YOASOBI
〜はんか‐がい【繁華街】
多くの商店が並び、多くの人が集まってにぎやかな場所。盛り場。〜
広辞苑より
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繁華街は深夜にも関わらず煌びやかな光に包まれていた。そりゃそうだ、繁華街なんだから。
ビルの窓から漏れる蛍光灯の光、店頭を飾るLEDの電球、ネオン看板の放つサイケデリックな色彩……等々。
腐っても東京の繁華街ともなれば、深夜であっても完全に眠ることはない。
ない――のだが。
「全然人がいない……」
何故かそこに行き交う人々の姿は何処にもなかった。
まばらなんてものじゃない。誰もいないのだ。
「なんかおかしくない?」
「んーなんも? むしろ好都合じゃん?」
永麗奈はまったく気にしていない様子だ。
まるで目的地でもあるかのように迷いなく歩いている。僕はちょっとビクビクしているんだけど……。
「ここにしよう」
しばらく歩いた先のビルの前で永麗奈が指を差した。
居酒屋やダーツショップといった色々なテナントが入っているビルの上の方に見えるカラオケの文字。
「けっきょくカラオケじゃん……」
まあ、こんな時間にやっていて未成年が入店できそうなお店といったらカラオケ屋くらいしかないか。
永麗奈はズンズンとビルに入って行ってしまう。
でもカラオケ屋で年齢確認とかされないかなぁ。
2人で狭いエレベーターに乗り込む。永麗奈の横は少しだけ良い香がした。
5階のカラオケに着くと、永麗奈が手短に受付を済ませた。
セーラー服であることを一切気にせず近付いて行くものだからヒヤヒヤしたが、
どうやら問題なく入店出来るらしい。
「一番端の部屋だよ」
カラオケ屋も外と同じで閑散としていた。
普通、別の部屋の歌声とか盛り上がっている声が聴こえて来そうなものだが、聴こえてこない。
他にお客がいないのかもしれない。
スピーカーから響く流行りの音楽と、無人の部屋から聴こえてくる
カラオケ機器メーカーの製作したPR映像の音だけが流れている。
途中に設置されている飲み放題のフリードリンクを手に、部屋に入る。
「いやーノド乾いた」
ソファに座るや永麗奈はオレンジジュースをストローでちゅうちゅう飲み始めた。
「本当に着いてきてしまった……」
僕はアイスコーヒーを意味もなくストローでかき混ぜながら、今更ながらに思った。なんだこの状況?
永麗奈は選曲タブレットをいじりながら、相変わらず楽しげだ。
普段からこんなことやってんのかな……?
つまり、道端で見知らぬ人間に声を掛けて遊んでいるのだろうか。
それってけっこう危ないことなんじゃないだろうか。
「さて」
僕がようやくアイスコーヒーの一口目を味わったところで、永麗奈が立ち上がった。
「行こうか」
そして部屋から出て行こうとする。
「え? トイレ?」
「ぶっぶー」
扉に手をかけ、手招きしている。
「もっと楽しいことをしよう」
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ビルの屋上は風が強かった。
部屋を出るや永麗奈はすぐ側の廊下の突き当たりにあった鉄扉を開けて非常階段をするする上り、
途中にあった鍵の掛かった扉も何故か開いていたようで、そのまま屋上まで来てしまった。
「悪いことするって言ったでしょ?」
なるほど。目的地はカラオケ屋ではなかったわけか。
ひょっとすると屋上への扉の鍵が開いていることも以前から知っていたのかもしれない。
永麗奈は屋上の中央で立ち止まると、スカートのポケットに手を突っ込みながら言った。
「レイド君、どっちがいい?」
いつの間にか両手にはビールの缶。しかも準備の良いことにそれぞれメーカー違いのビールだ。
人によってビールの好みはけっこう分かれるとかなんとか……父親がかつて言っていた気がする。
「悪いなぁ」
本来危険だから立ち入り禁止の屋上に不法侵入して、
これまた法律で禁止されている未成年飲酒がしたかったのか。
うん、悪い。これは不良だ。
「ビールとか飲んだことないんで」
「えー?じゃあ飲んでみなよぉ」
「いや、あんまり美味しくなさそうなんで」
とりあえずそんなに悪くない僕は断っておく。
永麗奈は不満そうな顔をしていたが、「じゃあ……」と今度はポケットから缶コーヒーを取り出して投げ渡してくる。
いやいや、本当に準備が良いね。というか、そのポケットは四次元にでも繋がってるの?
プシュッとプルトップを開けると、永麗奈はゴクゴクと缶ビールを呷り始めた。
うわぁ、今目の前でまさに未成年による犯罪が行われている。
「言っておこう。私は未成年じゃないからね」
「は?」
「は?じゃないよ。成人がセーラー服着てちゃいけない法律でもあんのかよぉ」
確かにないけどさ。え?じゃあそれコスプレなの?
「あ、ちょっと引いたね? 大丈夫だよ、肉体年齢は未成年だからさ」
「コスプレはコスプレでしょ」
「違うよ。ちゃんと実在する学校の制服だよ」
「こだわってるな……いや、そういうことではなくて」
ビルの屋上に胡座で座ってビール缶を呷る姿は、確かに小学生や中学生には見えない。
もちろん高校生にも見えない。セーラー服のおっさんだ。
「アルコールは良いよねぇ。合法的に脳が麻痺してく感じがたまらん。まあ、私はあんまり酔わないけど」
言ってることまでおっさん臭い。俄には信じ難いが、確かに年上なのかもしれない。
僕も永麗奈の正面に胡座をかいて座り、コーヒー缶のプルトップを開けた。
微糖のはずだけど、随分と甘かった。
このビルは周りに建ち並ぶビル群と比べると少し低い。
5階のカラオケ屋から上ってすぐに辿り着けたくらいだ。
屋上自体は薄暗いが、他のビルの電飾や看板の光で照らされているので視界には困らない。
夜のテーマパークの広場の中心にいるような気分さえした。
永麗奈はあっという間にビール1缶を空けてしまうと、またポケットから取り出してぐびぐび飲んでいる。
随分とペースが早いように思う。一般的にどうなのかは知らないけど。
僕は缶コーヒーをちびちび啜りながら、向かいのビルの点滅するネオンをぼうっと見つめていた。
「レイド君はさあ、どうしてこんな深夜に出歩いてるの?」
突然、永麗奈が呟いた。
今更と言えば今更の質問だった。
「……なんでそんなこと訊くんですか?」
気付けば、敬語に戻ってしまっていた。
訊かれたくないことを訊かれそうな気がして、少し警戒心が働いたのかもしれない。
「んやー? コンビニに買い物って感じでもなかったし、なんでかなって」
永麗奈はポテっと半身を横にして床に寝転んだ。
下から見上げる目線で問いかけてくる。
「学校とか、行ってないでしょ?」
「……行ってないですけど、いけませんか?」
「いやぁ? 私も行ったことないし、それが悪いことかどうかそもそもわからない」
学校に行ったことがない……? そんなに複雑な家庭環境だったのだろうか。
もしくはずっと不登校だったとか? 永麗奈を見ていると、なんとなく後者な気がした。
「ただ、汝はあんまり楽しくなさそうだなって」
「そんな……。まあ、別に楽しくは――ないですね」
実際、引きこもり生活は楽しくはなかった。
余計なことで憂鬱になることもなかったが、変化の無い毎日はただそれだけで心を不安にさせた。
何もすることが無いから、考える時間ばかり増えてしまう。
立ち止まり、何処にも進んでいない実感が否が応にも襲って来る。
ただ、何処にも進んでいないことは今に始まったことじゃない。
「僕は、得意なことも好きなこともあんまりなくて」
缶コーヒーをまた一口。甘さの中の苦味を舌に感じる。
「何をしても中途半端で、スポーツも勉強も……そんなに面白いこと言えるわけでもないし、友達が多くもない」
永麗奈の方は見ずに、ネオンの光だけを見つめながら話す。
どんな表情で聞かれているのか目視するのがなんだか怖かった。
「熱中できることもないし、個性的なわけでもない。なんていうかぼんやりとした人間なんです」
屋上の床に大の字に寝転ぶ。右手に握っていたコーヒー缶から中身が少し溢れた。
「よくある悩みだってこともわかってる。それこそなんの個性もない思春期にありがちなやつ。いや、そもそも悩みなのかな?――ただ、楽しくないことだけはわかる」
そんな僕でも胸に熱が灯ったような出来事があったんだ。情熱が宿ったような気分になった。
ひょっとしたら全てが変わるんじゃないかってそう思えた。そう――勘違いした。
「なんか色々と失敗したなぁって。自分がこんなつまらない奴になるなんて、子どもの頃は思わなかった」
「フヒヒッ、違いない。私はこの歳になったら世界征服してると思ってた」
永麗奈の声が聞こえる。頭を少し上げて見ると、永麗奈は起き上がってまた胡座をかいていた。
本気で言っているのかな? もちろん冗談なのだろうけど。
茶化しているわけではなく、その冗談には気遣いを感じた。
相手に不快を感じさせない、そんな気軽で優しい口調だったから。
「まあ、そうは言っても人生は続くし、いつかは学校に戻らなきゃいけないんだと思ってますけど、とりあえず今は休憩中ってとこですね」
床に寝込んでいると空がよく見える。人間は行き先が分からず途方に暮れていると頭上を見上げたくなるものらしい。不思議だ。
繁華街の空に星はよく見えなかった。
「やり直せるわけでもないし。過ぎた時間は戻りません」
頭テカテカの猫型ロボットでもいないと無理。
誰もが一生に一度は乞い願う不条理だけれど、世の中本当に不条理なことは起こらないのだ。
「なるほど、汝はやり直したいんだ」
いつの間にか永麗奈は立ち上がっていて、ポケットに片手を突っ込みながらこちらを見下ろしていた。
「例えば、こんなのはどう?」
その表情はどこか楽しそう? 愉快? どこか期待のこもった? よく分からない顔をしていた。
「私たちはこの世界ではない、別の世界からやってきたんだ」
両手を広げる。そして途方も無い、けれどありふれた妄想を語り始める。
「その世界には魔物や魔獣といった生き物や、魔法や呪いといった力があって、不思議な力を持った騎士や魔法使いもいる」
「なにそれ、異世界転生物?」
僕も半身を起こして微笑で応える。不良漫画ムーブの次は異世界転生か。
漫画とかラノベが好きだったりするのかもしれない。きっと講談社かなろう系だ。
「そこで汝と私はいろんな冒険を繰り広げるんだ。赤く燃え上がる火炎樹の森、鋭利な氷で出来た雪原の山脈、大草原の真ん中に建つ星見の塔、透き通った水晶が積み重なった未来視の丘――」
設定が意外と本格的だ。以前から考えていたのかもしれない。
それで小説でも書いてみればいいのに。
胸に手を当て、歌い上げるように語って、にちゃあと目と口を奇妙に歪ませて笑う。
「楽しいと思わない? 楽しいことは大体正しい」
そうなのだろうか――楽しくない今はやはり正しくないのだろうか。
「いっしょに、生まれ変わってあげよっか?」
永麗奈の身体が近付いて来る。エレベーターの中で感じた甘い香りが鼻先をくすぐった。
優しく両肩を掴まれる。そのまま押し倒されるように床に戻される。
永麗奈の顔が、吐息を感じるくらいの距離に迫る。
え? これキス? 接吻? キスされる? どういう展開?
何故か身体はぴくりとも動かない。抵抗しようという気も不思議としない。
まあ、美人ではあるお姉さんにキスをされるのもそう悪くはないかもしれない。
シチュエーションはよくわからないけれど。
永麗奈が大きく口を開ける。いや、キスってそんなに口を開くものだったっけ?
どんなキスをするつもりなんだ? さすがに僕には早過ぎるかもしれない。
歯並びの良い口内に鋭く尖った刃物が見えた。犬歯だ。
すごく鋭い犬歯だな……なんて冷静に観察している自分がいる。
時間の流れが遅れているように、全てがスローに感じられる。
頭がぼんやりとして、段々思考が覚束なくなる。
あ、いや、これキスじゃないな。唐突に気が付いた。
これはアレだ。吸血鬼に血を吸われるシチュエーションだわ。
果たして想像通り、永麗奈の顔は僕の唇を素通りして首筋に迫った。
まあ、残念ながらキスではなかったけれど、夜の街で出会った見た目美少女に血を吸われるのもそう悪くはないか。
そんな風に思って、僕はゆっくりと瞼を閉じた。