薄紫の瞳をしている。


「……これは賢者様がくださったものよ。魔法を使う際、魔力が回復しやすく、その上で通常以上の効果や威力を出力することができる『魔法の目』よ」


「ふうん……」


 フェリティアは「魔力」というものについてもよくわからなかった。

 曖昧な返事をしつつも、とにかく魔法に特化した効果があるらしいということだけを覚えておいた。


 そんな話をしながら、思ったよりも長い距離がある道を歩いていれば、大きな1つの机に辿り着く。その机には、倒れてきそうなほど高く本が積み上がっていて、机の下の脇にも積み上がっている。

 そんな机の隅っこに、小さな金のベルが置いてあることに気づいた。

 黒猫の彼女はそのベルを手に取って、軽くリィンと鳴らす。


「しばらくしたらお見えになるわ。待っていなさい」


 そう言いながら、彼女はそっと上を見上げた。

 この円筒状の図書館は、ずっとずっと高くに天井がある。壁際には本棚が隙間もなく置かれているが、それでも天井はよく見通すことができた。

 どうして上を見上げているのかと首を捻りながらフェリティアも上を見つめていたが、突如小さな影が急に天井から降ってきたのだ。それは思ったよりも遅い速度で形を表していった。

 そして、それが人だと理解するのに、少しの時間が必要だった。


 ふんわりとした暗い水色のドレスを浮かび上がらせ、薄い水色に近い銀の髪を空に広げて、"彼女"はゆっくりと降りてきた。

 先程玉座の間に居合わせ、王に「賢者殿」などと呼ばれていた女性だ。

 彼女机の上に高く積み上がった本の上まで降りてくると、空中でぴたりと止まりそのままぷかぷかと浮かび続けていた。

 不思議な光景に口をぽかんと開けて凝視するフェリティアを見て、この銀髪の女性は口の端を上げた。


「いらっしゃい。待っていたわ」


 冷たい声が、フェリティアの耳を通り抜けて背筋を凍らせた。

 とても、とても不気味な笑顔だった。

 空中で足を組んで椅子に座るような体勢をとった女性は、そっと両手を組んだ。


「そんなに怖がらなくても。私は別に取って喰ったりなんてしやしないわ」


 そうは言うが、本当に人間を取って喰っていそうなオーラに騎士に捉えられた時とは違った恐怖心を感じて、フェリティアは後ろにいる黒猫の彼女の後ろに隠れようとした。

 しかしそれは叶わず、背中を押し出され無理矢理前に立たされる。思わず後ろを振り返ると、私の後ろに隠れるなとでも言いたげに睨まれてしまった。


「その子はノアール・カディアン。ここで働いてくれている黒猫達の統括を任せているわ。ごめんなさいね、その子他人に厳しくて」


 扇子を広げて口元に当てながら、女性はクスクスとおかしそうに笑った。

 フェリティアはぎゅっと胸の前で手を握りしめて、恐怖を感じないようにするのに精一杯だった。


「そういえば、自己紹介まだだったわね」


 空中で座るような体勢だった彼女は、浮かびながら立ち上がった。ゆっくりとドレスの裾をつまむと、優雅にお辞儀をしフェリティアに向かって微笑んだ。


「私はユミリル・エヴァロット。『秩序』と『予言』を司る賢者ですわ。気軽に『賢者様』と呼んでもいいのよ」

 

 そう言って揶揄うように笑った。

 図書館のシャンデリアの光が逆光になり、彼女により強く影がさした。

 その圧倒的なオーラにフェリティアは強く両手を握りしめながら、震える口を開いた。


「……その『賢者』って、なに……?」


「あら、そこら辺のお話は王から聞いていないのね……」


 賢者についての説明は難しいらしく、この世界について何一つ知らないフェリティアに賢者は何から説明すればいいのかわからないらしい。

 頬に手を当てて、賢者はわざとらしく溜息を吐いた。


「きっと今話しても、貴方の頭がこんがらがるだけね。今度教育係でもつけるように進言しましょうか」


 今は教えてあげられないことを恨まないでね、と言うと両手を組んで首を傾た。

 不満そうに、フェリティアは軽く頷いた。


(……この人、ずっと笑顔を張り付けてて、何考えてるかわからなくて、すごく怖い……)


「……さて、本題に入りましょう。私が貴方をここに呼んだのは、玉座の間で言った通り話がしたかったから。ねえ、可哀想な小さいお嬢さん。本当に何の記憶もないの?」


 ふわりと髪とドレスをたなびかせ、音もなく彼女はフェリティアに顔を寄せた。吸い込まれそうな深い瑠璃色の瞳が、フェリティアの水色の瞳を覗き込んでいた。

 玉座の間でもされた質問だった。この質問が何を意味するのかはわからないが、フェリティアは怒りを買わないように正直に答えるしかなかった。


「……うん、何も覚えてないよ……」


「……本当ににそうなのね、可哀想に……」


 訝しげにじっと見つめた後、先程からと同じようにまた笑みを張り付けた。

 可哀想、などと口では言うが、その声音は心底楽しそうで、心からなど微塵も思っていないようだ。


「騎士にも酷いことをされたでしょう。あの封印は大したものではないから、あんな大袈裟な討伐隊を編成する必要はないってあれほど言ったのだけど……。封印が解けたら、本当は私が保護しに行くはずだったのよ。がっかりだわ」


 あの騎士には嫌な気持ちを抱いているフェリティアだが、本来はこの賢者に保護される予定だったと聞いて、内心穏やかではなくなる。

 いっそ今の方が良かったのではないか。

 また頬に手を当ててわざとらしくがっかりする彼女に、フェリティアは安堵と焦りを覚えた。


「だ、だからって、これから私を保護しようとするの……?」


「……王が貴方をお客様として迎えると宣言してしまったもの。もうその気はないわ」


 その言葉に、フェリティアは肩を撫で下ろした。


「あらあら、嫌われてしまったかしら。でも、心配していたのは本当なのよ?まだ5歳か6歳の幼い貴方を、放っておけるわけないじゃない」


「……私の年齢、わかるの?」


「パッと見ただけだけれど。大体そのくらいじゃないかしら?」


「そうなんだ……」


「それより……なんだか、貴方の手首に何か付いているみたいね?」


「え?あ、これ……」


 賢者の視線の先にあったのは、洞窟で目覚めた時から外れずにずっと付けていた、あの黒い腕輪だった。今もなお、掘られた溝は水色にぼんやりと光っている。


「これ、ずっと取れなくて……」


「まあ大変。どんなものか私が調べてあげるわ。……ノア」


 彼女がパチンと指を鳴らすと、黒猫の彼女……ノアールがフェリティアの腕を掴み賢者によく見えるように突き出す。

 賢者は腕輪をそっと触ると、手を裏返したり腕輪を指で叩いてみたりして何かを確かめ始めた。

 ぐいぐいと引っ張って手首から外そうと試みていたようだが、取れないとわかるとパッと手を離した。


「まあほんと。取れないわねえ」


「……ずっとこのままなのかな……」


「別にいいじゃない。害はないし、付いていても特に問題なんてないでしょう?」


「えっ、でも……」


「大丈夫よ、ちょっと腕輪の1個か2個付いていたって。そのまま過ごしてちょうだい」


 いいわね?と有無を言わせないような笑みで押し切られ、フェリティアはまたもや頷くしかなかった。


「ええ、いい子ね。そう、貴方は普通のお客様として、楽しく自由に、ただのんびりと過ごしていればいいのよ。何もしなくていいし、何も気にしなくたっていいの」


 素敵でしょう、そう言った彼女の言葉に、フェリティアは強い反抗心が芽生えた。


「……それは」


「ん?」


「それはやだ……」


 意表をつかれたように、賢者は目を丸くした。

 フェリティアは顔を上げ、正面から賢者を睨みつけ声を上げた。


「このまま、何も知らずにただのんびり遊んで過ごすなんて、そんなのやだ。私、ちゃんと記憶を取り戻したいよ……」


 その言葉に、固まっていた賢者がゆっくりと首を傾げた。


「……それは、なぜ?」


 フェリティアの肩がびくりと震えた。

 今まで以上の冷え切った声が、フェリティアの頭上から降ってきた。

 扇子を口元を隠すように広げているが、彼女の目は笑ってなどいなかった。

 怒りに満ちた、目線だけで人を殺せてしまいそうなほどの恐ろしい目だった。


「……だ、だって……自分のことなのに、自分を知らないままなんて、そんなの嫌なんだもん……。あったはずのわたしの名前、いたはずの家族、あったはずの思い出、起きたはずの出来事も……」


 全てあるはずなのだ。

 フェリティアが生まれ、育てられ、そしてここに来るまでの全てが、その千年前に。


「知らないまま、知らないふりをしてのんびり楽しく暮らせなんて、そんなの嫌だよ……。、ちゃんと知りたい。自分のことは、自分でちゃんと知りたいの……!」


少し自信がなくて、反抗するのも怖かったけれど、それでも心のままフェリティアは叫んだ。


(怖くなんて、ないもん)


 そんなのは強がりだった。けれど、どうしても負けなくないような気持ちもあったのだ。

 目の前の彼女がどれだけ冷たく自分を睨んだとしても、フェリティアは怯んでなどいられなかった。怯みたくなどなかった。


「……どうして?いいじゃない、忘れたままでも。どうして思い出す必要があるの?貴方にとって、嫌な記憶かもしれないじゃない。小さい貴方にはまだわからないかもしれないけれど、世界って、記憶って、貴方が思っているよりも綺麗なことなんてないのよ」


「……それでもいいよ。どんな記憶だったとしても、わたしは知りたい。どんな記憶でもちゃんと受け止めるよ……!」


「そもそも、思い出す手段なんてあるのかしら。貴方はどうして記憶がないのかしら。どうやったら思い出せるのかしら。どうしたら自分の過去を知ることができるのかしら」


 フェリティアの前には、為すべき課題が山のようにあるだろう。それをこなすことが可能なのか不可能なのかさえ、世界の常識すら知らないフェリティアにはわからない。

 賢者はどうしても、フェリティアの意志が気に入らないらしかった。


(……それでも。たとえどれだけ難しいことでも)


「わたしやる。絶対曲げたりしない。どんなに難しくても、わたしやるもん……」


「……どうせ無理でしょうね。時間の無駄だもの、新しい人生を歩むことをお勧めするわ。だって、貴方はまだまだ若いもの。生まれたばかりも同然な、小さな子だもの。たった5、6年分の記憶が無くたって、この先の人生にはなんの影響もないでしょうね」


「なんて言われても、やるったらやるもん……」


 後半、ほとんどムキになっていたが、フェリティアの意志は変わらなかった。

 たかが5、6年、されど5、6年なのだ。短くても、フェリティアにとって大事な記憶が詰まっていることに変わりはない。


「……一応、応援はしないでおくわ。でもね、結局思い出す手段も知る手段もなくて、どうしようもなくなったって、別に気にしなくていいのよ。切り替えて新しい人生を歩めばいいだけだもの」


 そうでしょ?と賢者は微笑んだ。

 フェリティアはふい、と顔を横に背けるだけだった。

 その皮肉めいた言葉が気に入らなくて、フェリティアは拗ねることしかできなかった。


「……そういえば、貴方名前を忘れていたはずだけど。自分の名前はどうするの?私が新しくつけてあげましょうか」


「……いらない。王さまに、つけてもらったから……」


「……あら、そう。それで、貴方のお名前は?」


「……フェリティア。私の名前は、フェリティアだよ」


「ふーん……いい名前をつけるわね」


 クスクスと、彼女はまたおかしそうに笑う。

 しかし、先程のような心の底からおかしそうな笑い声とは違った、無機質な笑い方だった。


「えっと……もう行っていい?」


「どうぞ。もう用は済んだもの」


 フェリティアはくるりと彼女に背を向けて、ここから去ろうとした……が。

 後ろを向いたフェリティアの視線の先には、先程花畑で出会ったあの少女が奥の入り口からこちらに歩いてくるのが見えた。

 今まで無言で後ろに控えていたノアールもそれに気付いたようだった。

 あの花を両手いっぱいに抱えた少女を見て、ため息をつきながら両腕を胸の前で組んだ。

 少女が近くまで歩いてくると、ノアールが口を開く。


「……帰ってきたのね。摘み終わったのかしら」


「……はい」


「次からは籠を持っていきなさい。入れ物も何も持たずに多量に持って帰るのは明らかに非効率よ」


「……わかりました」


 少女からは、淡白な返答しか返ってこなかった。

 ノアールはそれについて特に何も思わないのか、部屋に戻るようにだけ指示をする。

 その様子を見ていたフェリティアの横を、少女が通り過ぎる。

 相変わらず顔は髪で隠れていてよくわからない。

 そのまま、少女は奥の部屋に入ってしまった。


「……貴方も帰るなら早く帰りなさい。賢者様は忙しいのよ……」


「あっ、うん。じゃあ、またね……」


 そう言いかけて後ろを振り返れば、賢者の姿は既になかった。

 お別れはノアールに言ったつもりだったのに、彼女は特に気にせず仕事に戻ってしまった。

 フェリティアは黒猫達に話しかけられながら、足早に図書館を出た。

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