プロローグ 寂しさの中で
(……おねがい!おいていかないで!)
少女はそう叫んでしまいたかったけれど、どうしても涙が止まらなくて、声にならない声しか出なかった。
酷く、酷く寂しかった。
少女の母と姉はいなくなってしまった。少女の師匠でさえ、彼女を置いていなくなってしまった。
(……一緒にいるって。そばにいるって言ってたのに)
師匠は、少女を守りきって死んでしまった。体に身を寄せても、ピクリとも動かない。
家も燃えてしまった。中にいた少女の母と姉は、もはや助け出せない。後で追いつくからと、そう言って少女だけを逃したが、追いかけてくるのは『あいつら』だけだった。『あいつら』のせいで、師匠も今、少女の目の前で力尽きた。
森中に大きな怒りの声が木霊した。
それでも、『あいつら』ですら、もう助からないのだろう。母と姉を殺した『あいつら』ですら。
『あいつら』は怒らせてはいけないものを怒らせた。
(……いい気味、みんな死んじゃえばいいのに)
きっと、『あいつら』はもう許されないだろう。
(……私は、どうなるの?残された私は、一体どうなるの?)
怒りの声が、悲痛な叫びともなって聞こえてくる。家だけじゃない、森も燃えている。火の手は森中に広がって燃え続けていた。
『失うわけにはいかない。もう二度と、失うわけには』
彼は怒りの形相で少女を見下ろした。酷く恐ろしい声だった。
……彼は味方か、敵か。
もしも敵だったら、少女を守ってくれる人はもういない。少女は、自分の生きる未来に絶望した。
突然、少女の体が宙に浮いて、彼の眼前に差し出された。
『お前は、私と同じようになればいい。千年の眠り、それだけで十分なはずだ』
少女は恐怖で動けなかった。彼は、本当に優しかった彼なのだろうか。
きっともう少女の声など聞こえないのだろう。彼の中には、憎しみと恨みと悲しみしか存在しない。
(……ねえ、私、もう生きていたくなんてないよ)
急激に襲ってきた眠気の中で、少女はふとそう思った。少女は、彼がおそらく少女を殺さないことを知っていた。
いっそ殺して欲しかった。この先自分は生きてて何になるというのか。大事な人は、もういないのに。
瞼が重くなったその時、彼が大きな呻き声をあげてぐらりと体を揺らした。
ふと重力が体にのしかかり、少女は地面に投げ出される。
『忌々しい、貴様が何故ここにいる』
彼の声は少女に向けたものではなかった。
彼は、どこか別の場所を憎悪を含んだ目で睨んでいる。
少女の近くで、足音と不敵な笑い声がした。
『邪魔をされるわけにはいかない。お前には、お前だけには』
その誰かに抗うため、彼は起きあがろうとする。
少女のすぐそばで草を踏む音がした。その音は少女の横を通り過ぎて、彼と対峙する。
「私も、貴女達に自由にさせるわけにはいかないわ。貴方達には、本当に迷惑させられた。これ以上好き勝手にはさせない。いい落とし所を見つけないと」
女性だった。視界の隅に、高貴な人間しか身に付けないという高価な布を使った服の裾が見えた。
彼女が彼に向かって手を翳すと、光の輪が宙を描いた。文字を描き、図形を描き、やがて魔法陣が完成する。彼に向かって、何か魔法を放とうとしているようだった。
『もう、二度と……奪われて、なるものか……!』
彼は力を振り絞り、少女に向かって手を伸ばした。
その瞬間、燃え盛る森の中の景色から、静かな洞窟へと景色が移り変わる。体に感じていた柔らかな草の感触が、冷たい岩の感触に変わる。
洞窟の中で、彼の声が響いた。
『刹那の魂よ。その体内に我と同じ輝きを灯し、永遠に失われることのない悠久の時を得よ。千年の長き眠りを呼び起こし、我が同胞とも同じ存在となれ』
自分に選択権はないのかと、こんな時なのに少女は愚痴りたくなった。
気だるげな中ごろりと寝転がり、空を仰ぐ。この洞窟は、構造的にどうやら空が見えるらしい。とても綺麗な空だった。
空に手を伸ばそうとして、少女はもうそんな力がないことを知る。
(……私はどうすればよかったの。ねえ、教えてよ。ねえ、師匠)
襲ってくる眠気に抗えずに、少女はゆっくりと目を閉じた。
……誰かが、耳元でそっと囁く。
________じゃあおやすみ。あと千年後まで。